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いびつ。ダメなこと、ダメな人。


周りの意見を受け入れていけば、
自分自身を否定されるような状況を、
何度も経験していると、
流行りのものを受け入れなくなるところがある。
それが社会性の乏しさにつながるのか?
TVのニュースや新聞の社会面を前にして、関心が持てず、
どこか冷めていることを、自覚するときがある。


(こちらは過去の記事からの画像⇒)

時代を象徴するものには、人を選ぶところがあり、
ファッションやデザインだけでなく、
言葉にも、時代を象徴するものがある。
そんな自分たちの言葉が伝わらない人たちに対して、
「彼らは言葉を理解できない、ダメな人だ!」という、
雰囲気にもなってしまう。
このような背景があるのかは、推測の領域だけど。
流行のブランドを身にまとうことで、
自身の存在を強調してきたような人間には、
まれに無自覚なまま差別的な言動や行動をするものがいる。
自分とは異なるものが受け入れられないのだから、不思議なことでもない。
「流行は、差別を正当化してしまう」と言えば、問題があるかな?

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正直な一言(ひとこと)は、ときにツラくなる。


2021年7月、
「町山智〇のアメリカを、今を知るテレビ」を見ていたところ。
昼間から、ニューヨークのセントラルパークで、
ビールを味わっている陽気な青年たちへのインタビュー画像があった。
“日本の番組ですか!?”
“日本でのオリンピック開催に反対している人が、
日本人にも7割ほどいるというじゃないですか!“
“中止したほうがいいですよ”

・・・と、若者らしく悪意の感じられない、さわやかなコメントがあり。
グダグダながらも、なんとか開催となった地に住まう身としては、
かなり複雑な気分にもなってしまった。
ほとんどの人間は、物事の善し悪しを、自身の立場や環境などで考える。
日本の報道状況を、テレビなどで知った、
彼ら(ニューヨーカー)なりの感想だったのだろう。



正直、過敏すぎるとも言えるコロナショック報道。
それが1年以上も続いている。
もちろん感染力のある伝染病なのだけど。
テレビを含めたマスメディアは具体的な対策や行動を伝えるより、
不安を煽ることばかりを伝えてくる。
まるで医療崩壊だけでなく、社会構造まで崩壊したかと思うほど。
おそらく、テレビ番組には、視聴者を対象としたテンプレートが、
(決まった形式が)あるのだろうと思う。
番組の構成上、善と悪などの対立状況は、都合がよく。

「マナーを守らない“若者たち”が、コロナ過の感染被害を助長している」と、
受け取れるような伝え方などは、分かりやすい構成。
社会秩序を乱し、身勝手な言動や行動が目立つものがいれば、
それを“切り口”にして、刺激的な言葉で伝えてくる。
だから、構成上、不都合なものについては語られないのだろうか?
これはワイドショーのような番組だけでなく。
ニュースやドキュメンタリーのような報道番組でも、
感じられるときがあり。
社会の問題を、単純な言葉で一括りにして伝えられることのほうが、
社会性の乏しい人間には、ちょっと怖いものがある。



これまでの生活のスタイルの中で、スポーツを観戦することはなく。
正直、オリンピックにも、ほとんど興味はない。
それでも、今年は、少しだけ意識が向いてしまう。
大会批判と代表選手への応援とは、別のものでもあり。
この開催期間中は、煩わしい気分や問題を切り離して欲しいところ。


蛇足:
2021年8月4日、東京五輪オリンピックの金メダルを、
カワ〇ラ市長が、選手の了解も得ずに嚙みついたと聞いたとき。
その低レベルな行動を、どう理解していいのか考えてしまった。
自身の行動が、どのような影響を社会にもたらすのかを、
考えていない人たちは多くいるけど。
それなりの要職についている人には、ちゃんと考えて欲しいものです。
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