猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

東洋大史上、最も好投した敗戦投手は誰か…?=東洋大野球部:これまでの“完投敗け投手一覧

2017-10-28 00:22:00 | インポート
*平成29年10月28日更新:H29年10/26対亜大一回戦・飯田晴海投手を追記しました。

去る、9月3日に行われた東都大学野球:東洋大対亜細亜大二回戦では、東洋大・能間隆彰投手が被安打1、奪三振10、無四球で完投しながら八回に自らの暴投などもあって敗戦投手となってしまいまいました。

そこで、これまでの一部リーグでの試合で一試合を1人で投げ抜きながら敗戦投手となってしまったケースを拾い出してみました。


一部リーグでの“完投敗け”投手
氏名 出身校 月日 対戦 ア..... 投球回 安打 自責点 奪三振 四死球
1 広沢忠雄 荏原 S37 4/11 中大 ① 2 3 9 7 2 4 1
2 広沢忠雄 荏原 S37 4/21 日大 ② 0 2 8 6 2 2 0
3 広沢忠雄 荏原 S37 5/2 駒大 ② 3 4 8 1/3 11 4 5 2
4 広沢忠雄 荏原 S37 5/9 芝工 ① 0 2 9 5 2 2 1
5 広沢忠雄 荏原 S37 6/6 中大 ③ 3 6 9 6 2 3 1
6 竹ノ下寿男 S37 9/11 駒大 ① 0 1 8 5 1 5 3
7 竹ノ下寿男 S37 9/20 芝工 ① 0 1 8 5 1 1 1
8 広沢忠雄 荏原 S37 10/3 中大 ① 0 8 9 13 7 4 2
9 竹ノ下寿男 S37 10/4 中大 ② 1 2 8 8 2 1 1
10 竹ノ下寿男 S37 11/6 専大 ③ 1 2 8 3 2 3 3
11 会田照夫 上尾 S42 4/12 専大 ① 0 2 9 9 2 7 0
12 会田照夫 上尾 S42 4/24 中大 ③ 0 1 9 6 0 1 0
13 会田照夫 上尾 S42 5/9 駒大 ① 4 5 9 9 5 10 4
14 会田照夫 上尾 S42 5/12 駒大 ② 3 4 8 8 4 5 2
15 会田照夫 上尾 S42 5/26 日大 ③ 0 1 10 4 1 2 0
16 会田照夫 上尾 S42 9/24 駒大 ③ 0 3 9 5 3 5 2
17 会田照夫 上尾 S42 10/13 亜大 ② 1 2 9 2/3 6 1 11 1
18 会田照夫 上尾 S43 5/16 駒大 ③ 0 1 9 1/3 2 1 6 1
19 会田照夫 上尾 S43 5/29 芝工 ③ 0 2 9 2/3 3 2 10 0
20 会田照夫 上尾 S44 4/29 中大 ① 3 5 11 6 5 8 3
21 会田照夫 上尾 S44 9/16 駒大 ① 2 5 10 6 5 5 5
22 三浦誠 取手二 S45 4/7 芝工 ① 0 2 11 8 2 5 6
23 三浦誠 取手二 S45 4/16 亜大 ② 0 2 9 4 2 4 1
24 杉本正時 東洋大姫路 S45 5/22 中大 ② 2 3 8 8 2 3 1
25 玉井信博 松山商 S46 4/27 芝工 ① 0 1 8 8 1 4 4
26 玉井信博 松山商 S46 5/12 中大 ① 1 4 9 7 4 6 1
27 玉井信博 松山商 S46 9/9 駒大 ① 0 1 8 2 1 3 4
28 関善隆 土浦三 S46 9/16 芝工 ② 1 2 8 5 0 2 3
29 関善隆 土浦三 S46 10/20 中大 ① 0 2 9 7 0 3 3
30 杉本正時 東洋大姫路 S47 4/5 中大 ① 1 2 9 9 2 2 1
31 松沼博久 取手二 S47 4/6 中大 ② 1 2 8 1/3 8 2 1 3
32 松沼博久 取手二 S47 4/27 日大 ① 3 5 9 10 5 4 4
33 松沼博久 取手二 S48 10/12 中大 ② 1 4 8 4 1 2 4
34 松沼博久 取手二 S48 10/16 亜大 ① 0 1 8 5 1 4 2
35 松沼博久 取手二 S49 5/28 駒大 ① 2 4 9 4 2 6 4
36 松沼博久 取手二 S49 10/23 駒大 ① 2 3 9 9 3 6 4
37 小林良則 足利工 S50 9/17 専大 ② 2 3 9 10 2 2 3
38 松沼雅之 取手二 S50 10/23 駒大 ① 2 4 9 15 4 2 0
39 松沼雅之 取手二 S51 5/22 中大 ③ 3 4 9 7 4 6 2
40 松沼雅之 取手二 S52 4/8 専大 ③ 1 2 8 7 2 3 1
41 松沼雅之 取手二 S52 4/26 亜大 ① 1 2 8 5 2 3 2
42 松沼雅之 取手二 S52 9/15 国士 ③ 1 2 8 6 2 7 4
43 山村力人 広島商 S53 4/5 駒大 ② 0 1 10 1/3 8 1 5 3
44 山村力人 広島商 S53 4/27 亜大 ② 2 3 8 6 3 4 3
45 松沼雅之 取手二 S53 5/2 中大 ① 1 2 9 5 2 11 0
46 松沼雅之 取手二 S53 5/18 国士 ③ 0 1 8 5 1 6 3
47 鶴岡昌宏 東洋大牛久 S54 5/11 国士 ③ 2 3 8 6 1 5 2
48 望月幸男 桐蔭学園 S55 5/24 中大 ③ 1 2 10 1/3 11 2 3 3
49 仁村徹 上尾 S56 5/21 中大 ③ 1 3 9 5 3 0 1
50 仁村徹 上尾 S57 5/12 亜大 ② 1 2 8 2/3 10 2 2 2
51 仁村徹 上尾 S57 10/1 日大 ① 0 1 11 2/3 12 1 3 1
52 仁村徹 上尾 S58 4/12 亜大 ① 1 2 8 4 1 7 0
53 日野伸一 上尾 S58 5/5 日大 ② 1 2 9 10 2 6 1
54 仁村徹 上尾 S58 9/20 駒大 ① 3 4 9 10 4 1 1
55 仁村徹 上尾 S58 10/6 中大 ① 1 2 8 2/3 6 2 3 2
56 仁村徹 上尾 S58 10/25 亜大 ③ 3 7 9 12 4 5 4
57 日野伸一 上尾 S60 10/4 日大 ③ 0 1 8 9 1 4 1
58 保坂彰茂 横浜商 S63 4/19 専大 ① 1 2 8 8 2 4 2
59 保坂彰茂 横浜商 S63 10/25 青学 ② 2 4 9 7 1 7 2
60 谷口英功 浦和学院 H1 10/18 亜大 ② 2 3 8 5 3 9 2
61 和田孝志 拓大紅陵 H2 4/12 駒大 ③ 0 1 8 1/3 6 1 5 3
62 関口伊織 大宮工 H2 9/14 専大 ② 2 3 8 6 3 3 2
63 銭場一浩 伊奈学園総合 H5 4/21 駒大 ② 3 4 9 7 4 4 3
64 銭場一浩 伊奈学園総合 H6 9/23 青学 ③ 1 2 8 5 2 8 1
65 倉則彦 常総学院 H7 9/12 日大 ① 0 1 8 4 1 5 3
66 塩崎貴史 広陵 H8 5/8 立正 ① 1 3 8 5 3 9 3
67 田中充 浦和学院 H9 4/24 青学 ② 1 3 8 9 2 5 1
68 三浦貴 浦和学院 H9 5/15 亜大 ② 1 3 8 6 0 4 4
69 鈴木功 越谷西 H11 5/18 青学 ① 1 2 9 4 2 8 3
70 三浦貴 浦和学院 H12 4/11 亜大 ① 0 2 9 5 2 10 4
71 三浦貴 浦和学院 H12 5/5 日大 ③ 1 2 8 8 2 6 5
72 山脇大輔 東洋大姫路 H13 9/26 日大 ② 1 2 8 7 1 5 6
73 大場翔太 八千代松蔭 H17 9/22 日大 ③ 0 2 8 2/3 6 4 7 4
74 永井怜 東農大二 H18 5/9 駒大 ① 2 4 8 4 4 5 4
75 永井怜 東農大二 H18 9/19 亜大 ① 2 4 9 6 4 12 3
76 上野大樹 帝京 H20 9/25 日大 ② 2 3 9 8 3 5 2
77 藤岡貴裕 桐生一 H22 10/26 青学 ② 1 2 9 4 2 11 3
78 藤岡貴裕 桐生一 H23 5/18 青学 ① 0 1 9 5 1 6 4
79 藤岡貴裕 桐生一 H23 9/20 中大 ① 0 1 8 4 1 8 2
80 能間隆彰 桐蔭学園 H24 9/3 亜大 ② 0 1 8 1 0 10 0
81 飯田晴海 常総学院 H29 10/26 亜大 ① 0 1 8 1/3 6 1 6 4




