navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

散歩の風景-1

2010年06月05日 | 日記
休まずに歩くと1時間ほどでぐるっとひとまわりすることができるような小さな村に住んでいる。

この村は大小幾つかの湖沼が連なるその西岸地帯の南北に集落が拡がっている。
首都であるアムステルダムから高速道路(オートスネルウエッグと呼ばれる)にのって真南に走れば約20分ほどの距離にある。地元の役場が発行している最新版資料によれば約8500人ほどが住んでいるという。*(家)**(足)**(ウインク)*

先週の土曜日は、珍しいことに、信じられないようなよい天気だった。ここに住み始めてからもうずい分長くなるがこれは第4回目の“ 散歩 ”になる。それほど記憶がはっきり残っていて容易に数えられるほどめったに散歩をしたことが無かった。

ラフでゆったりしたコットン地のスポーツ着に着替えデジカメを手にし、もう少しで陽が落ちようとする時刻になって出かけることになった。

さてはと、散歩の準備が整いいざ出かけようとした時にさっきからPCに向かっていた息子が 振り向いて ”どうしたの?”と怪訝な面持ちをした。
それももっともなことで、こんな時間にこんな風体で外出することは無かったから。
そしてもう何年間も“散歩”はしたこともなかったから。
“ ちょっと散歩に行って来る。 ”と言ったら “そう、じゃ。”とそっけない反応があった。

5月も末である、めっきり長くなった春の日差しがやがて西の空へ傾き落ちて行く時刻(9時過ぎであった)、玄関に乱雑に並んでいる靴やサンダルのうちから厚い靴底のでよく足に馴染んだカジュアルシューズを選びだして履き、初夏向きで薄手の上着を羽織った。
玄関のドアを後にして停めてある車の横をすり抜けて歩き出すと右の腰につけた万歩計のカウンターがカウントを始めた。

永年住んでいるので土地勘はある。頭の中にラフに描いていた散歩のルートにしたがって見慣れた家並みの間をぬって歩を進めた。
ふだん車で走るのとは違ってやりなれない自分の足で歩こうとするのだがなんか靴底がしっかり地面についていないようなぎこちなさを引きずりながら歩いているような感じがある。

今歩き出したところもそうだが、車道はアスフアルト敷きで歩道は敷石そして自転車/歩行者路はアスファルト敷きになっている。なぜだかアスファルト敷きより敷石が敷き詰めてある歩道の方が歩きやすい。

この時刻でも夏時間になってしばらく経った昨今は外にいれば日中と変わらぬ明るさである。
それでも家々の屋根やこずえの上に拡がる空の青さは徐々に色あせはじめている。

まず村の南西にあたる外縁路に出るためにこの村を貫通している何本かの主要車道の一つに沿って石畳の歩道を歩いた。
ここは田舎であるからもうこんな時刻になると往来で出くわすのはわずかな車や定期バスだけである。
出発してから3回角をまがっただけでもう家並みが途切れるところまで来てしまった。
ここまでちょうど10分ほどかかった。
その間に出会った人はわずか3人だけ。
そのうちの2人と3匹は顔見知りではない。いずれも小さな犬をつれて歩いていた。おそらく近所に住む人たちであろう。
猫にも一匹出合った。まだ若そうな白黒ブチの猫が歩道に撒かれた砂の上で仰向けになって背中をこすり付けて足掻いていた。
歩いてきた私に気づくとはっと身構えた後、庭の植え込みの中へ逃げ込んでしまった。

この村の外縁はいたってわかり易く先に拡がる牧草地と内側の家並みとを水路で区切られている。じつはこんな小さな村の中も外も幅4~6mほどの水路がくまなく張り巡らされている。
そうしないと陸地が態をなさなくなるほど湿気はもちろんめっぽう水気の多い土地であるためだ。

私らが住んでいる家がある一帯の土地は海面下約6mだそうだ。一方村の真ん中で分けている幅の広い水路の向こう側半分にあたる地帯はそれよりも約3~3.5m高くなっている。

東側にあたる湖沼沿岸地帯の土地が高く西半分が低くなっているのだ。
想像するに近くの湖の水面が2階にある居間のソファかテレビ画面の高さと同じなのだ。
*(波)**(汗)**(テレビ)**(怒り)*
次回に続きます。