猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

あれから16年…箱根駅伝・9区“歴代ワースト5位”の東洋大・石川末廣選手がオリンピック代表に!

2016-03-20 08:05:00 | インポート
3月17日にリオデジャネイロ・オリンピックのマラソン代表三名が発表され、その内の北島寿典、石川末廣の二名が東洋大のOBでありました。
特に石川選手はオリンピックの時点では36歳10か月と、マラソン代表の最年長選手とのこと。地道な努力が遂に実を結んだ結果であります。

その石川選手が箱根駅伝に出場したのは一、二年次の二回だけ。一年生の1999年・第75回箱根駅伝ではいきなりエース区間・花の二区に起用されましたが区間14位。01:12:37のタイムで、区間一位の順天堂大・三代直樹選手とは5分51秒の差をつけられました。

翌年の第76回では復路の九区。この時の光景は今でも記憶に残っている駅伝ファンの方も多いのではないでしょうか…。

トップを走る駒沢大が鶴見中継所で西田隆維選手から高橋正仁選手へのタスキリレー。
それから20分が経過し、14位の関東学院大と15位の東洋大は無念の繰り上げスタートとなり、ほどなくして関東学院大の選手は到着いたしましたが、石川選手はなかなか姿を見せず…。

繰り上げから七分近く遅れてようやく姿を現した石川選手はふらふら。並走していた審判車にあわや接触かと思われる場面もあり、ひやひやさせながらも何とか中継所にたどり着いたのでありました。
(こんな時、現在のテレビ中継では「・・こちらバイクリポート!~ 大変です!!~東洋の石川に異変が起きています!!」といった具合に、トップやシード権争いを脇において、さぞやかましく捲し立てるのでしょうが、当時は今ほど“感動の押し売り”調ではなくて、「…残るはあと一人、東洋の石川だけとなりましたが・・・何かあったのでしょうか・・まだ見えませんねぇ~」という感じで割と落ち着いた感じの中継だったように記憶しております…。)

九区のコースは1983年の第59回に変更が行われ、その後は現在まで同じままであります。

そこで、1983年以降の九区・区間最下位の選手のタイムを一覧にしてみました。

1983年以降の箱根駅伝九区最下位タイム(年度順)

1983 年 59 回 新里 努 法政大学 1:21:15
1984 年 60 回 中沢 保弘 明治大学 1:22:26
1985 年 61 回 井上 晋一 明治大学 1:16:25
1986 年 62 回 鈴木 茂広 亜細亜大学 1:17:56
1987 年 63 回 青木 潤 東京農業大学 1:17:17
1988 年 64 回 服部 光幸 筑波大学 1:18:44
1989 年 65 回 有川 清一郎 法政大学 1:21:46
1990 年 66 回 阿部 寛 東京農業大学 1:19:26
1991 年 67 回 億田 明彦 国士舘大学 1:19:06
1992 年 68 回 神宮 誠治 亜細亜大学 1:17:33
1993 年 69 回 武居 弘晃 日本大学 1:17:05
1994 年 70 回 蔦野 悟 関東学院大学 1:17:50
1995 年 71 回 本田 博一 亜細亜大学 1:15:27
1996 年 72 回 星野 隆男 東洋大学 1:14:57
1997 年 73 回 本田 義治 東京農業大学 1:15:44
1998 年 74 回 芳養 孝之 帝京大学 1:16:01
1999 年 75 回 渡辺 利彦 中央学院 1:14:52
2000 年 76 回 石川 末廣 東洋大学 1:19:13
2001 年 77 回 吉原 一徳 國學院大學 1:13:56
2002 年 78 回 駒形 英也 関東学院大学 1:13:19
2003 年 79 回 吉田 智 専修大学 1:15:14
2004 年 80 回 富岡 悠平 城西大学 1:15:24
2005 年 81 回 倉平 幸治 東海大学 1:14:33
2006 年 82 回 山田 賢児 関東学連選抜 1:17:10
2007 年 83 回 馬場 圭太 関東学連選抜 1:15:17
2008 年 84 回 椎谷 智広 東京農業大学 1:13:41
2009 年 85 回 前川 剛己 帝京大学 1:15:57
2010 年 86 回 福島 成博 法政大学 1:15:19
2011 年 87 回 菅原 貴行 神奈川大学 1:13:57
2012 年 88 回 宮川 尚人 関東学連選抜 1:16:38
2013 年 89 回 松井 智靖 明治大学 1:15:29
2014 年 90 回 岡部 貴洋 神奈川大学 1:14:32
2015 年 91 回 井上 雄介 神奈川大学 1:13:58
2016 年 92 回 本多 寛幸 法政大学 1:16:02



