navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

東京ローズの暗号 2/2

2015年07月07日 | たわごと

彼女アイバ・郁子・戸栗は戦後アメリカで国家反逆罪に問われ懲役10年とアメリカ市民権剥奪の判決が下された。

スパイ?いったいどちらのスパイだったのか?

akazukinさんのブログから、

 

Interviews Of Tokyo Rose, 09-09-1945 (full)

https://youtu.be/ngJC4iwB-go

Tokyo Rose

https://youtu.be/LXN9RdKYYGY

 

東京ローズ残酷物語(1)

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10623259575.html

本文から:

東京ローズとされた女性。

Iva Ikuko Toguri D'Aquino
アイバ・郁子・戸栗・ダキノ

8月15日のテレビ番組で65周年記念スクープとして、
『消えた東京ローズを追え 戦後65年目の真実』の話題を取り上げていた。

残念ながら、私は直接見たわけではないので、どのような意図で進行でされたのかはしらないが、ここでは、彼女は「冤罪」であると言っている。

今まで、戦争を語る上で欠かせない名前『東京ローズ』を聞くだけで、詳細を知っていた訳ではなかった。

それ以上、興味もわかないまま、情報もないということで、今回突然のこの番組である。

2006年9月26日、90歳でシカゴにて死去された時は、日本でニュースにならなかったと聞いている。

なったとしても、特に注目されたとは思えない。

しかし、米国ではずっと注目の対象だったようだ。

私は、この番組が始まる前、スカルツォさんから『東京ローズ』を知っているか?
ということを聞かれていたので、個人的に調べなければいけないと思っていた。

スカルツォ氏が言うには、彼が最初に聞いた「GAMAN」は、彼女の事を書いた本で知った、ということだった。

どの本だか確かめていない。

スカルツォ氏の住んでいるカルフォルニアは、強制収容所があったことから日系人がより多いところだ。

彼自身、長年、彼らの様子を見ていたし、直接、付き合ってもいた。

問題もよく知っていることだろう。


東京ローズの一般的に流されている情報は、1976年12月末に「東京ローズ」(サイマル出版会)から出版されたドウス昌代著作によるものではないかと推測する。

しかし、これは、以下の大統領特赦書イベントの前までで、その後のことは、1982年11月の文春文庫の「あとがき」で触れている。

当時の大統領フォードが特赦書にサインをしたのは1977年1月18日、フォードとカーターが交替する直前のことで「大統領特赦を与えた」と1月19日に発表した。

アイバは、判決後の28年目にして剥奪されていたアメリカ市民権を取り戻した。

このイベントとたまたま同時進行で取材していたのが「特赦―東京ローズの虚像と実像」上坂冬子著、文芸春秋(1978.6)である。

1976年7月から取材、交流を続けてきた上坂冬子女氏の本のタイトルが「特赦」なのは、丁度このタイミングだったからであろう。 

(1995年に中央公論社から文庫本『東京ローズ・戦時謀略放送の花』と改題された) 

だから、『東京ローズ』に関する大まかな筋書きはドウス昌子の著作にあるようなことを踏襲したとして、ドウス昌代女史の間違った引用を訂正するくらいであった。

あとは、『東京ローズ』の関係者を上坂女史なりに取材している。 

「東京ローズ」ドウス昌代著

1963年に渡米しスタンフォード大学の教授ピーター・ドウス氏と結婚した。始めて書いたこの本で第8回講談社出版文化賞(ノンフェクション部門)を受賞しており、その後、文庫本(1982)、新装本(1990)と出されている。

本書のアメリカでの出版は、JACL(引用者註;日系市民協会)関係者の強い薦めもあり、早くから私の念頭にあった。アメリカ日系人史においてだけでなく、アメリカ市民運動から見ても象徴的な事件と思われるこの裁判に関する書物は、当時全くといっていいほど見当たらなかった。
中略…
アメリカでノンフェクションを出版する場合、まず考えねばならないのが訴訟問題である。
中略…
間もなく出版はニューヨークの講談社インターナショナルに決まった。出版及び販売はハーバー&ロウ社では二人の弁護士が目を通して、何の問題もなくOKしたことを付け加えておきたい。

英語での出版は、前述の理由から日本語版より三年も遅れたが、エドウィン・ライシャワー教授の「今日の人種差別及び真の法の在り方をもアメリカ人に強く問うてくる」との序を得て、1979年に出版された。アメリカ公民権連合の創始者ロジャー・ボールドウィン氏も推薦の言葉を寄せてくれた。

幸い反響は良く、全米各地とカナダで書評が続いて出た。中でも印象的だったのは、アイバ・トグリ・ダキノが現在も住む地元シカゴ・トリビューン紙のものだった。その一文は次のように結ばれていた。

「最終的には特赦になったからといって、我が国の歴史におけるこの恥ずべき一章が報いられたということでは決してない」(一九七九・六・三)

(「東京ローズ」新装版、ドウス昌代著、1990、『文庫本のためのあとがき』336~338頁)

なんとも華々しい。

だからといって、特赦(1977年)の後、2006年9月26日の逝去。2010年8月15日のテレビ番組の特集に至るまで、なんにもないといっていいほど静かである。

こっちが気付かないだけなのかもしれないが。

そこでもう一つ、日本で「東京ローズ」というタイトルを冠した三冊の三冊目の本が手に入った。

彼女たちより早く出された「マル秘=東京ローズ残酷物語;ある女スパイと太平洋戦争」五島勉著、ノーベル書房(1969)という本である。

彼女たちより早く出版されているのに、そのどちらも参考図書には入っていない。

読みはじめてすぐ気付くが、その関係者登場人物、内容が全然違う。◆

(つづく)

 

東京ローズ残酷物語(2)「バラ摘み作戦」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/theme3-10026048068.html

本文から:

五島勉はどこでこの情報を手に入れたのか書いていないが、これを書く前に、「日本の貞操」(1953)、「東京租界」(1955)、「アメリカへの離縁状」(1956)等、戦後の日本をルポルタージュした本を書いている。

彼はジャーナリストであった。

「東京ローズ残酷物語」には、ドウス昌代女史のみならず他には書かれていない人物がまず登場する。

筆者がここでふれておきたいのは、もっと別の男のこと―この日マッカーサーにしたがって厚木に降り立った一人の謎めいた人物についてなのだ。

アメリカ人にしては風采のあがらない、四十歳ぐらいの小男。しかも戦塵にまみれた将校や海兵隊員たちのなかで、この男だけが目立たない背広姿。

中略…

「彼は直接にはGHQ(占領軍総司令部)に属していない。しかし、国務省の特別命令を受けて、われわれの対日政策を側面からヘルプしてくれることになっている。え?彼の所属と名前?ウェル、彼は戦略情報局のW・アンダースン氏だ」

瞬間、声のないざわめきが記者団にひろがったという。戦略情報局(OIS)とは、それまでその存在さえも公式には確認されなかった、大統領―国務省直属の巨大なスパイ組織の名だったから。そして、それはやがて、中央情報局(CIA)という名のもとに、さらに秘密化していくだろう、というもっぱらの噂だったから。

OISの第二次大戦中の活動としては、たとえばヒトラーの愛用していたオーデコロンに特殊なホルモンを混入、彼の体質を女性化することに成功した、とか、インドで手をつなごうとした日本とナチスの情報機関を探知、その全員毒殺した、とかいう、おそるべき陰の功績が伝えられていた。

中略…

事実、W・アンダースンとOISの日本での初仕事は、まず一輪の美しいバラをさがしあてそれを摘みとることだったらしい。摘まずに放っておくと、その毒のあるするどいとげは、いつ彼らの「地主」を深く傷つけるかもしれなかったから……
(『東京ローズ残酷物語』、14~17頁)

こうして「バラ摘み作戦」は開始された。

ターゲットは、アイバ・イクコ・トグリ・ダキノただ一人。

(つづく)

 

東京ローズ残酷物語(3)戦略情報局OSS

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10625099667.html

本文から:

「東京ローズ残酷物語」の著者(五島勉)があとがきで、このようにふれている。

「もっとも、ドキュメントとはいっても、話の性質が当時の複雑な情報戦の核心に直接ふれるものなので、未だに解き明かせない部分が非常に多く、したがって、完全正確な記録とはいいがたい。

筆者はできるだけ丹念に材料を集めたつもりであるが、その空白の部分は推理的におぎなわないわけにはゆかず、一種のセミ・ドキュメンタリーとして読んでいただければ幸いだと思う。

全体に、実在しなかった人物は一人も出していない。しかし、談話を収録したばあいなど、話してもらった人の希望によって仮名・匿名を使ったところもある。また登場人物の行動は多少デフォルメされている。が、すべては実際におこった事件にもとづいていると思っていただいていい。」

(『東京ローズ残酷物語』あとがき、223頁)


2010年の今この本を読んだとしても決して古さを感じない。

現在、起こっている事件と錯覚するくらいである。

OISがトグリ・イクコを探すところは、OISの力を見せつける場面でもある。

二日おいた九月一日の午後、アンダースンは、二十人の部下といっしょに、ホテル・ニューグランドからジープをつらねて東京へむかった。部下の半数は、その日厚木についた私服の情報官と情報将校、半数は護衛のMPである。
同じころ米占領軍の主力は、まだ太平洋上にあった。一部の機械化部隊が、やっと横浜や横須賀に上陸をはじめたころだった。つまり、あまり知られていないことだが、東京占領の一番乗りは戦闘部隊によってではなく、謎のOIS局員とその部下たちによって果されたことになる。(『東京ローズ残酷物語』、18頁)

通説では、1945年8月30日夕刻、すでに米国から来た記者が探し回っていることになっており、公式文書にも二人の記者によってつきとめられたと書かれている。(『東京ローズ』、ドウス昌代著、31頁~参照)

当時の記者はそんな自由があったのだろうか?

「東京ローズ残酷物語」では、そんな記者など登場していない。


「イクコ・トグリ。あなたを待っていた。われわれはOISワシントン本部の者だ。我々はあなたを、裏切りと陰謀の容疑で本国へ連行しなければならない」69頁)

ポルトガル籍をもつ日系人の男性ダキノ氏と入籍をすませていたとしても、

「あきらめたまえイクコ。軍もMPもできないことも、われわれにはできるのだ。それにきみはポルトガル人ではない。きみはれっきとしたアメリカ国民のはずだ。……70頁)

事実をねじ曲げて、権力をふりまわすOISとは何ものだったのか。


どうしてこんな事態になったのかを、この段階で必要な部分だけ、手短かに説明しておかなければなるまい。

最大の原因は、突飛なようだが、トルーマン政権の選挙対策である。そのころトルーマン政権はソ連の原爆開発によって、長いあいだの核独占を突きくずされ、人気が下り坂になっていた。一九四七年(昭和二十二年)の中間選挙をひかえて何とか人気を挽回する必要があった。それをトルーマン政権は、旧敗戦国に対して強硬方針をとる、という安あがりの手段で果そうとしたのである。

といっても、ナチス・ドイツについては、すでにニュルンベルクの戦犯裁判が完了している。日本についても、東京裁判の目鼻があらかたついて、皇室に対しては責任追及の手がのびないことが明らかになっていた。これは一部の米国人―とくに太平洋戦争で息子を失った母親たちの不満を買い、「天皇をほっておくのか」という投書が新聞などにひんぴんと載った。

トルーマン政権もマッカーサー司令部も、皇室に手をふれる気はない。だからそれ以外の方法で母親たちをなだめ、人気をとりもどさなければならない。ホワイトハウスはOISにその方法のリサーチを命じた。

OISの答えは、「トーキョー・ローズを裁判にかけよ。処刑せよ。そうすれば国民感情を満足させられる」だった。それほどにも米国人にとって、“トーキョー・ローズ”の名は太平洋戦争の記憶と結びついていたといえる。彼女の放送が前線の将兵に人気を集めた分だけ、米本土の母親や娘たちはそれを憎んでいたといえるかもしれない。

中略…

 

東京ローズ残酷物語(4)日本への誘い

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10625126302.html

本文から:

トグリ・イクコがこの時期に日本へ渡ったのはどうしてだろう。

一九三九年九月に勃発した第二次世界大戦は全ヨーロッパを戦火に包みこんでいた。アジアでは大東亜共栄圏の旗印のもとに日本の侵略が相ついでいた。すでに雲行きがおかしかった日米関係は、前年(一九四〇)一月の日米通商条約廃棄により悪化し、一部の両政府関係者は、すでに、日米開戦は時間の問題であるとさえみていた。

(『東京ローズ』、ドウス昌代著、72頁)

そんな状況で、日本に行くだろうか、日本に行ったことが無いものが行きたがるだろうか?

