猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

東洋大学野球部の歴史-戦後編②昭和31(1956)年

2008-07-24 21:39:00 | インポート
昭和31年の出来事  
 1月:第32回箱根駅伝9位
 4月:法学部、文学部2部開設。
 7月:全国学生哲学会、第2回全国大会の3日目を東洋大学で開催
11月:ローバースカウト隊、児童研究会内に発足(昭和36年に独立)

昭和31年(1956)春 二部6位
① 対国学院 0勝2敗 ................. ② 対芝工大 0勝2敗

1回戦 4月21日 於・成蹊大 1回戦 4月29日 於・青学
東洋大 000 000 410 5 芝工大 100 000 100 2 4
国学院 403 100 01X 9 東洋大 000 000 101 0 2
東洋:金野・大竹ー後藤 芝工:長岐ー新玉
国学:佐原・渡辺・三東ー上田 東洋:工藤ー後藤


2回戦 4月22日 於・成蹊大 2回戦 4月30日
国学院 001 200 020 5 東洋大 000 000 000 0
東洋大 000 200 010 3 芝工大 201 000 01X 4
国学:斉藤・三東ー上田 東洋:崎元・大竹ー後藤
東洋:崎元ー後藤 芝工:藤田ー新玉



③ 対成蹊大 2勝0敗 ④ 対青学大 1勝2敗1分

1回戦 5月12日 於・青学 1回戦 5月20日 於・青学
東洋大 010 000 031 5 青学大 000 000 001 1
成蹊大 000 000 000 0 東洋大 000 020 00X 2
東洋:崎元ー後藤 (上記以外不詳)
成蹊:佐藤ー多辺田


2回戦 5月13日 於・青学 2回戦 5月21日 於・青学
成蹊大 100 010 200 4 東洋大 000 010 000 000 1
東洋大 000 100 22X 5 青学大 000 010 000 000 1
(上記以外不詳) (上記以外不詳)



3回戦 5月22日 於・青学
東洋大 000 000 000 0
青学大 001 000 00X 1
東洋:崎元-後藤
青学:磯田-細谷


4回戦 5月23日 於・青学
東洋大 000 100 101 3
青学大 000 000 004x 4
(上記以外不詳)


⑤ 対明学大 0勝2敗 入替戦 対一橋大 2勝0敗

1回戦 5月27日 於・青学 1回戦
明学大 011 000 100  3 東洋大 320 302 000 10
東洋大 000 200 000  2 一橋大 003 011 000  5
明学:白井-秋山 東洋:妹尾・崎元-後藤
東洋:崎元・妹尾-後藤 一橋:島野・中込-小山


2回戦 5月28日 於・青学 2回戦
東洋大 000 000 020  2 一橋大 000 000 000  0
明学大 305 000 00X  8 東洋大 000 111 100  4 
東洋:大竹・崎元・妹尾-後藤 一橋:島野-小山
明学:白井-秋山 東洋:金野・妹尾-後藤
二部残留


昭和31年春:二部順位表
勝点
芝工大 8勝 4敗 4
明学大 7勝 4敗 3
青学大 7勝 6敗 1分 3
国学院 5勝 6敗 2
成蹊大 5勝 7敗 2
東洋大 3勝 8敗 1分 1


昭和31年(1956)秋 二部6位


①対青学大 0勝2敗 .............. ② 対国学院 0勝2敗

1回戦 9月8日 於・成蹊大 1回戦 9月18日 於・成蹊大
青学大 000 114 110 8 国学院 007 001 000 8
東洋大 030 000 000 3 東洋大 000 001 002 3
(上記以外不詳) 国学:荻野・中村-上田
東洋:妹尾・崎元-後藤


2回戦 9月9日 於・成蹊大 2回戦 9月19日 於・成蹊大
東洋大 010 000 000 1 東洋大 012 000 011 5
青学大 200 000 01X 2 国学院 000 500 01X 6
(上記以外不詳) 東洋:妹尾-後藤
国学:渡辺・小沢-玉置・上田


③対芝工大 2勝1敗1分 ④ 対明学大 1勝2敗

1回戦 9月29日 於・青学 1回戦 10月6日 於・成蹊大
芝工大 000 110 000 2 明学大 000 000 010 1
東洋大 002 001 00X 3 東洋大 100 000 11X 3
(上記以外不詳) (上記以外不詳)



