猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

なぜ“最優秀”と“ベスト”はイコールではないのか…?東都大学野球の表彰選手

2022-05-29 08:44:47 | インポート
東都大学野球の表彰選手には最高殊勲選手やベストナインの他に“最優秀投手”というものがあります。
大概は最優秀投手がベストナインの投手にも選出されますので、ファンの中にはどうして“最優秀”と“ベスト”がイコールではないのか疑問をお持ちの方も多いのではないかと思います。

これは筆者の推測ですが最優秀投手の表彰の方を先に制定してしまったからではないかと思います。

東都大学野球にベストナインの表彰制度が設けられたのが昭和33年なので、最高殊勲選手と最優秀投手の歴代受賞者もベストナインの一覧とともにそれ以降のものが『神宮球場ガイドブック』等には掲載されていますが、『東都大学野球連盟70年史』を見てみますと最高殊勲選手と最優秀投手は昭和25年春から記載されています(それ以前は不明でいつ制定されたのかはわかりません)

その他には首位打者もベストナイン制定以前から表彰されていますが、これらの表彰には協賛企業がついております。
現在では優勝旗と最優秀投手は読売新聞、首位打者は毎日新聞となっています。(最高殊勲選手は今は不動産会社のミニミニですが、これも元々は新聞社の発案ではないかと思います)

また、ベストナインの表彰は各新聞社の担当記者の投票で選出されますが、これもトロフィーは新聞社の提供ではなかったかと記憶しております…。

ですので、これら協賛企業との絡みもあって、ベストナインの表彰を始めるにあたり、それ以後最優秀投手の表彰をお断りするというわけにもいかず、投手部門に限っては“最優秀”と“ベスト”の両方を選出するようになってしまったのではないでしょうか…。

昭和33年以前の最高殊勲選手と最優秀投手は以下のようになっています。

最高殊勲選手 順位.......... 最優秀投手
昭和25年春 清水龍三 専修大 (外) 優勝 三好行雄 専修大
昭和25年秋 新井 日本大 (外) 優勝 不明
昭和26年春 越智 専修大 (外) 優勝 川俣 専修大
昭和26年秋 高橋 専修大 (外) 優勝 渡辺 専修大
昭和27年春 不明 不明
昭和27年秋 新井 日本大 (外) 優勝 河内忠吾 日本大
昭和28年春 荻原達夫 中央大 (内) 優勝 多田耕造 中央大
昭和28年秋 不明 不明
昭和29年春 不明 不明
昭和29年秋 不明 不明
昭和30年春 人見武雄 日本大 (内) 優勝 島津四郎 日本大
昭和30年秋 不明 不明
昭和31年春 福岡信義 日本大 (外) 優勝 島津四郎 日本大
昭和31年秋 畠中良雄 日本大 (内) 優勝 江崎昭雄 日本大
昭和32年春 望月教治 専修大 (内) 優勝 伊藤秀 専修大
昭和32年秋 原駿雄 専修大 (外) 優勝 伊藤正敏 専修大




また、最優秀投手とベストナイン投手の選出が分かれたケースと、その際の最高殊勲選手は以下の通りであります。

最高殊勲選手 順位 最優秀投手 順位 ベストナイン 順位
1 昭和33年秋 田辺隆二 (遊) 学習大 優勝 井本俊秀 学習大 優勝 坂井勝三 専修大 五位
2 昭和35年秋 山本兵吾 (投) 専修大 優勝 狗飼進 東農大 二位 山本兵吾 専修大 優勝
3 昭和37年秋 千原陽三郎 (投) 日本大 優勝 加藤利幸 中央大 二位 千原陽三郎 日本大 優勝
4 昭和59年春 三原昇 (投) 亜 大 優勝 阿波野秀幸 亜 大 優勝 三原昇 亜 大 優勝
5 昭和61年春 森浩之 (捕) 東洋大 優勝 保坂彰茂 東洋大 優勝 阿波野秀幸 亜 大 三位
6 昭和63年春 野村謙二郎 (遊) 駒沢大 優勝 大庭恵 駒沢大 優勝 小池秀郎 亜 大 二位
7 平成2年秋 小池秀郎 (投) 亜 大 優勝 小池秀郎 亜 大 優勝 若田部健一 駒沢大 二位
8 平成3年春 銭場一浩 (投) 東洋大 優勝 銭場一浩 東洋大 優勝 木村龍治 青学大 二位
9 平成10年春 佐藤宏志 (投) 亜 大 優勝 佐藤宏志 亜 大 優勝 宇久陽介 専修大 三位
10 平成10年秋 中須賀諭 (投) 亜 大 優勝 中須賀諭 亜 大 優勝 吉武昭治 専修大 二位
11 平成12年春 松井光介 (投) 亜 大 優勝 松井光介 亜 大 優勝 古岡基紀 中央大 四位
12 平成13年秋 新垣道太 (外) 駒沢大 優勝 川岸強 駒沢大 優勝 芦川武弘 中央大 三位
13 平成16年秋 亀井義行 (外) 中央大 優勝 会田有志 中央大 優勝 服部泰卓 駒沢大 四位
14 平成20年秋 上野大樹 (投) 東洋大 優勝 上野大樹 東洋大 優勝 岩見優輝 亜 大 二位
15 平成21年春 鹿沼圭佑 (投) 東洋大 優勝 鹿沼圭佑 東洋大 優勝 東浜巨 亜 大 三位
16 平成21年秋 南昌輝 (投) 立正大 優勝 南昌輝 立正大 優勝 東浜巨 亜 大 二位
17 平成22年春 藤岡貴裕 (投) 東洋大 優勝 澤村拓一 中央大 三位 東浜巨 亜 大 二位
18 平成26年春 山﨑康晃 (投) 亜 大 優勝 山﨑康晃 亜 大 優勝 田中大輝 国学大 二位


最優秀投手とベストナインの投手が分かれる場合は、最優秀投手は優勝チームから、ベストナインは下位チームから選ばれるケースが殆どのようです。

ファンからするとちょっとややこしい制度ではありますが、選出する記者さんたちにとっては甲乙つけがたい投手が揃っているときには頭を悩ませないで済む便利な制度なのかもしれません…。



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終わってみれば五校が勝点3!=昭和33年秋の東都大学野球

