私設橋とその向こうのおおがらな民家を幾軒か数えながら歩いてゆくと急に道幅が広がったところにでた。
道端には車が5~6台駐車していた。
白地に大きな青い字体のロゴが描かれている看板が左手に掲げられていた。
ここはさるイタリア車のディラーである。そしてこの村唯一の車のディラーでもある。
それぞれのフロントウィンドウに値札が掲げられている中古小型車が10台ほど小さなショールームを縁取るように並んでいた。
その先の古めかしいレンガ造りの建物は私たちがこの村へきた当時はRAADHUISと呼ばれてこの村の役場だったところである。
それからまもなくして隣接の村々や町と集約統合されてその役目が終わってしまった建物である。
しばらく前に誰か個人の手に渡って今は貸家となっているようだ。
ちょうどそのRAADHUISの向かいは水路と約100m四方ほどの草地が拡がっている。
またそこは夏の一時期その水路をまたいで草地をつなぐ仮設橋が架かるところでもある。
いまは取り外されていて水路の向こう側へわたることはできなかった。
仮設橋が架かるのはこの村の夏祭り(7月半ば)の数日間か子ども達が大好きなケルミス(巡業遊園地)がやってくる時だけである。
残念ながら夏祭りと云っても日本のお祭りのような濃密な伝統や風情はまったく感じることができない。
たぶん私が日本人であるということがその一原因かもしれないが、たしか知り合いのフランス人やドイツ人さえ似た様なことを言っていたからやはり郷愁を呼ぶほどのものではないようだ。
その村祭りであるが、その開催中オープンマーケットがあったりオランダ歌謡コンサートで夕べを過ごしたりする。
だが祭り期間の大半は娯楽曲やダンス曲を大音響でたれ流してひたすら飲んで踊るぐらいである。
祭りにやってくるのはこの村の住人や近在の人たちそれから夏場に拙村(湖沼地帯)を訪れる保養客らである。
夕方から夜半まで大人向けキャンプファイヤー豪華版を連日繰りひろげるといった風情である。
イベントの対象参加者は明らかに中高齢者にウエイトを置いているのがよくわかる。
ケルミスの方は子どもとその家族がねらい目で我が家の息子がまだ小さな頃は毎年欠かさず出かけていったものだ。
その先はこの散歩道を横切るように水路が交差していてそこに小さな跳ね橋がかかっている。
その橋を渡ったところに軽食屋とアイスクリーム屋が向かい合って店を開いている。
たぶん夏場に限ったことだろうが今こんな時刻(午後10:20)でも店先のテーブルに幾組みかの客がたむろしていた。
夕闇が満ちてくるぎりぎりまで屋外のテーブルについて夕涼みを楽しんでいるのだ。
この先には村でいちばん大きなカソリック教会堂がある。
そこをすぎてもう少しさきに陸橋が横切っている。そこは国道への乗降口がある。
そこまで道路の左右ほとんど切れ目なく茶色いレンガ壁の灰色瓦屋根の家並みがつらなっている。
ながく住んでいるのでおなじみのところがたくさんある。
化粧品・日用雑貨・写真カメラ・眼鏡諸々屋、保育園、衣料品屋、薬局、パーティーセンター、ホームドクター、自転車屋、ペンキ剤販売店、レストラン、消防署、診療所・床屋などである。
10年ほど前まではさらに銀行、ス-パ-、電気器具店、別のレストランやランドリーなどもあったのだがそれぞれ店じまいしたり隣町へ引っ越したりしてしまった。
その跡地に新しい家が建てられところもあれば建物が取り壊されぽっかり空き地のままにおざなりになっているところもある。
今日の散歩コースは大きな古めかしい教会堂がある手前で左へ折れる。
ここまで来るのに45分かかった。
*(足)**(音符)**(時計)**(グッド)**(ニヤ)*
道端には車が5~6台駐車していた。
白地に大きな青い字体のロゴが描かれている看板が左手に掲げられていた。
ここはさるイタリア車のディラーである。そしてこの村唯一の車のディラーでもある。
それぞれのフロントウィンドウに値札が掲げられている中古小型車が10台ほど小さなショールームを縁取るように並んでいた。
その先の古めかしいレンガ造りの建物は私たちがこの村へきた当時はRAADHUISと呼ばれてこの村の役場だったところである。
それからまもなくして隣接の村々や町と集約統合されてその役目が終わってしまった建物である。
しばらく前に誰か個人の手に渡って今は貸家となっているようだ。
ちょうどそのRAADHUISの向かいは水路と約100m四方ほどの草地が拡がっている。
またそこは夏の一時期その水路をまたいで草地をつなぐ仮設橋が架かるところでもある。
いまは取り外されていて水路の向こう側へわたることはできなかった。
仮設橋が架かるのはこの村の夏祭り(7月半ば)の数日間か子ども達が大好きなケルミス(巡業遊園地)がやってくる時だけである。
残念ながら夏祭りと云っても日本のお祭りのような濃密な伝統や風情はまったく感じることができない。
たぶん私が日本人であるということがその一原因かもしれないが、たしか知り合いのフランス人やドイツ人さえ似た様なことを言っていたからやはり郷愁を呼ぶほどのものではないようだ。
その村祭りであるが、その開催中オープンマーケットがあったりオランダ歌謡コンサートで夕べを過ごしたりする。
だが祭り期間の大半は娯楽曲やダンス曲を大音響でたれ流してひたすら飲んで踊るぐらいである。
祭りにやってくるのはこの村の住人や近在の人たちそれから夏場に拙村(湖沼地帯)を訪れる保養客らである。
夕方から夜半まで大人向けキャンプファイヤー豪華版を連日繰りひろげるといった風情である。
イベントの対象参加者は明らかに中高齢者にウエイトを置いているのがよくわかる。
ケルミスの方は子どもとその家族がねらい目で我が家の息子がまだ小さな頃は毎年欠かさず出かけていったものだ。
その先はこの散歩道を横切るように水路が交差していてそこに小さな跳ね橋がかかっている。
その橋を渡ったところに軽食屋とアイスクリーム屋が向かい合って店を開いている。
たぶん夏場に限ったことだろうが今こんな時刻(午後10:20)でも店先のテーブルに幾組みかの客がたむろしていた。
夕闇が満ちてくるぎりぎりまで屋外のテーブルについて夕涼みを楽しんでいるのだ。
この先には村でいちばん大きなカソリック教会堂がある。
そこをすぎてもう少しさきに陸橋が横切っている。そこは国道への乗降口がある。
そこまで道路の左右ほとんど切れ目なく茶色いレンガ壁の灰色瓦屋根の家並みがつらなっている。
ながく住んでいるのでおなじみのところがたくさんある。
化粧品・日用雑貨・写真カメラ・眼鏡諸々屋、保育園、衣料品屋、薬局、パーティーセンター、ホームドクター、自転車屋、ペンキ剤販売店、レストラン、消防署、診療所・床屋などである。
10年ほど前まではさらに銀行、ス-パ-、電気器具店、別のレストランやランドリーなどもあったのだがそれぞれ店じまいしたり隣町へ引っ越したりしてしまった。
その跡地に新しい家が建てられところもあれば建物が取り壊されぽっかり空き地のままにおざなりになっているところもある。
今日の散歩コースは大きな古めかしい教会堂がある手前で左へ折れる。
ここまで来るのに45分かかった。
*(足)**(音符)**(時計)**(グッド)**(ニヤ)*