写真と文章で楽しむ小さな小さなギャラリー

折々の写真と短い説明文を不定期に更新したいと思います。

中欧ツアーから22 プラハ聖ヴィート大聖堂とゴーガイル

2019-02-24 11:47:05 | 旅行

 高校の東京同期会代表内山氏が亡くなった(1/22)。ご冥福を祈る。昨夏同期会で2020年の幹事を頼むと指名を受けたのが最後(2019年は故郷開催のため東京開催なし)。

 今朝(2/24) 日本文学研究者 ドナルド・キーンさん(96歳)も。

 はやぶさ23.4億キロ先の小惑星「リュウグウ」に着陸成功(2/22  0722)。日本の宇宙技術力を世界にアピール。2005年のはやぶさ1号以来の世界的ビッグ、ビッグニュース!

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 日本人が西洋の世界遺産の聖堂を見学する際、どちらかと言えば芸術的観点から鑑賞する。 チェコの首都プラハを南北に流れるヴァルタヴァ(モルダウ)川の西岸プラハ城の一角に聖ヴィート大聖堂。豪華絢爛たる大聖堂は見上げる者を圧倒。大きくて全体写真が撮れない。奥行124m、幅60m、高さ96.6m。 14世紀前半に建造開始し1929年にやっと完成!何人もの建築家が取り組んだ。2つの尖塔を有しゴシック建築の特徴のバラ窓が美しい。建物自体が芸術品と称される。

 見学コースには世界遺産がてんこ盛り…チェコの聖人 聖ヤン・ネポムツキーの墓碑…、 又 チェコのアール・ヌーヴォー グラフィックデザイナー(画家)アルフォンス・ミュシャ18601939)は日本で人気だがステンドグラスは有名。荘厳な聖堂でバラ窓、ステンドグラス絵画を見ると〔私も天国に行ける、行きたい〕と願うのが人情だろう。

 私がオオ~と心奪われたのは「ゴーガイル」と言う建物付属物。聖堂の屋根に降った雨を地上に落とす雨樋(あまどい)。

 聖ヴィート大聖堂のものは怪物人間。屋根に降った雨水を口から吐き出す。日本の寺院庭園で竜の口からお水を吐き出す仕掛けがあるが似ている。

 地上5080メータのゴーガイルからの雨水は霧を発生させ物凄い迫力と想像(残念だが見たことなし)。お断りするが、見上げてもどこにあるか発見するのが困難。説明を受けないと分からないかも。

 ゴーガイルは13世紀の初頭フランスで発明されたらしくパリのノートルダム寺院のものが有名とか。形状はグロテスクな動物や怪物の姿。私は建築家たちの「ユーモア」=ホッと息抜き的に考えられたものではないかと思う。 日本でも故意に寺院の柱を一か所だけ未完成にしたり、塗料を塗り残したり(故意に未完成)の実例がある。いわゆる【未完成の美学】。東西を問わず宗教建築物にはいろんな仕掛けがあり面白い。

 その意味するところは「魔除け」、火災から家や身を守る「おまじない」とか、諸説ある様だが決め手なし状態。興味ある研究課題でもある… 

中世人の中心は大聖堂だった。聖ヴィート大聖堂を見上げる

カメラに収まらないスケールだ     奥行124m、幅60m、高さ96.6m



内部の天井も高い、高さ33m 厳かな雰囲気

聖ヤン・ネポムツキーの墓碑 銀色に輝く。約2tの銀が使われている

尖塔に囲まれたバラ窓、正面(ファサード)の主役

バラ窓を内部から撮る。面対象が美しい

バラ窓のそばのゴーガイル

ゴーガイルのアップ 怖い怪物人間が叫んでいる…天国に行きたっきゃ徳を積め!(勝手に想像)

この口から雨水を吐き出すのだ

アルフォンス・ミュシャの最高傑作「聖キリストと聖メトディウス」

アルフォンス・ミュシャのフレスコ画  題名はわからないが


 

 

 

 


プラハに尖塔が多いのは何故?