0-1の完投敗け
月日 対戦 投球回 安打 自責点 奪三振 四死球
1 竹ノ下寿男 S37 9/11 駒大 ① 0 1 8 5 1 5 3
2 竹ノ下寿男 S37 9/20 芝工 ① 0 1 8 5 1 1 1
3 会田照夫 上尾 S42 4/24 中大 ③ 0 1 9 6 0 1 0
4 会田照夫 上尾 S42 5/26 日大 ③ 0 1 10 4 1 2 0
5 会田照夫 上尾 S43 5/16 駒大 ③ 0 1 9 1/3 2 1 6 1
6 玉井信博 松山商 S46 4/27 芝工 ① 0 1 8 8 1 4 4
7 玉井信博 松山商 S46 9/9 駒大 ① 0 1 8 2 1 3 4
8 松沼博久 取手二 S48 10/16 亜大 ① 0 1 8 5 1 4 2
9 山村力人 広島商 S53 4/5 駒大 ② 0 1 10 1/3 8 1 5 3
10 松沼雅之 取手二 S53 5/18 国士 ③ 0 1 8 5 1 6 3
11 仁村徹 上尾 S57 10/1 日大 ① 0 1 11 2/3 12 1 3 1
12 日野伸一 上尾 S60 10/4 日大 ③ 0 1 8 9 1 4 1
13 和田孝志 拓大紅陵 H2 4/12 駒大 ③ 0 1 8 1/3 6 1 5 3
14 倉則彦 常総学院 H7 9/12 日大 ① 0 1 8 4 1 5 3
15 藤岡貴裕 桐生一 H23 5/18 青学 ① 0 1 9 5 1 6 4
16 藤岡貴裕 桐生一 H23 9/20 中大 ① 0 1 8 4 1 8 2
17 能間隆彰 桐蔭学園 H24 9/3 亜大 ② 0 1 8 1 0 10 0
18 飯田晴海 常総学院 H29 10/26 亜大 ① 0 1 8 1/3 6 1 6 4





個人別完投敗け回数
11 会田照夫 上尾
7 仁村徹 上尾
7 松沼雅之 取手二
6 広沢忠雄 荏原
6 松沼博久 取手二
4 竹ノ下寿男
3 玉井信博 松山商
3 藤岡貴裕 桐生一
3 三浦貴 浦和学院
2 杉本正時 東洋大姫路
2 関善隆 土浦三
2 銭場一浩 伊奈学園総合
2 永井怜 東農大二
2 日野伸一 上尾
2 保坂彰茂 横浜商
2 三浦誠
2 山村力人 広島商
1 上野大樹 帝京
1 大場翔太 八千代松蔭
1 倉則彦 常総学院
1 小林良則
1 塩崎貴史 広陵
1 鈴木功 越谷西
1 関口伊織 大宮工
1 田中充 浦和学院
1 谷口英功 浦和学院
1 鶴岡昌宏 東洋大牛久
1 能間隆彰 桐蔭学園
1 望月幸男 桐蔭学園
1 山脇大輔 東洋大姫路
1 和田孝志 拓大紅陵
1 飯田晴海 常総学院
81






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インブリー事件の主人公邸宅公開=東京都文化財ウィーク

2017-10-22 10:45:00 | インポート
例年、文化の日にあわせて“東京都文化財ウィーク”という催しが行われております。
今年は10月28日(土)から11月5日(日)まで、都内の日ごろは一般に公開されていない文化財を見ることができます。
無料のパンフレットが駅や都区の公共施設などでも配られておりますが、下記リンク先からも見ることができますので、ご興味のある方は覗いてみてくださいませ。

                        東京文化財ウィーク情報

その中の一つに、明治学院の中にある宣教師館・インブリー館があります。

                        インブリー館(旧宣教師館)

東京文化財ウィーク(11月1日~3日)歴史的建造物3棟の 一般公開のお知らせ
東京都の東京文化財ウィーク開催にあわせて、学校法人明治学院の歴史的建造物である明治学院礼拝堂、明治学院インブリー館、明治学院記念館の3棟の建物内部を一般公開いたします。
年に1度の一般公開です。普段は見学できない建物内部をご覧いただけますので、是非この機会にお越しください。

<建物内部の一般公開>
【日時】11月1日(水)、2日(木)、3日(金・祝)10時30分~16時(入館は15:30迄)
【場所】明治学院インブリー館、明治学院礼拝堂、明治学院記念館
【入場方法】事前予約不要。入場無料。
* 明治学院歴史資料館展示室は3日(金・祝)も臨時開館します。
(明治学院大学HPより http://www.meijigakuin.jp/information/


わたくしは一昨年の文化財ウィークのときに見てまいりました。

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さて、このインブリーという人の名前、明治期の野球にご興味のある方には覚えがあるかと思います。