2022-05-27 11:46:23 | インポート
大学野球シーズンも各リーグ戦は終盤を迎え、東都大学野球では各校が残り一カードとなりましたが、東洋大と國學院大の二校が勝ち点4の可能性を残しています。ただ、展開次第では勝点2ではありますが國学院大と対戦する亜細亜大にもチャンスがありますので、まだまだ予断を許さない“戦国東都”なのであります。

以前にUPした記事、東都大学野球:勝点3での優勝でもご紹介したように東都では勝点3での優勝が過去六回あります。中でも昭和33年秋のリーグ戦は五校が勝点3で日程を終え、勝率上位に並んだ三校による優勝決定戦となりました。

そこで、一体どのような展開でこんな結果になったのか、週を追って見てゆきたいと思います

その前にまず、前シーズン・昭和33年秋の順位表を見ておきましょう。

前季(S33春) 勝点 勝率
①中央大 9 3 1 4 0.750
②駒澤大 7 5 0 3 0.583
③専修大 7 6 0 3 0.538
④日本大 7 7 0 3 0.500
⑤東農大 5 8 0 1 0.385
⑥学習大 3 9 1 1 0.250


中央大・専修大・日本大・東農大の四校は戦前のリーグ発足時からの“伝統校”で、二位の駒澤大は戦後に加盟しこのシーズンが初めての二位でありました。

東都の優勝校は戦前からこの昭和33年春までず~っと日・中・専の三校で占められており、当時の新聞などには、東都は六大学と比べて上位と下位の実力差が大きく優勝争いの妙味に欠けるといった評価も見られますので、まだ“戦国”には程遠い状況だったようですが、駒澤大が二位に食い込んできたあたりにその予兆が感じられます。


それでは、昭和33年秋のシーズンを見てゆくことに致しましょう。まずは第一週であります…。



第一週
9/9 中央大 6 0 学習大
東農大 1 0 駒澤大
9/10 駒澤大 5 3 東農大
中央大 7 4 学習大
9/11 駒澤大 4 2 東農大


第一週 中央大 駒澤大 東農大 学習大 日本大 専修大 勝点 勝率 残カード 落とした勝点
中央大 *** ○○ 2 0 1 1.000 4 0
駒澤大 *** ●○○ 2 1 1 0.667 4 0
東農大 ○●● *** 1 2 0 0.333 4 1
学習大 ●● *** 0 2 0 0.000 4 1
日本大 *** 0 0 0 5 0
専修大 *** 0 0 0 5 0

現在と違い、前季①位と⑥位、②位と⑤位の対戦。
春の優勝校中央大は学習大に連勝、二位駒澤大は二勝一敗で東農大から勝ち点ですから、まずは順当な結果と言えましょう。



第二週
9/19 学習大 2 0 専修大
日本大 4 0 東農大
9/20 専修大 1 0 学習大
日本大 6 1 東農大
9/21 専修大 3 0 学習大


第二週 中央大 日本大 駒澤大 専修大 東農大 学習大 勝点 勝率 残カード 落とした勝点
中央大 *** ○○ 2 0 1 1.000 4 0
日本大 *** ○○ 2 0 1 1.000 4 0
駒澤大 *** ●○○ 2 1 1 0.667 4 0
専修大 *** ●○○ 2 1 1 0.667 4 0
東農大 ●● ○●● *** 1 4 0 0.200 3 2
学習大 ●● ○●● *** 1 4 0 0.200 3 2

前季③位と⑥位、④位と⑤位の対戦。
学習大が先勝いたしましたが、専修大が巻き返して勝点。日本大も東農大に連勝でこの週も“戦国”の予兆は見られません。学習大と東農大が早々と優勝争いから脱落ムードでありましょうか…。


第三週
9/25 駒澤大 3 0 専修大
日本大 2 1 中央大
9/29 専修大 4 2 駒澤大
日本大 2 1 中央大
9/30 専修大 2 1 駒澤大 延長10回サヨナラ


第三週 日本大 専修大 中央大 駒澤大 東農大 学習大 勝点 勝率 残カード 落とした勝点
日本大 *** ○○ ○○ 4 0 2 1.000 3 0
専修大 *** ●○○ ●○○ 4 2 2 0.667 3 0
中央大 ●● *** ○○ 2 2 1 0.500 3 1
駒澤大 ○●● *** ●○○ 3 3 1 0.500 3 1
東農大 ●● ○●● *** 1 4 0 0.200 3 2
学習大 ○●● ●● *** 1 4 0 0.200 3 2

前季①位と④位、②位と③位の対戦。
春の優勝校・中央大が日本大に連敗。②位の駒澤大も先勝しながら三回戦で星を落とし、前季の順位でいえば“下剋上”となり、日本大と専修大が二つ目の勝ち点を挙げ、無敗の日本大が勝率の差で首位に立ちました。



第四週
10/2 中央大 10 2 駒澤大
学習大 2 1 東農大
10/3 学習大 1 0 東農大
駒澤大 3 1 中央大



第四週 日本大 専修大 駒澤大 中央大 学習大 東農大 勝点 勝率 残カード 落とした勝点
日本大 *** ○○ ○○ 4 0 2 1.000 3 0
専修大 *** ●○○ ●○○ 4 2 2 0.667 3 0
駒澤大 ○●● *** ●○ ●○○ 4 1 1 0.800 2 1
中央大 ●● ○● *** ○○ 3 3 1 0.500 2 1
学習大 ○●● ●● *** ○○ 3 4 1 0.429 2 2
東農大 ●● ○●● ●● *** 1 6 0 0.143 2 3

現在では最終カードで対戦する前季①位と②位、⑤位と⑥位の対戦。
春優勝の中央大と②位駒澤大は一勝一敗のまま三回戦は繰り越し。⑤位東農大と⑥位学習大は学習大が連勝で初の勝ち点。東農大ファンは入替戦も覚悟し始め、学習大は入替戦は回避に多少希望が出てきた雰囲気となってきました。


第五週
10/9 専修大 3 0 東農大
学習大 4 3 日本大
10/10 学習大 2 1 日本大
東農大 5 3 専修大
10/11 専修大 1 0 東農大
駒澤大 4 2 中央大 第四週残り試合


