猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

番外編:戦前の東洋大学の運動部

2019-11-19 00:01:46 | インポート
*2019年11月18日:昭和11年5月3日のオリンピック陸上競技関東予選会マラソン・原茂清選手の結果を追加いたしました
近年では駅伝や野球等スポーツの分野でも名を知られるようになった東洋大学ですが、「東洋大学野球部の歴史-戦後編⑦昭和35年追記:グラウンドについて 」の稿でも書いたように、スポーツの強化に大学として取り組むようになるのは昭和30年代半ば頃からです。

昭和53年に野球部が二回目のリーグ優勝したころに発行された『校友会報』の座談会・「東洋大学スポーツの現況を語る」では、戦前の運動部の様子などについて、当時在学していたOBの方が次のように回想しておられました。
司会:まずは、戦前のスポーツということで始めたいと思いますが、陸上部OBでもあり、監督の経験もある兼頼先生から口火を切っていただこうと思うのですが…。

兼頼:私は昭和5年に入学しまして陸上部に入りました。当時すでにインター・カレッジに参加していましたね。創立は古くて大正末年(大正13年創立)と聞いていますが、私が入った頃には、先輩がいまして、頭ごなしに“練習不足だ”と言って怒られましてね。

司会:なるほどね、当時も厳しかったんですね。で、部員はどれ位いたんでしょうか・

兼頼:60名前後であったろうと思いますね。成績はやっと二部の上位だったんですが、一部は教育大、早大、慶大など10校でしたね。全種目出場しないとなかなか一部に上がれないんですよ。その頃入学してきたのが池中君なんですが、彼は長距離しかやらないというんで“じゃ、箱根駅伝に出場しようじゃないか”というわけで、その頃勝承夫先生が報知新聞におられたのでお願いして、昭和8年1月7、8日に初参加できるようにしてもらったんですよ。そして勝先生には、池中君を自分の家へ寄宿させたりして色々と面倒を見てもらったんです。
結果は、その年同じ初参加の拓大がびりでその前がわが東洋大でしたね。長距離が専門じゃない選手も入っているんですから。でも池中君は5区の山登りで個人の記録としては2位だったと思います。その後彼はフルマラソンに出場し、2時間26分44秒の世界記録を出してオリンピックの候補選手になったんですよ。

司会:そのほかのスポーツの活躍は、どうだったんでしょうか。

伊賀上:そうですね。戦前で優勝したことのあるのは軟式庭球部でしょう。私たちの入学当時は柔道部、剣道部、野球部、庭球部といった部があったくらいでしょうか。野球は、東洋・大正・駒沢の3校でよくやってましたが“なんだ坊主ばかりじゃないか”なんていったもんですよ。

司会:あとは弓道部、空手部なんかも古いところでしょうか。

伊賀上:弓道部は名前はありましたがまだまだだったですね。あ、それから乗馬部もありましたね。

司会:部としてはだいたいそんなところだったんでしょうかね。しかしそれの施設面とか学生の応援なんかはどんな風にやっていたんでしょうか。

兼頼:今の講堂の所に柔道・剣道なんかの道場がありましたね。あと、だれでもができるバスケットのコートがありましたね。陸上部は西巣鴨にあった国立の蚕糸専門学校のグラウンドを借りてやっていましたね。野球部は新井薬師の方でやってたと記憶していますが…応援の方は、紋付、袴の出で立ちでやっていましたが剣道、柔道がやっぱり主体でしたね。陸上の方も“駅伝”の時には、トラックに乗って声援に来てくれたこともありましたが。当時は何といっても文化の単科大学ですから地味でしたよ。

伊賀上:今と比べたらとても考えられないですよね。スポーツもただ好きな者がやっているという形ですからね。

兼頼:まだ大学の中で組織的に位置づけて、云々というところまではいってなかったわけで、金銭的にも個々人の寄付だとか、働きかけが主体でしたからね。

司会:今はかなり全国レベルで活躍している部もありますが創設のころはやっぱりどこも苦労したわけですね。

(『校友会報』=昭和53年発行の部長・監督とOB座談会より)
発言者の兼頼は兼頼米太郎氏。昭和10年卒。箱根駅伝初参加時の一区走者。後陸上部監督も務める。
伊賀上は伊賀上茂氏。昭和6年卒。昭和30年から33年まで校友会事務局長。

関連記事
昭和四年、東洋大・駒澤大・大正大 三大学リーグ戦
東洋大学野球部:戦前の試合記録
上に引用した座談会でも語られていますが、『東洋大学百年史』等によればいくつかの運動部は戦前に全国大会に出場した旨の記述されています。
そこで同書や新聞・運動年鑑等から拾い出した記録を簡単にまとめてました。

①庭球部
『百年史』によれば庭球部は明治39年の同窓会規則に運動部としてテニスが載っており、大正14年学友会の一部として独立した、とある。

大正 9年関西地方遠征(5月:約20名)
大正13年関東学生軟球連盟リーグ戦優勝(5月)