2回戦 9月30日 2回戦 10月7日 於・成蹊大
東洋大 000 100 000 000 00 1 東洋大 000 101 300 5
芝工大 000 000 100 000 00 1 明学大 020 130 04X 10
(上記以外不詳) 日没引分 (上記以外不詳)



3回戦 10月25日 於・青学 3回戦 10月8日 於・成蹊大
東洋大 100 000 000 1 明学大 100 023 6
芝工大 000 000 40X 4 東洋大 002 101 4
東洋:妹尾-後藤 (上記以外不詳) 日没コールド
芝工:長岐-新谷
本塁打・小野寺(芝)

4回戦 10月26日 於・青学
芝工大 101 000 200 00 4
東洋大 000 010 021 01x 5
芝工:勝又・長岐-新谷・鈴木
東洋:金野・崎元・妹尾-後藤


⑤ 対成蹊大 2勝1敗

1回戦 10月20日 於・青学 最下位決定戦 11月1日 於・青学
成蹊大 000 000 001 1 明学大4-0東洋大
東洋大 011 000 00X 2
成蹊:佐藤-多辺田 (上記以外不詳)
東洋:崎元-後藤

入替戦 対教育大 2勝1敗
2回戦 10月21日 於・青学 1回戦
東洋大 011 010 020 5 東洋大 000 010 000 1
成蹊大 051 000 00X 6 教育大 000 000 011x 2
東洋:金野・妹尾-後藤 東洋:崎元・妹尾-後藤
成蹊:佐藤-多辺田 教育:石川-三村


3回戦 10月22日 於・青学 2回戦
成蹊大 000 100 000 1 教育大 000 100 000 1
東洋大 200 001 00X 3 東洋大 321 101 10X 9
(上記以外不詳) 教育:野島・前田-三村
東洋:妹尾-後藤


3回戦
東洋大 000 100 003 4
教育大 000 000 100 1
東洋:妹尾・崎元-後藤
教育:長谷川-三村
二部残留



昭和31年秋:二部順位表
勝点
青学大 9勝 3敗 1分 4
国学院 7勝 6敗 2分 3
芝工大 7勝 7敗 2分 2
成蹊大 6勝 7敗 3分 2
明学大 5勝 8敗 1分 2
東洋大 5勝 8敗 1分 2


*各年度の試合結果は
 こちらから
↓  ↓  ↓
「熱球譜」:戦前・戦後の歴史のうちスコア中心の記事
「全試合結果」 : 戦前から現在までの試合結果(「熱球譜」完成までの繋ぎ版)


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東洋大学野球部の歴史-戦後編①昭和21年~昭和30年

2008-07-18 21:51:00 | インポート
戦争が終わった翌年の昭和二十一年には東京六大学、東都大学リーグとも復活しているが、リーグ戦が始まる前の新聞に以下のような記事があった。

学生両リーグ合流か
六大学と東都五大学(ママ)の二つのリーグに分かれていた学生野球を再出発にあたって、これを一つにしようと東都五大学側から提案され、二十七日午後日本大学に両リーグ関係者二十余名の会合が開かれた。この日参集の六大学側(早大・東大・立大)もこの提案に賛意を表し、近く開かれる六大学マネージャー会議にこの問題を提案する事となった。(『朝日新聞』昭和二十一年三月二十九日付朝刊)


この記事の続報はなく、四月十日には野球統制令が廃止され六大学リーグは五月十九日、東都リーグは六月一日から一回戦制で行われている。出席していなかった六大学側の三校が反対したのであろうか。

この年から昭和二十五年までの東都大学野球の試合結果は完全には残されていないようで、『東都大学野球七十年史』でもこの期間は判明している試合結果のみ掲載されている。
この頃は新聞各紙とも用紙が配給制の為朝刊のみ二ページ仕立で発行されており、当時の世相からいっても学生野球に割ける紙面は限られているのだが、新聞及び『東都大学七十年史』から東洋大の試合予定及び試合結果を中心に東都大学野球関連の出来事を以下に書き出してみる。