ドウス昌代著の本には、「叔母の見舞いで両親の替わりに日本へ行く」いきさつが大変詳細に書かれている。(同書、71頁~)
「東京ローズ残酷物語」ではこうだ。

五島勉のあとがきの弁を念頭に起き、記述どうりに引用する。

彼女の幼いころ(一九一〇~二〇年代)、米国には黄色人種、とくに日本人排斥のあらしがふき荒れていた。日本からの大量移民、日本の軍国主義の急激な伸びなどが、それでなくても差別好きなヤンキー気質と正面からぶつかっていたのだ。(同書、86頁)

……ショックを受けた日系人の子は、ひどく卑屈になるか、それとも反発して米人を見かえそうとするか、どっちかである。……勝ち気な郁子が撰んだ道はもちろん後者に決まっている。(同書、87頁)

ロスの私立中学を首席で卒業したほど優秀だった。しかし、卒業式の女子代表スピーチは、次点の白人の女の子に変えられてしまった。これが起点となりまだ十六歳の郁子は世の中がおもしろくなくなりやけをおこした。

その時知り合った、白人の中年男性にはじめてやさしくして接してくれたことに真実のアメリカ人の姿と勘違いするのだが。

この紳士はマードック氏という。
マードック氏を通して知り合った米国人も彼女に親切だった。

後のボーイフレンドになるケーンと知り合ったのもこのころでマードック氏の手引きだった。

彼らのおかげで、「同国人としての親しみを覚え……白人と対等につきあえるようになったこと、米国社会にすんなり受け入れられたこと、それがいつのまにか、郁子の反逆精神やコンプレックスをきれいに解消する役割を果たしていたのかもしれない。」(同書、91頁)

ハイスクールを上位の成績で卒業し、カルフォルニア大学理科の入学試験を受ける。

「カルフォルニア大学は太平洋岸きっての名門校である。しかも、いっそう高まってきた排日ムードを考慮してか、日系の入学者をとったためしがない。だから落第は覚悟のうえだった。が、受けてみたら奇蹟的にパスした。

中略……なぜ通ったのか、郁子にも少しふしぎに思われた。たった一人だけ日系学生をとった理由もややわかりかけた。わかったのは、これでまたひとつ、あたしは米国社会から恩恵を受けたんだわ、あたしはもう本当にアメリカ女性になれたんだわ、という誇り、満足感だけである。」(同書、92頁)

そのころ「極東では、日本軍が中国北部を制圧し、アジアでの権益を守ろうとする米国とのあいだに日米交渉がひらかれて、米国内の日系人への感情は最悪の状態になった。(同書、93頁)

「ニッポン行き」を持ちかけたのは、ケーンの方で、郁子とは親密な仲になっていた。

第一、「いったん日本へリターンしたほうが」などといわれるおぼえはない。彼女はアメリカで生れてアメリカで育った米国女性で、ロス以外の所へ出たことなどいちどもないのだ。(同書、96頁)


郁子はアメリカ・レディーになるため努力していた。

 

東京ローズ残酷物語(5)「同盟通信社」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10627934200.html

本文から:

結婚前提をにおわせた、ケーンの郁子への「日本行き」であった。
しかし、到着してみると、実際、アメリカ人になりたいと思っていた郁子の目の前にはみすぼらしい日本の姿しか見えなかったようだ。

叔父の家に身をよせた二日後には、帰国のためのパスポートをもらいに行った。

一日も早く米国に帰りたいという郁子の気持は、この観察でいっそう強まった。大使館別館についてみると、同じ思いらしい在日米人たちが、帰国申請の窓口にひしめきあっていた。

だが、ここで予期しなかった事態がおこる。ろくに理由を調べもせず、つぎつぎにパスポートを濫発していた大使館の係官は、郁子の番がくると突然慎重な態度をみせ、どうしても申請を受けつけてくれなかったのである。

「ミス・トグリですね。あなたについてはロスから特別に指令がきています」若い大使館員は首をふっていた。

中略…ロスからの特別司令とは、「ミス・トグリは非常に強く訪日を望んでいたので、やむなく国籍証明だけで行かせた。彼女の意志を尊重して、まちがっても強制送還などしないように」という、「米国としては最大限に好意的な意向」のものだったということも聞かされた。(『東京ローズ残酷物語』、105~106頁)

パスポートが手に入らない。

帰国ができないと知るや、ケーンのことばを思い出した。

友人シュミット氏を探そうと決めたら、あんがいすぐに見つかった。

米国籍の郁子が叔父の家にやっかいになって困惑されているのを聞いたシュミット氏は勤め口を探す約束をしてくれた。
シュミットが彼女を連れていったのは、そのビルの大半を占めていた「同盟通信」の調査部である。「同盟通信」は当時の日本のただ一つの外電通信社(官営)で、いっさいの海外ニュースがここを通じて各新聞、放送局に供給されていた。

……軍国日本の海外情報は、ほとんど在外公館の武官、情報官を中心に集められていて、通信社のジャーナリズムはあくまでも二次的なものだった。したがって、「同盟通信」は、もっぱらオールウェーブのラジオをたよりに、ニュースの不足な部分をおぎなうほかはなかった。

そのオールウェーブのラジオを丹念に聞いて、内容を記録する人間がたりない。いや、外国語学校出身者たちで人数はそろえたのだが、完全にあちらの放送を聞きとれる者が少ない。どうしても、海外で育ったヒヤリングの達者な専従者が必要だ―と、幹部はあちこちさがしまわっていた。だからそれを聞きこんだのか知らないが、シュミットはそこに目をつけたらしい。

……

それに、なんといっても政府直属というところが強い。仕事の性質上、憲兵も警察もめったに手が出せない。軍部の奴隷みたいなほかの日本人とちがって、ここの連中は一種の治外法権のなかでのびのびやっているようだ、とシュミットは付け加えた。(同上、113~114頁)

中略…

 

東京ローズ残酷物語(6)「NHK国際部」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10628902591.html

本文から:

同盟通信社で順調に働いていたある日のこと。

米軍の―あるいは米国の情報機関の組織のなかに、あたしはいつのまにか組みこまれていたのかもしれない。そう郁子が感じたのは、日本軍の真珠湾奇襲から半年ほどたったころである。

彼女は相変わらず同盟通信のラジオ係として、受信に追いまくられていた。戦火は狂ったようにひろがり、それにつれて受信量もふえて、ほとんどのものを考えるひまはなかった。彼女はただ機械的に米国放送を聞き、機械的にメモした。

中略…

ところが、ある日、そうした戦争ニュースのあいまに、おそらく前線むけの慰問番組であろう、ごく短いカールトン・ショートがながされたのを郁子は聞きつけたのだ。

中略…

郁子がどきりとしたのは、その小話やギャク自体ではなく、そのところどころに出演者がおりこんだ、およそナンセンスな言葉あそびだった。

中略…

それは―疑いもなく、恋人のケーンが彼女に教えてくれた、古代マヤの呪文にそっくりだったからである。

中略…

郁子は、これは同じ放送が、米軍か情報機関の手で、ドイツや日本にむけて流されているのだと思った。……みんな古代マヤ語の“教育”を受けた女スパイたちで、自分もその仲間の一人として日本へ送りこまれたにちがいない、とかたく信じるようになった。
(『東京ローズ残酷物語』、125~127頁)

一九四二年、同盟通信社へ入社して七カ月たったころ、シュミット氏の夫人ヒルデがたずねてきた。

NHKの国際部に入らないかという誘いであった。

「当分はタイプや翻訳なんかだと思うわ。でもそのうち、アナウンサーをやらせてくれるかもしれないわ。……入局のてつづきのほうは、シュミットがうまくやるでしょうから大丈夫よ」(同上、129頁)

手はずは、今回もシュミット夫妻だった。

 

東京ローズ残酷物語(7)「ゼロ・アワー」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10631658319.html

本文から:

日本の敵対放送の主力要員は誰か。

五島勉の本によれば、すでに潜り込んで日本側の信頼を受けていた、同盟国のドイツ人、シュミット夫妻。

それに、捕虜になった将校たちと、ヒルデによって集められた混血や日系人たちである。

準備が整ったのは、年明けて1943年はじめ。

それから日本放送協会の対連合国向けプロパガンダ放送番組「ゼロ・アワー」がはじまった。

「東京ローズ」を名のりはじめたのは11月頃といわれている。

ドイツ軍歌の一つだった「リリー・マルレーン」は、電波に乗ったらたちまち人気が出て、各国語に翻訳され聞かれた。


音楽という特性から敵軍にも同様、味方の兵士にも良くも悪くも作用する。
同じような言語圏ならなおさらだ。 

しかし、「ゼロ・アワー」は、対象となる相手が米国と決まっている。

しかも英語である。
一般日本人が聴いたってわかるはずがない。

だから郁子は、ヒルデ・シュミットや捕虜将校たちと協力して、ひそかに日本内部の秘密情報を暗号で米軍に知らせていたと、少なくとも郁子はそう思っていたようだ。

 

東京ローズ残酷物語(8)「消えた証人」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10631725199.html

本文から:

そして番組が開始されると、われわれはまずひそかに暗号文をつくり、規定の方式通りにそれを放送文に組みいれ、さきに述べた日系女性たちに交替で放送させた。アイーヴァ・トグリはその一人だったにすぎない。つまり、“トーキョー・ローズ”は彼女だけではなかった。しかも彼女たちは、日本軍の宣伝に協力したどころか、実際には危険を冒して連合軍の暗号情報を放送していたわけだ。もっとも日本軍内部の情報は、われわれには容易に集められない。しかし幸いなことに、彼女たちの仲間にはシュミット……たしかヒルデ・シュミットというドイツ国籍の女性がまじっていて……

少佐がここまでしゃべったとき、ふいにトーマス主任検事が、「異議!」と絶叫した。

。。。。。 

要するに、アメリカ政府が音頭を取った東京ローズという名の魔女狩りであった。

(『東京ローズ』ドウス昌代著、320頁)

しかし、この種の本が帰着するよくありがちな、「戦争時の復讐」、「ヒステリックな国民感情」、「スケープゴート」、「人種差別」、最近のはやりでは「人権」等々ならば、問題の解決にはならない。