『運動年鑑』大正14年度より)
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大正14年都下大学専門学校軟式リーグ戦優勝
大正15年埼玉県足利体育会主催軟式庭球大会出場(10月)
大正15年草加庭球倶楽部主催関東庭球大会出場
大正15年大正大学招待大会出場(11月)
大正15年日本軟球会主催明治神宮奉賛軟式庭球大会出場
昭和 2年市川庭球倶楽部主催関東庭球大会出場(5月)
昭和 2年伊勢崎市主催全関東軟球選手権、島田・長井組優勝(6月)
 同 年 全国大学専門学校軟式庭球大会、島田・西寺組優勝(10月)
昭和 6年関東学生軟球聯盟リーグ戦、優勝(10月)

*筆者が昭和2年の朝日新聞を見たところ、6月に朝日新聞主催の第一回“全日本”大学専門学校軟式庭球大会が行われており、そこには東洋大の名前はなかった。翌年の同大会開催告知には「従来二派に分かれて居た日本軟球界は本年合同の運びとなり・・」とあるので、東洋大が優勝したのはもう一つの派(日本軟球会)が主催した大会のようだ。この昭和3年の大会の記事では、試合結果は出てないが、大会を盛り上げた新人として東洋大島田・長井の名が他校の何名かの選手と共に挙げられている。また、昭和4年11月の明治神宮大会では庭球の種目に“準硬式”があり、結果に

シングルス
二回戦豊永(東洋大)6-1草木(佐原)
準決勝佐藤(広島)  6-3豊永(東洋大)
ダブルス
決 勝大森(七尾中)6-2上村(東洋大)
     小川         豊永

とある。この、“準硬式”庭球というのは調べてみたがよくわからない。いずれにせよ、軟式庭球では当時は高いレベルの選手が活躍しており、東洋大の運動部で“優勝”したのも軟式庭球が第一号のようだ。グラウンドのない時代にあっても庭球部は京北中学のコートを借りて練習していたとの事なので、その点では恵まれていたと言えよう。

②剣道部

大正11年第五回剣道大会主催(10月)
      *剣道部の主催で都下大学専門校21校・有信館・研武館が参加。
大正15年東京学生剣道連盟大会出場(5月:10名参加) 
昭和 2年東京都学生剣道聯合会春季大会(5月:10名参加6勝2敗)
昭和 2年東北・北海道武者修行(6月11日~21日)
       *福島・秋田・仙台・弘前・青森・函館・五稜郭・札幌・水戸等の道場を転戦
昭和 8年全国大学専門学校大会出場(6月)
      *風間元蔵(昭和9年卒)が出場、参加72名総当たりの予選を勝ち抜いてベスト16。
     決勝トーナメント一回戦:○浦田(明大)-風間●

剣道部は昭和8年頃は十条の健武館を借りていたが、旧講堂を改装して柔剣道場が作られ昭和9年5月に開場式が行われたとの事である。

③柔道部
大正15年国学院大学と対抗試合(6月)
昭和 2年東北・北海道遠征(9月20日~10月2日:10名)
昭和 2年柔道部秋季大会(10月)
      *各大学専門校・中等学校・町道場の選手を招待。毎年行われ7~80名参加。   
昭和 3年都下学生柔道連盟満州遠征に主将・永沢淳治四段が参加。
昭和12年第一回全国中等学校柔道大会を開催(11月:朝日新聞社後援)
      *東洋大学創立五十周年記念行事。翌年も第二回を開催。
尚、朝日新聞には柔・剣道大会となっており参加78校、優勝は柔道・豊島師範、剣道・大田原中とある。
昭和13年東北・北陸武者修行(6月20日~26日)
       柔道・剣道部の一行9名で石川・福島・会津若松・新潟・長岡の中学校など。


④競技部(陸上競技)
競技部は昭和2年学友会の独立した部となった。

昭和 2年 全日本選手権大会に砲丸投げ・鹿野節が参加。(2月)
*上記の項は『百年史』によるが新聞・年鑑等では未確認。
昭和 3年 専修大学と対抗戦(6月於・一高:東洋39ー18専修)
拓殖大学と対抗戦(10月於・芝公園:東洋17-39拓殖)
大正大学と対抗戦(11月於・一高:東洋36-27大正)
昭和 4年 第十一回関東学生対抗選手権第二部参加(9月:得点4点で二部十七位)
       走り幅跳び:玉橋六位(5米98)
       走り高跳び:齋藤二位(1米65)
      
京都高等蚕糸と対抗戦(6月於・高等蚕糸:東洋37 1/2ー16 1/2高等蚕糸)
大谷大学と対抗戦(6月於・高等蚕糸:東洋38 1/2ー18 1/2)大谷
専修大学・拓殖大学と三大学対抗戦(10月:一位拓殖、二位専修、三位東洋)
昭和 5年 大谷大学・大正大学と三大学対抗戦(5月:一位大正40、二位東洋34、三位大谷22)
第十二回関東学生対抗選手権第二部参加
       鉄槌投げ:五位植木隆治
      