昭和21年
9月15日(朝日新聞・今日の運動欄:以下今日の運動は全て朝日新聞)
東洋大対慈恵大 上智大対工大(0時下高井戸)

9月21日
工  大9-8東洋大(二部) 於・日大

9月22日(今日の運動)
東洋大対工大 上智大対文理大(0時下高井戸)

9月26日(朝日新聞朝刊記事)
東都大学野球球場変更
秋季リーグ戦は大宮、下高井戸両球場を使用していたが、来る二十八日の試合から一部は上井草、二部は東大球場を使用する。

9月29日(今日の運動)
上智大対東洋大 文理大対慈恵大(0時東大)

10月5日(今日の運動)
慈恵大対工大 文理大対東洋大

10月13日(今日の運動)
工大対文理大 上智大対慈恵大

10月17日(今日の運動)
東都大学一部選抜対二部選抜(9時神宮)

全二部6-4全一部

10月19日(朝日新聞朝刊記事)
東都大学リーグ今季成績
一部①中大6勝1敗1分②日大6勝2敗③専大5勝2敗1分④農大2勝6敗⑤商大全敗
二部①慈恵大7勝2敗②東洋大6勝3敗③文理大・工大3勝5敗④上智大2勝6敗


昭和22年
3月19日(朝日新聞朝刊記事)
東都大学野球 来月十二日に開幕
東都大学野球春季リーグ戦は一部、二部とも来る四月十二日から二回戦総当たりで開幕する。一部は上井草球場で行うが上位チームの中大、日大、専大戦はプロ野球のない日を選んで後楽園球場を使用する予定。二部は下高井戸日大球場と決定。一部は専大、中大、日大、農大、商大、慈恵大の六チーム、二部は国大、東洋大、文理大、工大、上智大の五チームである。

5月3日(今日の運動)
国大対上智大 工大対文理大(0時30分下高井戸)

5月4日(今日の運動)
工大対文理大 国大対上智大(0時30分下高井戸)

5月17日(今日の運動)
文理大対国大 東洋大対工大(0時30分下高井戸)

5月18日(今日の運動)
文理大対国大 東洋大対工大(0時30分下高井戸)

6月11日(今日の運動)
日大対専大 商大対文理大一部二部入替試合(1時明大)

6月13日(今日の運動)

日大対専大 商大対文理大一部二部入替試合(12時明大)

9月27日
東洋大5-5工大

9月28日(今日の運動)
商大対上智大 工大対東洋大 0時工大

10月4日(今日の運動)
商大対東洋大 工大対国大 0時大岡山

10月5日(今日の運動)
国大対工大 商大対東洋大 0時工大

10月11日(今日の運動)
商大対工大 国大対上智大 0時工大

10月25日(今日の運動)
工大対上智大 国大対東洋大 0時工大

10月26日
国学院10-8東洋大(二部) 工大○不戦勝●上智大

10月27日
国学院4-3東洋大 工大○棄権●上智大

11月4日
工大○棄権●慈恵大 東都大学一部二部入替戦

昭和23年
10月30日
国学院(二部)4-1文理大(一部) 東都大学一部二部入替戦
この結果国學院が一部に入った。

昭和24年
6月2日
国学院5-4駒澤大 東都大学一部二部入替戦 於・吉祥寺

11月4日
工大8-6国学院 国学院16-1工大 東都大学一部二部入替戦一、二回戦 於・中大

11月7日 東都大学一部二部入替戦 於・吉祥寺
工  大506 200 000  13
国学院022 032 010  10

(『東都大学野球70年史』では入替戦に関しても昭和24年11月7日の工大対国学院戦しか掲載されてないので、他校の結果なども併せて記しておきました。
尚、同書によると昭和26年秋の時点での加盟校は以下のようになっています。)

一部:専大・日大・駒大・農大・中大・国学院
二部:学習院・青学大・一橋大(旧商大)・成蹊大・東工大・上智大
三部:芝工大・東洋大・大正大・明学大・武工大・教育大(旧文理大)


昭和27年秋:二部・三部入替戦
日時不明:一回戦
一橋大000 343 102  13
東洋大200 000 005  7
(一)錦部-深沢
(東)野中-飯野

11月10日:二回戦
東洋大300 010 000  4
一橋大000 000 203x  5
(東洋大二敗:三部残留)