それらはすべて、必ずといってよいほど「ナチのユダヤ虐殺」を引き合いに出すからだ。

事件の真の目的を見ずにあまたある結果の一部分とりだしても民族感情を逆なでするだけである。

終らない憎しみ、怨念の連鎖、常にそれをあおっている。

では、消えた証人は何をしでかしたのか。

裁判の後、アイバの特赦願いの時には協力すると約束したデウォルフ(検察側ベテラン弁護士)は、一九五九年、シアトルのホテルで拳銃自殺を遂げたという。
中略…
また、アイバを東京ローズとして発見したはずのブランディッジ(記者)も、一九六一年に老人ホームで死亡している。
リー(記者)はそれよりずっと早く、四十六歳で亡くなっていた。
(『東京ローズ』、ドウス昌代著、331頁)

「東京ローズ」事件が終わってない証拠に、裁判に立ち会った弁護士、嘘の証言をした証人もまた、早くに死んでいった。
(つづく)

 

東京ローズ残酷物語(9)「タラワ島上陸作戦」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10631740473.html

本文から:

つまり、ローズはここで米軍をまんまとだました。重要な機密情報源の一つとして信頼されていたのに、彼女はそれを裏切って、わざと米軍の損害が多くなるような情報を送ってきたのだ……

田中弁護士は、こうした関係者の打ちあけ話を聞きながら、愕然としてチャールズ(カズンズ)少佐の言葉を思いだす。あのレコード(引用者注;壊されたトーキョー・ローズの一九四三年タワラ上陸直前放送録音レコード)をかけたとき、少佐はいった。「わたしとテッド中尉が、放送原稿を書いて、上陸は危険という暗号を組みこんだ。それをヒルデ・シュミットに渡し、彼女とアイーヴァが放送した。ヒルデは米軍のCCL(後方スパイ)だったらしい」と。

いかえれば、米軍の損害をできるだけ少なくしようという意図で書かれた暗号が、ヒルデの手に渡ったあと、全く反対の内容のものにすりかえられたことになる。もしくは、反対の内容の暗号をヒルデが新しく付け加えたことになる。米英軍共通の暗号と米軍情報部専用の暗号とはちがい、少佐はその前者しか知らなかったから、おそらく、後者を使って書き加えられたヒルデの暗号には気付かなかったのだろう。

……

 

東京ローズ残酷物語(10)「トーキョー・ローズ最後の放送」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10635388945.html

本文から:

ヒルデという女がいたと仮定して、

この女が米国とドイツの二重スパイだったのか。

もしくは、米国とドイツとソ連の三重スパイだったのか。

その真相はわかっていないが、いずれにしろ米国政府は最初からトグリ・イクコ以外、捜査する気もなく連行する気も全くなかった。

米国政府を裏切ったスパイを逮捕しないのはおかしなことだ。

それゆえに、ヒルデが本当に存在したのかしないのか分からないというかもしれない。

それだったら、何故トグリ・イクコのみが連行されたのか。

その説明が成り立たない。

五島勉の「東京ローズ残酷物語」も終盤を迎える。

1949年のトーキョー・ローズ裁判では、懲役十年が言い渡された。


実際それは服役中七年に短縮され、シカゴで三年の保護観察期間を条件に釈放された。

戦争末期のトーキョー・ローズの声は……深い悲しみと絶望にいろどられ、きびしい非難の口調をふくんでいた。とくに最後の―日本敗戦の年の八月十四日放送がそうだった。

「米国のみなさん、あんな残虐な爆弾をおとすなんて!あたくしはあなた方を敵ではあっても紳士だとしんじていましたのに、その気持ちが完全に裏切られてしまいました。

日本はこれで敗れるでしょう。でもあなた方アメリカ人に対して、何十年か何世紀かののち、歴史が正しい裁きをくだすことでしょう。それを信じつつ、東京からの最後の放送を終わります。こちらはトーキョー・ローズ……こちらはトーキョー・ローズ……」

.....

審判官はふしぎそうに、「検事はなぜこれを法廷に出さなかったのだろう!反逆の何よりの証拠になったのに……」とつぶやいた。郁子は何か言いたそうに口をひらいたが、すぐ黙った。かわって、答えるともなく、感情をおさえて話しだしたのは田中弁護士だった。

「わたしには検察側の気持ちが、いまではよくわかるような気がする。彼らがそのレコードを証拠に出さなかったのは、それがあまりにも真実だからだ。彼らは真実があきらかになることを恐れていたのだ。

もういちどききたまえ。その放送はけっしてアメリカへの反逆ではない。人類の一人としてのギリギリのさけびだった。ミセス・トグリの真実の声だった。トーキョー・ローズのささやきには、ウソやデタラメもまじっていたかもしれないが、少なくともこの最後の放送だけはこれは全アメリカ人がきかねばならぬほんとうの訴えだったのだ……

.....

何人かのローズたちのなかで彼女一人が裁かれたナゾもようやくとけた。それは巧妙なヒルデの・シュミットの身代わりとしてだったのかもしれない。ローズたち全員の代表としてだったかもしれない。しかしもっと重要な、かくされた理由は、米軍に協力すべき郁子が、米軍の原爆攻撃を非難したからだ。戦略の人形であるべきスパイ・アナウンサーが人間としての感情にめざめてしまったからだったのだ!

 

東京ローズ残酷物語(番外)「リリー・マルレーン」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/theme2-10026048068.html

東京ローズ残酷物語(番外2)「反逆罪」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/theme-10026048068.html

 


コントローラーたち

2015年07月06日 | たわごと

戦争は彼らにとって単なるビジネス(貪欲な金儲け)でしかないのです。

そんな彼ら金儲けの為に表向きは国を護る為にと戦争に追いやられ命を落とし家族と友を失い家を失い財産を失い心を失いなんともむごいことをするものです。

そのような金貸したちとコンプラドールたちの裏の話です。

昔もまた今も彼らのやっていることの本質はまったく変わっていません。 

世界の裏側ニュース 

戦争で誰が得をするのか

本文から:

集団自衛権に対して、当然の違憲という判断が各地でなされていますね。


普通に憲法を読み、過去の判決などを見る限り至極まっとうな結論としか言いようがないのですが、そこまでして何の関係もない他国の戦争に自ら巻き込まれることを望み、自国が他国からの攻撃の対象になる可能性を引き上げようとするのはなぜなのでしょう。

通常、一般市民は戦争を望まない。しかし結局、政策を決定しているのは国の主導者である。民主主義、あるいはファシスト独裁、議会制度、あるいは共産主義的独裁などどのような形態の政府であったとしても、人々を戦争に引きずり込むのは常に簡単なことである。

(戦争反対の)声が有ろうと無かろうと、指導者の望む方向に国民を誘導することはいつでもできる。

方法は簡単である。そのために為すべきことは、国民に「我々は攻撃を受けようとしている」「平和主義者は愛国心に欠けている」「国が危機に直面している」と語るだけである。

この方法は、どの国でも同じように機能している。

Hermann Goering、ナチ・ドイツの最高軍位

第二次大戦後のニュルンベルク裁判にて


(翻訳は、元の翻訳をよりわかりやすく編集していただいたものをコメントでいただきましたので、そちらのバージョンを使用させていただきました。)

市民が戦争を望まないのは自然なことですが、戦争(武装)を望んでいる市民が多い場合にはもちろん、何らかの洗脳が実行中であるのでしょう。

つまり、メディアを使って「○○がせめてくる~!」という危機感を国民に抱かせ、それにより国民の間の憎悪感と恐怖感を募らせ、そのような感情に溺れた市民は、「準備されている解決策」、つまり軍国化などのアイディアに容易に飛びつきます。

他の国の一般市民を殺害することに対する罪悪感は、「愛国心」と敵に対する憎悪感によって解消されるどころか、英雄視されるように変換されるのです。

****

戦争で誰が得をするのか

戦争は平和である

自由は屈従である

無知は力である

こういった矛盾した二つの概念を同時に受け入れるためには、よほどの洗脳と思考停止力が必要になりそうですが、幼少からの詰め込み型で自分で考える力を奪い取るような教育や、異なる考えの人間に対しては批判・嘲笑することが美徳であると思い込ませるようなテレビなどによって、実際に可能になっているのだから恐ろしいものです。

 

噓八百の世界から

日本は戦争のための兵器購入資金を敵国の米国ディロンから「借り入れ」ていたのだ。

「あやつり人形師(コントローラー)である「彼ら」の一人、謎のドレイパーを探る」

http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1012.html

 

(さてはてメモ帳)さん
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/da14bdc69dd1bd4056bd45e17c1a7109
2015
0612
安倍首相が、集団的自衛権の行使を進める「事情」

 第二次世界大戦中、日本軍は中国大陸において満州帝国を建国した。

戦争を遂行するためには武器弾薬、燃料、水、食料を必要とし、こうした軍需物資を運搬する南満州鉄道が、日本軍にとって生命線であった。

南満州鉄道の総裁であった後藤新平は、武器弾薬を購入するための資金調達に困窮し、英国を手本とする戦略を取った。

英国は自国の支配下にあったインドから調達したアヘンを中国大陸で販売し、その利益で武器弾薬を調達していた。その手法がアヘン戦争の原因となった。

後藤新平は英国に習い、アヘン密売を計画したが、英国のようにアヘンを調達できるインドのような植民地を日本は持たなかった。

元々、英国の植民地であったアメリカも英国に習い、トルコからアヘンを仕入れ、中国大陸の南部=華南、華中で密売していた。

このアメリカの麻薬密売の利益の決済を担当し、アメリカ本国への送金を担っていたのが銀行ブラウン・ハリマンであった。


ウイリアム・アヴェレル・ハリマン

このブラウン・ハリマンの経営陣が、前ブッシュ大統領の一族であり、2016年のアメリカ次期大統領選挙に出馬するジェブ・ブッシュの一族であった。

後藤はブッシュ一族の元にメッセンジャーを派遣し、華中・華南だけではなく華北・東北においてアヘン密売の販路を開拓する気が無いか、日本軍が、その担い手になる趣旨の提案を行った。

販路拡大に関心を持ったブラウン・ハリマンは、後藤の提案に乗った。

後藤がブッシュ一族の元に送り込んだメッセンジャーが、岸信介=2015年現在の日本の首相・安倍晋三の祖父であった。

安倍一族は、ここでブッシュ一族とビジネス・パートナーとなった。

ブッシュ一族は、軍事産業専門の投資会社カーライルの経営者でもあった。

このカーライルの親会社が、軍事商社ディロン・リードであった。

2015年現在の日米安保条約は、ジェームズ・フォレスタル、ウィリアム・ドレイパーjr等によって起草された。

ウィリアム・ドレイパーjr

ジェームズ・フォレスタル、ウィリアム・ドレイパーjrは、ディロン・リードの経営者であった。

アメリカがアメリカ本土だけを防衛する場合に必要とされる兵器と比較し、世界各国=極東アジアで繰り返し戦争を行う場合の方が、当然、必要とされる武器弾薬が大量となる。

武器弾薬を販売し利益を上げる軍事商社ディロン・リードは、「当然」、米軍が世界各地・極東アジアで戦争を繰り返す事を望み、そのためには日本に米軍基地を置き、そこを拠点に朝鮮戦争、ベトナム戦争等を起こす事を「望んだ」。

そのため、ディロン・リードの経営者が日米安保条約を起草した。

このディロン・リードの子会社カーライルの経営者であるブッシュ一族と、岸=安倍首相の一族は、ビジネス・パートナーであった。

2015年現在の、日米安保条約を締結したのが岸信介である背後には、このビジネス・ネットワークが存在した。

武器弾薬を販売し利益を上げる軍事商社ディロン・リードは、「当然」、自衛隊が世界各地・極東アジアで戦争を繰り返す事を望み、そのためには日本=自衛隊が海外で軍事力を行使する集団的自衛権の行使を「望んでいる」。