専修大学・拓殖大学と三大学対抗戦(10月於・井草:一位拓殖89、二位専修77、三位東洋56)
昭和 6年 駒澤大学と対抗戦(6月於・府立園芸競技場:東洋24-33駒澤)
専修大学・拓殖大学と三大学対抗戦(6月於・井草:一位専修94 1/2、二位拓殖75 1/2、三位東洋52)
第十三回関東学生対抗選手権第二部参加(9月)
二百米:六位藤波 
一万米:六位早川
円盤投げ:六位植木 
昭和 7年 第十四回関東学生対抗選手権第二部参加(9月:得点17で二部八位)
四百米:五位橋本  
一万米:三位池中康雄 五位宮尾 同六位早川
鉄鎚投げ:一位植木隆治(29米10) 

関東学生マラソン(10月)
二位池中康雄(2時間42分6秒) 同七位早川

専修大学・拓殖大学と三大学対抗戦(専修が105点で優勝)
昭和 8年 第十四回東京箱根往復大学専門学校駅伝競走初出場(1月:10位)

第十五回関東学生対抗選手権第二部参加(9月:得点14点で二部十位)
     一万米:一位池中康雄(33分17秒6) 、同四位富屋直彦、
     千五百米:二位池中康雄(4分27秒2)
    
第七回明治神宮大会兼第二十回全日本陸上競技選手権関東予選(10月)
       マラソン:三位池中康雄(2:42:26)
関東学生フルマラソン(11月)
一位池中康雄(2時間33分44秒)
昭和 9年 第十五回東京箱根往復大学専門学校駅伝競走(1月:13位)
第七回日本学生陸上競技対抗選手権(6月:得点1点)
      一万米:六位池中康雄
第十六回関東学生対抗選手権第二部参加(9月:得点18点で二部七位)
      二部千五百米:一位池中康雄(一周多く回って千九百米の為全員記録無し)
      一万米:一位池中康雄(34分0秒6) 同五位原茂晴 
      八百米:三位池中康雄
     
      関東学生フルマラソン(11月)
      一位池中康雄(2時間34分30秒) 
昭和10年 第十六回東京箱根往復大学専門学校駅伝競走(1月:11位)
全国マラソン連盟主催神宮コースマラソン(3月21日)
        三位池中康雄(2時間39分25秒)
オリムピック候補挑戦競技会マラソン(4月3日)
       一位池中康雄(2時間26分44秒:当時の世界最高記録)
第十七回関東学生対抗選手権第二部参加(9月:得点11点で二部九位)
       一万米:一位池中康雄(33分37秒2) 五位原 
       走り幅跳び:六位大蔵
      
関東学生マラソン(11月)
六位原
昭和11年 第十七回東京箱根往復大学専門学校駅伝競走(1月:11位)
全国マラソン連盟主催神宮コースマラソン(3月29日)
        一位池中康雄(2時間33分56秒)
オリンピック候補挑戦競技会20マイルマラソン(4月5日)
       七位池中康雄(1時間57分10秒)
オリンピック陸上競技関東予選会マラソン(5月3日)
       四位原茂清(2時間57分7秒)
オリムピックマラソン予選(5月21日)
池中康雄(途中棄権)
“・・池中選手又引返して直ぐ橋のたもとで落伍するの大番狂はせとなった・・”(朝日記事より)
第十八回関東学生対抗選手権第二部参加(5月)
       一万米:三位原茂晴(39分19秒) 
       千五百米:四位池中康雄 
       走り幅跳び:五位土屋法正
昭和12年 第十八回東京箱根往復大学専門学校駅伝競走(1月:11位)
第十九回関東学生対抗選手権第二部参加(6月:得点3点で二部十五位)
       一万米:四位原茂晴
昭和13年 第十九回東京箱根往復大学専門学校駅伝競走(1月:7位)
第二十回関東学生対抗選手権第三部参加(6月:この大会から三部制、得点15点三部五位)
       一万米:一位朴鉱采(40分10秒)
      
第二回全国中学校マラソン大会を開催(11月:競技部主催、報知新聞社後援)
       *京北中前出発、板橋第一小折り返し7マイル。早稲田実業選手が優勝。
       前年に創立五十周年行事として第一回が行われたと思われる。翌年も開催されている。
昭和14年 第二十回東京箱根往復大学専門学校駅伝競走(1月:8位)
第二十一回関東学生対抗選手権第三部参加(6月:得点47点で三部三位)
八百米:一位高岡幸男(2分9秒7)
       千五百米:一位高岡幸男(4分29秒2) 
       一万米:一位池中康雄(36分46秒) 
昭和15年 第二十一回東京箱根往復大学専門学校駅伝競走(1月:5位)
第二十二回関東学生対抗選手権第三部参加(5月:得点82点で三部優勝、二部へ昇格)
四百米:六位長井猛雄  
八百米:二位高岡幸雄(2分6秒1)・三位渥美良教・四位高瀬登
千五百米:一位金光益俊(4分29秒4)三位渥美良教・四位池中康雄・五位高岡幸雄 
一万米:一位金光益俊(36分34秒)二位池中康雄(37分32秒)六位赤城義夫 
4×四百リレー:二位(3分46秒2)
走幅跳び:三位長井猛雄(6米6)  
円盤投げ:三位森寿一(28米10)
やり投げ:二位森寿一(42米09)
砲丸投げ:一位森寿一(10米64)四位岩本栄一(9米29)  
鉄鎚投げ:一位金享道(39米60)三位岩本栄一(24米15)五位森寿一(17米65)
昭和16年 第一回東京青梅間大学専門学校鍛錬継走大会(1月:6位)
第二十三回関東学生対抗選手権第二部参加(5月:得点36点で二部四位)
       八百米:六位高瀬登  
       千五百米:一位金光益俊(4分21秒0)
       一万米:一位金光益俊(34分29秒)五位渥美良教
       4×百米リレー:五位   
       4×四百米リレー:四位
       円盤投げ:五位森寿一(29米86)
砲丸投げ:一位森寿一(11米)五位岩本栄一(9米75)  
鉄鎚投げ:二位金享道(33米96)六位森寿一(25米18)
第二回東京青梅間大学専門学校鍛錬継走大会(11月:8位=戦争激化のため繰り上げ開催)
昭和17年 第二十四回関東学生対抗選手権第二部参加(5月:得点60点で二部四位)
       八百米:一位佐々木利一(2分5秒2) 
       千五百米:一位塚脇秋盛(4分20秒2)  
       一万米:塚脇秋盛(34分36秒0)
鉄槌投げ:一位金宮享道(33米36) 
*鉄鎚投げ=ハンマー投げの事

