吉本興業がタイに拠点を設けて、まだ3年しか経っていません。ヨシモト エンタテイメント・
タイランド社のウイム・マノーピモーク社長と吉本興業の出会いは ・・・ 昨日からの続きです。
ウイムさんと吉本興業との出会いは「サラネー・おせっかい」という1本の映画がきっかけ。ジェトロの
ビジネスマッチングをサポートするコーディネーターを務めていた時、タイの芸能プロダクションから
“日本でお笑いの映画を制作したい” と相談を受け、吉本興業に掛け合ったのが始まりとのことです。
両親の関係で4歳から日本に暮らし、台東区の小学校に通い、その後タイに戻り、再び来日して国賓留学生
として1994年早稲田大学院を卒業。「日本に関わる仕事をするなら日本の会社を知っておこう」と、当時
タイ語・英語・日本語ができる人を募集していたアイリスオーヤマ社に就職、本社がある仙台に移り住みます。
そこで3年半勤めた経験が今役立っていると。ですから日本人と間違えるほど美しく流暢な日本語を話します。
ウイムさんは、タイ初の日本語ラジオメディア「J-Channel」などを運営する傍ら、大手タイ企業・セントラル
グループのアドバイザーも務めるなど、タイの実業家でした。 1本の映画の成功をきっかけにアジア進出を
<今やすっかりポピュラーになったJ-Channel…>
考えていた吉本興業は、お笑い スポーツ アイドルなど様々なコンテンツをタイで展開していく事を本格的に
考え、ウイムさんが代表を務めていたマノ・インタートレード社と吉本興業との合弁会社設立に至ります。
彼がアイリスオーヤマ社で得た大きなものは「日本人はチームワークで仕事をし、チームや人の
縁を大事にする。このお金で買えない人の縁の大切さを学んだ」といいます。自分が良く知る
タイ人と日本人の間に入り、ビジネスマッチングからお互いウィンウィンとなるビジネスモデルを
構築することが、本当の意味での「橋渡し」になると考えていると、インタビューで答えています。
親日国・タイでは日本のアニメやゲーム関連のカルチャーは、既に かなりの認知度を得ていますが、
これがお笑いとなると文化が違う上に言葉の壁も重なり、乗り越えるべきハードルが多いようです。
だからこそ、日本人を知り尽くしたウイムさんのような人が先頭に立たないと難しいんでしょうネ。
吉本興業の全体会議に出席するため、よく日本に行くそうですが、日本人の視点でタイに何かを
投入するのではなく、タイ人視点で日本からヒントを持ち帰って来るように考えているといいます。
また、日本からお笑いをそのまま持ってくるのではなく、タイ人に受け入れられるお笑いを
試行錯誤しながら届けたいと話しています ・・・ だったら、ここでクレームです。
とにかく明るい安村の「安心してください、はいてますよ」などの一発芸ではなく、真の吉本興業の
お笑いをタイに持ち込んでほしいですねぇ~ そんな風に思うのはワタシだけでしょうかネ ・・・
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