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心にも伝染する病(やまい)があるなら…。:物語では済まされない


学生時代、雑誌の紹介ページによって、
阿刀田高(あとうだ たかし)の「旧約聖書を知っていますか」を知り。

興味本位から読んでみたところ、
聖書の記された時代と背景への解釈と説明が面白く。
非常に興味深いものがあった。
(ちなみに阿刀田高には「新約聖書を知っていますか」という著書もある。
聖書は、宗教性こそあるもの、物語として、かなり面白く。
この物語(聖書)では、世界は、全知全能の神によって創造されており。
その意志や意図は、人には理解できなくても、すべてに意味がある…とあった。
しかし、その後、聖書やキリスト教について、
ほとんど興味をもつことはなかった。

当時、自分でも気付いていなかったけど。
「世界は、全知全能の神によって、創造された!」という、
この物語の世界観(思想)を受け入れられなかったからだろう。

何故なら、現実の社会と、人々の生活は、
矛盾性に満ち、いびつで不完全なものであり。
世界を創造した(造物主である)神は、全能であっても、
おそらく、全知ではなく。
人が、神や宗教によって、救われた時代などは、すでに終わっているか、
もともと存在しなかったとも思っている。



さて、著名なアニメーターでもある、
安彦良和の作品「アリオン」の巻末において、
神話について記されたものがあった(うろ覚え)。

その昔、山へと狩りに出かけ、ヘビを追い払った男は、
それを子供に伝え、やがて、その子供が大人になったとき。
「お父さんが、子供の頃、山に大きなヘビがいたけど…」
「お爺さんは、そのヘビを退治したんだよ」と、また自分の子供に語り。
そのようにして、年を経ていくことで、
山に住まう大蛇を、一族の祖先が、退治した”物語となっていく。
その物語が語り継がれていくことによって、伝説や神話となり。
神々の勇者が、竜(ドラゴン)のような怪物と戦う、神話や伝説のルーツも、
こんなところ…とあった気がする(うろ覚え、だけど、ね)。



そんな都合や事情もあってなのか(?)。

色々な伝説や神話で語られる神様には、
きわめて感情的で、物事が思い通りとならなければ、不機嫌となり。
身勝手で暴力的なものも少なくない。
古くから、神々が敬われ、怖れられてきたのは、
神々が、必ずしも、賢く、善なる存在でもないこともある。
この世の“悪”を具現化した、悪魔や魔物たちが、
“神”と敵対する存在なのは、物語における登場人物として、
“神”に正当性を与え、感情移入させるものでもあり。
このような伝説や神話に意味付けが加わることで、崇拝や信仰の対象となり。
やがて宗教的なものも出てきたのだろうと思われる。



聖書で語られるような全知全能の神の存在は、
他の伝説や神話における神々と異なり、
物語の登場人物としては、色々と不便なものになる。

全知全能の神が、創造した世界なら問題が起きるハズもなく。
例え、発生したとしても、全能な神に不可能はなく。
すんなりと解決し、物語が、始まることもなく、終了となる。
そこで、聖書の物語における登場人物は、神ではなく。
神に生み出された人間の物語となっていく。
それらの登場人物たちは、多くの人が、共感できるものでもあり。
いつの間にか、自分自身を物語の登場人物としていく。
そして、聖書の世界は、物語だけでなく、
現実にも影響するものとなっていったのだろう。
聖書とキリスト教によって、
法皇を頂点としたピラミッド型の社会構造も生まれ、
社会を統治していくテンプレート(定式)となっていく。
そのノウハウや権威を利用してきたものは、多岐にわたり。
聖書とキリスト教は、政治的な思惑にも絡んでいる。
昨年から、再び注目されることとなったカルト団体、統一教会も、
キリスト教のノウハウを悪用しており。
歴史の教科書にも記されている宗教改革では、
カトリックの宗教腐敗を象徴するものとして、
贖宥状(“しゅくゆうじょう”:「免罪符」とも誤訳されてきた)が、
マルティン・ルターに指摘されているけど。
統一教会による献金被害は、それを思い起こさせ、
歴史に逆行した愚劣さには、気分を悪くさせる。

蛇足:
近年、アニメやコンピュータゲームの物語へと、
傾倒していく人間は、「中二病」と言われている。
この言葉は、所謂(いわゆる)、オタク(ヲタク)より、
自虐的な意味合いで使われることも多い。
この聖書(物語)の場合、
2000年以上も前から、多くの人たちが傾倒しており。
単なる「中二病育成装置」と語るのは、色々と難しく。
下手すれば、〇ァチカンの精鋭部隊と揉めそうかな?
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