関連記事
昭和10年にマラソンの世界最高記録を出した池中康雄さんの東洋大学在学年について
昭和15年の箱根五区区間賞、朴鉱采の「秋窓雑感」
*池中康雄さんについては陸上部応援サイト“輝け鉄紺”さんに詳しく紹介されています。


『日本学生陸上競技年鑑.』昭和4年版:東洋大学対専修大学の対抗戦記録
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⑤スケート部(アイスホッケー)
現在のスケート部は昭和35年創部となっているが、『東洋大学百年史』には“スケート部は昭和四年宮崎孝悌(昭和五年卒)により再組織され誕生した”とあるが、運動年鑑によれば昭和三年の全国大会にスピード、昭和五年にはアイスホッケーでも出場している。

昭和 3年第三回全国学生氷上選手権
  五百米:四着・宮崎(東洋大)
千五百米:四着・宮崎(東洋大)

各校得点:早大36点 明大25点 南満医大14点 法大12点 慶大6点 洋大2点

昭和 5年:第五回全日本学生氷上選手権(1/5~8:於長野県松原湖)

 五百米:五着・宮崎(東洋大) 小柳(立大)

 
一回戦10:40開始レフェリー:飯田・原
東北大26― 0東洋大
(1P)10-0
(2P) 6-0
(3P)10-0
石川  FW宮崎
上中 内山
原田 万年山
(山下)
相澤  DF井川
鹽谷 (小笠原)
時村
綿貫  GK齋藤

各校得点:早大51点 明大32点 立大3 1/2点 慶大3点 北大2点 洋大1 1/2点

昭和 6年第六回全国学生氷上選手権(1月)
      ○早稲田大(棄権)東洋大●
昭和 7年第七回全国学生氷上選手権(1月)
      大会告知記事の出場校に名前はあるが、氷の状態が悪く中止となる。
FWの“宮崎”が再結成した宮崎孝悌さんと思われる。団体競技で全国大会に出場したのはアイスホッケーが最初かもしれない。
関連記事
孤軍奮闘?宮崎孝悌氏=昭和初期の全日本学生氷上選手権

⑥馬術部
大正15年頃には乗馬倶楽部が既にあったとの事である。
大正15年第三五回関東学生聯盟馬術優勝競技大会(9月:3名出場)
昭和 4年第五回全国乗馬大会(3月:リレー第一回A班青木正一、河野通一が出場)
 同 年  関東学生乗馬聯盟主催秋季大会参加(9月)
昭和 6年 全国馬術大会参加(7月)
 同 年 関東医歯薬聯盟主催馬術大会参加(11月)


⑩その他の運動部
籠球部
昭和 5年 都下中等学校籠球大会主催(10月:時事新報社後援)

卓球部
昭和 5年 創部(5月:発起人5名)
昭和 6年 全関東学生卓球連盟加入

水泳部
昭和 2年 創部(5月:山本英隆ら有志による)

山岳部
昭和 7年 再組織(昭和2、3年頃あったとみられる。成石義之ら発起人)

(学内誌『東洋学苑』第二十四号:昭和七年一月二十四日発行)
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空手部
昭和 5年 創部

拳闘部
昭和 6年 創部(広井辰太郎部長)

