数日前の晩のこともうすっかり宵闇につつまれていましたから午後10時半ごろでしたか、ちょうど散歩コースにある2箇所あるうちの大きな方の跳ね橋を渡ろうとした時です、後ろから大型2連結のトレーラーがゆっくりドロドロドッとやってきました。
そのときはこんな時間にこんな場所に不釣合いな大型トレーラーが来ることはまずないのでおおかた道に迷ってこんな所へ入ってきたのだろうぐらいに思っていました。狭い道ですからすぐ横に見上げるような大きなトレーラーに並ばれて道端に追いやられるようにしてその場をあとにして散歩を続けました。
そして翌日また同じ所を歩ってゆくと昨晩そこで出遭ったことがどういうことだったのかよくわかりました。
ケルミスがやって来たのです。
その跳ね橋の先、水路の向こう側の空き地にケルミス=移動遊園地が一晩にしてこつ然と現われたのでした。
子ども達が大好きなあのケルミスです。
ですから今週末はケルミスに出かける家族や若者達で賑わいます。
と此処までは平和でのどかな語りです。
タイトルはロマと読みます。
あのイタリアのローマではありません。
別名ジプシー、マヌーシュあるいはジタン=ヒターノ、スィンティとか呼ばれているインドが故郷≠起源とされ流浪・移動民族たちのことです。
此処オランダに限らず西東南欧州域全般そして中東やアフリカ北部もふくめて居住している人たちです。
昨年もそうですが今年もフランスがそのロマ人をまとめて彼らの出身地とされるルーマニアとブルガリアへ強制送還していると。同じEU内の民ですから自由移動とある条件が満たされていれば一応居住権も認められているはずですが、なぜロマ人だけそういう仕打ちを受けるのか。つい2年前にはイタリアでもやはりロマ人のルーマニアへの強制送還がありました。
ドイツでも彼らに対する規制が強くなりつつあります。
ただ欧州連合内でのかれらに対する足並みはそろっていないのが現状です。
一ついえるのは全体的にかれらに対する規制や差別がますますひどくなりこそすれけして良い方向へは向かっていないことです。
各国で少数民族への風当たりがひどくなる中にあって不幸にもかれらロマ人はその筆頭のようです。
景気が益々落ち込む中失業者があふれている欧州社会は自分たちとは異質とされる少数民族への風当たりが悪くなりより排他的になってきているのでしょう。
私もここでは少数民族=マイノリティです。
そしてあのケルミスの所有運営業務をおこなっているのはそのロマ人なのです。
ただしこのロマ人は恵まれた人たちでしょう。
ここのケルミスへきた陣容を眺めてみると、移動用トレーラーやキャラバンに居住しているのですが、かれらがトレーラーで引っぱってきたのはあのF1のパドックでみるような超大型でハイスペック豪華版トレーラーが数台とやはり大型ハイグレードのキャラバンでした。それらが幾台も移動遊園地を囲むように連なっていました。
住む家がないからではなくて定住するのが性に合わず移動流浪生活をしているのがロマ人です。
また多くはないですが、すでにその土地に同化して定住しているロマ人もいるようです。
ロマニ語を話すが文字はなくすべて口承で生活様式・文化・習慣そして技能を伝承する。ロマ音楽・舞踏は素晴らしいものがありますね。
スペインではフラメンコとして、それからかのヨハンシュトラウス2世も幾らかロマ人の血が混じっていたそうです。
そういうことなどを想いめぐらせてみるとかれらの出自インド北西部から長い年月流浪してきたそれぞれの土地の音楽や舞踏とかれらがどこかでつながっているのが感じられます。
欧州を巡り歩くとモザイクのように少数民族の悲哀や文化歴史がちりばめられている場面によく出くわします。
個人的には大帝国の栄華や絢爛豪華な世界遺産級文物よりそういうところにより興味を惹かれます。*(音符)**(ハート3つ)**(うるうる)*
“判官びいき”でしょうか。
ケルミスは楽しいですよ!