昭和二十九年春:二部・三部入替戦
6月8日:一回戦
東工大520 000 552  19
東洋大100 000 130  5
(工)君島-桑田
(東)野中・伊藤-野崎・高柳

6月9日:二回戦
東洋大032 030 000  8
東工大000 000 000  0
(東)野中-野崎
(工)君島・吉田・田中-桑田

6月10日:三回戦
東工大000 000 000  0
東洋大100 012 00X  4
(工)田中-桑田
(東)野中-野崎
東工33
   失策
東洋30
二塁打:倉田・深沢(洋)桑田(工)
(東洋大二勝一敗:二部昇格)
東都大学野球後記
東都大学野球リーグは一部、二部、三部よりなり各部六校で十八校により組織されている。春期リーグ戦の結果は既報のように一部は専修、二部は芝浦工大、三部は東洋大がそれぞれ優勝した。ここで興味を呼ぶのは各部入替戦(三回戦)が行われることで、一部の最下位校と二部の優勝校、二部の最下位校と三部の優勝校が対戦する。これが八、九、十の三日間行われ、一部の農大は芝工大に決勝戦で勝ち現状維持、二部の東京工大は三部の東洋大に決勝で敗れ三部に転落、東洋大が一階級上がった。・・・中略・・・二部に昇格した東洋大は三部のリーグ戦で、九勝二敗の好成績で優勝に導いた野中投手(若松商工)の活躍と首位打者倉田遊撃手(平商工、三割七分四厘)の健棒によるものであった。三分に落ちた東京工大はリーグ戦にわずか三勝したのみで勝点がなく、投、打ともに貧弱でいたし方ない。
一部昇進を逸した芝工大は一応まとまったチームではあるが、たよるは投手力で、攻撃力が乏しい。チーム打率も青山学大の二割三分六厘が一位で、芝工大は三位で一割九分四厘にすぎない。このように二部は全般的に低率で、一部への食い込みは、現在一部の投手陣と対比してははなはだむずかしい。
また二部の個人打撃成績一位八亀(兄)(成蹊)三割九分六厘、二位大野(国学大)三割三分三厘、三位浅田(青山大)三割四厘で三割打者はわずかに三人、十位が堀田(成蹊)二割五分五厘である。こんな状態だからこの秋から二部リーグに加わる東洋大は小粒ながらBクラスでは同等の試合が出来そうだ。(『讀賣新聞』昭和二十九年六月十一日付朝刊)


昭和29年秋:二部リーグ
9月19日
東洋大 3- 1国学院

9月20日
東洋大100 000 000  1
国学院700 010 00X  8
(東)久保井・野崎・野中-鈴木
(国)小沢-島井

10月9日
東洋大 9- 8芝工大

10月10日
芝工大10x- 6東洋大

10月13日
成蹊大100 241 309  20
東洋大000 010 011  3
(成)佐藤・八亀-多辺田・有沢
(東)野中・伊藤-鈴木

10月17日
青学大 4- 2東洋大

10月30日
東洋大 6- 3明学大

0月31日
明学大 4- 4東洋大

11月2日
明学大 8- 3東洋大

(他の結果は不明)

1位青学大10勝0敗2分
2位芝工大9勝3敗1分
3位国学院7勝6敗
4位成蹊大6勝6敗
5位明学大2勝9敗2分
6位東洋大3勝10敗1分
首位打者:堀内(青学大)55打数19安打 .345

二部・三部入替戦

日時不明:一回戦
東洋大000 000 010  1
東教大010 000 20X  3
(洋)野中-鈴木
(教)坂井-三村

日時不明:二回戦
東教大010 000 000  1
東洋大000 032 01X  6
(教)福原・渡辺-三村
(洋)野中-鈴木

日時不明:三回戦
東洋大313 001 000  8
東教大001 000 500  6
(洋)野中-鈴木
(教)渡辺・坂井-三村
(東洋大2勝1敗:二部残留)