明治23年5月17日、第一高等中学(後に高等学校)が本郷・向ヶ丘の自校グラウンドに明治学院を迎えて行った野球試合での事件、インブリー事件の主人公であります。

技量は、明治学院がまさっていたので一高勢振るわず六回に於ける形勢は、一高方六点の負け越しと云うありさま、敗勢は挽回の見込みがない。一高の応援隊はしきりに悲憤の涙を流している。丁度此日柔道大会があったので、一高名うての猛者は柔道の稽古着のまま球場へ集まって熱烈な声援をしていた。

丁度此時明治学院の教師インブリー博士が、「入場口が分からないので」校垣(こうえん)をのりこえて球場へ入ってきた。敗戦に気を荒くしたる一高の荒武者連が之を見のがすはずがない。猛者連はスワ一大事とばかりかけつけて博士をとらえて詰問したが、言語が通じないので更に要領をえない。事面倒なりとて、気早の連中は石を投げつけ夫れが為に博士は額に負傷をした。この騒ぎで試合は目茶苦茶になってしまった。相手が外人であったので、国際問題に迄なろうとしたが、其後一高の猛者連が白金へ出かけて謝罪したので萬事は解決した。この日の試合は中止になったが、ナンと云うても一高の敗北は免るることは出きなかった。
(横井春野『日本野球戦史』 昭和七年刊)



平たく言いますと、試合が劣勢で面白くないところへ誰だかわからない外国人が垣根を乗り越えて入ってきて、言ってることも良く分からなかったので頭にきて石をぶつけて怪我させちゃったら、その外国人が相手チームの先生だったという事を、一高=現代の東京大学教養部の学生がやってしまった訳であります。


明治学院野球部の歴史は古く明治18の創部で、白洲次郎の父・白洲文平が初代主将との事であります。
一方の一高野球部の創部は明治21年。野球史では早慶が覇権を握る前を一高の黄金時代としておりますが、インブリー事件の頃はまだ明治学院の後塵を拝していておりました。

このインブリー事件の後、敗北に発奮した一高は所謂“一高式猛練習”をつんで、この年の11月8日に明治学院と再戦し26対21で勝利し、以後“一高時代”を築きあげるのでした。
この“リベンジマッチ”でセカンドを守っていたのが、Baseballを「野球」と訳した中馬庚であります。


筆者が訪れた時もそうでしたが、インブリー館が公開される11月1日~3日は明治学院の学園祭期間でもあります。

お時間のある方は、現代の若者で賑わうキャンパスの一角の洋館で、遥か遠くの明治の野球に思いを馳せてみてはいかがでしょうか……。


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東都はいつから二部制になったのか?~東洋大野球部の加盟時期など…。

2017-10-19 23:11:00 | インポート
*2017年10月19日更新=2012年6月にUPした記事に『東洋大学護国會報』の記事と昭和10年ごろの東都に関する新聞記事について加筆致しました。


開幕前は“春六連覇”を期待されながら、結局日大との“最終決戦”を勝ち抜いて、かろうじて入替戦を免れた東洋大。
秋のシーズンでは巻き返して“優勝争い”でファンをドキドキさせてほしいものであります。

毎年優勝争いと並んで注目を集める東都の入替戦ですが、この制度は一体いつから始まったのでしょうか?
ウィキペディアの東都大学野球連盟の沿革の項には

1931年 、中央大学、日本大学、専修大学、國學院大學、東京農業大学が加盟する五大学野球連盟(当時、通称で新五大学野球連盟)として発足、早大戸塚球場にて発足式を開催。第1回リーグ戦は専大が優勝。
  (中略)
1936年 東京商科大学(現在の一橋大学)が加盟し、東都大学野球連盟へ改称。
1940年 東京慈恵会医科大学(数年後に脱退)、上智大学、東京工業大学、東洋大学、東京文理科大学(後の東京教育大学、現在の筑波大学)が加盟し、2部制と入れ替え戦を施行。

とあります。

1986年に発行された『神宮球場ガイドブック』Vol1のなかの東都大学野球の歩みにも
…日大、専大、国学院大の伎倆はようやく整備され、昭和4年頃には、当時隆盛を極めた東京六大学連盟の各チームと相対的にゲームを行える段階に至ったのであるが、以上三校の希望する東京六大学野球連盟への加盟が認められなかったので、三校が主体となり、中大と農大を加えて6年春の五大学野球連盟の誕生となった。
昭和10年春から五大学野球連盟を東都大学野球連盟と改称、同時に東京商大が加盟して農大が脱退、翌年(11年、秋には)農大が復帰し6校となったが、今のような6校対等制でなく、日大、中大、専大、国学大が一部、農大、商大を二部としたがこれまた翌年には改廃、学校の加盟脱退が相次ぎ、リーグ戦としての魅力を持てずこれが結論的に大きなマイナスとなったことは遺憾ながら隠れのない事実である。
連盟が6校の形体をとるに至ったのは昭和14年春以降で、同年には、慈恵大、文理大、工大、東洋大、上智大など加盟の増加をみて、一部六校、二部五校と分け、一、二部の入替戦を行った

(昭和14年は西暦だと1939年なので1940年とするウィキペディアとは年代に違いがありますが…)

との記述があり、筆者も以前は“東洋大は戦前から東都大学野球に加盟していた”ものと思っていました。
ところが、戦前の試合結果などを新聞記事などで調べているうちに、この昭和14年加盟説に疑問を持つようになりました。と云うのは当時の新聞記事などにはこのことが全く出ていないからです。
もちろん、新聞に出ていないから事実ではない、などというつもりはありませんが、当時の新聞を見ると東都大学野球に関する記事は六大学ほどではないにしても結構取り上げられており、春のリーグ戦前の展望記事では主な新人選手の一覧なども見受けられます。
また、当時は昭和7年に施行された『野球統制令』が強化され、平日試合が禁止されるなど学生野球に対する風当たりが次第に強くなってきた時代でもあります。このような時期に加盟校を増やし一・二部制にして入替戦を実施するといったリーグ戦の活性化につながる様な事が行われたのであれば、当時の新聞に記事が見当たらないのは不自然なことのように思います。
(“日大、中大、専大、国学大が一部、農大、商大を二部としたがこれまた翌年には改廃”というのも誤りで、この“変則二部制”は昭和11年秋から昭和13年秋までの5シーズン行われています。“変則二部制”と記したのは単にチーム数がアンバランスだからではなく、一部校と二部校はリーグ戦期間中一試合ずつ対戦し、勝敗は二部校にのみ記録されるというものだったからであります)


平成13年に発行された『東都大学野球連盟七十年史』でも、OBや古参記者の方の座談会記事などでは“二部ができたのは戦後から”といった発言はあっても“加盟校の変遷”は昭和14年から11校となっているなどこの点については明確にされていませんでした。