*(チョキ)**(グッド)**(ニヤ)*
そのときはこんな時間にこんな場所に不釣合いな大型トレーラーが来ることはまずないのでおおかた道に迷ってこんな所へ入ってきたのだろうぐらいに思っていました。狭い道ですからすぐ横に見上げるような大きなトレーラーに並ばれて道端に追いやられるようにしてその場をあとにして散歩を続けました。
そして翌日また同じ所を歩ってゆくと昨晩そこで出遭ったことがどういうことだったのかよくわかりました。
ケルミスがやって来たのです。
その跳ね橋の先、水路の向こう側の空き地にケルミス=移動遊園地が一晩にしてこつ然と現われたのでした。
子ども達が大好きなあのケルミスです。
ですから今週末はケルミスに出かける家族や若者達で賑わいます。
と此処までは平和でのどかな語りです。
タイトルはロマと読みます。
あのイタリアのローマではありません。
別名ジプシー、マヌーシュあるいはジタン=ヒターノ、スィンティとか呼ばれているインドが故郷≠起源とされ流浪・移動民族たちのことです。
此処オランダに限らず西東南欧州域全般そして中東やアフリカ北部もふくめて居住している人たちです。
昨年もそうですが今年もフランスがそのロマ人をまとめて彼らの出身地とされるルーマニアとブルガリアへ強制送還していると。同じEU内の民ですから自由移動とある条件が満たされていれば一応居住権も認められているはずですが、なぜロマ人だけそういう仕打ちを受けるのか。つい2年前にはイタリアでもやはりロマ人のルーマニアへの強制送還がありました。
ドイツでも彼らに対する規制が強くなりつつあります。
ただ欧州連合内でのかれらに対する足並みはそろっていないのが現状です。
一ついえるのは全体的にかれらに対する規制や差別がますますひどくなりこそすれけして良い方向へは向かっていないことです。
各国で少数民族への風当たりがひどくなる中にあって不幸にもかれらロマ人はその筆頭のようです。
景気が益々落ち込む中失業者があふれている欧州社会は自分たちとは異質とされる少数民族への風当たりが悪くなりより排他的になってきているのでしょう。
私もここでは少数民族=マイノリティです。
そしてあのケルミスの所有運営業務をおこなっているのはそのロマ人なのです。
ただしこのロマ人は恵まれた人たちでしょう。
ここのケルミスへきた陣容を眺めてみると、移動用トレーラーやキャラバンに居住しているのですが、かれらがトレーラーで引っぱってきたのはあのF1のパドックでみるような超大型でハイスペック豪華版トレーラーが数台とやはり大型ハイグレードのキャラバンでした。それらが幾台も移動遊園地を囲むように連なっていました。
住む家がないからではなくて定住するのが性に合わず移動流浪生活をしているのがロマ人です。
また多くはないですが、すでにその土地に同化して定住しているロマ人もいるようです。
ロマニ語を話すが文字はなくすべて口承で生活様式・文化・習慣そして技能を伝承する。ロマ音楽・舞踏は素晴らしいものがありますね。
スペインではフラメンコとして、それからかのヨハンシュトラウス2世も幾らかロマ人の血が混じっていたそうです。
そういうことなどを想いめぐらせてみるとかれらの出自インド北西部から長い年月流浪してきたそれぞれの土地の音楽や舞踏とかれらがどこかでつながっているのが感じられます。
欧州を巡り歩くとモザイクのように少数民族の悲哀や文化歴史がちりばめられている場面によく出くわします。
個人的には大帝国の栄華や絢爛豪華な世界遺産級文物よりそういうところにより興味を惹かれます。*(音符)**(ハート3つ)**(うるうる)*
“判官びいき”でしょうか。
ケルミスは楽しいですよ!
*(チョキ)**(グッド)**(ニヤ)*
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