安倍首相が、集団的自衛権の行使に執着する理由は、ここにある。

第二次世界大戦後、自衛隊が創立されるとディロン・リードは米国の軍事産業を引き連れ来日し、また三菱重工等の日本の軍事産業を結集し、日本兵器工業会を発足させる。

自衛隊は、この日本兵器工業会を窓口として「しか」、兵器を購入する事が不可能となってきた。その中心が、ディロン・リード社であった。

在日米軍、そして日本の警察官が所持しているピストルも、全て、この日本兵器工業会を窓口として「納入」されてきた。

日本の再軍備=自衛隊の創立と、日米安保条約=在日米軍によって、ディロン・リードは莫大な収益を上げてきた。

集団的自衛権の行使=海外で自衛隊が軍事力を展開するには、新しい装備を大量に購入する必要がある。

自衛隊は、この日本兵器工業会=ディロン・リードを窓口として、新しい装備を購入する事になる。

このディロン・リードと安倍首相一族は、「ビジネス・パートナー」である。



(杉並からの情報発信です)さん
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/15e537e06f7e989466bb8a36ea0733f6
売国奴=天皇 オールターナティヴ通信

2007
0709  http://alternativereport1.seesaa.net/article/49619388.html

1945年、第二次世界大戦に敗北した日本に米軍が上陸して来る。

今後の日本をどうするか、米軍の指揮官ダグラス・マッカーサーとの交渉を担当したのが、当時の大蔵省事務次官池田勇人(後に首相)の部下、渡辺武であった。

渡辺の自伝である「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」(東洋経済新報社)によると、渡辺と米軍の最初の「大きな交渉テーマ」は、米国の銀行ディロン・リードに対する日本と天皇一族の借金返済問題であった。

明治憲法第11条により、日本の陸海空軍全ての指揮権は天皇にあり、政治・軍事の全責任は天皇にあった。

米軍が天皇の戦争責任を問題にせず、真っ先に銀行ディロンの代理人として借金の取り立てを行った事は、戦争の目的が金であった事、そして米軍が米国政府の代理人などでなく銀行ディロンという私的機関の「代理人」である事を良く示している。

しかも奇妙な事に、日本は戦争のための兵器購入資金を敵国の米国ディロンから「借り入れ」ていたのだ。

さらに貸し付けた側の銀行ディロンの社長が、米国の戦争省長官ウィリアム・ドレーパーであった。

米軍の陸海空軍全ての指揮権を持つ戦争省長官ドレーパー本人が、敵国・日本の陸海空軍全ての指揮権を持つ天皇に戦争資金を貸し付けていた。

ディロンの親会社が、現在のブッシュ大統領一族の経営する軍事産業専門投資会社カーライルであり、そのブッシュの経営するハリマン銀行の取締役ロバート・ ラヴェットが、戦争省次官として自分の経営する兵器会社から米軍に武器を納入していた。

米軍の兵器と日本軍の兵器購入資金は、同一のハリマン=カーライル=ディロンから出ていた。

日本軍と米軍が「殺し合えば殺し合う程」この銀行が儲かる「仕組み」になっていた。この銀行の私的利益のために日本と米国の軍人は「殺し合い」をした。

この金儲けシステムの米国側にドレーパーがおり、日本側に天皇が居た。

ドレーパーの銀行ディロンは、戦争で莫大な利益を得た。天皇も日本軍の兵器購入資金の一部を私物化し、スイス銀行に莫大な財産を蓄積した。

(マーク・ゲイン「ニッポン日記」筑摩書房)
 
(アダム・レボー「ヒトラーの秘密銀行」ベストセラーズ)

天皇が戦争責任を問われなかったのは当然である。日本人と米国人に「殺し合い」を行わせ金儲けする、ディロン=ハリマン銀行の日本支店長が天皇であった。最初から天皇は「日本と日本人の命」を「敵国に売り渡して」いた。

なお天皇は、スイスに莫大な蓄財が出来た感謝の印に、「敵国の戦争指揮官」ドレーパーに勲一等瑞宝章(くんいっとうずいほうしょう)を与え表彰している。



(るいネット)さん
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=213543
『広島・長崎への原爆投下の犯人』(オルタナティブ通信)リンクより転載します。

 ~前略~

米国に、パイオニア基金と言う財団がある。「有色人種等、劣った人種を遺伝子工学を使い、人種改良する」と言う財団である。

この財団は、「黒人は劣った人種であり、米国の社会を劣化させるので、アフリカに黒人は全員、強制送還すべきだ」という政策を長年、主張してきた。

この財団は、「黒人、有色人種は、犯罪を犯し、暴力に走る遺伝子を持ち、性欲が遺伝的に強く繁殖力が強い」と主張し、放置しておくと地球上から白人が居なくなり、地球は劣ったアジア人と黒人だけになり、劣った有色人種は地球を滅ぼす、と主張して来た。

この財団は、こうした人種差別政策の研究を行う研究者達に、毎年1人につき20万ドル(約2400万円)もの奨学金を支給している。「犯罪を犯す遺伝子」等、いまだに生物学的に発見されてはいないが、この財団の発表する「研究論文」には、「犯罪を犯す遺伝子」が既に発見済み、になって居る。

この財団は、1937年、ナチス・ドイツがアウシュビッツの強制収容所でユダヤ人の大量虐殺を行った際の指揮官ハンス・ギュンターの指導の下に創立された。

この財団の活動資金は、ドレイパー一族が全額出資している。ブッシュ大統領一族と共に米国のアヘン専売企業ラッセル社を創立し、「劣った有色人種を核兵器で全滅させよ」と主張するキリスト教原理主義教会を創立した、ドレイパー一族である。

第二次世界大戦末期、ドレイパー一族のウィリアム・ドレイパーは、米国戦争省の最高幹部として、日本が米国に対し無条件降伏を申し出ていたにも関わらず、広島・長崎への原爆投下を決定した。核兵器の威力を実験するために、広島・長崎の市民を、ドレイパーは大量虐殺した。「劣った有色人種=日本人を核兵器で全滅させる」ためである。そこには、キリスト教原理主義教会とパイオニア基金に共通する、ドレイパー一族の人種差別思想が根本に存在した(拙稿「広島、長崎への原爆投下」を参照)

戦後、ドレイパーはダグラス・マッカーサーの上官として、日本の総支配者として来日し、日米安保条約を起草し、日本への米軍駐留を永久化し、自衛隊を創立させる。

名目は、共産主義中国への防波堤として日本に軍隊を持たせる、つまり中国共産党軍と日本に、「戦争を行わせる」ためである。

しかし、中国共産党軍は米軍が育てた軍隊であり、ドレイパーの目的は、米軍直結の中国軍と米軍直結の日本の自衛隊を戦わせ、アジア人同士を殺し合わせる事にあった。「劣ったアジア人=有色人種を減らす」ためである(山極晃「米戦時情報局の延安報告と日本人民解放連盟」大月書店)。

この中国と日本に戦争を行わせ、有色人種を減らす政策は、現在も継続している。

ドレイパー一族は、ディロン・リード社という兵器売買と兵器購入資金融資の軍事金融企業を経営している。ドレイパーは、中国共産党軍にも、自衛隊にも、兵器を販売している。ドレイパーの兵器販売高をアップさせるために、日本と中国は戦争をする事になる。

クリントン大統領時代のペリー国防長官が、このディロンの社長である。

第二次世界大戦中、昭和天皇ヒロヒトは、敵国の戦争省最高幹部であるドレイパーから兵器を大量に輸入し、日本軍に高額で売り付け、利益をスイス銀行に蓄財していた。

天皇とドレイパーは、兵器密売の共同事業者として、兵器販売促進のため日米戦争を行っていた。

戦後、来日したドレイパーが最初に行った事は、天皇への兵器密売の「売掛金=未払い代金の回収」であった(この点は、天皇の側近であった渡辺武の「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」東洋経済新報社を参照)。

戦争末期、ドレイパーは、天皇が無条件降伏を申し出ると同時に、「戦争犯罪人として自分を処刑しないで欲しい」と命乞いをした事に対し、天皇の命の保証と戦後における天皇制度の維持を確約し、それと引き換えに、日本に原爆を投下し終えるまで無条件降伏を承認しない、という条件を出した。天皇は広島・長崎への原爆投下を事前に承認し、それと引き換えに、自分の命と地位の延命を手に入れた。天皇は、自分1人が助かり、それと引き換えに、広島、長崎の市民の皆殺しを喜んで承諾した。

これが、「同業者、兵器密売企業の共同経営者」天皇とドレイパーの密約である。

 ~後略~



http://www.yuuai.sakura.ne.jp/home9/emperor.html
米国の戦争省の責任者として広島、長崎に原爆を落とし、
日本人を大量虐殺した男ウィリアム・ドレーパー2世の経歴
(詳しくは拙稿「広島、長崎への原爆投下」を参照)。


. ウィリアム・ドレーパー2世は1910年代
ニューヨークに、ハリマン優生学研究所を創立。

「日本人を始めとした劣った有色人種を絶滅させる」事を
目的に掲げた。

ナチスのヒトラーの下、アウシュビッツのユダヤ人大量虐殺
を指揮したエルンスト・ルーディンは、この研究所の研究員。

ルーディンは、ブッシュとドレーパーの教えた通り
「劣った人種を絶滅させようとした」。

. ドレーパーの経営する銀行ディロン・リードは、
ヒトラーに戦争資金1億8000万ドルを融資。

ヒトラーの兵器の原材料を独占生産するドイツ鉄鋼同盟を
創立したのが、ドレーパーとブッシュ大統領一族。



[
続きはここから]

ドレーパーとブッシュがいなければ
ヒトラーは戦争が出来なかった。

. 父ウィリアム・ドレーパー1世は、英国艦隊指揮官
としてフィリピンを軍事力で植民地にし支配する。

フィリピン人に現地の言葉を話す事を禁止し、英語を強制。

逆らったフィリピン人を多数銃殺。

父ドレーパーは「劣った有色人種を絶滅させる」ため、
有色人種の言語・文化を破壊した。

. ドレーパー2世は指揮官として東京大空襲を実行。
日本人を大量虐殺。

またドレーパーは、日本の降伏の意志表示を無視し
広島、長崎に原爆を投下。

「日本人を始めとした劣った有色人種を絶滅させようとした」。

. ドレーパーは、「有色人種絶滅」を掲げるキリスト教
原理主義教会を「アメリカの国教」にしようと考え、
大統領就任式にキリスト教原理主義教会の宣教師を同席させ、
その宣教師の持つ聖書に大統領が「忠誠を誓う」儀式を導入。

人種差別をアメリカの「国是」にしようと努力。

. 第二次世界大戦後、敗北した日本に米軍が上陸すると、
その指揮官ダグラス・マッカーサーの上官総指揮官として
ドレーパーは日本に駐留。

日本と共産主義中国との「戦争」を計画。
日本に戦争を行わせるため自衛隊を創立。

また米軍の日本駐留を永久化させる日米安保条約を起草。
名目は「共産主義中国に対抗し日本を防波堤に使う」
であった。

. ドレーパーと銀行ディロンは、中国に戦闘機、
軍艦用のレーダーシステム、夜間戦闘用の暗視システム、
核兵器ミサイル・システムを販売。

中国を敵とし共産主義中国に対抗するため日本に自衛隊を
作らせながら、ドレーパーは中国の軍備増強を行っていた。

中国と日本が戦争になれば、中国と日本が共同で
ディロンの兵器を大量に消費し、ディロンの武器販売の
売上を伸ばす事になる。

ディロンの売上アップのため自衛隊と
日米安保条約は作られた?