2019-02-12 16:46:30 | 旅行

このところ毎朝寒い。インフルエンザが大流行から小康状態に。でも気を付けよう。

 文章作成中にビッグニュースが二つ飛び込んできた。大坂なおみさんがサーシャ・バインコーチとの契約解除…全豪オープン前に決まっていた? why。そして水泳のエース池江璃花子さんが白血病公表。shock!

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 30歳過ぎのころか❓場所はNHK大ホール。ヴァーツラフ・ノイマン指揮でチェコフィルのスメタナ曲「我が祖国モルダウ」を聞いた思い出がある。ベートーヴェンとかバッハとはどこか違う聞き心地。

階席中央貴賓席には現平成天皇陛下と美智子妃殿下(当時は皇太子ご夫妻)も鑑賞されていた。

 チェコフィルの本拠地はプラハ。ウィーン同様毎夜演奏会があるそうだが今回のツァー企画になし。プラハの町は中央をヴァルタヴァ川が南北に縦断。両側に見どころが点在。プラハ城は西側に位置する。9世紀に建造開始、14世紀に完成。教会、宮殿、庭園等を擁す。 

ところで プラハに何故尖塔が多いのか?2019121日付)

私なりのまとめ

その1 プラハがボヘミアの中心になったのは9世紀の終わり、プジェミスル家の王女リプシェの予言で城が築かれプジェミスル王朝が誕生、14世紀まで続く。1344年ルクセンブルグ朝のカレル1世時に神聖ローマ帝国の帝都となり大繁栄した

その2 中世に金持ちが競ってスポンサーになって教会建築ブームが起こる(他者のブログから

その3 中世からの建造物がそのまま残っている(戦争で破壊がない)日本でいえば京都に寺院が多いことと似ている。

ざっとこんなところだがどなたかご意見をお願いしたい。

聖ヴィート大聖堂を側面から見るとこのように見える

同じく旧王宮からの聖ヴィート大聖堂の尖塔

マリアテレジアの家紋の付いた「戦う巨人たち」の像がある正門

 プラハ城の正門 マチアス門…重厚感あり



中欧ツアーから20 「プラハの春」から50年

2019-02-08 21:41:31 | 日記

立春も過ぎ、同日春一番が吹いた。気温がジェットコースターのように変化する。そして今日は私の誕生日…

明日はこの冬一番の寒気団南下。埼玉でも積雪予報のニュース。3連休はいかに?

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 この街も50年前は社会主義国だった。旧市庁舎が「プラハの春」運動の発祥地。まだチェコスロヴァキアと呼ばれチェコスロヴァキアの民主化運動「プラハの春」がソ連主導の軍事介入で打ち砕かれてから2018820日で50年たった。私は当時25歳。(チェコスロヴァキアは1993年チェコとスロヴァキアに分離独立国となる)

 現在のチェコの若者は当時の苦い記憶が薄れ46がプラハの春を「よく知らぬ」と言う事。(2018年8月22日讀賣新聞の記事、野菜を包んだ古新聞で偶然発見)人間は経験しないことはよほどでないと記憶に残らない。これも現実。現在の若者は屈託なく青春を謳歌していた。チェコと言えば1964年東京オリンピック 女子体操の花 チャスラフスカ(体操の選手)さんが人気。

 私達がプラハ観光したのが昨年2018年4月の初め、遅い春の装い。プラハはウィーンを一回り小さくしたようなイメージ。ウィーンは美術館等観光地が多いがプラハは中世建造物と現代がほどよくマッチした世界遺産都市プラハは世界一美しい町とも呼ばれる。尖塔と赤レンガ色の屋根が美しい。

 メインストリートはトラム、地下鉄が縦横無尽に走る。どこに行ってもフレンドリー感がありストレスフリーで心地よい。若者たちが元気に振舞っていた。立ち飲みのビールが美味しかった。

今回はプラハ城のある高台からの景色を載せる。いずれも世界遺産の街並みを望む。