射撃部
昭和 7年 創部

モーター倶楽部(自動車部)
昭和 8年 創部

相撲部
昭和15年創部
相撲部堂々晴れの神宮大會出場へ
本學相撲部は現主将金川弘雄君が創設以来、四元武道部長の熱誠溢るる御監督の下に殆ど毎日の如く練習を續け神宮大會、関東大会に出場する事各々二回、昨年は大阪の全國大會に迄出場し本學のために大いに奮闘して來たが、去る九月二十二日兩國出羽の海部屋で行われた、神宮豫選に金川、乾山、呉、高根、寺前の五名が本學を代表して勇躍出場。
第一回戦には横濱専門を先鋒、呉君の上手投げ極まって先制し中堅高根君の吊り出し、副将乾山君の叩き込み、大将金川君の寄り切りで四ー一で屠り、第二回戦には日本體操を先鋒呉君の得意の上手投げで勝ち、二陣寺前君内掛けで勝ち、中堅高根君の打棄り、大将金川君の特技寄り切りで亦も四ー一で二戦二勝。
第三回戦東京醫専との対戦には中堅高根君が一點入れたのみにて一―四で惜敗、総得點九點を以て優秀四校の中に入り、中央大、立大、本校、東醫の四校でトーナメントを行った結果、東京醫専を逆に三ーにで破り堂々三位に入賞し晴れの神宮大會に全日本大學専門優秀二十校の中に出場する光栄を獲得した。去る九日午後五時よりの大會抽籤には金川主将参加し來る十一月三日明治神宮外苑相撲場で行われる大會には、第一回戦に鳥取高農、第二回戦に金澤高工、第三回戦に關學大と戦ふ事になった。大會出場選士は金川弘雄、乾山東成、高根明、寺前稔、呉峰雄の五君である。
(『東洋大學護国會會報』第三号=昭和16年10月31日発行より)

昭和16年第十二回明治神宮国民体育大会(11月:於明治神宮)
一回戦:3-2鳥取高農 二回戦:3-2金沢高工 三回戦:0-5関学大
相撲部善戦の跡
○第十二回明治神宮國民體育大會
    十一月三日、於神宮外苑
晴れの神宮出場に健闘宜しく、左の如き二勝一敗の好成績で全國第十一位となる。
一回戦
本學 三ー二鳥取高農
二回戦
本學 三ー二金澤高工
三回戦
本學 零ー五關學大

○第二回佛教三大學リーグ戦
   十一月二日、於大正大
一位 駒大 全勝    十三點
二位 本學 一勝一敗   九點
三位 大正 零勝二敗   五點

○第廿三回大毎東日主催全國學生相撲關東地区大會
   十一月廿三日 於外苑
明大、駒大に實力の差如何ともし難く惜敗、対横濱専門には乾山、寺前、金川の三君に依り三點獲得。本年度対横濱戦は二戦二勝である。
(『東洋大學護国會會報』第四号=昭和16年12月30日発行より)



おまけ:入学前に“日本一”になっていた人
『朝日新聞』大正13年9月21、22日の記事より
全国中学選手権競技大会
第一日予選戦 予選をパスした者
走高跳 南部(北海中学)以下十一名

第二日
走高跳 坂口(豊山中)、中村(附中)、安楽(二中)、内藤(木更津)一米五七(以上一等)

坂口(豊山中)坂口安吾の事。 
私も大昔インターミドルで走高跳に優勝らしきことをやったことがあった。この日は大雨で、トラックもフィールドもドロンコである。当時は外苑競技場が未完成で、日本の主要な競技会は駒場農大の二百八十米コースの柔くてデコボコだらけのところでやる。排水に意を用いたところなどミジンもないから、雨がふると、ひどい。走高跳の決勝に六人残って、これから跳びはじめるという時に、大雨がふってきた。六人のうち五人は左足でふみきる。拙者一人、右足でふみきる。助走路は五対一にドロンコとなり、五人は水タマリの中でふみきるが、私はそうでないところでふみきるから、楽々と勝った。実際はその柄ではない。
(『世界新記録病』より)

予選通過者の北海中学・南部は昭和7年ロサンゼルスオリンピック三段跳びの金メダリスト南部忠平。南部は走り高跳びでは安吾に敗れているが、この他百米、走り幅跳び、ホスジャンプ(三段跳び)にも出場し、それぞれ11秒8、六米十九、十二米七八で三種目とも優勝している。


『運動年鑑』より
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坂口安吾は豊山中学を卒業したあと一年間荏原尋常小学校の下北沢分教場で代用教員を務めたのち、“坊主”になりたくて大正十五年東洋大学に入学する。運動はやらず入学当初は一日四時間の睡眠で勉強に専念した。学友ともあまりつき合わなかったようだ。

東洋大学の学生だったころ、丁度学年試験の最中であったが、校門の前で電車から降りたところを自動車にはねとばされたことがあった。相当に運動神経が発達してゐるから、二三間空中に舞ひあがり途中一回転のもんどりを打って落下したが、それでも左頭部をコンクリートへ叩きつけた。頭蓋骨に亀裂がはいって爾来二ヶ年水薬を飲みつゝ゛けたが、当座は廃人になるんぢゃ無いかと悩みつゝ゛けて憂鬱であった。
(『天才になりそこなった男の話』より)

*坂口安吾の作品は電子図書館青空文庫で読むことができます。
『世界新記録病』 :スポーツについてのエッセイ(上の引用元)
『勉強記』      :“涅槃大学校印度哲学科”を舞台にした短編
『二十一』      :在学していた二十一歳の頃の話

*平成二十年十一月に上記三作品と引用した『天才になりそこなった男の話』を収録した『風と光と二十の私と・いずこへ 他十六篇』が岩波文庫より発売されました。




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「記録」:個人記録についての話題
「戦前」:新聞記事で拾った戦前の記録
歴史-戦後編」 :新聞記事から拾った戦後の記録
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「エピソード」
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「東洋大学」:主に野球以外のあれこれ。 