1983年以降の箱根駅伝九区最下位タイム(タイム遅い順)

1984 年 60 回 中沢 保弘 明治大学 1:22:26
1989 年 65 回 有川 清一郎 法政大学 1:21:46
1983 年 59 回 新里 努 法政大学 1:21:15
1990 年 66 回 阿部 寛 東京農業大学 1:19:26
2000 年 76 回 石川 末廣 東洋大学 1:19:13
1991 年 67 回 億田 明彦 国士舘大学 1:19:06
1988 年 64 回 服部 光幸 筑波大学 1:18:44
1986 年 62 回 鈴木 茂広 亜細亜大学 1:17:56
1994 年 70 回 蔦野 悟 関東学院大学 1:17:50
1992 年 68 回 神宮 誠治 亜細亜大学 1:17:33
1987 年 63 回 青木 潤 東京農業大学 1:17:17
2006 年 82 回 山田 賢児 関東学連選抜 1:17:10
1993 年 69 回 武居 弘晃 日本大学 1:17:05
2012 年 88 回 宮川 尚人 関東学連選抜 1:16:38
1985 年 61 回 井上 晋一 明治大学 1:16:25
2016 年 92 回 本多 寛幸 法政大学 1:16:02
1998 年 74 回 芳養 孝之 帝京大学 1:16:01
2009 年 85 回 前川 剛己 帝京大学 1:15:57
1997 年 73 回 本田 義治 東京農業大学 1:15:44
2013 年 89 回 松井 智靖 明治大学 1:15:29
1995 年 71 回 本田 博一 亜細亜大学 1:15:27
2004 年 80 回 富岡 悠平 城西大学 1:15:24
2010 年 86 回 福島 成博 法政大学 1:15:19
2007 年 83 回 馬場 圭太 関東学連選抜 1:15:17
2003 年 79 回 吉田 智 専修大学 1:15:14
1996 年 72 回 星野 隆男 東洋大学 1:14:57
1999 年 75 回 渡辺 利彦 中央学院 1:14:52
2005 年 81 回 倉平 幸治 東海大学 1:14:33
2014 年 90 回 岡部 貴洋 神奈川大学 1:14:32
2015 年 91 回 井上 雄介 神奈川大学 1:13:58
2011 年 87 回 菅原 貴行 神奈川大学 1:13:57
2001 年 77 回 吉原 一徳 國學院大學 1:13:56
2008 年 84 回 椎谷 智広 東京農業大学 1:13:41
2002 年 78 回 駒形 英也 関東学院大学 1:13:19



石川選手のタイムは九区が現在のコースとなった1983年以降の33回の中で遅い方から数えて五番目、ワーストファイブでありました。

そこで、今度は同じ年に九区区間賞(当時は区間新)を獲得した駒澤大学・西田隆維選手のタイムと石川選手のタイムを九区のチェックポイント毎に比較してみることに致します。


2000年:第76回 区間順位
九区:石川末廣
戸塚~鶴見 距離..... タイム..... 九区通算 1㌔平均 時速 50m走換算
~権太坂 三位 7.8 ㎞ 0:22:58 0:02:57 20.38 8.83
~横浜駅前 三位 6.9 ㎞ 0:21:06 0:44:04 0:03:03 19.62 9.17
~生麦 十四位 5.3 ㎞ 0:21:03 1:05:07 0:03:58 15.11 11.92
~鶴見 十五位 3.0 ㎞ 0:14:06 1:19:13 0:04:42 12.77 14.10
区間計 十五位 23.0 ㎞ 1:19:13 0:03:27 17.42 10.33


九区:西田隆維
戸塚~鶴見 距離 タイム 九区通算 1㌔平均 時速 50m走換算
~権太坂 二位 7.8 ㎞ 0:22:43 0:02:55 20.60 8.74
~横浜駅前 一位 6.9 ㎞ 0:20:09 0:42:52 0:02:55 20.55 8.76
~生麦 一位 5.3 ㎞ 0:17:15 1:00:07 0:03:15 18.43 9.76
~鶴見 一位 3.0 ㎞ 0:08:53 1:09:00 0:02:58 20.26 8.88
区間計 一位 23.0 ㎞ 1:09:00 0:03:00 20.00 9.00




石川選手は前半の横浜駅前までは区間三位のタイムで健闘しておりましたが、そこから徐々に失速し生麦~鶴見のラスト3㎞は14分6秒。中学生女子の3000m日本記録が9分10秒18 ですから、まさに精も根も尽き果てての走りでありました。

当時の新聞を見てみますと佐藤尚監督(現コーチ)のコメントとして

9区の石川はスタートで飛ばしすぎた。
(『読売新聞』2000年1月4日付朝刊)


