3月11日、大きな地震が日本列島の本州と呼ばれる島の東北沿岸で発生し、
自然が激しく身震いして、たくさんのいのちが失われました。
電気仕掛けで動く私たちの文明を支えてきたいくつもの原子力発電所も、
取り返しのつかない被害を受けました。
壊滅的な被害を受けた福島第一原子力発電所の4つの原子炉で起きている
放射能漏洩事故に、世界の目は釘付けになっています。
私たちはこれまで、大地と水と空気を必要以上に傷つけることのないように心がけて、
自然から学びながら暮らそうとしてきました。
すべてのいのちを脅かす存在として人間が作りだした「核」とのつきあい方を改め、
中毒ともいえるエネルギー依存を脱して、あらゆるいのちとともに大地や水との
健全な繋がりを取り戻すことの必要性を、生活はもちろん、表現や生産を
通しても伝えてきたつもりでいました。
にもかかわらず、今回の事態は起きました。
大地と水と空気を、そしてそれをわけあってそこで生きるすべてのいのちに、
生きのびるための大きな試練を与えてしまいました。
しかし同時にそれはたくさんの無垢なる精神を揺り動かして目を覚まさせつつあります。
今回の危機により、平和が大切としながら荒ぶる核エネルギーに依存してきた
この国のエネルギー政策や、核政策の見直しを求める声は、今後さらに大きくなるでしょう。
今ある原子力発電所や核関連施設をただちに停止しても、すべてはそれで良い、
というわけにはいきません。
世界各地の先住民たちがそれに見合う知恵を持つまではけして掘り出してはいけないと
永い間伝えてきた鉱物、その核にともされた「火」は、すぐに鎮まってはくれないからです。
私たちは、この先も、人間が作りだしてしまったために放っておけばいつまでも荒れ狂う
強大な力を有する核廃棄物とともに、生きていかざるをえません。
核物質のタイムスケールは、私たち人間のそれとは比べようもなく長いものです。
その危険性を、文字に書いたとしても、石に彫ったとしても、きっといつかは忘れられて
しまうことでしょう。
何百年、何千年、何万年、気が遠くなるような時間を、核物質と共有していかなくては
いけない、人類史上はじめての、そんな時代に、私たちは今、いるのです。
震災からほぼ一ヶ月後の満月の日、余震がいまだおさまらず、原子力発電所の事故の終息も
見えないとき、私たちは、東西南北から関東地方は房総半島(総国安房)鴨川の山中に集い、
この母なる列島での私たちの今後の暮らし方、生き方について、自然との関係のあり方について、
真摯に意見を交わしました。
農業者、音楽家、作家、写真家、映画監督、絵本作家、画家、料理家、学生など、立場と
仕事を超えて、その日まで普通に日常を生きてきた人々が、あらためてこの日、地球に
生きるひとりの人間として、もう一度決意を新たに、震災と事故のもたらしたものから
学び、母なる列島の島々をこれ以上傷つけることなく、自然との調和をはかり、生きて
いくことを再確認しました。
そして、この列島に暮らす姉妹たちや兄弟たちにも、私たちとともに、地球が生きている
存在であり、長きにわたる人間の活動の結果、世界各地の先住民が「母なる地球」
「祖母としての地球」と呼ぶ偉大な存在が、息も絶え絶えになっていることを確認し、
もういちどいのちと地球とのつながりを回復し、調和と美のなか、すべてのいのちとともに
生きのびることを、心の底より祈り求めました。わたしたちは、人間として生きることを
怖れず、非人間的な核エネルギーに依存することを止め、もう一度地球を抱きしめることを、
ここに最初のネオネイティブミーティング総の国声明とします。
2011年4月17日 満月に虹の環がかかった日
ネオネイティブミーティング2011 参加者一同
※真魚さんのブログより引用
http://www.animismonline.com/2011/05/post_347.html
自然が激しく身震いして、たくさんのいのちが失われました。
電気仕掛けで動く私たちの文明を支えてきたいくつもの原子力発電所も、
取り返しのつかない被害を受けました。
壊滅的な被害を受けた福島第一原子力発電所の4つの原子炉で起きている
放射能漏洩事故に、世界の目は釘付けになっています。
私たちはこれまで、大地と水と空気を必要以上に傷つけることのないように心がけて、
自然から学びながら暮らそうとしてきました。
すべてのいのちを脅かす存在として人間が作りだした「核」とのつきあい方を改め、
中毒ともいえるエネルギー依存を脱して、あらゆるいのちとともに大地や水との
健全な繋がりを取り戻すことの必要性を、生活はもちろん、表現や生産を
通しても伝えてきたつもりでいました。
にもかかわらず、今回の事態は起きました。
大地と水と空気を、そしてそれをわけあってそこで生きるすべてのいのちに、
生きのびるための大きな試練を与えてしまいました。
しかし同時にそれはたくさんの無垢なる精神を揺り動かして目を覚まさせつつあります。
今回の危機により、平和が大切としながら荒ぶる核エネルギーに依存してきた
この国のエネルギー政策や、核政策の見直しを求める声は、今後さらに大きくなるでしょう。
今ある原子力発電所や核関連施設をただちに停止しても、すべてはそれで良い、
というわけにはいきません。
世界各地の先住民たちがそれに見合う知恵を持つまではけして掘り出してはいけないと
永い間伝えてきた鉱物、その核にともされた「火」は、すぐに鎮まってはくれないからです。
私たちは、この先も、人間が作りだしてしまったために放っておけばいつまでも荒れ狂う
強大な力を有する核廃棄物とともに、生きていかざるをえません。
核物質のタイムスケールは、私たち人間のそれとは比べようもなく長いものです。
その危険性を、文字に書いたとしても、石に彫ったとしても、きっといつかは忘れられて
しまうことでしょう。
何百年、何千年、何万年、気が遠くなるような時間を、核物質と共有していかなくては
いけない、人類史上はじめての、そんな時代に、私たちは今、いるのです。
震災からほぼ一ヶ月後の満月の日、余震がいまだおさまらず、原子力発電所の事故の終息も
見えないとき、私たちは、東西南北から関東地方は房総半島(総国安房)鴨川の山中に集い、
この母なる列島での私たちの今後の暮らし方、生き方について、自然との関係のあり方について、
真摯に意見を交わしました。
農業者、音楽家、作家、写真家、映画監督、絵本作家、画家、料理家、学生など、立場と
仕事を超えて、その日まで普通に日常を生きてきた人々が、あらためてこの日、地球に
生きるひとりの人間として、もう一度決意を新たに、震災と事故のもたらしたものから
学び、母なる列島の島々をこれ以上傷つけることなく、自然との調和をはかり、生きて
いくことを再確認しました。
そして、この列島に暮らす姉妹たちや兄弟たちにも、私たちとともに、地球が生きている
存在であり、長きにわたる人間の活動の結果、世界各地の先住民が「母なる地球」
「祖母としての地球」と呼ぶ偉大な存在が、息も絶え絶えになっていることを確認し、
もういちどいのちと地球とのつながりを回復し、調和と美のなか、すべてのいのちとともに
生きのびることを、心の底より祈り求めました。わたしたちは、人間として生きることを
怖れず、非人間的な核エネルギーに依存することを止め、もう一度地球を抱きしめることを、
ここに最初のネオネイティブミーティング総の国声明とします。
2011年4月17日 満月に虹の環がかかった日
ネオネイティブミーティング2011 参加者一同
※真魚さんのブログより引用
http://www.animismonline.com/2011/05/post_347.html