昭和30年春:二部リーグ

(試合結果は不明。4月17・24日の「今日の運動」欄に試合告知あり。)
1位:国学院
6位:明学大

昭和30年秋:二部リーグ

9月10日:於・青学大G
国学院000 004 000  4
東洋大000 000 010  1

9月11日:於・青学大G
東洋大 6- 4国学院

9月12日:於・青学大G
国学院010 000 000  1
東洋大220 000 00X  4
(国)田中・中村・小沢-大野
(東)野中-武田

9月20日:於・成蹊大G
成蹊大000 020 010  3
東洋大014 000 00X  5

10月25日於・成蹊大G
芝工大200 200 000  4
東洋大000 000 001  1

11月5日:於・青学大G
明学大 2- 1東洋大

(上記以外は不明)


1位芝工大10勝2敗1分
2位青学大8勝4敗1分
3位明学大5勝7敗1分
4位東洋大5勝8敗
5位成蹊大4勝8敗2分
6位国学院5勝8敗1分
首位打者:佐藤博巳(国学院)54打数18安打 .333


参 考
戦時中、東洋大学の校舎も昭和二十年四月十四日の空襲で講堂と当時の三号館以外は焼失してしまう。昭和二十二年の朝日新聞には次のような記事が見られる。
東洋大学 埼玉県へ
川越発)戦災を受けた東洋大学は今度埼玉県入間郡福岡村元海軍川越製造所跡(十六万坪)に移転することになり、26日●下申請を行った。
移転すれば現在の文学部のほかに宗教学、法政学、経済学、農学、の四学部を新設し、さらに高等学校、中等学校、初等学校も含んだ総合学園にする計画だという。(●部分判読できず。『朝日新聞』昭和二十二年八月二十七日付朝刊)

この計画は実現せずに終わってしまったが、戦災復興には資金面や校地の問題などで様々な苦労があったようである。このことは別の機会にまとめてみたいと思う。


*各年度の試合結果は
 こちらから
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番外編:中等野球にもあった「東京」vs「東都」

2008-07-12 09:51:00 | インポート
一昨日(7月10日)高校野球西兵庫大会で東洋大姫路が初戦で敗退してしまった。プロ注目の佐藤投手を擁して選抜でもベスト4まで勝ち進み、“夏こそは”、の期待も大きかっただけに残念である。

ところで、10日の各地の予選の結果を見ていて、東洋大に縁のある高校が三校敗退していることに気がついた。

西兵庫大会
北  条 4-0東洋大姫路

東東京
学習院29-0京北白山

青森
鶴  田 7-3南部工


東洋大姫路は昭和三十六年に姫路市が私立高校を誘致しているのを受けて東洋大学校友会姫路支部が大学へ建議書を提出し、翌年大学理事会で設置が決まり昭和三十八年の開校した。播磨工業地帯の中心都市である姫路市側は工業高校の進出を望んでいたそうだ。その為当初は開校後に工業系の短大か専門学校を作る計画も有ったという。

京北白山高校(旧京北商業)は京北高校と共に東洋大学の学祖井上円了が設立した。(京北商業は明治四十一年京北実業として、京北高校は明治三十二年旧制京北中学として開校)昭和二十六年に別々の学校法人になるまでは東洋大学財団傘下にあった。

南部工業は県立高校だが、かつて在った東洋大南部高校の校舎を使って開設された高校である。東洋大南部高は三戸教育委員会事務局長が東洋大出身であったことが契機となり、姫路高と同じく昭和三十八年に開設された。
しかし、開設間もない昭和四十一年頃から通学圏内の中学卒業者が暫減期に入り、昭和五十二年に閉校となった。校舎などは青森県に移管され三年後に八戸工業南部分校として開校、昭和六十年から南部工業高校となった。

(以上、『東洋大学百年史』と南部工業HPを参考にしました)