第五週 専修大 日本大 駒澤大 学習大 中央大 東農大 勝点 勝率 残カード 落とした勝点
専修大 *** ●○○ ●○○ ○●○ 6 3 3 0.667 2 0
日本大 *** ●● ○○ ○○ 4 2 2 0.667 2 1
駒澤大 ○●● *** ●○○ ●○○ 5 4 2 0.556 2 1
学習大 ○●● ○○ *** ●● ○○ 5 4 2 0.556 1 2
中央大 ●● ○●● ○○ *** 3 4 1 0.429 2 2
東農大 ●○● ●● ○●● ●● *** 2 8 0 0.200 1 4

前季③位専修大と⑤位東農大、④位日本大と⑥位学習大、前週残り試合の中央大対駒沢大三回戦。
東農大は勝点こそ落としますが専修大に一勝。学習大も開幕四連勝の日本大から連勝で二つ目の勝ち点で、このあたりからそろそろ波乱含みのリーグ戦の様相が表れてまいりました。


第六週
10/16 中央大 0 0 東農大 延長10回引分け
駒澤大 7 4 日本大
10/17 日本大 3 2 駒澤大
中央大 2 0 東農大
10/20 中央大 7 1 東農大
駒澤大 9 2 日本大


第六週 専修大 駒澤大 日本大 学習大 中央大 東農大 勝点 勝率 残カード 落とした勝点
専修大 *** ●○○ ●○○ ○●○ 6 3 3 0.667 2 0
駒澤大 ○●● *** ○●○ ●○○ ●○○ 7 5 3 0.583 1 1
日本大 ●○● *** ●● ○○ ○○ 5 4 2 0.556 1 2
学習大 ○●● ○○ *** ●● ○○ 5 4 2 0.556 1 2
中央大 ○●● ●● ○○ *** △○○ 5 4 1 2 0.556 1 2
東農大 ●○● ○●● ●● ●● △●● *** 2 10 1 0 0.167 0 5

前季①位中央大と⑤位東農大、②位駒澤大と④位日本大の対戦。
中央大は初戦を延長の末引分け、そのあと連勝で勝ち点。開幕四連勝だった日本大は前週に引き続き勝ち点を落とし、首位の座を 試合のなかった専修大に明け渡してしまいました。

勝点3を挙げている上位二校の内、まだ勝点を落としていない専修大はこのまま勝ち点を落とさなければ優勝、この時点で二位の駒澤大は最終の対学習大戦で勝ち点、それも出来れば連勝してあとは専修大の結果待ちですが、前季最下位の学習大が相手ですから、勝算大いにありと駒大ファンは予想していたのではないでしょうか。

中央大・日本大・学習大は勝ち点・勝率ともに並んでおり、それぞれ自校は連勝・他校は連敗なら優勝も有りの状況となってきました。


第七週
10/29 専修大 2 0 日本大
学習大 1 0 駒澤大
10/30 駒澤大 1 0 学習大
日本大 4 3 専修大
10/31 日本大 3 1 専修大
学習大 6 0 駒澤大


第七週 専修大 日本大 学習大 駒澤大 中央大 東農大 勝点 勝率 残カード 落とした勝点
専修大 *** ○●● ●○○ ●○○ ○●○ 7 5 3 0.583 1 1
日本大 ●○○ *** ●● ●○● ○○ ○○ 7 5 3 0.583 0 2
学習大 ○●● ○○ *** ○●○ ●● ○○ 7 5 3 0.583 0 2
駒澤大 ○●● ○●○ ●○● *** ●○○ ●○○ 8 7 3 0.533 0 2
中央大 ●● ○○ ○●● *** △○○ 5 4 1 2 0.556 1 2
東農大 ●○● ●● ●● ○●● △●● *** 2 10 1 0 0.167 0 5

前季②位の駒澤大と⑥位学習大、③位専修大と④位日本大の対戦。
勝ち点3の専修大と駒沢大がともに一勝二敗。勝ち点3で終わった駒沢大は勝率で劣るため優勝はなくなり、日本大と学習大が“暫定二位”に浮上。優勝の行方は最終週の専修大対中央大結果次第となりました。

専修大は勝ち点さえ挙げれば優勝、落とすと勝ち点では並びますが駒澤大と同様勝率で優勝はなくなります。
中央大は連勝なら優勝、二勝一敗なら日本大・学習大との優勝決定戦となってしまいます。


第八週
11/6 専修大 2 1 中央大 延長10回、専大・堀米の本塁打でサヨナラ
専修大が優勝に王手
11/7 中央大 2 1 専修大 延長13回サヨナラ

11/8 中央大 2 1 専修大


第八週 日本大 学習大 中央大 専修大 駒澤大 東農大 勝点 勝率 残カード 落とした勝点
日本大 *** ●● ○○ ●○○ ●○● ○○ 7 5 3 0.583 0 2
学習大 ○○ *** ●● ○●● ○●○ ○○ 7 5 3 0.583 0 2
中央大 ●● ○○ *** ●○○ ○●● △○○ 7 5 1 3 0.583 0 2
専修大 ○●● ●○○ ○●● *** ●○○ ○●○ 8 7 3 0.533 0 2
駒澤大 ○●○ ●○● ●○○ ○●● *** ●○○ 8 7 3 0.533 0 2
東農大 ●● ●● △●● ●○● ○●● *** 2 10 1 0 0.167 0 5

前季①位の中央大と③位専修大の対戦。
専修大が先勝し、優勝に王手をかけながら連敗。
中央大も一敗してしまいましたので、中央大・日本大・学習大の三校による優勝決定戦となりました。
決定戦は所謂“巴戦”形式で行われました。


優勝決定戦
11/12 中央大 10 4 日本大
11/13 日本大 2 1 学習大
11/14 学習大 3 2 中央大

11/19 学習大 2 1 日本大
11/20 日本大 6 1 中央大
11/21 中央大 3 2 学習大

11/23 学習大 4 3 日本大
11/24 学習大 5 2 中央大


一回目、二回目が三校一勝一敗となり、この時点で優勝預かりとする案も出されましたが、学習大がこれを拒否し、三回目の巴戦でようやく学習大が連勝し、初優勝を遂げました。