日本と中国、アジア人同士が戦争し殺し合えば、ドレーパー
の目的通り「劣った有色人種を絶滅させる」事が出来る。

. ドレーパーは、自分の財産を投入し
ドレーパー財団を創立。

国連に資金を与えUNDP国連開発計画を実施。

これは貧しい国に経済援助を行う事と引き替えに、
女性に「不妊手術を強制」するものである。

「貧しい劣った有色人種は子供を生まず絶滅しろ」
という計画である。

この国連の計画で米国のネイティブ(伝統的には差別的に
インディアンと呼ばれてきた)は、全体の25%が不妊手術
を強制され、北米のシャイアン族は 80%もの女性が
「子供の生めない体に手術」されている。

1世代目で20%生き残り、2世代目で20×20%で4%、
3世代目で4×20%=0.8%、つまり1人もいなくなる
計画である。

シャイアン族は3世代目で全滅させられる事になる。
これが国連の「人道経済援助」の実体である。

現在、ブラジルの女性は40%が国連により
「不妊手術」が行われている。
8世代目でブラジル人は全滅する。

国連が現代のナチスである事が分かる。

大学等で国際関係論を学び、善意から「貧しい国を救おう」
と考え、国連、国連系NGO、ジャイカ等で働く「裕福な
家庭の日本人・子女」が知らず知らず容易にナチスの手先
として利用されている。

「大学で国連関係論を学んだ先進国のおぼっちゃん、
お嬢さん、国連職員をレイプし殺害する事は、我々の基本的
人権である」と貧しい国のゲリラが語る理由はそこにある。

大学で国際関係論の博士号を取った程度の無知と、
大学から国連へという生き方の「閉鎖性」が、
こうした「善意のナチス党員」を生む。

サルトルが語ったように「無知は犯罪」である。

. ドレーパーが日本に自衛隊を作り、同時に中国に
ミサイル技術を売る計画を立てた(つまり日本と中国に戦争
を行わせる計画を立てた)際のブレーン、米国政府の
アメリカ対日評議会ACJの中心人物が、弁護士
ジェームズ・カウフマンとユージン・ドゥマンであった。

2人はロックフェラーの代理人として第二次世界大戦中、
日本の中国侵略のための兵器を調達し、
「日本と中国に戦争を行わせた」人物達である。

ロックフェラーの代理人ドゥマンと共に第二次世界大戦中、
ニューヨークで兵器密輸商カーママン&ウィトキンを経営
していた武器密輸商人が、昭和天皇ヒロヒトである。

昭和天皇がロックフェラーの代理人として日本と中国の戦争
で武器を密輸し、兵器の売上げアップ政策として戦争を
アオリ実行した武器密輸商である正体が浮かび上がって来る。


・・ドレーパーが最初に日本に「家族計画」という言葉を
持ち込み定着させ、コンドームの販売を推進した人物である。

現在では単なる避妊具となっているが、ドレーパーは
「日本人絶滅のため」不妊手術ではなくコンドームを拡げ、
日本人の「妊娠を阻止」しようとした。

この計画でドレーパーの部下として働いたのが
右翼のボス笹川良一である。

日本の愛国派と民族派が米国の先兵として
日本人絶滅に協力しているのである。

右翼が本当の愛国者ではなく、売国奴である事が分かる。

あやつり人形同士が、打ち合わせ通りに「密約」を交わしているようです。

(リテラ)さん
http://lite-ra.com/2015/06/post-1191.html
安倍と会談して安保法制協力密約!? 橋下徹が早速「憲法学者はおかしい」と露骨な安倍擁

今の時代の黒幕ブレーンはこの人。

ズビグネフ・カジミエシュ・ブレジンスキー

真ん中



東京ローズの暗号 1/2

2015年07月06日 | たわごと

以下は暗号 ? ウラと闇の話=すべて八百長の話です。


3月10日東京大空襲/東京ローズ:

Platters - Smoke Gets In Your Eyes

https://youtu.be/57tK6aQS_H0?list=RD57tK6aQS_H0


真珠湾攻撃/ハワイ放送:

目ン無い千鳥/島倉千代子

https://youtu.be/FHCBc4wj_Kc


昭和20年8月6日、広島に原爆/東京ローズ:

Doris Day - Sentimental Journey (remastered)

https://youtu.be/0ycj2SwFG3w

 

鬼塚英昭氏の『白洲次郎の嘘』には、この柴田哲孝氏の『異聞 太平洋戦記』が引用されている。そして柴田氏が解明した昭和20年3月10日の東京大空襲も、真珠湾攻撃も、広島への原爆投下もみな八百長だったことを解明していることを紹介している。

「センチメンタル・ジャーニー」と「目ン無い千鳥」の秘密

http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-270.html 

3月10日東京大空襲は事前に日本側に「ヨハンセン・グループ」を通じて軍部にも連絡されていた。日本側は東京ローズの謀略放送(ということになっていた)で、当日夜に「煙」とか「炎」とかの言葉が入った音楽を流した(「煙が目にしみる」「世界を火に包まないで」「過ぎ去りし日の恋の炎」)。それは、安心して低空飛行で爆撃に来ても大丈夫ですよ、日本の戦闘機は迎撃しません、という合図=暗号だったのだ。

真珠湾攻撃のときは、アメリカのハワイの放送が、昭和12年12月8日未明(日本時間)普段は絶対に流すことはあり得ない日本の歌謡曲「目ン無い千鳥」の歌をニ度も流したのであった。その歌を合図に、日本軍機が全軍真珠湾に突撃して行ったのだ。アメリカ軍は迎撃してこないという暗号だったのである。

 もうひとつは昭和20年8月6日、広島に原爆を落とすためにテニアン島から飛び立ったエノラ・ゲイ機に対して、東京ローズは「センチメンタル・ジャーニー」を流し続けていた。つまり原爆搭載したB29が低空で侵入しても、日本軍は迎撃しませんという合図であった。

コンプラドール=こころの痛みを感じない者たちが日本のリーダーになってきた。今も同じだ。彼らは操り­人形なのである。

日本の真相6 操り人形がリーダーをする日本

https://youtu.be/wlfyvOL-OVg


ウラと闇の話=八百長についての話が続きます。 いまの福島と原発利権さらには集団的自衛権にまで真っすぐにつながっていることです。

日本の真相 鬼塚英昭

日本の真相1 明治天皇すりかえ

https://youtu.be/qZve5N-_doI

日本の真相2 仕組まれる戦争・皇室スキャンダル

https://youtu.be/_YfXIhybq5U

日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた

https://youtu.be/eugXzHoKnes

日本の真相4 こじつけの天皇無罪論

https://youtu.be/34HEcM9qvqc

日本の真相5 すべての戦争は八百長である

https://youtu.be/kIXzkY8VtLU

日本の真相7 超天才の悪魔

https://youtu.be/1ToSe8A7_wE

日本の真相8 中曽根、正力工作員の原発

https://youtu.be/TuVjmXdufS4

日本の真相9 原発・使い捨て人形からの反乱

https://youtu.be/3glGABd52fk

 

嘘八百のこの世界 から

「太平洋“八百長”戦争の真実、東京ローズと売国奴連中」

前回紹介した犬塚氏は「もし山本元帥メーソン説を主張する人があるなら、どこで、いつ、何という結社に加盟したか?確かな資料を明示して頂きたい。」と述べて、「山本五十六メーソン説」を否定している。メーソンとは関係ないが、「山本五十六の死の真相及び、真珠湾攻撃・原爆投下の真相」について書かれた記事を転載する。「太平洋戦争の舞台裏」については記事にしたが、「太平洋戦争のもう一つの舞台裏」を学んで下さい。
八百長戦争で奪われた尊い御霊を弔うためにも、我々が新たな謀略に嵌らないためにも、我々は真実を知っておく必要があると思います。

(心に青雲)さん
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/386574435.html
2014年01月31日
山本五十六の怪死の謎(1/2)

《1》
 山本五十六は1943(昭和18)年4月18日、ブーゲンビル島上空において米陸軍戦闘機隊に待ち伏せされ、搭乗していた一式陸攻が撃墜されて戦死した、…ことになっている。「海軍甲事件」と呼ばれる。

 これまでにもその死に疑問が呈せられてきはきたが、ほぼ解明の決定版と思われる書を読んだ。柴田哲孝著『異聞 太平洋戦記』(講談社)に収録された短編「ブーゲンビル日記」がそれである。

 柴田氏のこの本は「事実に基づいたフィクション」となっている。つまり生存者や遺族に配慮して、実名は変えられていても、事実を踏まえている。
 「ブーゲンビル日記」は、当時、ブーゲンビル島に進駐していた陸軍部隊の衛生兵が密かに書き遺してあった、山本長官の捜索活動を記したものを、“私”が偶然発見し、それを基に追及していく筋立てである。

 山本五十六は昭和18年4月18日、南方戦線視察の名目で、ラバウル航空基地を発ってソロモン諸島のバラレ飛行場へ向かう途中のブーゲンビル島上空で敵戦闘機16機の待ち伏せにあった。
 一式陸攻2機に、視察団として山本五十六、宇垣纏参謀長ら9名が搭乗し、零戦6機の護衛をつけて離陸している。
 山本の搭乗した一式陸攻は撃墜され、ブーゲンビル島のジャングルに落ち、宇垣参謀長の乗った機は撃墜されたが海上に落ちたため、宇垣らは重傷を負いながらも助かった。 

 ブーゲンビル島には陸軍と海軍部隊が駐留していたので、すぐさま陸海軍共同で捜索が開始された。墜落地点は海軍機がすぐに発見し、陸上捜索隊に知らせたが、なにせジャングル内のことで捜索は難航を極めた。1時間でわずか数百メートルしか進めない。支那から転戦してきた部隊が持つコンパスはジャングルのなかでは役に立たず、多くの捜索隊グループが出されながら、なかなか現場に辿りつけなかった。

・・・・

 しかも、公式記録では銃創を認めているが、米軍P38戦闘機が装備していた機銃は20ミリ機関砲である。この弾が肩から頭に抜ければ山本の頭部は首から上が木っ端微塵に吹き飛んでいたはずなのである。
 「ブーゲンビル日記」の衛生兵の証言では、射入口は約8ミリ、射出口は約15ミリの貫通銃創である。小口径の弾である。戦闘機の20ミリ機銃弾に当たっていればこんなことではすまない。これは明らかに日本軍の拳銃で撃たれたことにしかならない。

 よく戦争映画なんかでは、戦闘機どうしの空中戦で、敵機に撃たれたパイロットが血を流しながら、友軍機に手を振りながら墜落したり、敵艦に最後の力を振り絞って敵艦に突撃したりするシーンがあるが、20ミリ機関銃弾が当たれば、そんな余裕があろうはずがなく、瞬時に木っ端微塵になる。

 つまり、山本長官は撃墜されながらもかろうじて生きていて、機外に出て救援を待っていたのであろう。山本とそばで息絶えていた軍医長だけが、他の戦死体にすでに蛆がわいて腐乱していたにも関わらず、さして蛆も発生しおらず、腐乱していなかったのであった。「遺体の状態はおおむね良好」となっている。
 これはつまり、最初に19日夕方に浜砂少尉の捜索隊が発見したときには、山本は生きていた可能性が高いのである。
 
 またブーゲンビル島に駐留していた陸海軍の部隊は幾つものグループを組んで捜索に出ているが、いずれも難航し、どうもわざと発見を遅らせた気配があるが、その詳細は省略する。