そこで、暇を見てはいくつかの学校の野球部史や年鑑、野球史の本などをあたってみて得た結果をまとめてみました。


『東京慈恵会医科大学野球部100年史』
まず気になるのが現在では東都リーグにはいない慈恵大ですが、2009年に『東京慈恵会医科大学野球部100年史』が刊行されたのでそれを見てみましょう。

同誌に依れば戦前は大正10年ごろから昭和5年まで“東都医師薬野球リーグ”、昭和7年から昭和13年まで“全国医科大学野球大会”に参加し、昭和14年以降は大会に関する記録は残っていないようです。

東都への加盟について当時部員だったかたの回想には
昭和19年に入学し、26年に卒業した我々のクラスで大橋にあった予科の校庭で野球を始めたのが21年春頃である。当時、相手を求めて横浜高等工業や一高などと試合をしたのを思い出す。そのうち、中断前から野球部員であった先輩達とわれわれが合流し、戦後の野球部がスタートしたように思う。当時医大リーグなどもちろんなく、東京地区であったのはいわゆる六大学と東都大学リーグのみであった。慈恵が東都二部に入ったのは21年秋である。
二部がその時に初めて結成されたかどうか調べる余裕はなかったが、東洋、文理、農大、芝工大、上智を相手に加盟早々優勝してしまった。そして一部に昇格することになった。試合に勝つようになると練習に身が入るのも当然である。その頃予科のあった千鳥町のグラウンドでの猛練習は今でもよく憶えている。22年春は一部で専修、中央、日大他が相手だった。特筆すべきはこの時、専修、中央に次いで三位に入ったことだろう。時代の違うチームの強弱を論ずるのは無理な話だが、野球部の歴史の中では強かった時代だろう・・・中略・・・しかし、一部でやって行くことは所詮無理だった。同年秋を最後に、23年春からは医大リーグに加盟した。
(『東京慈恵会医科大学野球部100年史』昭和26年卒の小林健一名誉教授の回想記事より)

とあり、加盟した経緯については
加盟することになったきっかけは、わからないが小林教授曰く、「急に連絡があり、試合ができるということで参加することになった」という感じだったそうだ。

とことでありました。
慈恵大の東都加盟は戦後になってからのようです。“二部がその時に初めて結成されたかどうか調べる余裕はなかったが”と記しているのは、やはり昭和14年加盟説を意識してのことのでありましょうか?
当時、慈恵大が強かったのは戦争末期の“学徒出陣”が文系学生を対象としており、理系の大学生には引き続き在学中の徴兵は猶予されていたため、他校に比べ戦前からの野球経験者の復帰も早かったためと思われます。

つぎに、同じく昭和14年加盟説のある文理大について見てみましょう。

『茗渓野球史』
文理大は戦後、東京高等師範学校などと合併し東京教育大(現筑波大)となりました。そこで、1977年に刊行された東京教育大の野球部史である『茗渓野球史』をあたってみました。

文理大は拙ブログの“テーマ「歴史-戦前」のブログ記事”内の昭和6年の記事でも紹介したように、東洋大、拓殖大と三大学リーグを結成していました。このリーグは昭和七年に工大、昭和八年秋には商大が加わり五校による新大学リーグとなりましたが、昭和九年春に分裂。その際文理大は
…商、文、工の三大學によって新たに三大學野球聯盟が結成され、今秋リーグ戰を擧行する事となった。(『朝日新聞』昭和九年六月七日付朝刊)

と報じられていたのですが、商大は昭和10年に東都へ加盟し、他の二校についてはわからなかったのですが、『茗渓野球史』の昭和10年の項に
この年新たに千葉医大・東工大・文理大で三大学リーグを結成したが、これは結局太平洋戦争に突入する昭和十七年まで続いた。

とあり、さらに昭和17年には
九月二十六日東都大学リーグの農大に挑戦・六―二で勝つ。そこで上位の日大・中大・専修には及ばぬまでも、東都リーグで四位にはなれるとふんで加盟を打診したりした。これは実現しなかったが、結局終戦後野球部が復活した後、東都大学リーグのメンバーとして活躍する下地ができていたのである。


とあります。加盟を打診するところまで行ったものの、やはり昭和14年には加盟していません。

東都への加盟については、「茗渓ベースボール」という部誌の当時の選手の回想記事を引用して
「文理大野球部の戦後の復活は昭和二十二年で、部の発足、東都大学連盟の加盟に至る経過には大変難儀なものがあった。しかしながら、幸いにして野口部長、先輩諸氏のあたたかいご支援により二部校として春季リーグ戦に優勝し、引き続き入替戦で東京商大を十九A対三の大差をもって完勝、一部昇格の栄と夢を一シーズンで果たすことができた」

としています。文理大も部史の中では東都への加盟は戦後としていました。
ただ、“昭和二十二年”というのは著者の方の記憶違いと思われます。
『文理科大學新聞』昭和二十一年九月十日号に
野球部起つ
   東都リーグ参加
野球部ではこの程東都大学野球聯盟に新加入、工大、慈恵大、上智大、東洋大と共に二部を形成(一部は専、中、日、商、農、國)愈九月下旬からリーグ戦に出場することとなった。…中略…陸上競技あたりでは屡々覇を唱える文理大も野球部は從來とも殆んどあって無きが如き存在であったが、このたび時代の趨勢に和して野球部が蹶起したことは學内からも大いに稱讃されてゐるとともにその活動が期待されてゐる。
(『文理科大学新聞・教育大学新聞縮刷版』より)

という記事があります。『東京慈恵会医科大学野球部100年史』にもあるように昭和21年秋から二部リーグは始まったものと思われます。

ところで肝心の我が東洋大学はどうかと言いますと、野球部の部史はまとめられていませんし、『百年史』などの学史にも詳しい記述はありません。ただ、昭和16年に発足した護国会の会報に運動部に関する記事があるのを見つけました。

『東洋大學護國會々報』
護國會はそれまであった学友会が改編されたもので、運動部は鍛錬本部の中の体育部のもとに各部に分かれて活動しておりました。
『東洋大学護国會報』第一号(昭和16年5月25日発行)の中の「昭和16年度各部計畫表」の中に

○體育部
 △陸上競技部 
    ・・・本年度の同部の活躍は嘱目されており本年度も多彩な計畫が既になされてゐる。概要次の如し。
    イ、インターカレッジー六月一日に開かれるが二部優勝、一部に入るべく猛練習中。
    ロ、例年行ふ夏季休暇驛傳は今年は朝鮮を経て満州への豫定であるが、或るひは裏日本を廻ることとな
      るかも知れない。
    ハ、從來秋の大學祭に報知公園を以て開かれてゐたマラソン大會は全種目に亘る競技大會となす豫定。
    ニ、在來報知主催の驛傳は學生聯盟主催の下に開かれるが之に参加。
  
  卓球、野球、體操、蹴球、其他の各部は新設基礎建設の一年を送る。


とあります。
すでに関東インカレや箱根駅伝に参加していた陸上競技部の詳細な記事に比べ、野球部に対するそっけない扱いには、春秋二回のリーグ戦に参加している気配は読み取れません。

また、昭和17年12月1日発行の第八号には
野球部練習開始
八月以降學期試驗や學部入學等の爲一時活動を休止してゐた本學野球部は十月に入って活潑な練習を開始した。

とあります。
昭和17年は各大学野球リーグ戦が行われた最後の年で、東都大学野球も10月3日から11月7日まで一試合総当たりのリーグ戦が行われています。
『護国會報』第八号のこの記述に“練習を開始した”とあるだけで、リーグ戦などの試合に臨むような気配は読み取れません。

東洋大も東都への加盟はやはり戦後になってからのものと思われます。


それでは、なぜ“昭和14年云々~”の説が出てきたのでしょうか?