冒頭でも触れましたが、東都大学野球で勝ち点3の優勝は過去六回ありますが、五校が勝ち点3、うち三校で優勝決定戦となったのは今のところこのシーズンだけであります。

初優勝した学習大は、翌シーズンから三期連続最下位となり、昭和35年春の入替戦で東農大に敗れ二部に陥落。その時は一シーズンで復帰いたしますが、復帰した昭和36年秋のリーグ戦も最下位に終わり、入替戦で中央大(中央大は34年春に不祥事で二部に落ちていました)に敗れ、以後一度も一部に戻ることなく現在に至っています。

東都史上初めての勝ち点3の優勝こそ“戦国東都”の幕開けだったと言えましょうか…。


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戦国の対極、全カードが二試合で終わった“完全シーズン”=昭和37(1962)年春の東都二部



*学習大初優勝までの経緯は『神宮の奇跡』という本にまとめられておりますので、ご興味のある方は御一読くださいませ。
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東都大学野球:昭和25年以降の“勝点2の最下位”

2022-05-20 19:36:28 | インポート
過去の東都大学野球で記録のはっきりしている昭和25年以降で、勝ち点をふたつ挙げながら最下位となってしまったケースを拾い出してみました。



①昭和43年秋:専修大
芝工 亜大 中大 駒大 東洋 専大 ..... 勝点 勝率
芝工大 * 2 2 2 0 2① 8 勝 5 敗 1 分 4 0.615
亜 大 0 * 2 1 2 2 7 勝 5 敗 0 分 3 0.583
中央大 1 1 * 2 2 1 7 勝 7 敗 0 分 2 0.500
駒沢大 1 2 1 * 0 2 6 勝 7 敗 0 分 2 0.462
東洋大 2 0 0 2 * 1 5 勝 6 敗 0 分 2 0.455
専修大 1① 0 2 0 2 * 5 勝 8 敗 1 分 2 0.385


9/4 ○ 専 4 ‐ 3 東. 9/11 ○ 専 2 ‐ 0 中. 9/24 ● 専 2 ‐ 3 駒. 10/1 △ 専 2 ‐ 2 芝. 10/15 ● 専 3 ‐ 8 亜
9/5 ● 専 2 ‐ 3 東 9/12 ● 専 1 ‐ 4 中 9/25 ● 専 0 ‐ 1 駒 10/2 ○ 専 4 ‐ 3 芝 10/16 ● 専 2 ‐ 7 亜
9/6 ○ 専 6 ‐ 3 東 9/13 ○ 専 2 ‐ 1 中 10/3 ● 専 0 ‐ 7 芝
10/6 ● 専 4 ‐ 8 芝

ベストナイン
投手:池田善吾(芝工)
捕手:大矢明彦(駒大)
一塁:灰山公章(芝工)
二塁:長井繁夫(中大)
三塁:柳瀬整  (東洋)=首位打者
遊撃:大橋穣  (亜大)
外野:内田順三(駒大)
   :上手隆行(芝工)
   :田谷文雄(専大)

入替戦
一回戦
専修大002 000 000  2
日本大300 000 50X  8
(専)芝池・杉山・浅井ー大木
(日)佐藤道ー須藤

二回戦
日本大200 031 100  7
専修大000 000 002  2
(日)渡辺ー須藤
(専)杉山・浅井・松尾ー大木・安達
*専修大が二部降格


②昭和44年春:芝工大
日大 駒大 亜大 中大 東洋 芝工 ..... 勝点 勝率
日本大 * 2 2 0 2 2 8 勝 4 敗 0 分 4 0.667
駒沢大 1 * 2 0 2① 2 7 勝 5 敗 1 分 3 0.583
亜 大 1 1 * 2 0 2 6 勝 6 敗 0 分 2 0.500
中央大 2 2 0 * 1 0 5 勝 6 敗 0 分 2 0.455
東洋大 0 0① 2 2 * 1 5 勝 7 敗 1 分 2 0.417
芝工大 0 0 0 2 2 * 4 勝 7 敗 0 分 2 0.364


4/ 8 ○ 芝 6 ‐ 3 東. 4/22 ● 芝 1 ‐ 2 駒. 4/29 ● 芝 2 ‐ 6 日. 5/13 ○ 芝 3 ‐ 1 中. 5/27 ● 芝 1 ‐ 2 亜
4/ 9 ● 芝 0 ‐ 3 東 4/23 ● 芝 1 ‐ 2 駒 4/30 ● 芝 0 ‐ 8 日 5/14 ○ 芝 7 ‐ 2 中 5/28 ● 芝 0 ‐ 3 亜
4/10 ○ 芝 6 ‐ 1 東


ベストナイン
投手:佐藤道郎(日大)
捕手:須藤和彦(日大)
一塁:植原修平(日大)
二塁:長井繁夫(中大)
三塁:宮崎米三(芝工)=首位打者
遊撃:石渡茂  (中大)
外野:鈴木香  (駒大)
   :佐々木和彦(日大)
   :阿世知利幸(日大)

入替戦
一回戦
芝工大020 001 030  6
専修大000 000 010  1
(芝)光内ー河村
(専)杉山・後藤・佐野―大下

二回戦
専修大000 000 011  2
芝工大101 100 20X  5
(専)佐野・後藤・杉山・古賀ー大木
(芝)光内ー河村
*芝工大が一部残留


③昭和44年秋:東洋大
日大 駒大 芝工 亜大 中大 東洋 ..... 勝点 勝率
日本大 * 1 1 2 2 2 8 勝 5 敗 0 分 3 0.615
駒沢大 2 * 2 2① 0 1 7 勝 5 敗 1 分 3 0.583
芝工大 2 0 * 2 0 2 6 勝 6 敗 0 分 3 0.500
亜 大 1 0① 1 * 2 2 6 勝 7 敗 1 分 2 0.462
中央大 0 2 2 1 * 0 5 勝 6 敗 0 分 2 0.455
東洋大 0 2 0 0 2 * 4 勝 7 敗 0 分 2 0.364


9/ 9 ● 東 0 ‐ 1 日. 9/16 ● 東 2 ‐ 5 駒. 9/30 ● 東 1 ‐ 2 亜. 10/7 ○ 東 8 ‐ 4 中. 10/23 ● 東 0 ‐ 3 芝
9/10 ● 東 0 ‐ 4 日 9/18 ○ 東 7 ‐ 5 駒 10/ 2 ● 東 1 ‐ 5 亜 10/8 ○ 東 11 ‐ 1 中 10/24 ● 東 1 ‐ 2 芝
9/19 ○ 東 4 ‐ 2 駒




