当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

熊本城(1)

2010年11月13日 | 日記
ネタもつきているので、ちょっと前に戻りますが、夏旅行の話を追加で…

実は熊本も行きました(笑)

もちろん熊本城に清正公

そんなわけで熊本城

ここは、さすがに有名ですよね加藤清正公に細川家のお城でございます
規模の凄さがその売りしかも鉄壁
石垣の勾配は圧巻です

ちなみに熊本は元は佐々成政公の地。佐々成政は織田家の忠実な家臣で、信長死後は柴田側についたりと、秀吉嫌いだったとの説もあります。最後は肥後の一揆の責任を取らされ切腹させられています。
その後に清正がきたんですね~

熊本城の天守は、西南戦争中のある晩に、いきなり起きた火災で焼け落ちました。
そんなわけで現在の天守は復元天守になります。
西南戦争の火災は、敵による放火か、薩摩武士の心意気で火を放ったか、真実は定かではありませんが、個人的には武士魂を信じたいなぁ
ちなみに実は日本で一番観光客が多いらしいです。

まぁそんなミニ話はおいておいて。
チケットを買っていざ登城


夏休みで観光客が多いから?
いきなり門番に足軽が

そのまま奥に入っていくと…
見えてきました、天守の全貌が
 
石垣の色が2トーンになっているのは、勾配のせいなんです。
白い部分は、その上にある天守の石落しの部分のせいで雨風にあたらなかったかららしいんですが、ちょうどその色が違うところから、勾配の急さで人が登ることできない角度らしいです。
今はもちろん石垣昇ことはできませんが、ボランティアのおじいさんたちの話によると、子供時代は天守もまだ復元されていなかったので、よく登って遊んでいたそうで…
ただ、その部分からは、勢いよく登っていても、壁が眼前にいきなり現れる感じで絶対登れなかったそうです。
まぁあの時代に、忍者も登れない角度に作った石垣ですからね…
写真で見る以上の角度なんですよ

そしてその向かい。

宇土櫓。
ここは現存の櫓です。風向きのおかげで、西南戦争の火災の際に助かったんですね~
そして、加藤時代、この櫓が初代天守だったとの説もあります。
たしかにそれくらい立派

櫓の最上階からの景色。右側の方が駐車場です
↓これは最上階から見える天守の姿
個人的には好きな角度の写真


やたら長くなってきたので天守は次に書きま~す