 そして銃創のありようからすると、山本は自殺したのかもしれなかった。すなわち介錯する誰かが左後ろ側に立って拳銃で心臓を撃ち抜くという古くからの武士の自決作法どおりの処置をしたのだということになる。
 あるいは、死後の身体に拳銃を撃ち込んだかであろうと…。

 山本の前線視察には不可解なことが多い。そもそも連合艦隊司令長官が参謀長とともに最前線に視察を行なう意味がまったくない。常識では考えられない。
 山本は部下が引き止めるのを振り切って危険極まる視察に出かけた。

 しかも、そのときの軍装がおかしい。山本は視察や訓示などの公務のときは純白の第2種軍装を好んだ。普段は紺色の第1種軍装があったがこの日にかぎって、山本は普段嫌っていた第3種軍装(陸戦隊用の濃緑軍服)を着ていた。
 同行する他の参謀や幕僚たちは純白の第2種軍装だった。

 ・・・・

 この「イ号作戦」の間に参謀長らの視察計画が持ち上がり、たまたま連合艦隊司令部がラバウル入りしたときで、山本も「自分も同行する」と言い出して実現した、ということに戦史ではなっている。
 視察空域は敵の妨害がないから安全と判断したことになっているが、とんでもない、現地の基地は再三B24爆撃機の空襲を受けていた。
 それを承知で宇垣は安全と判断し、山本も決行の意志を曲げなかった。ここに謎がある。

 それに、連合艦隊司令部は視察する方面の基地に暗号を用いた無線電報で連絡をとった。傍受されている可能性が指摘されていたにも関わらず、こんな最重要事項の連絡に無線を使ったか、これが第二の謎とされる。
 当然、航空機による書簡通達で連絡をしなければならなかった。なのに司令部は「技術的に見て被解読の虞れは絶無である」と判断している。呆れてものも言えない。

 実際、米軍はこの無電を傍受し、ただちに解読に成功している。4月13日午後5時である。米側は山本を討ち取る決定をし、15日には現地の指揮官ハルゼイに通達された。
 4月18日に待ち伏せする作戦を立てたが、米軍はその待ち伏せ地点であるブーゲンビル島を16~18日にかけて3日間も空爆を加えている。いったいどういう真意なのか。

 現地が敵側の攻撃にさらされているとなれば、日本側は山本の視察を中止してもおかしくなかった。待ち伏せて討ち取るチャンスが消えてしまう。にもかかわらず米軍はさして意味があるとも思えない空爆を敢行した。
 なにがあろうと山本は視察する、やってくる、とアメリカ軍はわかっていたということである。
 それはなぜなのか…。

 (つづく)



http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/386661800.html
2014年02月01日
山本五十六の怪死の謎(2/2)
《2》
 柴田哲孝著『異聞 太平洋戦記』の謎解きは以下である。

 一つの仮説としては、山本は撃墜されながらも生存していた。だが発見に手間取った。翌日の19日までは腐敗の状態から言って生きていた可能性がある(なにせ熱帯の密林に屍体が放置されれば…)。だが発見は20日ということになっている。救出活動が迅速だったら助かったかもしれないのに、だ。この失態が露呈すれば海軍だけでなく軍部の面目が失墜する。そこで山本の遺体にあえて銃創をつくり、敵機の機銃によって機上即死の状況証拠を捏造したのだとするものだ。

・・・・


 また山本機を撃墜した米軍パイロットの弟が捕虜になったため、報復されないように、と説明しているが、この弟が捕虜になったのはアメリカがニュースを発表してから1カ月後のことだったから、説得力はない。

 さらに以下引用する。

  *    *

 なぜ山本長官は、自らバラレ、ブイン、ショートランド方面への視察に行くといいだしたのか。なぜ現地との連絡に、傍受解読の危険のある暗号無線を用いたのか。なぜ米軍のニミッツ長官とハルゼイ大将はワシントンと頻繁に連絡を取るなど、必要以上に慎重に対応したのか……。

 考えてみれば、太平洋戦争は最初からおかしかった。なぜ真珠湾奇襲攻撃の指揮を、親米英派として知られ日米開戦に反対だった山本五十六が担ったのか。あれは奇襲作戦でも何でもなかった。米軍は事前に情報を入手し、当時のルーズベルト大統領も知っていたことはすでに歴史的既成事実だ。実際に山本長官は空母が1隻もいない真珠湾を攻撃し、アリゾナやオクラホマなどの老朽艦だけを沈め、米太平洋艦隊の生命線である400万バレルの燃料備蓄タンクや修理ドックは破壊しなかった。
 その後のミッドウェイ海戦やイ号作戦も同じだ。すべてが、日米のシナリオどおりだった……。

 “私”は、ひとつの仮説を立てた。山本五十六の死の謎も、同じなのだ。あの日……昭和18年4月18日……山本五十六と米側の間に、ひとつの密約があったのではないか。日米開戦から米側の反撃に至るまで、すでに山本五十六の連合艦隊司令長官としての役割は終わっていた。その山本長官を、米側に亡命させる計画が存在した。

 ジョーカーは、最初から米国が握っていたのだ…。
 そう考えればすべての謎は解ける。山本長官は、あの日に限りなぜ第三種軍装を着用したのか。それは米側に対する「亡命を受け入れる」という意思表示だったのではないか。

 16日から18日早朝にかけて米側がブイン周辺を空爆したのも、山本長官の回収を前提とした予定どおりの作戦だった、実際には日本側は駆逐艦などの主要艦を、ブイン港から離れた海域に避難させている。もちろん山本長官も、その意味を知っていた。だからこそ、“安全”であると判断した。

 考えてみれば、当初米側が立てた「山本が海上にいる時に駆潜艇を狙う」という作戦も奇妙だ。確かに山本側には、バラレからショートランドに駆潜艇で渡るという予定が組まれていた。だがこの予定は、不思議なことに、バラレ司令部には知らされていなかった。それをなぜか、米側は知っていた。すべては海上で山本長官を回収する計画であったと考えなければ、辻褄が合わなくなる。

 だがハルゼイ大将とルーズベルト大統領は、直前で作戦を変更した。すでに、山本五十六の役割は終わった。それならば、生きたまま“回収”する必要はない。ブイン上空で山本機を撃墜し、抹殺する決断を下した……。
 山本機が撃墜された時点で、すでに海軍の上層部は事の次第に気付いていた。そうなれば、かえって山本長官に生きていてもらっては都合が悪い。そこであえて墜落地点を隠し、南方のジャングルに不馴れな陸軍の部隊(第六師団は1月にブーゲンビル島に派遣されたばかりだった)に捜索を依頼して発見を遅らせた。陸軍が、南方では使い物にならない磁石を持っていたことも知っていた。(山本の)手帳の内容を気にしていたのも、そのためだ。

 確かに山本五十六は、墜落した時点では生存していた。彼は1式陸攻から外した座席に座り、右手に軍刀を握りながら、何を考えていたのだろう。その横には、やはり生き残った高田軍医長がいた。
 山本長官は、知っていたはずだ。アメリカに、裏切られたことを。そして、すべてが終わったことを理解していた。最後の賭けに負けたのだ。もし山本に自らの命を断つ理由があるとするならば、他には考えられない……。

   *    *

 鬼塚英昭氏の『白洲次郎の嘘』には、この柴田哲孝氏の『異聞 太平洋戦記』が引用されている。そして柴田氏が解明した昭和20年3月10日の東京大空襲も、真珠湾攻撃も、広島への原爆投下もみな八百長だったことを解明していることを紹介している。

 3月10日東京大空襲は事前に日本側に「ヨハンセン・グループ」を通じて軍部にも連絡されていた。日本側は東京ローズの謀略放送(ということになっていた)で、当日夜に「煙」とか「炎」とかの言葉が入った音楽を流した(「煙が目にしみる」「世界を火に包まないで」「過ぎ去りし日の恋の炎」)。それは、安心して低空飛行で爆撃に来ても大丈夫ですよ、日本の戦闘機は迎撃しません、という合図=暗号だったのだ。

 真珠湾攻撃のときは、アメリカのハワイの放送が、昭和12年12月8日未明(日本時間)普段は絶対に流すことはあり得ない日本の歌謡曲「目ン無い千鳥」の歌をニ度も流したのであった。その歌を合図に、日本軍機が全軍真珠湾に突撃して行ったのだ。アメリカ軍は迎撃してこないという暗号だったのである。

 もうひとつは昭和20年8月6日、広島に原爆を落とすためにテニアン島から飛び立ったエノラ・ゲイ機に対して、東京ローズは「センチメンタル・ジャーニー」を流し続けていた。つまり原爆搭載したB29が低空で侵入しても、日本軍は迎撃しませんという合図であった。

 これを解明した柴田氏はすごい。
 そして鬼塚氏はこう解く。
 「山本五十六は天皇裕仁、牧野伸顕らから、真珠湾攻撃における八百長工作を持ちかけられ、受けざるを得なかった。近衛文麿から東条英機に急に首相が替わったのも、天皇の作戦を東条英機が忠実に実行すると約束したからである。
 
 なぜ「目ン無い千鳥」の歌なのかは、たぶん、山本五十六の愛人がこの歌を好きだったからではないか。山本五十六はヨハンセン・グループから金を貰い続け愛人を囲う身分になっていた。
 山本五十六は愛人と最後の夜に酒をくみかわし、二人してこの歌を唄ったのではなかったか。それでアメリカに、この歌を流すように頼んだ。」

 鬼塚氏は東京大空襲も広島原爆投下も、ヨハンセン・グループがNHKを利用して無条件にアメリカ側に流させたと言う。
 ヨハンセン・グループとは吉田茂、白洲次郎、牧野伸顕、松本重治、牛場知彦、貞明皇太后、樺山愛輔さらには天皇裕仁を巻き込んだ売国奴の連中を言うのである。彼らはユダヤ国際財閥が仕掛けた戦争に協力して、日本を敗北させるべく暗躍したのである。
 
 ならば、山本五十六はアメリカから裏切られ捨てられただけでなくヨハンセングループからもはめられ、殺されたのかもしれなかった。もしかしたら、勝手な妄想かもしれないが、山本機を撃墜したのは米軍ではなく、日本の零戦か、山本を誘い出したのは生き延びた宇垣纏参謀長だったかも…。

 山本の遺体が荼毘に付されたのは、4月21日、検死後に秘密裏にジャングルの中で行なわれた。立ち会ったのはごく少数の司令部の首脳のみであるのも異常である。何かを隠す必要があったとしか思えない。

 ブーゲビル島の密林で、救助を待つ山本を射殺したのが日本軍特務機関員だとすれば、この者はヨハンセングループなりヒロヒトからの指令で実行したのかもしれない。
 柴田氏の「ブーゲンビル日記」によると、山本長官の捜索に当たった部隊の将兵はその後、みんな激戦地に送られほぼ全員が戦死している。これも異常な措置であった。上層部がなんとしても口を封じたかったのである。現地での目撃者たちを生かしておいては困るもの、その最右翼はやはりヨハンセン・グループなのではないか…。

 

るいネットさんのサイトより

1944年ブレトンウッズ会議に日本から出席していた人物とは・・・・・①~④

http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1888783.html

昭和天皇こそが正真正銘の売国奴

http://www.amezor.to/shiso/070716000101.html

1945年、第二次世界大戦に敗北した日本に米軍が上陸して来る。

今後の日本をどうするか、米軍の指揮官ダグラス・マッカーサーとの交渉を担当したのが、当時の大蔵省事務次官池田勇人(後に首相)の部下、渡辺武であった。

渡辺の自伝である「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」(東洋経済新報社)によると、渡辺と米軍の最初の「大きな交渉テーマ」は、米国の銀行ディロン・リードに
対する日本と天皇一族の借金返済問題であった。