ベストナイン
投手:佐藤道郎(日大)
捕手:須藤和彦(日大)
一塁:大矢明彦(駒大)
二塁:柳瀬整  (東洋)
三塁:末永正明(中大)
遊撃:青山白雄(日大)
外野:内田順三(駒大)
   :富川和信(東洋)=首位打者
   :窪田欣也(亜大)

入替戦
一回戦
東洋大000 100 000  1
青学大000 000 000  0
(東)下田ー佐藤昭・柴原
(青)岸・太田垣ー加藤

二回戦
青学大000 000 001  1
東洋大200 000 00X  2
(青)太田垣・安達・岸ー加藤・菅原
(東)会田ー柴原

*東洋大が一部残留


④平成元年秋:国学大
青学 駒大 専大 亜大 東洋 国学 ..... 勝点 勝率
青学大 * 2 2 2 0 2 8 勝 3 敗 0 分 4 0.727
駒沢大 0 * 1 2 2 2 7 勝 5 敗 0 分 3 0.583
専修大 0 2 * 2 1 1 6 勝 7 敗 0 分 2 0.462
亜 大 1 0 0 * 2 2 5 勝 6 敗 0 分 2 0.455
東洋大 2 0 2 0 * 1 5 勝 7 敗 0 分 2 0.417
国学大 0 1 2 0 2 * 5 勝 8 敗 0 分 2 0.385


9/12 ○ 国 8 ‐ 0 東. 9/19 ● 国 1 ‐ 6 専. 10/3 ● 国 0 ‐ 1 亜. 10/12 ● 国 1 ‐ 3 駒. 10/20 ● 国 1 ‐ 2 靑
9/13 ● 国 2 ‐ 7 東 9/20 ○ 国 2 ‐ 1 専 10/4 ● 国 3 ‐ 4 亜 10/13 ○ 国 4 ‐ 3 駒 10/24 ● 国 1 ‐ 6 靑
9/14 ○ 国 8 ‐ 1 東 9/21 ○ 国 2 ‐ 1 専 10/17 ● 国 0 ‐ 1 駒




ベストナイン
投手:岩崎光宏(青学)
捕手:中津川栄作(専大)
一塁:上島格  (駒大)
二塁:松山秀明(青学)
三塁:桧山進次郎(東洋)=首位打者
遊撃:奈良原浩(青学)
外野:村上清  (青学)
   :田原智典(亜大)
   :垣吉成樹(国学)

入替戦
一回戦
国学大100 000 000 000  1
日本大000 000 100 001x  2
(国)大塚ー羽根川・沢井
(日)落合ー佐藤

二回戦
日本大000 000 000 12  3
国学大000 000 000 10  1
(日)落合ー佐藤
(国)大塚・川上ー羽根川・沢井

*国学大が二部降格

⑤平成14年春:駒沢大
亜大 中大 東洋 日大 青学 駒大 ..... 勝点 勝率
亜 大 * 1 1 2 2② 2 8 勝 5 敗 2 分 3 0.615
中央大 2 * 0 1 2 2 7 勝 6 敗 0 分 3 0.538
東洋大 2 2 * 2 1 7 勝 6 敗 2 分 3 0.538
日本大 0 2 2② * 1 1 6 勝 7 敗 2 分 2 0.462
青学大 1② 0 1 2 * 2 6 勝 7 敗 2 分 2 0.462
駒沢大 0 1 2 2 0 * 5 勝 8 敗 0 分 2 0.385


4/ 9 ● 駒 4 ‐ 7 靑. 4/24 ● 駒 2 ‐ 4 日. 5/1 ● 駒 0 ‐ 4 東. 5/14 ● 駒 3 ‐ 6 中... 5/21 ● 駒 1 ‐ 2 亜
4/10 ● 駒 0 ‐ 2 靑 4/25 ○ 駒 3 ‐ 2 日 5/2 ○ 駒 3 ‐ 2 東 5/15 ○ 駒 6 ‐ 2 中 5/22 ● 駒 0 ‐ 7 亜
4/26 ○ 駒 4 ‐ 3 日 5/3 ○ 駒 6 ‐ 0 東 5/16 ● 駒 1 ‐ 2 中



ベストナイン
投手:木佐貫洋(亜大)
捕手:小山良男(亜大)
一塁:該当者なし
二塁:該当者なし
三塁:松田宣浩(亜大)
遊撃:小窪裕  (中大)
外野:早川辰徳(東洋)=首位打者
   :荒川大輔(亜大)
   :亀井義行(中大)
DH :該当者なし

入替戦
一回戦
駒沢大010 000 020  2
専修大200 010 43X  10
(駒)服部・高橋秀・宮里・古谷・山田ー鈴木
(専)江草・小西―柿沼

二回戦
専修大100 100 003  5
駒沢大000 100 000  1
(専)加納ー柿沼
(駒)坂上・高橋秀・宮里ー鈴木・越智

*駒沢大が二部降格

⑥平成30年秋:中央大
平成30:秋 立正 駒大 東洋 亜大 国学 中大 勝点 勝率
立正大 * 2 0 2 1 2 7 勝 5 敗 0 分 3 0.583
駒沢大 0 * 1 2 2① 2 7 勝 5 敗 1 分 3 0.583
東洋大 2 2 * 0 2 1 7 勝 6 敗 0 分 3 0.538
亜 大 1 1 2 * 2 1 7 勝 6 敗 0 分 2 0.538
国学大 2 1 0 * 2 5 勝 7 敗 1 分 2 0.417
中央大 0 0 2 2 0 * 4 勝 8 敗 0 分 2 0.333
9/1 ● 中 1 ‐ 2 駒 9/11 ○ 中 5 ‐ 3 亜 9/26 ● 中 0 ‐ 4 東 10/4 ● 中 5 ‐ 7 国 10/16 ● 中 0 ‐ 2 立
9/5 ● 中 9 ‐ 10 駒 9/12 ● 中 2 ‐ 11 亜 9/27 ○ 中 2 ‐ 1 東 10/5 ● 中 5 ‐ 6 国 10/17 ● 中 3 ‐ 4 立
9/13 ○ 中 3 ‐ 1 亜 9/28 ○ 中 5 ‐ 2 東