おなじく昭和14年に東都に加盟したとされている上智大学について『東都大学野球連盟七十年史』の野球部紹介の上智大学の項に『運動年鑑』1950年版の記述として
昭和10年には東都大学野球連盟が正式にスタートし、翌11年には、A、Bの二クラスに分けて、試合を行ったが、これは一年で終わり、翌昭和12年からは、上智他の参加校が加わって、一ー二部のリーグ戦が行われた。
この形式は昭和18年まで続いた、とあるが、上智は昭和18年以前に野球部の活動を停止していたと思われる。昭和18年には、甲子園大会も中断された時代でもあり、18年入学者の証言でも野球部はなかったという。


こんどは昭和12年という年代が出てきてしまいましたが、どうやら先の『神宮球場ガイドブック』の記述に近い内容が1950年版(昭和25年)の『運動年鑑』に書かれているようですので、それを見てみることにいたしましょう。

『運動年鑑』
運動年鑑は戦前から朝日新聞社が発行していたもので、戦後は昭和23年に復刊されたようです。したがって昭和23年版にはそれ以前の昭和21年度の東都大学野球についても書かれており、
終戦後の東都大學リーグ戰は6月1日から1回戰總當り戰を下高井戸、上井草兩球場で擧行、1部は中大、専大、日大、農大、商大、國大の6チーム、2部は慈恵、文理、東洋、工大、上智大の5チームの1部2部制を採用、1部は専大が5戰5勝で優勝した。

とあり、二部の結果については記載はありません。試合結果を見ると國大(国学院大)は3試合が不戦敗で、同年秋のリーグ戦では“國學院大學は全試合棄權”で“來シーズンより2部に轉落”となっています。慈恵大が一部に昇格したのは入替戦ではなく自動昇格であったようです。

で、問題の1950年版(昭和25年)の『運動年鑑』には“解説”としてリーグの歴史が載せられており、“2部制の採用”の見出しで以下のように書かれていました。
昭和10年東都五大学野球連盟を東都大学野球連盟と改称すると同時に、東京商大が加盟したが農大は脱退した。欲11年の秋には再び農大が復帰した。試合の方法は日本、中央、専修、国学院をAクラスとし、農大、商大をBクラスとしたが、この方法は1年だけで終り、その後は慈恵大、文理大、工科大、東洋大、上智大など参加校の増加に伴って第1部6校、第2部5校と分け、毎シーズン末には第1部の最下位と第2部の首位と入替戦を行うようになった。
この連盟は昭和18年の春一時解散したが、昭和21年春東京六大学野球リーグ戦の開幕に先立って再びリーグ戦を行って現在にいたった。



初めの方でご紹介した『神宮球場ガイドブック』Vol1にかなり近い内容になっていますね。特に“変則二部制”を1年だけと誤って書いているので、どうやらこの『運動年鑑』1950年版が間違いのもとではないでしょうか。

ただ、読んでお分かりの通り年代がはっきり書かれているのは商大が加盟し連盟の名前を変えた昭和10年と農大が復帰した昭和11年秋だけです。
先ほどの『東都大学野球連盟七十年史』の上智大学の項で“昭和12年”という記述は“…この方法は1年だけで終り、その後は慈恵大…”の“その後”を昭和12年と読み取ったためと考えられますが、元々の『運動年鑑』の記述は慈恵大などが加盟した時期を特定していない曖昧な表現がとられていました。


では、『運動年鑑』以外の野球史の本ではどうなっているのでしょうか。

『運動年鑑』から少し時代は後になりますが、1964年発行の広瀬謙三著『日本の野球史』を見てみることにいたしましょう。


『日本の野球史』
『日本の野球史』の著者広瀬謙三氏は戦前のプロ野球公式記録員で1973年に野球殿堂入りした野球規則・記録の権威であり、『日本の野球史』も名著として現在でも復刻版が25,200円という価格で出されています。

その中の東都大学野球の項では
…昭和十年には東京商大が加盟して農大は脱退するなどのことがあり、東京五大学連盟を東都大学野球連盟と改称した。十一年秋には再び農大が復帰したが、商大、農大を二部とし他の四校は一部となった。十二年春には関西六大学の優勝校と優勝同士が試合したが中大が立命大に二勝した。十四年には慈恵大、文理大、工大、東洋大、上智大など参加チームの増加をみて一部六校、二部五校と分け、毎シーズン末には一部の最下位と二部の首位と入替試合を行うのは十一年秋以来であるが実力のあるのは専修、日本、中央の三大学であり、シーズン初めには東京六大学のチームをやぶったこともあったが、神宮大会などの晴れの舞台で名声を得ることができなかった。昭和十八年には東京六大学と同様解散したが、戦後は同様に昭和二十一年春再建した。

としています。

ここで初めて“昭和十四年”という年代が出てきました!

“…入替試合を行うのは十一年秋以来…”と変則二部制が終わった時期を『運動年鑑』と同じように誤って記しているので、この項は『運動年鑑』1950年版をベースにして書かれたもののように思われます。

ではなぜ昭和14年という年代を特定しているのでしょうか。
以下はあくまで筆者の憶測ですが、昭和14年は昭和11年秋から昭和13年春まで行われていた一部四校と二部二校の変則二部制が廃止され、六校で一つのリーグ戦となった年でありますが、“一部の校数”という点では四校→六校となった訳です。
ベースとなった『運動年鑑』1950年版が変則二部制は“1年だけで終”ったものと誤り、かつ慈恵大などが加盟した時期を特定していかったために、『日本の野球史』で変則二部制が終わり、一見すると一部四校→六校に加盟校が増えたように見える昭和14年を“…慈恵大、文理大、工大、東洋大、上智大など参加チームの増加”した年と勘違いしてしまったのではないでしょうか…。


野球史では広瀬氏以上に知られている大和球士氏の『野球百年』では
…十年に東京商科大、十一年に農大が加入し、十四年には大量校の参加をみた。
慈恵医大、文理大、工業大、東洋大、上智大
の五校の新加入があったので、リーグを一部と二部に分けた。
(『野球百年』1976年の改訂版より)