東都大学野球の二部最下位&三部優勝回数

2019-11-17 08:22:49 | インポート
東都大学野球で三部リーグができた昭和26年春以降の二部最下位と三部優勝校、及び入替戦の結果を一覧にしてみました。(2019年11月17日更新)
東都大学野球リーグ三部制
東都大学野球連盟は五日成蹊大および芝浦工大の加盟を承認した。この結果、加盟大学が十七校となったため、従来の二部制を改め三部制とすることとなった。
【一部】日大、中大、専大、駒大、農大、国大
【二部】工大、一橋大、東洋大、大正大、紅大、学習院大
【三部】上智大、教大、青学大、芝浦工大、成蹊大
(『朝日新聞』昭和26年2月7日付朝刊)
*紅大は紅陵大=現拓殖大、教大は東京教育大=現筑波大


二部六位 三部一位
S26春 東洋大 青学大
S26秋 大正大 成蹊大
S27春 上智大 芝工大
S27秋 一橋大 東洋大
S28春 一橋大 明学大
S28秋 成蹊大 一橋大
S29春 東工大 東洋大
S29秋 東洋大 東教大
S30春 明学大 東教大
S30秋 国学大 東教大
S31春 東洋大 一橋大
S31秋 東洋大 東教大
S32春 明学大 東教大
S32秋 東洋大 東教大
S33春 (青学大) 武工大
S33秋 東洋大 青学大
S34春 武工大 東洋大
S34秋 成蹊大 東経大
S35春 東経大 上智大
S35秋 東経大 成蹊大
S36春 明学大 東経大
S36秋 成蹊大 亜 大
S37春 東経大 明学大
S37秋 東経大 成蹊大
S38春 東経大 国士大
S38秋 学習大 上智大
S39春 学習大 明学大
S39秋 学習大 上智大
S40春 学習大 上智大
S40秋 上智大 学習大
S41春 上智大 学習大
S41秋 学習大 立正大
S42春 立正大 拓殖大
S42秋 拓殖大 学習大
S43春 学習大 立正大
S43秋 立正大 拓殖大
S44春 立正大 成蹊大
S44秋 東農大 拓殖大
S45春 国学大 拓殖大
S45秋 国学大 成蹊大
S46春 東農大 拓殖大
S46秋 立正大 拓殖大
S47春 国学大 大正大
S47秋 国学大 拓殖大
S48春 国学大 拓殖大
S48秋 国学大 拓殖大
S49春 国学大 拓殖大
S49秋 芝工大 国学大
S50春 芝工大 国学大
S50秋 拓殖大 国学大
S51春 芝工大 拓殖大
S51秋 拓殖大 大正大
S52春 国学大 上智大
S52秋 国学大 大正大
S53春 拓殖大 芝工大
S53秋 国学大 芝工大
S54春 拓殖大 芝工大
S54秋 拓殖大 学習大
S55春 拓殖大 学習大
S55秋 学習大 順 大
S56春 学習大 拓殖大
S56秋 学習大 拓殖大
S57春 学習大 拓殖大
S57秋 学習大 拓殖大
S58春 拓殖大 順 大
S58秋 拓殖大 順 大
S59春 (拓殖大) 順 大
S59秋 順 大 学習大
S60春 順 大 成蹊大
S60秋 東農大 拓殖大
S61春 (国士大) 拓殖大
S61秋 順 大 国士大
S62春 国士大 成蹊大
S62秋 国士大 学習大
S63春 日本大 順 大
S63秋 立正大 順 大
H1春 立正大 大正大
H1秋 立正大 大正大
H2春 拓殖大 大正大
H2秋 東農大 大正大
H3春 拓殖大 大正大
H3秋 東農大 順 大
H4春 国士大 大正大
H4秋 東農大 順 大
H5春 拓殖大 大正大
H5秋 拓殖大 大正大
H6春 拓殖大 大正大
H6秋 拓殖大 大正大
H7春 大正大 拓殖大
H7秋 拓殖大 大正大
H8春 東農大 大正大
H8秋 東農大 大正大
H9春 拓殖大 大正大
H9秋 国学大 学習大
H10春 拓殖大 順 大
H10秋 拓殖大 一橋大
H11春 拓殖大 大正大
H11秋 拓殖大 順 大
H12春 順 大 拓殖大
H12秋 拓殖大 順 大
H13春 順 大 拓殖大
H13秋 東農大 大正大
H14春 立正大 大正大
H14秋 東農大 順 大
H15春 順 大 東農大
H15秋 専修大 大正大
H16春 拓殖大 大正大
H16秋 拓殖大 順 大
H17春 拓殖大 順 大
H17秋 拓殖大 大正大
H18春 大正大 拓殖大
H18秋 大正大 順 大
H19春 大正大 拓殖大
H19秋 拓殖大 大正大
H20春 国学大 大正大
H20秋 拓殖大 大正大
H21春 国士大 大正大
H21秋 専修大 大正大
H22春 日本大 順 大
H22秋 専修大 大正大
H23春 専修大 大正大
H23秋 東農大 順 大
H24春 東農大 順 大
H24秋 国士大 順 大
H25春 東農大 順 大
H25秋 東農大 大正大
H26春 東農大 芝工大
H26秋 東農大 大正大
H27春 東農大 順 大
H27秋 国士大 学習大
H28春 国士大 順 大
H28秋 東農大 大正大
H29春 国士大 大正大
H29秋 東農大 学習大
H30春 東農大 順 大
H30秋 東農大 大正大
R1春 東農大 大正大
R1秋 東農大 大正大
R2春
R2秋
残留 100 35 昇格
自動降格 3 3 自動昇格
*▼△は出場停止等による自動降格・自動昇格。