明治憲法第11条により、日本の陸海空軍全ての指揮権は天皇にあり、政治・軍事の全責任は天皇にあった。米軍が天皇の戦争責任を問題にせず、真っ先に銀行ディロンの代理人として借金の取り立てを行った事は、戦争の目的が金であった事、そして米軍が米国政府の代理人などでなく銀行ディロンという私的機関の「代理人」である事を良く示している。

しかも奇妙な事に、日本は戦争のための兵器購入資金を敵国の米国ディロンから「借り入れ」ていたのだ。さらに貸し付けた側の銀行ディロンの社長が、米国の戦争省長官ウィリアム・ドレーパーであった。米軍の陸海空軍全ての指揮権を持つ戦争省長官ドレーパー本人が、敵国・日本の陸海空軍全ての指揮権を持つ天皇に
戦争資金を貸し付けていた。

 

【信じなくていい話】1944年ブレトンウッズ会議に日本から出席していた人物とは・・・・・

http://ameblo.jp/umaikome/entry-11376323700.html

2012-10-17 00:17:34 
テーマ:信じなくていい話

第2次世界大戦も終わりに近づいた1944年7月、アメリカ・ニューハンプシャー州の町ブレトンウッズで会議が開催され、国際通貨基金(IMF)国際復興開銀行(IBRD)の設立を決めました。
この会議にはアメリカ、イギリスはじめ連合国に属する国々の代表を中心に45カ国が参加しました。
この会議に日本からは「天皇陛下」が参加していたと言う話です。
対戦中の連合国の会議(=敵国の会議)にこともあろうか、日本の「天皇陛下」が出席していたのです。

この会議では、戦後の国際決済機構と戦禍によって疲弊したヨーロッパの戦後復興のための機関の設立が中心議題でした。
会議はアメリカで開催され、国際決済の基軸通貨がアメリカのドルに決定された事などは、WWⅡ後の世界的リーダーが大英帝国からアメリカ合衆国に交替した事を示 しており、ブレトンウッズの町こそがそれを象徴するものとして歴史的な名を刻んだ事になったのです。
IMF(国際通貨基金)とIBRD(国際復興開発銀行=世界銀行)はその後の世界政治・経済のフレームワークを形成するものとなった=第三世界を支配する金融システムが出来上がったとも言えるのです。
ソ連も代表団を派遣して会議に参加し協定に調印したが、最終的に批准はしなかったり、割り当てられた出資を拒むなどIMFには参加しなかったばかりか、先にIMFに参加したチェコスロバキアに圧力をかけ脱退させ、東欧諸国による
コメコンを設立したという経緯もあります。

ブレトンウッズの解説


さて、1930年から1940年代には、世界の金が米国に集中しており、アメリカは圧倒的な経済力を誇っていました。
当時はアメリカの豊富な金をもとに発行されたドルは、金と同様の価値があったのです。
そこでIMFは、金だけを国際通貨とする金本位制ではなく、ドルを金とならぶ国際通貨と決定したのです。(アメリカが世界を牛耳る発端となっています)
しかし1971年ニクソン大統領の時に、ブレトンウッズ体制が崩壊しました。
その背景は、1960年代のベトナム戦争への大量支出や対外的な軍事力増強の結果、大幅な財政赤字を抱え、国際収支が悪化して大量のドルが海外に流出してしまいました。
アメリカは、金の準備量をはるかに超えた多額のドル紙幣の発行を余儀なくされ、金との交換を保証できなくなりました。=金本位制の崩壊
ニクソンは8月に、金とドルの交換停止を発表し、金1オンス=35ドルの固定相場が崩れ、変動相場が始ったのです。
これによって直ちにスミソニアン体制に移行しましたが、スミソニアン体制でも、アメリカやイギリスの国際収支の悪化は止まりませんでした。
円はそれまで1ドル=360円だったのが、308円に引き上げられました。しかし、2年後には崩壊し、変動為替制度に変わって行ったのです。

このようなWWⅡの前後に世界の動きがあるのですが、さて、天皇陛下がなぜ戦争中に敵国の会議に参加していたのか?

一つは、戦争の終わらせ方
もう一つは、天皇の戦争責任について

この話がブレトンウッズ会議でもたれたと言うのです。
戦争の終わらせ方については、ポツダム宣言受諾へとつながって行きますし、ブレトンウッズ会議がどれだけ重要な会議だったかを理解するために、前半の説明に時間がかかりました。

1945年7月26日にポツダム会議で合意されたポツダム宣言では、日本の無条件降伏を勧告を宣言するとなっています。
1)日本国民を欺瞞し、世界征服の挙に出させた権力及び勢力の永久除去。
2)平和・安全・正義の新秩序ができ、戦争遂行能力の破砕が確認されるまで、連合軍が占領する。
3)日本の主権は、本州・北海道・九州・四国と連合国の指定する小島に局限される。
4)日本軍隊の完全な武装解除。
5)戦争犯罪人の処罰と民主主義的傾向の復活強化の障害の除去。
6)日本経済と産業の維持の保証、再軍備産業の禁止。
次ぎに、これらの目的が達成され、責任ある政府が樹立された時点で占領軍は撤退すると述べ、「我らは日本国政府がただちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、・・・右以外の日本国の選択は迅速かつ完全なる破壊あるのみ」と迫った。

そして、8月6日と9日に広島、長崎に原爆が投下され、8月10日の御前会議で「国体護持」を条件にポツダム宣言受諾を決定したのです。「国体護持」とは、天皇制を維持することです。
14日に最終決定を陛下がされ、「国体護持だけを条件」にポツダム宣言受諾を決定され即日玉音放送を録音し、15日に放送され終戦となったのです。
 

この一連のシナリオは陛下自らが決定したと言うのです。
要は、広島と長崎に原爆を落とすことを決定したのは、天皇陛下だったという衝撃的な内容でした。

日本において、広島=呉=海軍港  長崎=海軍港  そうです、
両都市とも大日本帝国海軍の拠点です。
陛下は、戦争に向けて絶対的な権限を持っていて、言うことを聞かない海軍に閉口していたのです。
そこで、海軍港であった都市を指定したのです。
しかも8月6日は、軍部の将兵が広島に集結させられていたのです。
その命令は、天皇からの命令だったのです。

原爆を開発したのは、マンハッタン計画(1942年8月)によってです。
アメリカを中心とする極秘の原爆製造計画で、軍と科学者と産業界を総動員して進められた巨大軍事開発事業です。
投下決定は、44年9月19日に第2次ケベック会談で、ルーズベルトとチャーチル英国首相が署名した「ハイド・パーク協定」によります。
  
当初は、京都、広島、横浜、小倉を選定し検討に入りました。
しかし、1945年2月、米、英、ソ連の首脳によるヤルタ会談で、ソ連はドイツの降伏から3カ月以内に日本に参戦することを極秘に決めていたことが諜報活動で判明。
①アメリカはソ連の対日参戦より前に原爆を日本に投下し、大戦後世界でソ連より優位に立ちたいと考えていたのです。
②アメリカは原爆という新兵器を実戦で使い、その威力を知りたかったと同時に、マンハッタン計画で使った膨大な費用を正当化したかったこともあります。
③白人系以外の有色人種で核実験をすること
これらが、原爆を日本に落とした理由と考えられています。

しかし日本の戦後教育では、「WWⅡを早く終わらせるために原爆投下はやむをえなかった」と教育されてきたのでそう思い込んでいますし、天皇もそのような発言をされているのです。
ところが先ごろ発表されたアメリカ公文書館の戦史公開資料(「米国陸軍軍事情報部真理作戦課『日本プラン』」 )によると、1943年5月5日原爆投下目標地点を決定した政府の暫定委員会は、原爆が未完成にも関らず投下目標を「日本」と決めていたことになります。

おかしな話ではありませんか?

1943年5月の戦局と言えば、山本五十六長官ブーゲンビルで戦死したことになっている時期であり、ガダルカナル以降大東亜圏が連合軍の攻撃で縮小に向かう頃です。
この時期に原爆投下を日本に決めたとする理由がWWⅡを早く終わらせるための理屈が通る時ではないと思いませんか?
何故なら、戦争屋達は戦争が長引けば長引く程、儲かるのですから。

8月6日に海軍大臣米内光政は原爆投下を聞いてこともあろうに『天佑(てんゆう)だ!』と叫んだ。天佑とは《wiki》
原爆投下地を広島と長崎を決めたのは天皇自身です。
ブレトンウッズ会議でで事前に打ち合わせをし、原爆投下の日時・場所を決めた=戦争の終わらせ方を決めたのです。
広島には出来るだけ多くの兵士(3万人)や児童・学生(1万5千人)等の被験者が意図的に集められていました。
米国のスティムソン陸軍長官主導に日本の天皇が協力した一大イベントとが原爆投下だったのです。
実は、人体核実験でもあったのです。

世界のウラン鉱山のほぼ全てを独占するロスチャイルド財閥と配下の軍需産業関連会社(死の商人)は、WWⅡ後予定されていた米ソ二大国間の(八百長)冷戦による核軍拡競争と原子力産業によって上がる莫大な利益のため、どうしても核の脅威を世界に示す必要があったと言うのが真相なのです。

天皇がブレトンウッズ会議に参加した理由がさらに分かりやすくなるのは、
天皇家は巨大金融資本とつながっているのです。巨大金融資本とは、ワンワールド構想で勇名な「フリーメーソン」とも言われています。
WWⅡの戦費ですが、日本は戦争のための兵器購入資金を敵国の米国ディロン・リード銀行から「借り入れ」ていたのです。ディロン・リード銀行の社長は、J・フォレスタル国防長官であり、「日米安保条約」を策定した人物です。
また、副社長は陸軍次官のウィリアム・ドレーパーです。

アメリカの国防長官が社長を兼務している銀行が、敵国である日本軍の総指揮権を持つ天皇に戦争資金を貸し付けていたのです。

要は、日本とアメリカが戦争すればするほど、ディロン・リード銀行が儲かる仕組みだったのです。
ディロン・リード銀行やハリマン銀行の日本の代理人が天皇だったのです。

天皇は日本軍の兵器購入資金の一部を私物化し、スイス銀行に莫大な財産を蓄積したのです。

まだ続きがあります。
ディロン・リード銀行の親会社はブッシュ一族のカーライル軍事産業専門投資会社であり、ブッシュ一族が経営する銀行がハリマン銀行です。
アメリカと日本の兵器購入資金は、ディロン・リード銀行・ハリマン銀行・カーライル投資会社から出ていたのです。
このような立場の天皇に戦争責任を問うことはなく、WWⅡは東条英機以下軍部が全ての責任を負うという東京裁判で決着させたのです。

さらにさらに、マンハッタン計画において、ディロン・リード銀行の社員として現場で核兵器開発を指揮したのがデイヴィッド・カーママン。
このカーママンは、広島、長崎に投下する核兵器製造の専門家であると同時に、ニューヨークでディロン社の兵器を販売する商社カーママン&ウィットキンを経営していたのです。
このカーママン&ウィッキン社は、カーママンと昭和天皇が共同で設立した兵器商社だったのです。

※ディロン・リード銀行が株主となっているベクテル社は、世界最大の核兵器原料メーカーであり、ベクテルはパパブッシュが経営しています。

驚愕の真実ですから、どこも書きませんし報道しません。

参考:
日本政府は原爆投下を事前に知っていた《youtube》

この話は、信じなくてもいい話です。

 

さてはてメモ帳 Imagine & Think!