これも筆者の憶測ですが、この『野球百年』は『日本の野球史』を踏まえて書かれたものかと思います。


以上、長々とあれこれ書きましたが、あらためてまとめると

東都大学野球に東洋大、慈恵大など五校が加盟し二部を形成したのは昭和21年秋
               ↓
それは各校の部史などから裏づけられる
               ↓
にもかかわらず“昭和14年説”が出てきたのは
               ↓
『運動年鑑』1950年版が“変則二部制”廃止の時期を誤って記述した
               ↓
加盟校の増加した時期は年代を特定せずあいまいに記述をしていた
               ↓
その為『運動年鑑』をベースにして書かれた『日本の野球史』が“変則二部制”が終わった昭和14年を加盟校増加=一部六校・二部五校の年としてしまった
               ↓
その後『野球百年』などもその説を採用した
               ↓
広瀬謙三氏、大和球士氏といった野球史では権威ある著者の説であるため“昭和14年説”が定説化していった


という流れだったのではないかという事であります。
(くどいようですがあくまで筆者の憶測であります)



以前は連盟の旧HPにも『神宮球場ガイドブック』Vol1と同じ沿革が載っていましたが、新HPでは昭和10年に名称を変更した後“加盟校は引き続き増加し”とあるだけですし、『神宮球場ガイドブック』も現在では東都の沿革を載せていません。おそらく東都に関する資料自体が少ないので、“昭和14年説”はどうやら違うようだけどかと言って完全否定する材料も乏しいといったところなのでしょうか。

まだまだ埋もれている文献などもあろうかと思いますので、引き続き調べていきたいとは思うのでありますが・・・。


『運動年鑑』1950年版
画像


*平成29年10月19日追記
商大の加盟が決定した昭和10年2月の讀賣新聞には下記のような記事が掲載されています。
五大學リーグ
「東都」と改稱

商大加盟 門戸開放

五大學野球聯盟では十二日午後六時から京橋明治屋ビル中央亭に理事會開催、各校部長、主将、マネージャー十八名出席、昨年十一月中旬當番校専修大學宛にリーグ加盟を申し込んで來た東京商科大學の加入に關しては𦾔■(判読できず)來數次に亙る理事會を重ねた結果五大學リーグ創立當初のスローガンたる學生野球の向上を圖ると云ふ立場から欣然その加盟を承認し又將來も加盟を希望し來る大學専門校に對してもその門戸を開放し加盟を歓迎する事を申し合せ商大加盟により名稱を東都大學野球聯盟と改稱し直ちに文部省に申請し許可を仰ぐこととなった。
(『読売新聞』昭和十年二月十三日付朝刊)


更に、翌昭和11年の東京朝日新聞には
六大学との聯携
 促進を決議

意氣込む五大學聯盟

東京五大學野球聯盟では豫てより同聯盟の更生策を講じ、先進六大學聯盟との提携を熱心に希望しつつあったが五日夜山水樓における同聯盟理事會の結果文部省體育課宛に六大學聯盟に對し積極的に働きかけ合同の機運を促進することを決議したので近日中に開催される六大學野球聯盟では本問題に就き相當論議されるものと見られてゐる。なほ五大學聯盟側の希望するところのものは
一、六大學側前シーズン最下位チームと五大學側優勝チームとの對戦
一、五大學聯盟の六大學聯盟加盟

(『東京朝日新聞』昭和十一年五月六日付朝刊)

とあります。

商大の加盟については、承認された後に中大が一転して反対を表明し、それが農大の一時脱退へと繋がるのですが、この事については折を見て稿を改めて書いてみたいと思います。

いずれにせよ、商大加盟ー農大脱退―再加盟といった動きと“門戸開放”宣言なども、その後の記録(or記憶)が混乱する遠因となったのかもしれません。
(昭和11年にはすでに東都に改称されているのに、上記の東京朝日はまだ五大學と表記している辺りにも、東都への関心の低さが表れているように思います)


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東洋大学野球部:これまでの「優勝をかけた直接対決」

2017-10-15 10:05:00 | インポート
今季(平成29年秋)の東都大学野球は勝点3同士の東洋大と亜細亜大が最終週に直接対戦し、勝点を挙げた方が優勝ということになりました。

そこで、東洋大学の過去の“優勝をかけた直接対決”のケースを拾いだしてみました。


①勝点を挙げた方が優勝のケース
●昭和49年春:対駒澤大
東洋大6勝2敗1分・勝点3 駒澤大7勝2敗1分・勝点3

5/28 駒沢大一回戦 神宮
駒澤大100 002 010  4
東洋大200 000 000  2
(駒)山本泰1回4安2責・〇水谷8回7安0責ー大宮
(東)●松沼博9回4安2責ー田中正
三塁打:宇野(駒) 
*2-1とリードするも六回表、3四死球で一死満塁から駒大・中畑の三ゴロ野選で同点。武智の中犠飛で勝ち越し許す。

5/29 駒沢大二回戦 神宮
東洋大000 000 320 0  5
駒澤大000 201 200 1x  6
(東)松沼博6 2/3回8安5責・●市村2 1/3回3安1責ー田中正
(駒)山本泰6 2/3回6安3責・水谷2回3安2責・〇川手1 1/3回1安0責ー大宮
三塁打:武智・平田(駒) 二塁打:宇野・中畑(駒)草野・田中正・松沼博・戸川(東)
*八回二死満塁から増永のタイムリーで同点に追いつく。十回表一死満塁で市村が二ゴロ併殺に倒れると、その裏駒大・平田、中畑の連打で二、三塁。満塁策をとるも武智が一二塁間を破りサヨナラ負けで初優勝を逃す。
駒澤大が七回目の優勝(初の連覇)

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○昭和53年秋:対専修大
東洋大6勝3敗1分勝点3 専修大7勝2敗1分勝点3

10/24専修大一回戦 神宮
専修大000 110 000  2
東洋大000 030 02X  5
(専)●堀田8回7安5責ー中尾
(東)○松沼雅9回11安2責ー田鎖
本塁打:湯浅(東) 三塁打:石崎(東) 二塁打:漆原・加藤健(専)
捕逸:1(専)
*五回裏、二死一三塁で湯浅が二塁手の頭を超える同点打。更に石崎の三塁打で勝ち越し。八回には湯浅の本塁打でだめ押し。

10/25専修大二回戦 神宮
東洋大102 201 100  7
専修大001 100 301  6
(東)○山村6 2/3回6安2責・松沼雅2 1/3回3安1責ー田鎖
(専)●山沖3 1/3回3安4責・堀田5 2/3回8安3責ー中尾
本塁打:小山(専) 二塁打:笠原・西川・北川(専)松本(東)
*初回、藤田明彦のタイムリーで先制、序盤で専大・山沖を攻略。中盤以降追い上げられる、九回二本のツーベースで一点差まで詰め寄られるも救援・松沼雅が専大・漆畑を遊ゴロに打ち取りゲームセット。
東洋大が二回目の優勝

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○昭和57年春:対駒澤大
東洋大8勝2敗・勝点4 駒澤大8戦全勝勝点4