二部最下位 回数 残留 降格 自動降格 残留率
拓殖大 29 21 7 1 0.724
東農大 23 21 2 0.913
国学大 13 12 1 0.923
学習大 11 7 4 0.636
国士大 9 8 1 0.889
立正大 8 7 1 0.875
東洋大 6 4 2 0.667
順 大 6 2 4 0.333
大正大 5 2 3 0.400
東経大 5 3 2 0.600
専修大 4 4 1.000
上智大 3 1 2 0.333
成蹊大 3 1 2 0.333
明学大 3 2 1 0.667
芝工大 3 2 1 0.667
一橋大 2 1 1 0.500
日本大 2 2 1.000
東工大 1 1 0.000
武工大 1 1 0.000
青学大 1 1 0.000
138 100 35 3 0.725



三部優勝 回数 昇格 残留 自動昇格 昇格率
大正大 37 3 34 0.054
順 大 23 3 19 1 0.174
拓殖大 22 8 13 1 0.409
学習大 10 3 7 0.300
成蹊大 7 2 5 0.286
東教大 6 6 0.000
芝工大 5 1 4 0.200
上智大 5 1 4 0.200
東洋大 3 2 1 0.667
明学大 3 1 2 0.333
一橋大 3 3 0.000
国学大 3 1 2 0.333
青学大 2 2 1.000
東経大 2 2 1.000
国士大 2 2 1.000
立正大 2 2 1.000
武工大 1 1 1.000
亜 大 1 1 1.000
東農大 1 1 1.000
138 35 100 3 0.270






*東教大・明学大・東経大は昭和39年に脱退し、新たに結成された首都大学リーグに参加。

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東洋大学の全日本大学駅伝での戦績Ⅰ(1970年・第1回~1989年・第30回)

2019-11-03 08:26:00 | インポート
1970年に始まった全日本大学駅伝での東洋大の戦績を、まずは第1回から第30回まで一覧にしてみました。
第31回以降はこちらで↓ ↓
東洋大学の全日本大学駅伝での戦績Ⅱ(1999年・第31回~2016年・第48回)

*区間の後ろの数字は各区間の距離。漢数字は学年。円内数字は上段が区間順位、下段は総合順位。但し、第1回から第9回までは前半(一区~四区)と後半(五区~八区)での各総合順位。



1970年 第1回 118.0Km 不出場 優勝 日体大
1971年 第2回 111.4Km 不出場 優勝 日体大
1972年 第3回 111.4Km 不出場 優勝 日体大

1973年 第4回 111.4km 4位 5:50:38 優勝 大東大
一区 15.6 二区 11.5 三区 5.3 四区 23.8
根岸明夫 保田仁 高橋富志雄 松田進
0:48:31 0:35:53 0:16:52 1:16:32
0:48:31 1:24:24 1:41:16 2:57:48
五区 14.3 六区 8.1 七区 12.8 八区 20.0
塚越久男 川村要二 近野清作 井上文男
0:45:19 0:26:21 0:40:22 1:00:48
0:45:19 1:11:40 1:52:02 2:52:50


1974年 第5回 109.0Km 3位 5:37:45 優勝 大東大
一区 13.4 二区 11.5 三区 5.3 四区 23.6
保田仁 河田潔 関口操 井上文男
0:42:55 0:35:26 0:16:33 1:12:26
0:42:55 1:18:21 1:34:54 2:47:20
五区 23.6 六区 8.1 七区 12.8 八区 20.0
根岸明夫 高橋富志雄 近野清作 松田進
0:44:08 0:25:02 0:39:49 1:01:26
0:44:08 1:09:10 1:48:59 2:50:25

1975年 第6回 109.0Km 9位 5:58:42 優勝 大東大
一区 13.4 二区 11.5 三区 5.3 四区 23.6
保田仁 河田潔 工藤悟 井上文男
0:44:43 0:38:28 0:18:02 1:20:53
0:44:43 1:23:11 1:41:13 3:02:06
五区 23.6 六区 8.1 七区 12.8 八区 20.0
高橋富志雄 小屋迫宏 近野清作 関口操
0:46:22 0:26:13 0:40:31 1:03:30
0:46:22 1:12:35 1:53:06 2:56:36

1976年 第7回 109.3Km 7位 5:50:29 優勝 大東大
一区 13.4 二区 11.5 三区 5.9 四区 23.0
河田潔 藤田修 深見寿 関口操
0:44:23 0:36:19 0:19:05 1:13:36
0:44:23 1:20:42 1:39:47 2:53:23
五区 14.6 六区 8.1 七区 12.8 八区 20.0
前田篤秀 武半和久 堤隆裕 相良和彦
0:45:37 0:25:57 0:41:30 1:04:02
0:45:37 1:11:34 1:53:04 2:57:06