ベストナイン
投手:中村稔弥(亜大)
捕手:木下朗(立正)
一塁:岡田 耕太(駒大)
二塁:伊藤 裕季也 (立正)
三塁:内山 京祐 (中大)
遊撃:牧 秀悟(中大)
外野:小郷 裕哉(立正)
   :五十幡 亮汰(中大)
   :工藤 陽平(国学)
DH :該当者なし
入替戦



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東都大学野球:勝点3での優勝


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神宮大会“三度制覇”:鈴木啓友選手=東洋大野球部の歴史―人物⑪

2022-01-14 16:38:48 | インポート
今年、明治神宮野球大会で見事連覇を果たした東洋大ナインの中で、過去に同大会高校の部でも優勝を経験をしているのが鈴木啓友(けいすけ)選手である。

平成十六年: 愛工大名電 打数 安打 打点 三振 死四球 犠打 盗塁
二回戦 5-1金沢 七番 遊撃 5 2 0 1 0 0 1
準決勝 7-4広陵 七番 遊撃 4 3 1 0 0 0 0
決 勝 6-4大阪桐蔭 七番 遊撃 3 0 0 1 0 2 0
0.417 12 5 1 2 0 2 1

平成十九年: 東洋大学
二回戦 9-3東海大 二番 二塁 3 0 0 0 0 2 0
準決勝 2-0上武大 二番 二塁 4 1 0 1 0 0 0
決 勝 2-0早稲田大 二番 二塁 3 1 0 1 1 0 0
0.200 10 2 0 2 1 2 0
平成二十年: 東洋大学
二回戦 6-0近大工学部 八番 遊撃 4 2 2 1 0 0 2
準決勝 3-1立命館大
決 勝 3-2東北福祉大 八番 遊撃 2 1 0 0 0 0 0 二塁打1
0.500 6 3 2 1 0 0 2

通算 0.357 28 10 3 5 1 4 3



個人で神宮大会優勝を三回経験したのは珍しいケースではないかと思う。
愛工大名電は翌年春の選抜では準優勝している。

鈴木選手の出場した“全国大会決勝戦”

第34回神宮大会高校の部○愛工大名電6-4大阪桐蔭七番遊撃
第76回全国選抜高校野球●愛工大名電5-6済 美七番遊撃
第38回神宮大会大学の部○東 洋 大2-0早稲田大二番二塁
第57回全日本大学選手権○東 洋 大7-5東 海 大二番遊撃
第39回神宮大会大学の部○東 洋 大3-2東北福祉大八番遊撃


タイプは地味だが球歴は華やかなのである。

</object>
鈴木選手のファインプレー
(9/23のエントリー '08'9'7東洋大対青学大二回戦Ⅴ 動画~好プレー(中倉裕人・鈴木啓友・松永隆太・福田清将)より再掲)


来年からは地元愛知の社会人チーム、東海REX(旧新日鉄名古屋)で日本一を目指す。

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箱根駅伝に出場した東洋大学の戦没者(追記:学友会・護国会などの戦没者)

2021-08-15 09:17:00 | インポート
*2021年8月15日:箱根駅伝出場者以外の学友会(自治会と文連と体育会を合わせたようなもの)や護国会(自治会と文連と体育会と学生課をあわせたようなもの)の名簿や会報、学内誌『思想と文学』作品掲載者などから見つけた戦没者を追加いたしました。

箱根駅伝に出場した戦没者
東洋大学における戦没者は2014年の時点で203名がわかっており、同年に発行された校友会120周年記念誌『東洋の軌跡』にその一覧が掲載されておりますが、戦前の箱根駅伝の記録などを調べているうちに、出場者の何名かがそこに記載されていることに気づきました。


宮芝義廣
昭和8年1月 第14回箱根駅伝 7区 11位:1時間28分02秒
昭和10年1月 第16回箱根駅伝 4区 13位:1時間28分12秒
昭和10年3月 専門部東洋文学科卒業
昭和19年2月20日 ニューギニア

森藤加之
昭和11年1月 第17回箱根駅伝 8区14位:1時間36分24秒
昭和12年1月 第18回箱根駅伝 2区7位:1時間10分21秒
昭和12年3月 専門部倫理学東洋文学科卒業
昭和16年3月3日 中華民国徐州

安藤文英
昭和12年1月 第18回箱根駅伝 3区7位:1時間22分18秒
昭和14年3月 専門部東洋文学科卒業
昭和20年7月2日 フィリピン・レイテ島


……鶴見を4位で出た専修・斉藤選手は、後続の中大・若江、東洋大・森藤の後塵を浴びた……
……5位の立教・紅野選手と6位の東洋大・安藤選手は大接戦を続けて進んだが、藤沢の街に入って間もなく立教が競り勝った……
(『箱根駅伝70年史』第18回大会の項より)



安城敬二郎
昭和14年1月 第20回箱根駅伝 9区8位:1時間30分20秒
昭和15年1月 第21回箱根駅伝 9区6位:1時間22分18秒
昭和15年7月 宮崎、橿原、明治神宮間奉祝繼走
昭和16年3月 専門部倫理学国漢科卒業
昭和19年3月25日 ボーゲンビル島名キナ(ママ)

高瀬登
昭和15年1月 第21回箱根駅伝 2区6位:1時間14分12秒
昭和15年5月 第22回関東学生対抗選手権第三部 800m4位
昭和15年7月 宮崎、橿原、明治神宮間奉祝繼走
昭和16年1月 第1回東京・青梅間大学専門学校鍛錬競争 4区6位:35分26秒(6哩=9.66㎞)
昭和16年5月 第23回関東学生対抗選手権第二部 800m6位
昭和16年11月 第2回東京・青梅間大学専門学校鍛錬競争 2区(記録不明)
昭和16年12月 専門部拓殖科卒業
昭和19年6月15日 ブーゲンビル島・ママガタ



昭和15年の“奉祝継走”は東洋大の学生が独自に取り組んだもので、当時の新聞記事は下記のように伝えています。
宮崎-橿原-東京間
東洋大學陸上競技部では紀元二千六百年奉祝記念事業として夏季休暇を利用し宮崎-柏原-東京間約二千五百キロの駅傳走破を決行、期日は廿五日から八月七日に至る二週間で参加十走者が毎日一區間づつリレーする。(『讀賣新聞』昭和十五年七月十四日付朝刊)