5/18 駒澤大一回戦 神宮
駒澤大000 100 001  2
東洋大000 201 10X  4
(駒)鍋島3回2安1責・●助川0/3回0安0責・岡田3回3安1責・近藤満2回2安1責ー吉村
(東)○仁村徹9回8安2責ー杉本泰
本塁打:大西(東) 三塁打:中村(駒) 二塁打:広瀬・伊東(駒)岩野(東)
ボーク:1(東)
*四回表、連続二塁打で駒大が先制。その裏、先頭打者大野久が三遊間安打で出塁、駒大が鍋島から助川にスイッチするも東洋・岩野にストレートの四球を与え、さらに助川から岡田に変えると東洋・大西が初球エンドランを決め同点。その後敵失で満塁とすると角田の犠牲フライで勝ち越し。仁村徹は8安打浴びるも完投で優勝に王手。
観衆1万八千人。

5/19 駒澤大二回戦 神宮 .....
東洋大010 000 000  1
駒澤大000 000 000  0
(東)○野崎6 2/3回1安0責・仁村徹2 1/3回1安0責ー杉本泰
(駒)●近藤満6回3安1責・鍋島2回0安0責・助川1回1安0責ー吉村
二塁打:大野(東)
ボーク:1(東)
*二回、先頭の東洋・岩野が中前打で出塁するとバントで二進。山口がヒットエンドランを決めて岩野が生還。
野崎―仁村兄の完封リレーで春季初優勝。
観衆二万四千人。
東洋大が三回目の優勝(初の完全優勝)

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●平成5年秋:対駒澤大
東洋大7勝2敗勝点3 駒澤大9勝4敗勝点4
(東洋大は最終週対青学大戦を残していたが、勝率の関係で未消化の対駒沢大三回戦の勝者が優勝)

10/22駒澤大三回戦 神宮
東洋大101 020 000  4
駒澤大010 003 001x  5
(東)和田友5 2/3回3安1責・関口2/3回1安0責・●銭場2回2安1責・恩田0/3回1安0責ー西川
(駒)河原6回5安3責・〇宮本2 1/3回0安0責・高木2/3回0安0責ー浜岡・岩崎
本塁打:早川浩(駒)川中(東) 三塁打:西岡(東) 二塁打:清水隆(東)早川浩(駒)
暴投:1(駒)
*序盤、4-1とリードするも六回守備の乱れをきっかけに追いつかれ、九回裏一死一、三塁で一度はスクイズを外すも三塁走者を生かしてしまい、高木浩之に右前サヨナラ打を浴び優勝を逃す。
駒澤大が二十三回目の優勝

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●平成6年春:対駒澤大
東洋大6勝2敗勝点3 駒澤大8勝2敗勝点4
(勝率の関係で最終週の直接対決で勝点を挙げた方が優勝となった)

5/24 駒澤大一回戦 神宮 打 安 点 振 球 儀 併 残 盗 失
駒澤大 000 000 130  4 27 5 3 8 7 2 0 5 0 0
東洋大 000 000 000  0 30 5 0 4 0 1 1 4 0 1
(駒)○河原9回5安0責ー浜岡
(東)●和田友7 2/3回4安3責・岡崎0/3回1安0責・銭場1/3回0安0責・佐藤1回0安0責ー岡本・小口
本塁打:大橋(駒) 二塁打:川原
捕逸:1(東)
*七回二死から和田友貴彦が大橋に本塁打を浴びる。

5/25 駒澤大二回戦 神宮
東洋大 020 001 030  6
駒澤大 000 000 003  3
(東)○岡崎8回8安2責・銭場1回1安0責ー岡本
(駒)●宮本5 2/3回5安3責・大西1 1/3回1安2責・高橋1/3回0安1責・安井2/3回1安0責・ランドル1回1安0責ー浜岡
三塁打:今岡(東) 二塁打:井上大・岡本・今岡(東)
*二回、岡本の二塁打で先制。六回は今岡の二塁打で加点、八回も無死三塁から今岡が三塁打。

5/26 駒澤大三回戦 神宮
駒澤大000 112 001  5
東洋大102 000 000  3
(駒)○河原9回9安0責ー浜岡
(東)倉3 2/3回2安1責・塩崎2/3回1安1責・●和田友1回1安2責・銭場1 2/3回0安0責・岡崎1 2/3回1安1責・佐藤1/3回1安0責ー岡本・杉本
三塁打:白井(駒) 二塁打:古俣・古川(駒)
暴投:3(東)
*駒大が五回一死二塁で二度の暴投で1点差に迫ると、六回は3四死球で満塁とし古川の左前安打で逆転した。
駒澤大が二十四回目の優勝

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○平成7年春:対青学大
東洋大8勝1敗1分勝点4 青学大8勝2敗1分勝点4

5/23 青学大一回戦 神宮
青学大100 000 000  1
東洋大000 300 10X  4
(青)●倉野8回7安1責ー清水
(東)○塩崎9回7安1責ー岡本
三塁打:松岡(青) 二塁打:古川(東)白土(青)
*東洋大が四回、小山の適時打と敵失で逆転、塩崎が完投で優勝に王手。

5/24 青学大二回戦 神宮
東洋大001 000 000  1
青学大000 201 01X  4
(東)●倉3 2/3回2安2責・佐藤3 2/3回2安1責・和田友2/3回1安1責ー岡本・小林
(青)○沢崎5 2/3回8安1責・倉野3 1/3回2安0責ー清水
本塁打:今岡(東)井口(青) 二塁打:清水2(青)
*青学大が四回、村田のスクイズで同点とし、さらに二死三塁から、東がセーフティーバントを決め勝ち越し。

5/25 青学大三回戦 神宮
青学大000 014 010 00  6
東洋大000 310 200 01x  7
(青)倉野6 1/3回13安5責・●沢崎4 1/3回2安1責ー清水
(東)塩崎5 2/3回6安5責・倉1 2/3回1安1責・〇佐藤3 2/3回2安0責ー岡本・小林
本塁打:井口(青) 二塁打:清水・坪井(青)
捕逸:1(東)

*東洋大が延長十一回裏、二死満塁とし、池葉が四球を選びサヨナラ勝ち。
東洋大が八回目の優勝

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●平成11年春:対青学大
東洋大6勝2敗勝点3 青学大7勝3敗2分勝点3

5/18 青学大一回戦 神宮
青学大000 200 000  2
東洋大010 000 000  1
(青)○石川9回7安1責ー小坂
(東)●鈴木功9回4安2責ー飯田
本塁打:鎌田(東)渡辺(青) 二塁打:桜井
*四回、青学が渡邉のツーランで逆転。

5/20 青学大二回戦 神宮
東洋大000 000 000  0
青学大200 000 10X  3
(東)●鈴木功6 1/3回6安2責・長谷川1 2/3回0安0責ー飯田
(青)○石川9回2安0責ー小坂
二塁打:荒金(青)
*青学が初回、荒金のタイムリー、志田の犠飛で先制。石川雅規が東洋を2安打完封。
青学大が七回目の優勝