1977年 第8回 109.3Km 7位 5:45:07 優勝 日体大
一区 13.4 二区 11.5 三区 5.9 四区 23.0
山橋淳一 武半和久 深見寿 吉田二郎
0:43:18 0:36:03 0:19:05 1:12:56
0:43:18 1:19:21 1:38:26 2:51:22
五区 14.6 六区 8.1 七区 12.8 八区 20.0
前田篤秀 松本正 藤田修 相良和彦
0:45:09 0:25:42 0:40:37 1:02:17
0:45:09 1:10:51 1:51:28 2:53:45

1978年 第9回 109.3Km 不出場 優勝 日体大
1979年 第10回 109.4Km 不出場 優勝 福岡大
1980年 第11回 109.4Km 不出場 優勝 日体大
1981年 第12回 109.4Km 不出場 優勝 福岡大

1982年 第13回 109.4Km 8位 5:34:38 優勝 福岡大
一区 15.1 二区 13.5 三区 23.5 四区 11.5
林清司 佐藤和也 仙内勇 増沢和彦
0:46:00 0:40:16 1:12:29 0:35:58
0:46:00 1:26:16 2:38:45 3:14:43
五区 13.5 六区 10.7 七区 21.6
柴崎万伸 大宮祐治 田中弘
0:41:53 0:32:58 1:05:04
3:56:36 4:29:34 5:34:38

1983年 第14回 109.4Km 10位 5:43:13 優勝 日体大
一区 15.1 二区 13.5 三区 23.5 四区 11.5
山本裕芳 増沢和彦 林清司 大野利丈
0:47:57 0:41:59 1:13:30 0:36:24
0:47:57 1:29:56 2:43:26 3:19:50
五区 13.5 六区 10.7 七区 21.6
菊池清治 柴崎万伸 田中弘
0:44:01 0:33:11 1:06:11
4:03:51 4:37:02 5:43:13

1984年 第15回 108.9Km 不出場 優勝 大東大
1985年 第16回 108.9Km 不出場 優勝 日体大
1986年 第17回 108.9Km 不出場 優勝 京産大

1987年 第18回 108.9Km 8位 5:37:10 優勝 日体大
一区 15.1 二区 13.5 三区 23.4 四区 11.1
今井哲 中村幸彦 及川篤 新井哲
0:46:53 0:40:58 1:15:53 0:35:10
0:46:53 1:27:51 2:43:44 3:18:54
五区 13.5 六区 12.1 七区 20.2
菊池和成 定方久男 志津野誠
0:40:35 0:36:17 1:01:24
3:59:29 4:35:46 5:37:10

1988年 第19回 108.9Km 不出場 優勝 日体大
1988年 第20回 108.9Km 不出場 優勝 日体大
1989年 第21回 108.9Km 不出場 優勝 大東大
1990年 第22回 106.9Km 不出場 優勝 大東大
1991年 第23回 106.9Km 不出場 優勝 日本大

1992年 第24回 106.9Km 9位 5:30:53 優勝 早稲田大
一区 14.6 二区 13.2 三区 9.5 四区 14.0
永井聡 小平剛志 小山強志 多胡秀昭
0:44:51 0:40:35 0:29:34 0:42:44
0:44:51 1:25:26 1:55:00 2:37:44
五区 11.6 六区 12.3 七区 11.9 八区 19.7
斎藤孝徳 加藤洋晃 後藤正樹 後藤英明
0:36:11 0:38:02 0:36:26 1:02:30
3:13:55 3:51:57 4:28:23 5:30:53

1993年 第25回 106.8Km 7位 5:34:59 優勝 早稲田大
一区 14.6 二区 13.2 三区 9.5 四区 14.0
小山強志 斎藤洋一 竹内秀和 松山克敏
0:46:19 0:40:20 0:29:08 0:43:03
0:46:19 1:26:39 1:55:47 2:38:50
五区 11.6 六区 12.3 七区 11.9 八区 19.7
永井謙二 柴田清成 小沢希久雄 後藤英明
0:37:15 0:38:27 0:38:38 1:01:49
3:16:05 3:54:32 4:33:10 5:34:59

1994年 第26回 106.8Km 不出場 優勝 早稲田大
1995年 第27回 106.8Km 不出場 優勝 早稲田大

1996年 第28回 106.8Km 7位 5:27:23 優勝 神奈川大
一区 14.6 二区 13.2 三区 9.5 四区 14.0
佐藤武 千原詩郎 竹内秀和 星野隆男
0:44:54 0:40:20 0:28:30 0:42:33
0:44:54 1:25:14 1:53:44 2:36:17 ⑥0
五区 11.6 六区 12.3 七区 11.9 八区 19.7
神田哲広 三島淳司 萩野聡 小沢希久雄
0:35:28 0:37:46 0:36:45 1:01:07
3:11:45 3:49:31 4:26:16 5:27:23

1997年 第29回 106.8Km 不出場 優勝 神奈川大
1998年 第30回 106.8Km 不出場 優勝 駒澤大



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*陸上部については陸上部応援サイト“輝け鉄紺”さんに詳しく紹介されています。


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