東京ローズがささやいた「テニアンの秘密」

http://satehate.exblog.jp/9373582

アメリカ兵捕虜の予告 「八月六日、ヒロシマは焼け野原になる」

http://satehate.exblog.jp/9365812/

原爆投下は予告されていた by 黒木雄司

http://satehate.exblog.jp/9358512/

 

白洲次郎の父?ジグムント・ウオーバーグ

白洲は日本水産から帝国水産と異動して何をしたのか。調査室室長であった。彼は帝国水産という会社を利用し、イギリスとアメリカの諜報機関のために日本の機密を流し、また同時に、日本へ、特に皇室、ヨハンセン・グループ、軍閥、三菱……に情報を伝えていたのである。

白洲次郎のプリンシプルとは? by 鬼塚英昭 原爆ホロコーストへの道

http://satehate.exblog.jp/9332877/

 

食事をしながら名刺を出された、名刺には「白洲次郎」と書いてあった、確かステーキをご馳走になりました。次の日もその次の日もご馳走になりました。 

http://www.watanabeyukio.com/profile/tugounoiikoto2.html

 

 2014年02月04日

B-29東京大空襲の奇怪(1/2)

2014年02月05日

B-29東京大空襲の奇怪(2/2)

http://kokoroniseiun.seesaa.net/archives/201402-7.html

 

嘘八百のこの世界

「2006年の映画<オーメン666>は、3.11人工地震を予告していた!」

http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-45.html

  


ひらめきと感動の世界

2015年07月01日 | たわごと

日本人が捨て忘れ去ってしまった情感を日本語の情緒で表現し歌っているヤスミンちゃん

逝きし世の面影なのか…

天才日系歌手山下ヤスミンちゃん初登場の回

https://youtu.be/82w1d1yN-cw

山下ヤスミン(10歳) ♪「昭和最後の秋のこと」

https://youtu.be/pH3qX9AQZ18?list=RD9Q-MgM4oR4o

 

奇跡の歌声 山下ヤスミン

https://youtu.be/OugO9DhdJic

唄い終わったと必ず ”ありがとう!”と言う礼儀好さも日本人そのもの。

 

以下日本人として得ること知ること為になることが多いYouTubeです。

単なることの正違を超えた内容だと思います。

 

戦後70周年に向けて 「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」プロローグ 1/8

https://youtu.be/S__Pnh3acmU

戦後70周年に向けて 第1部 日本人のメンタリティのルーツ 小名木善行 2/8

https://youtu.be/cGBGZu2qTkU

戦後70周年に向けて 第2部 マッカーサーと東京裁判 渡部昇一 3/8

https://youtu.be/ZOTfQCjDO8w

戦後70周年に向けて 第3部 パール判事と東京裁判  渡部昇一 4/8

https://youtu.be/YOqry3596nw

戦後70周年に向けて 第4部 日本の近代史を客観的に検証する 5/8

https://youtu.be/_RWZfy6RmsQ

戦後70周年に向けて 第5部 海の武士道 敵兵を救助せよ 惠 隆之介 6/8

https://youtu.be/WOwplyJ9LG4

戦後70周年に向けて 第6部 安倍総理はリビジョニストか?歴史修正主義者のレッテル 7/8

https://youtu.be/DSTvHPw1I6U

戦後70周年に向けて 8/8「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」エピローグ 8/8

https://youtu.be/LG4yod1tQx8

ひらめきと感動の世界

http://www.hirameki.tv/

 

市丸利之介中将「ルーズベルトに与うる書」

https://youtu.be/kn7jx4qgsnQ

 

今に始まったことではありませんが、やっぱり益々ひどくなるばかりの放射能汚染・深刻な被害について載せない訳には行きません。

眼に見えない放射能が実際の被害・病気や現象として顕著に眼に見えるようになって来た昨今、サバイバルを続ける為のベースとしての再認識の意図でここに載せて起きます。


海外から見た「原発事故後の日本人」 

http://ameblo.jp/sunamerio/entry-11311710456.html

 

Neuq Lab

食べて応援!殺人幇助企業リスト

http://nueq.exblog.jp/

フクイチ再臨界で二度目の重被曝
食べて応援!
殺人幇助企業リスト
社員食堂の実態
被曝食材の犠牲になる沖縄人

 

増える“原因不明死”

http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-820.html

 

1289.蔓延し始めたぶらぶら病 院長の独り言 2015年06月28日

http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/9ae57310bd5aa4192e8f3c96840a7465

http://onodekita.sblo.jp/article/146309725.html#more`

 

極め付きシュールな、且つ平然と行われるこのような所業に言葉を失う。

だけどあまりにも愚かゆえの無知であるために行うこのような犯罪的所業を犯してしまうのだ。

他の大人はその責任において子供たちにはこんなむごいことことに絶対巻き込ませてはならない!

風評払拭へバスツアー 相馬、いわきの魚介に舌鼓

http://www.minyu-net.com/news/news/0620/news12.html

 

根も葉もあり具体的な事例が山ほど日常的に目の前にあっても見えない人たち見ようともしない人たちの論理で社会に向かって ”風評被害 ”と吹聴するのは明らかな犯罪行為だ。

具体的な事例とは空気も水も土地も食べ物も人間だけではない動植物すべていたるところに及ぶ放射能汚染、被害のことです。

【狂気】相次ぐ食べて応援!秋葉でふくしま応援産直フェア、福島では山菜バスツアー!福島の小名浜港にカツオを水揚げへ!自民は避難解除検討

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-6509.html

 

2015.05.16 12:00|カテゴリ:食べ物の放射能汚染| コメント(26)

台湾の日本食品規制強化が遂に開始へ!日本政府は世界貿易機関(WTO)への提訴も視野に!一方で、アメリカは福島など14県の輸入停止維持!

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-6502.html

 

玉手箱を開けてしまった日本人 急激な老化が進行中

http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/183.html

 

すべては気づき

http://sekaitabi.com/codependence.html

 

放射能検査してない関東野菜や奇形魚・巨大魚

などが、何故、大量に九州ばかりへと流れるの!?

http://ameblo.jp/64152966/entry-11836809599.html

 

飯山一郎氏のブログから

http://grnba.com/iiyama/

本文から:

◆2015/07/01(水)  今年も あと半年…

核心部分を まとめました。

おしどりマコさんによると 「放射性水蒸気が昼も夜も無く24時間噴出」を東電も認めているという。 (記事)

cmk2wl氏は 「皆がしつこく追及したから、東電もトリチウム水蒸気を認めざるを得なくなったんだろうね」と発信している。 (記事)

東電なんぞが認めようが認めまいが…、フクイチの地下から噴出している膨大な量の湯気・水蒸気は、トリチウム水蒸気であり、中性子線を発射している殺人性のプルーン(放射能雲)である。

このことをキチンと認識し理解している人物が、日本のトップ層には ほとんどいない!鳩山由紀夫元総理と村田光平元スイス大使以外はチキンばかり…、ということが分かったこと。←これが、先週の鷲の上京の最大の成果であります。はい。 \( 大苦笑 )/


飯山一郎の主張は、体制側にとってはシャクにさわることばかり。
とくに「中性子線水蒸気」は、日本国の国家秘密だ。が、しかし、国際社会では秘密でも何でもない、一般常識だ。

そこで、「飯山一郎の主張」を分かりやすく要約した“まとめ”を、以下に掲載します。国際社会の一般常識を身につけるためにも、ご一読のほど。(飯山一郎)

ま と め

2011年3月11日の東京電力福島第一原子力発電所の原発事故は、人類史上最悪の原子力事故となりました。その後も事態は収束する兆しが一向にありません。

今年の4月からは、地下に溶け落ちた100トン近い核燃料(デブリ)が、再臨界を起こしたために超高熱を発していて、これに地下水が流れこんで、水蒸気爆発を起こしているとしか考えられない事態が発生しています。

さらに深刻な問題は、中性子線を出す核種(プルトニウム240など)が、沸騰して蒸気化し、超微粒子(蒸気の粒)となって大気中に大量に放出されていることです。3人の核物理学者と何時間にも渡って議論を交わして、私の推論の信憑性は確認出来ています。

このプルトニウムの超微粒子を、数千万~1億人の日本人が吸い込んでしまったことは、過去4年間の内部被曝と複合して、今後、早い時期に大量の病人と死人が続発するということです。これは日本国の滅亡どころか、日本民族の消滅を意味します。

さらなる大問題は、そのプルトニウムの超微粒子が、中国やロシアにも飛んで行ったという事実です。この現況・現実を、中国とロシアは絶対に放置しません。

人類全体、そして地球の問題として、福島原発事故を収束させるために、国際社会が日本の主権を剥奪して国際管理下に置き、収束作業を開始する日が近づいています。

その際、東日本に住民がいては邪魔なので、「人道的な措置」という大義名分の下に、半ば強制的な移住が行われるでしょう。

ロシアは、チェルノブイリ以降、実質、1500万人近い人口を失っているため、これを補完するために、2000万人程度の日本人なら喜んで引き受けるはずです。

日本国内では、すでに首都圏では急病人が続出していますし、火葬場は満杯です。

今までもこれからも、放射能を甘く見るような脳天気な人たちは、これからバタバタと死んで行くでしょう。

今後の対策として、
①放射性物質の体内侵入(特に吸気)に注意して、自宅を放射能ゼロ空間にする。
②生きた植物性の乳酸菌(豆乳ヨーグルトなど)を摂取する。
③少食・粗食に徹する。
④血流・血行を促進する運動をする。
⑤身体を温める。
⑥無農薬のあらびき茶を飲む。
⑦体調が悪くなっても病院には行かず自然治癒で治す。
⑧絶対に諦めないという精神力を持つ。

是非、心と体の免疫力をアップする生活を実践して下さい。

上の 『 』 は、村田光平・元スイス大使の御机下にも某筋から発信済みである。
6月27日、鷲は村田光平先生と夕食を共にした。
村田光平先生は、大変な「天才老人」で、その聡明きわまりない理解力には舌をまいた。
この夕食会の席には、遅れて新井信介氏も同席したが、同じ感想をもったという。
鷲の 『 』は、村田光平先生が手を入れられたあと、世界中に発信されるはずである。

 

テレビが人間を愚鈍にさせるというのが科学的に証明された

http://www.bllackz.com/?m=c&c=20131224T1821000900

直感・いや実感ですがテレビは愚鈍にさせる以上に明らかに洗脳します、為政者・施政者・拝金教者たちに都合の好いようにです。

 

B層はなぜ、B層なのか?

http://kabukachan.exblog.jp/

但し、RKさんは事故当時からF1には核燃料が入っていなかったから放射能汚染なんか無いって言っておりますのでその辺は端折ってお読みください。

 


世間話そのほか:

Time for a brew: How a cup of tea can perk up your brain activity in just 30 minutes 
http://www.dailymail.co.uk/health/article-3064929/Time-brew-cup-tea-perk-brain-30-minutes.html

 

8 Amazing Health Benefits of Using Baking Soda

http://energyfanatics.com/2015/06/25/8-amazing-health-benefits-using-baking-soda/

 

癒しいくつか:

Cute Puppies Dogs Compilation 2015 - Dog Videos 2015 - 720p

https://youtu.be/zgrrjh5_7IM

 

Guilty dog apologizes baby for stealing her toy:it is never too late for apologize for friends

https://youtu.be/eV8k2cpAptU

 

【癒しの動画】人間の赤ちゃんの子守りをするペット達 〜犬・猫 おもしろ動画〜

https://youtu.be/1MaE_ZwkwYM