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○平成12年秋:対駒澤大
東洋大7勝4敗1分勝点3 駒澤大7勝2敗勝点3

10/18駒澤大一回戦 神宮
駒澤大100 000 000  1
東洋大000 020 00X  2
(駒)●武田8回4安2責ー前田
(東)○三浦貴9回1安1責ー小川
二塁打:岩舘(東)
暴投:1(東)
*初回に先制許すも五回に岩舘の2点適時打で逆転。三浦貴が1安打完投。

10/19駒澤大二回戦 神宮
東洋大050 000 221  10
駒澤大000 120 010  4
(東)○三浦貴9回6安2責ー小川
(駒)●三東1 2/3回2安1責・藤原3 2/3回4安0責・三次1回1安1責・武田1/3回1安1責・片岡1/3回1安0責・高橋秀1/3回1安2責・田中敏1 2/3回2安1責ー前田・寺内・石丸
二塁打:佐藤秀(東)末永(駒)
暴投:2(駒)
*二回、小川、岩舘の適時打などで5点を先取。連投の三浦貴が完投勝利。
東洋大が九回目の優勝

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○平成20年秋:対亜細亜大
東洋大7勝2敗勝点3 亜細亜大8勝2敗勝点3

10/29亜大一回戦 神宮
東洋大000 000 000  0
亜 大100 011 10X  4
(東)●藤岡3 0/3回4安1責・鹿沼3回2安1責・乾1 2/3回0安0責ー大野
(亜)○岩見9回3安0責ー藤本
二塁打:松永(東)中田・岩本2(亜)
暴投:1(東)
*初回、亜大が中田のタイムリーで先制するとその後も加点。岩見が完封で亜大が優勝に王手。

10/30亜大二回戦 神宮
亜 大000 100 000  1
東洋大010 001 00X  2
(亜)緑間1 2/3回3安1責・金村2/3回4安0責・●大山3 1/3回3安0責・北原2 1/3回0安0責ー藤本
(東)○上野大9回7安1責ー大野
本塁打:中倉(東) 二塁打:松永・大野(東)岩本・工藤崇(亜)
暴投:2(亜)
*1-1の六回、東洋・柘植がエラーで出塁し、瀧本のタイムリーで生還し決勝点を挙げる。

10/31亜大三回戦 神宮
東洋大 001 020 100  4
亜 大 000 000 000  0
(東)○上野大9回7安0責ー大野
(亜)●岩見6 1/3回6安4責・北原2 2/3回2安0責ー藤本 本塁打:松永・林崎(東) 二塁打:小野・引本(亜)松永・瀧本(東)
*三回、東洋・松永のタイムリーで先制。その後松永のツーラン、林崎のソロで加点し、上野大樹が亜大打線を完封。
東洋大が十三回目の優勝

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?平成29年秋:対亜細亜大
東洋大7勝4敗勝点3 亜細亜大6勝3敗勝点3


昭和 49 春 東洋大 0 ― 2 駒澤大
昭和 53 秋 東洋大 2 ― 0 専修大
昭和 57 春 東洋大 2 ― 0 駒澤大
平成 5 秋 東洋大 0 ― 1 駒澤大
平成 6 春 東洋大 1 ― 2 駒澤大
平成 7 春 東洋大 2 ― 1 青学大
平成 11 春 東洋大 0 ― 2 青学大
平成 12 秋 東洋大 2 ― 0 駒澤大
平成 20 秋 東洋大 2 ― 1 亜細亜大
平成 29 秋 東洋大 亜細亜大



②条件付きで双方に優勝がかかったケース

●平成17年春:対青学大(亜大の出場辞退で五校による変則リーグ)
東洋大6勝1敗勝点3 青学大4勝0敗勝点2
(青学大は最終週・対中央大戦を残していたが、勝率の関係で東洋大は勝点を挙げれば優勝、青学大は連勝で勝点を挙げれば優勝)

5/17 青学大一回戦
青学大002 000 020  4
東洋大100 000 000  1
(青)○高市9回4安1責ー田仲
(東)●大場7 1/3回8安4責・畑山2/3回0安0責・上野大1回0安0責ー田中大
本塁打:大崎(青) 三塁打:中倉(東)
捕逸:1(東)
*初回に中倉のタイムリー三塁打で先制するも、三回に大場が青学大・大崎に逆転ツーランを浴びる。

5/18 青学大二回戦 神宮
東洋大000 000 000  0
青学大100 000 00X  1
(東)●永井7 1/3回4安1責・大場2/3回0安0責ー田中大
(青)○高市9回4安0責ー田仲
本塁打:小窪(青)
*初回に永井が二番・小窪に打たれたソロ本塁打が決勝打となる。打線は連投の青学・高市に散発4安打12三振喫す。
青学大が十回目の優勝

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●平成17年秋:対青学大
東洋大7勝3敗勝点3 青学大8勝2敗勝点4
(東洋大は連勝で優勝、2勝1敗でプレーオフ、青学大は勝点を挙げれば優勝)

10/25青学大一回戦 神宮
青学大000 000 001 002  3
東洋大000 010 000 000  1
(青)○高市12回4安1責ー田仲
(東)大場9 1/3回6安1責・●永井2回2安2責・田口1/3回1安0責・畑山1/3回0安0責ー田中大・赤坂
本塁打:横川(青) 三塁打:手塚(東) 二塁打:手塚(東)
暴投:1(東)
*一点リードの九回一死から大場が横川に同点弾を浴びる。青学・高市は12回完投し投球数190球・被安打4・16奪三振。

10/27青学大二回戦 神宮
東洋大111 000 001  4
青学大000 300 50X  8
(東)●大場6 1/3回6安7責・田口1/3回1安1責・永井1/3回1安0責・藤田1回1安0責ー田中大
(青)○高市9回8安4責ー田仲
本塁打:円谷(青) 三塁打:田中大 二塁打:上岡(東)佐藤(青)
*序盤に小刻みに加点するも、四回3四球で満塁、青学・佐藤に同点タイムリーを浴び、七回青学・村山のタイムリーと円谷のスリーランで勝敗決す。
青学大が十一回目の優勝

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○平成20年春:対亜細亜大
東洋大8勝1敗勝点4 亜細亜大7勝3敗勝点3 
(東洋大は1勝で優勝、亜細亜大は連勝で勝点のみ優勝)

5/28 亜大一回戦 神宮
東洋大000 000 004  4
亜 大000 000 100  1
(東)乾6 1/3回5安1責・鹿沼1回1安0責・○内山1 2/3回0安0責ー大野
(亜)●岩見8 1/3回4安4責・北原1/3回0安0責ー藤本
本塁打:十九浦・大野(東) 二塁打:岩本(亜)松永(東)
*七回裏に亜大が工藤(崇)のスクイズで先制。東洋は九回、都築が四球(代走・伊藤)、松永のタイムリーで追いつくと続く十九浦がツーラン、更に大野奨太のソロ本塁打でだめ押し。
東洋大が十二回目の優勝

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