東洋大學奉祝繼走終る
東洋大學陸上競技部主催の宮崎、橿原、明治神宮間奉祝繼走は七日朝平塚から東京に向けて最後の走者が出發、午後一時二十八分無事品川神社前に到着したが、此處で汽車によって先着した池中、武智、石本、高岡、安城、高瀬、金光、渥美、小川、原の全選手が打ち揃ひ、共に走って日枝神社に参拝した後午後四時明治神宮に到着大繼走を無事終了した。(『朝日新聞』昭和十五年八月八日付朝刊)


昭和9年の第15回箱根駅伝の7区に出場した田中栄次氏(昭和11年専門部倫理学東洋文学科卒)は、平成元年発行の『箱根駅伝70年史』の中で次のように当時を振り返っています。
若き日の箱根駅伝
箱根駅伝、はるか遠い日の記憶である。50数年の時が過ぎ一緒に走った仲間も、戦争という時もあって殆ど生きていない。消息のわかっているのが私を含めて4名、その3人も健康をそこね、一緒に盃を傾ける日も既に望めない。

元来私なども中学時代はフィールドであった。ひやかし半分に出た学内マラソンで入賞したという事で長距離に引っぱりこまれた。私の大学が昭和8年、はじめて参加が認められその年が2回目であり選手を揃えるのに難渋していた。全く、今の学内選考会で出場者を選ぶのとは雲泥の違いである。

12月に入ると小田原での合宿。当時砂利道、雪どけの道、寒風肌を刺すという言葉がぴったりの中で毎日きびしい練習が繰り返された。しかし、この地に来て驚いたのは駅伝熱の盛り上がり、大人も子供も各大学の有名選手の名前、記録などを本当によく知っていた。私達はある部員の縁で御幸神社に近く、ここは小田原の花街の一角に一軒の空家を借りて合宿生活を始めた。料亭が並ぶはなやかな雰囲気の漂う街であった。

その頃日本中が皇太子誕生で喜びに沸き返っていた。思いがけなくも新春の駅伝は、補欠のつもりが7区小田原・平塚を走る事になった。山下りの河野さんが予想より早く中継所に現れ準備運動も十分でない私が無我夢中で駆けつづけた。襷を受取り平塚で手渡した事以外は全く何も覚えていない。

記録は勿論自慢出来るようなものでない。合宿所は花街の中であり、試合当日は正月でもあって多くの着飾った半玉や芸妓がたくさん応援に駆け付けた風景は異彩であった。今になれば苦しかったことすべて忘れ楽しい思い出だけが生きている。

後年軍隊生活に入り、陸軍の学校できびしく鍛えられたが、箱根駅伝の練習に耐えた私の人生では、他の人がいう程つらい感じは全くしなかった。その意味では肉体のみならず精神的にも駅伝によって随分育てられた。その時もらった参加章は、15周年記念であり随分立派であった。これだけは大切にしている。

学友会・護国会などの戦没者

大野隆輝
昭和9年度 学友会唐手部幹事
昭和10年3月 専門部倫理学東洋文学科卒業
昭和14年2月24日 安徽省蔡家河付近

星忠夫
昭和12年度 学友会総務局委員長
昭和13年3月 文学部国文学科卒業
昭和18年6月30日 中華民国湖北省載家場

山田好文
昭和12年度 学友会賞罰委員長
昭和14年3月 文学部仏教学科卒業
昭和19年7月16日 バシー海峡

出海義大
昭和13年 『思想と文学』編集室
昭和14年3月 予科卒業
昭和20年4月28日 フィリピン・ルソン島クラーククエルト西方山地

米北時末
昭和14年度 学友会教育研究会幹事
昭和15年3月 専門部倫理国漢科卒業
昭和19年5月30日 ニューギニア島アルソ

冨田健
昭和13年 『思想と文学』に「北満移民の展望」掲載
昭和15年3月 専門部国漢科卒業
昭和18年9月30日 東シナ海

島田正六
昭和13年 『思想と文学』に詩「富士を前にして」掲載
昭和16年3月 文学部史学科卒業
昭和20年1月3日 フィリピン・レイテ島タリサヤン


『思想と文学』第四巻二号掲載、島田正六「富士を前にして」
shimada001.jpg
shimada002 (2).jpg
赤座金納
昭和12年 学友会委員(哲学科)
昭和14年 学友会委員(哲学科)
昭和16年12月 文学部哲学科卒業*
昭和16年9月19日 湖北省千古砦(在学中)


在学中に応召した赤座金納氏の戦死を伝える『東洋大学護国会報』
画像

山下涌資
昭和16年度 護国会射撃部幹事
昭和16年12月 専門部拓殖科卒業
昭和19年5月22日 小笠原諸島方面

竹田惣一
昭和16年 護国会宣伝部幹事
昭和16年12月 専門部拓殖科卒業
昭和20年8月16日 北満州璦琿東崗子

大神俊文
昭和16年度 護国会神道部幹事
昭和16年12月 専門部国漢科卒業
昭和19年6月4日 ニューギニア島ホルランジャ附近

細川博士
昭和16年度 護国会講演部幹事
昭和16年12月 専門部拓殖科卒業
昭和20年6月16日 ニューギニア方面

奥井正一
昭和16年度 護国会生活本部補佐幹事
昭和16年12月 専門部国漢科卒業
昭和20年6月2日 ニューギニア・ピアク島

柴田孝道
昭和17年 卒業式・優等賞受領者
昭和17年9月 予科卒業
昭和20年6月20日 沖縄県

石田光男
昭和17年 昭和17年度特待生
昭和17年9月 専門部倫理国漢科卒業
昭和20年8月14日 沖縄宮古島陸軍病院

木島琢也
昭和17年 護国会総務本部企画部幹事
昭和17年9月 専門部倫理国漢科卒業
昭和19年12月8日 フィリピン

龍村弘
昭和17年 卒業式・優等賞受領者
卒業論文「阿弥陀仏信仰の原理的考察」
昭和17年9月 文学部仏教学科卒業
昭和19年7月20日 ビルマ国サガイン州

阿由葉裕
昭和14年度 学友会講演部幹事
昭和16年6月 護国会報第二号俳句研究会作品抄掲載
淋しき日 焦燥を春の 室(や)に鎮む
昭和16年10月 護国会報第三号俳句研究会雑詠抄掲載
梅雨の街 空しき路地が 在る悲し
昭和17年9月 文学部国文学科卒業
卒業論文「近世の地理文学に就いて」
昭和20年5月10日 ビルマ国シャン州モチ鉱山


