タイでインド人と言えばテーラー業を思い浮かべます。昔から印僑と呼ばれ繊維業からスタートして
いますから、バンコクでもターバンを巻いたインド人のテーラー店を多く見かけます。昨日からの続き。
テーラー業で財を成し、今ではスクンビット通り界隈で、不動産業で成功しているインド人も
多くいます。そのインド人の観光客がパタヤで多くなっていると聞きます。パタヤでも近い将来
観光客の増加と共に、インド資本のビジネスが多くなっていくのかも知れませんネ。
かつてはタイ東部の古びた小さな漁村だったパタヤですが、1960年から70年代のベトナム戦争時に
米軍の保養地として栄え、今から50年ほど前からリゾート開発が始まり、プーケットやクラビなど、
タイには多くのリゾートがありますが、パタヤがリゾート開発の先駆けともいっても良いでしょう。
パタヤから車で約1時間の距離に軍のウタパオ空港があります。当時、アメリカ軍がベトナムへの
作戦拠点としてウタパオ空港を使用し、多くのアメリカ兵が駐留していました。またベトナムに
派遣されていた兵士達が、休暇で同空港に降り立ち保養地になっていたパタヤにやって来ました。
そして パタヤの米国式のビーチリゾート開発が進み、漁村からリゾートへと変貌したのでしょう。
ベトナム戦争当時、パタヤの夜街はビール片手に駐屯兵とベトナム兵の酔っ払いのアメリカ人で溢れ
かえっていたといいますからネ。ですから、夜のエンターテイメントでもアメリカ的なナイトライフ
形式が多いですよネ。バンコクのカウボーイにあるゴーゴーバーで鉄の柱を支えに踊る光景は、昔の
アメリカ映画に出てくるものと変わりありません。カウンター式のバーもそれらのひとつですネ。
アメリカ兵が撤退した後は、ヨーロッパからの観光客の誘致にも成功し、タイを代表するビーチ
リゾートへと成長、発展しました。その辺は、さすが観光立国を目指した見事な方向転換でした。
今では年間500万人以上のタイ国内外からの観光客が訪れています。一時期 2006年前後に、パタヤ
全体が飽きられてきた時に開港したスワンナプーム国際空港がパタヤのお助けマンになった感じです。
それまではドンムアン国際空港からは約2時間半かかっていた所要時間がスワンナプーム国際
空港開港によって1時間半に短縮され、今ではタイ国・第3の国際空港とも称される軍民共用の
ウタパオ国際空港から約40分というアクセスの良さもあり、ますます利便性が高まりました。
昨日、現在の人口は13万人前後と言いましたが、これはパタヤ市に戸籍登録しているタイ人戸籍者数
であり、パタヤ市に住んでいるけど他の県に戸籍があるタイ人、長期滞在の在留外国人数は含まれて
いません。他県の戸籍のタイ人が多く、実際には50万人前後の人が生活していると推測されます。
でも昨日の強制捜査のようこともあるので、日本人のパタヤのイメージは、ゴルファー以外はよく
ないのかも知れませんネ。 もっとゴルフへのイメージチェンジを強調する必要があるでしょう。
いずれ、パタヤはナイトライフの悪いイメージを払拭しないと、いくら
利便性が高くなっても、これ以上は観光の街として伸びないかも知れませんネ。
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