と非常にわかりやすいコメントが隅の方に小さくではありますが掲載されております。



この年は駒澤大学が初の総合優勝を飾った年でもありました。

九区区間賞の西田隆維選手は石川選手より二つ上の四年生。この年卒業してヱスビー食品に入社すると、翌年の別府大分毎日マラソンで優勝し、エドモントンで行われた世界陸上の代表に選ばれ2:17:24のタイムで九位。
2009年、32歳で現役引退するとタレントに転身し舞台やTVの世界を活躍の場に。さらに2013年には会社を立ち上げ、現在はマラソン大会などのイベントを企画運営されております。

一方、石川選手は三、四年次の箱根駅伝ではチームは予選会敗退で本選出場は叶わぬまま卒業。
2002年からHondaに所属しニューイヤー駅伝などで活躍しておりましたが、2012年に西田選手が引退した年齢の32歳なって初めてマラソンに挑戦いたしました。

石川末廣選手のマラソン歴
2012 3/4 びわ湖毎日マラソン 2:11:13 13位
2012 9/30 ベルリンマラソン 2:11:46 11位
2013 3/3 びわ湖毎日マラソン 2:09:10 6位
2013 9/29 ベルリンマラソン 2:10:24 7位
2014 2/23 東京マラソン 2:09:29 13位
2016 3/6 びわ湖毎日マラソン 2:09:25 4位
2016 8/21 リオ・オリンピック



箱根の九区では前半の飛ばしすぎがアダとなりましたが、その後のアスリート人生では亀のように地道にピッチを刻んできた石川選手。

36歳にしてようやくウサギの西田選手に追いつくことができたようであります…。

八月に行われるリオ・オリンピック、優勝・・・はまぁ~厳しいでしょうが、何とか八位入賞で、名前の通り“末廣”がりの競技人生となるよう祈念致します。




スポーツネットワークジャパンとうNPO法人が発行し無料で配布している冊子『スポーツゴジラ』の最新号(30号)では、「アスリートの引退後を考える」という特集が組まれ、その中の「それぞれのセカンドキャリア問題ー多種目横断シンポジウム」に西田隆維選手も参加されております。

都内では都営地下鉄の駅や公共施設などで配布されていますので、興味のある方は御一読あれ。

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Wikipedia・池中康雄さんの項に関する疑問点=幻の五輪代表?

2016-03-19 09:34:00 | インポート
*先日、リオデジャネイロで行われるオリンピックのマラソン代表に東洋大OBの北島寿典・石川末廣の両選手が選ばれました。東洋大出身選手としては初めてのことであります。

この記事は2015年10月にUPしたものですが、オリンピックのマラソンに関連するので再度トップに上げることに致しました。



先日UPした昭和10年にマラソンの世界最高記録を出した池中康雄さんの東洋大学在学年についてをまとめるにあたって、過去の新聞記事や『運動年鑑』などとともにWikipediaも覗いてみたのですが、その中で一点疑問に思ったことがあります。

Wikipediaの中には「幻の五輪代表」という項が設けられており、
…ベルリンオリンピックマラソン最終選考会ではまさかの途中棄権。ベルリンオリンピックの次に開催されることになった1940年東京オリンピックでは、危なげない走りで再度マラソン代表の座を射止めたが、第二次世界大戦の影響で東京オリンピックが開催権返上、そして代替開催となるはずだったヘルシンキオリンピックも中止となり、オリンピックには出場できないまま、現役を引退した。このことから「幻の五輪代表」という異名で呼ばれることもある。
『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 池中 康雄

と書かれています。

1940年に開催される予定だった東京オリンピックは日中戦争の影響などで1938年の7月に返上が決まっています。
また、代替地として決まったヘルシンキでの開催も、第二次大戦の勃発により1939年に中止が決定しています。

この、“危なげない走りで再度マラソン代表の座を射止めた”レースっていつどこで行われたのでしょう?。

当時の『運動年鑑』などを見ても代表選考会が行われてといった記事は見当たりませんし、主だったマラソンレースの上位入賞者の中に池中さんのお名前は見つかりませんでした。

また、東京の前に行われたベルリンオリンピックでは日本からマラソンには三名の代表が出場しています。
もし、実際に代表選考が行われていたのなら、池中さんの他にも複数の“幻の五輪代表”が存在するのではないでしょうか。

残念ながら、この項の記述は極めて怪しいものと見做さざるを得ません…。

(この項に限らずWikipediaの東洋大に関連する項目にはろくに調べもせずに、思い込みだけで勝手に書かれているような記述が幾つか見受けられます。)



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