『護国会報』第三号「雑詠抄」
senbotu004.jpg

木本秀樹
昭和16年6月 護国会報第二号短歌会詠草掲載
竹樋より 出づる水ひじ 飲み居れば
     楽しみ語る 声近づきぬ
昭和17年9月 専門部倫理国漢科卒業
昭和19年7月18日 マリヤナ島

上原博
昭和17年 護国会総務本部企画部錬成部補佐幹事
昭和18年9月 予科卒業
昭和20年7月5日 フィリピン・クラークフィールド

丸田通男
昭和16年度 護国会芸能部幹事
昭和17年度 護国会総務本部庶務部幹事
護国会報第四・五・六・七号カット掲載
昭和18年9月 文学部史学科卒業
昭和20年2月20日 マライ半島方面


丸田通男作カット
senbotu002.jpg

senbotu003.jpg

李(捷)凱
昭和17年7月 護国会報第七号 「青蟲は生きてゐた」掲載
昭和18年9月 文学部支那哲学科卒業
昭和19年10月15日 ソロン


『護国会報』第七号「青蟲は生きてゐた」
senbotu001.jpg

一宮三郎
昭和17年 護国会総務本部宣伝部補佐幹事
昭和18年9月 予科卒業
昭和19年10月23日 比島東方海面

吉村修
昭和17年 護国会文化本部出版部補佐幹事
昭和18年9月 予科卒業
昭和20年6月16日 沖縄本島与座

金城毅
昭和13年 『護国会報』映画評「“城隍堂”について」
昭和18年9月 文学部哲学科卒業
昭和20年5月15日 沖縄本島首里市東方運玉森


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東洋大学の戦没者の卒業年別の人数は下記のようになりました。昭和16年以降は修業年限短縮により卒業月はまちまちになっています

大正 13 年 3 月 1 名 0.5%
大正 14 年 3 月 0 名 0.0%
大正 15 年 3 月 1 名 0.5%
昭和 2 年 3 月 1 名 0.5%
昭和 3 年 3 月 0 名 0.0%
昭和 4 年 3 月 3 名 1.5%
昭和 5 年 3 月 1 名 0.5%
昭和 6 年 3 月 2 名 1.0%
昭和 7 年 3 月 2 名 1.0%
昭和 8 年 3 月 1 名 0.5%
昭和 9 年 3 月 3 名 1.5%
昭和 10 年 3 月 7 名 3.4%
昭和 11 年 3 月 4 名 2.0%
昭和 12 年 3 月 15 名 7.4%
昭和 13 年 3 月 11 名 5.4%
昭和 14 年 3 月 13 名 6.4%
昭和 15 年 3 月 8 名 3.9%
昭和 16 年 3 月 8 名 3.9%
昭和 16 年 12 月 22 名 10.8%
昭和 17 年 9 月 20 名 9.9%
昭和 18 年 9 月 40 名 19.7%
昭和 18 年 11 月 21 名 10.3%
昭和 19 年 9 月 2 名 1.0%
昭和 20 年 3 月 5 名 2.5%
昭和 20 年 9 月 8 名 3.9%
在学 1 名 0.5%
不明 3 名 1.5%
203 名 100.0%

*その後、2015年に新たに一名が判明し現在確認されている校友戦没者は204名とのことです。

          

昭和17年の護国会幹事で昭和18年9月予科卒業、昭和20年7月5日にフィリピンのクラークフィールドで戦死した上原博氏のことが、昭和18年の学徒出陣で同地に出征した京大生・赤松信乗の手記『特攻基地の墓碑銘ー赤松海軍予備学生日記』出ていますので該当箇所を引用いたします。

(昭和19年)十二月七日
S七○一のテントに内地よりの手紙、寄託品を届ける。僅か半月ばかり前に来た今田中尉(今田勝巳、中部ルソン島にて二十年七月戦死・宮崎県延岡市)、田中少尉(田中四郎中尉、S四○二・戦死・大阪市出身)、上原予備学生(上原博中尉、中部ルソン島にて二十年七月戦死・東洋大・豊島区堀ノ内出身)、河村予備学生(川村正三郎中尉、クラーク防衛戦に斬込み隊長として出撃・二十年三月戦死・早大在学・福岡市高畑新町)もすっかり殺気立った眼をしている。

(昭和20年)四月二十八日
二中隊が通過して行った。先頭今田大尉、田中少尉(田中久雄、S七○一・整備・二十年五月戦死・愛知県)、上原少尉の順で十二、三名になっていた。
二中隊はすでに自活態勢に入り、分散したらしい口ぶりだ。元気らしいが、ちょっと話して別れる。

(昭和20年)八月三十日
ほっとひと息つくところへ、陸軍兵六名まぎれ込む。
聞くと撃兵団高山連隊の者らしい。川北伍長を長とし、台湾出身者二名を含む…中略…気がつくと川北伍長が、上原少尉の名入りの雑嚢を所持しており、事情を聴く。
すでに今田大尉、上原少尉以下突破に失敗したらしい。上原少尉は、白重整曹長など部下三名と失敗後、川北伍長の小屋に同居していたらしい。
その後、行動を共にしたが、病死の由。

遺族からの手紙
故元戦闘第七○一飛行隊附
海軍中尉上原博母上原サト

前略 御いそがしい所早速御返事有難う御座いました。
御書面によりますと博がはかない最後を遂げましたとの事考えれば考える程、まことに夢のようで御座います。
なげいたとて帰らぬこととは思いながら親としてありし日の事が、次から次と思い出されてただ涙にくれて居ります。
知らぬ事とはいいながら、昨年七月に死亡して居るにもかかわらず何の不自由もなく過ごしていた事が思えば申訳ない次第です。

博が帰ってくると思えば仕事にも張合いがございましたが、もう帰らぬと思いますと、何もかも手につかず親子三人顔を見合わすごとに話は博の事になり淋しい日々を送って居ります……後略
昭和二十一年三月八日

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