天気予報では、昼ごろ少し雨が降るがすぐ上がり本降りになるのは夜になってから、との事だったが、思ったより早く降りはじめ実施が心配された今日の東洋大野球部優勝パレード。
昼過ぎ辺りから小降りになり、開始時間の三時半までにはすっかりやんでいた。
スタート地点はシビックセンター(文京区役所)
(これは以前撮影した写真)
25階から見た今日の風景
残念ながら今日のこの天気では東洋大は見えなかった。
この25階の展望台には椿山荘が経営するレストランもある。
また、西側の窓は夕日をバックに新宿の高層ビル群を撮影できるので、カメラマンの人気スポットである。人気が出過ぎて今では“三脚使用禁止”になってしまった。
三時前に春日に着いたので時間つぶしに散策をする。
紳士服のコナカ(オリンピックの並び)
この脇に“樋口一葉終焉の地”の碑がある。
樋口一葉終焉の地
ここはかつての本郷丸山福山町四番地。「守喜」といううなぎ屋の離れを借りていた樋口一葉は明治二十九年十一月二十三日にこの地で亡くなった。
その後、明治三十五年にその離れで間借り生活を始めたのが、前年の明治三十四年に哲学館に入学した正富汪洋(明治37年卒:詩人)である。隣の部屋には与謝野鉄幹と別れた林瀧野が住んでいた。林瀧野は与謝野鉄幹が徳山女学校で教師をしていた時の教え子で、鉄幹にとっては二人目の妻(但し、未入籍である)。一子を設けたがのちに別れ、瀧野はこのとき東京裁縫女学校(現東京家政大)に通っていた。二人は一年ほどで結婚し、その為正富汪洋は勘当され学資を断たれてしまう。
また、与謝野鉄幹は徳山女学校を辞め上京した際、徳山時代の友人で哲学館に入学していた佐村八郎を頼って、当時駒込吉祥寺内にあった哲学館の学寮に数か月住んでいた。
この先、白山通りから通り一つ入った辺りが、かつての白山三業地界隈である。(三業=料理屋・芸者屋・待合茶屋)
かつては永井荷風も通い、この地を舞台にした『おかめ笹』という作品も残している。
今も残る“料理屋”
濱の屋という名のこの料理屋だが、人の気配はなかった。もう閉めてしまったのか、或いは時間が早いからなのか定かでない。
三業地の面影を残しているのはもうこの一軒だけの様だ。
三時半を過ぎ、そろそろパレードも来る頃なので、反対側に渡る。
露払いのミニパト。<object width="425" height="344">
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http://jp.youtube.com/watch?v=54-hXZU-SR8
近づいて来た!。
東洋大学野球部優勝祝賀パレード
</object>
http://jp.youtube.com/watch?v=ZfyG8BOaz2s
声を掛けて拍手してくれたのはこの魚屋さんの人たち。
鮮魚 鯛助
残念ながら時間がないのでパレードとは反対方向、地下鉄春日駅へと向かう。
このところ“大学野球”に夢中になり過ぎているので、今日は迷ったのだが、やはり来て良かった!。
沿道の人たちに配られたチラシ
―おもて―
―うら―
シビックセンターから見たパノラマ
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白山三業地についても取り上げています。
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昼過ぎ辺りから小降りになり、開始時間の三時半までにはすっかりやんでいた。
スタート地点はシビックセンター(文京区役所)
(これは以前撮影した写真)
25階から見た今日の風景
残念ながら今日のこの天気では東洋大は見えなかった。
この25階の展望台には椿山荘が経営するレストランもある。
また、西側の窓は夕日をバックに新宿の高層ビル群を撮影できるので、カメラマンの人気スポットである。人気が出過ぎて今では“三脚使用禁止”になってしまった。
三時前に春日に着いたので時間つぶしに散策をする。
紳士服のコナカ(オリンピックの並び)
この脇に“樋口一葉終焉の地”の碑がある。
樋口一葉終焉の地
ここはかつての本郷丸山福山町四番地。「守喜」といううなぎ屋の離れを借りていた樋口一葉は明治二十九年十一月二十三日にこの地で亡くなった。
その後、明治三十五年にその離れで間借り生活を始めたのが、前年の明治三十四年に哲学館に入学した正富汪洋(明治37年卒:詩人)である。隣の部屋には与謝野鉄幹と別れた林瀧野が住んでいた。林瀧野は与謝野鉄幹が徳山女学校で教師をしていた時の教え子で、鉄幹にとっては二人目の妻(但し、未入籍である)。一子を設けたがのちに別れ、瀧野はこのとき東京裁縫女学校(現東京家政大)に通っていた。二人は一年ほどで結婚し、その為正富汪洋は勘当され学資を断たれてしまう。
また、与謝野鉄幹は徳山女学校を辞め上京した際、徳山時代の友人で哲学館に入学していた佐村八郎を頼って、当時駒込吉祥寺内にあった哲学館の学寮に数か月住んでいた。
この先、白山通りから通り一つ入った辺りが、かつての白山三業地界隈である。(三業=料理屋・芸者屋・待合茶屋)
かつては永井荷風も通い、この地を舞台にした『おかめ笹』という作品も残している。
今も残る“料理屋”
濱の屋という名のこの料理屋だが、人の気配はなかった。もう閉めてしまったのか、或いは時間が早いからなのか定かでない。
三業地の面影を残しているのはもうこの一軒だけの様だ。
三時半を過ぎ、そろそろパレードも来る頃なので、反対側に渡る。
露払いのミニパト。<object width="425" height="344">
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近づいて来た!。
東洋大学野球部優勝祝賀パレード
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http://jp.youtube.com/watch?v=ZfyG8BOaz2s
声を掛けて拍手してくれたのはこの魚屋さんの人たち。
鮮魚 鯛助
残念ながら時間がないのでパレードとは反対方向、地下鉄春日駅へと向かう。
このところ“大学野球”に夢中になり過ぎているので、今日は迷ったのだが、やはり来て良かった!。
沿道の人たちに配られたチラシ
―おもて―
―うら―
シビックセンターから見たパノラマ
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白山三業地についても取り上げています。
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