旧制京北中学は「戦前③文化学科」で触れたように大正九年の京浜中等野球大会(夏の選手権の予選。まだ甲子園はなかった)に参加しているが、この京浜大会は大正十二年から東京が単独で代表を出すことになり、「東京中等学校野球連盟」主催の東京大会として行われるようになる。
ところが、この「東京」連盟は新規の加盟を認めず、加盟校以外のチームとは練習試合さえも禁止していてことから、その後の新設チームから不満が起こり、昭和四年に攻玉社中や赤坂中(のちの日大三中)が中心となって「東都中等学校野球連盟」を結成する。昭和四年といえば日大と國學院が六大学リーグ加盟を求めて予備試合を行った年だが(「戦前⑩昭和六年」参照)、中等野球では一足早く「東都連盟」が結成されていたわけだ。
この年の選手権代表は従来通り「東京連盟」の優勝校が代表となったが、「東京連盟」の閉鎖的な態度に憤った早稲田大学OBの河野安通志が仲介に走り、翌昭和五年は両連盟の優勝校による代表決定戦が行われ、「東京」の慶応普通部が2-0で「東都」の早稲田実業を破って代表となった。(早稲田実業は「東都」が結成された年に連盟に無届けで秋田遠征をおこなったとして出場停止にされたたため「東京」を脱退、「東都」に加盟していた)
更に翌昭和六年には両連盟は合同し「東京府中等学校野球連盟」となり、中等野球の「東都」は二年で消滅となった。合同時の加盟校は次の三十三校である。

旧東京
豊島師範・東京中・立教中・早稲田中・学習院中・大成中・高輪中・慶応普通部・慶応商工・京北中・京王商・麻布中・青山学院中・明治学院中・明治中・目白中・目白商・成城中・成立商。
旧東都
郁文館中・日大中・日大二中・日大三中・保善商・東洋商・中央商・立正中・早稲田実業・暁星中・京北実業・名教中・専修商・攻玉社中。


*戦前の中等野球については『白球譜-東京都高校野球のあゆみ』都高野連を参考にしました。

*もう一つの付属校、東洋大牛久は姫路より一年遅れの昭和三十九年開校。牛久市で統廃合された中学校の跡地に高校誘致の住民運動がおこり、牛久市在住の経済学部助教授の仲介により東洋大の付属校が設置されることになったそうだ。


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東洋大学野球部:戦前の試合記録

2008-07-01 23:22:00 | インポート
これまでアップしてきた戦前の試合結果を一つのページにまとめてみました。
(『運動年鑑』などには明らかな誤記も見受けられますが、確認できないものはそのまま引用しました)
大正13年
5月25日
宗教大學4x-2東洋大學(六回降雨コールド)
東洋宗教兩大戰
東洋大學對宗教大學の試合は五月二十五日東京北千住毛織球場にて擧行、六回目に大雷雨來り四A對二で宗教勝つ。
(『運動年鑑』大正十四年版)

大正14年
東都新大學聯盟戦
第一回東都新大學リーグ戰(国学院、専修、商科、日大、東洋、宗教の六大學)は五月五日から六月十六日までの間に尾久、目白、海上、下澁谷、氷川裏の各球場で春季連盟戰を擧行、また十月四日より十一月六日迄目白、海上、下澁谷、氷川裏、大泉の各球場にて秋季戰を擧行。戰績は次の如く春秋とも國學院大學優勝す。
(『運動年鑑』)

春期
5月13日
日本大學103 000 03  7
東洋大學011 000 20  4
守備 日本大.......守備 東洋大
9佐藤31打数318・5鈴木
7富田7安打06・8
8小方7三振55 永田
2吉田4四死32 増淵
2駒見3犠打04・1伊保内
9中山4盗塁93 笹川
1小磯8失策41・7・1 織田
3大野0本打07 佐々木
3中村2三打07・9笹川(弟)
4野村1二打19 池田
9赤塚
4正木
5梅澤


5月23日
日本大学200 023 230  12
東洋大學210 010 000  4
守備日本大......守備 東洋大
6佐藤38打数239・7 池田
9正木14安打55龜井
9赤塚10三振68・3鈴木
8小方4四死42増淵
7池上0犠打26
2吉田4盗塁41伊保内
3中村3失策64・7佐々木
1富田1本打08
4梅澤2三打13笹川
5加藤3二打27・9落合



専修大学4x-2東洋大學
國學院大學(棄権)東洋大學
他校結果
専修大学(棄権)日本大学
國學院大學16-9専修大學
國學院大學17x-9日本大學
國學院大學5x-4日本大學
國學院大學14-6東京商科大学
日本大學34-4宗教大學


春期成績
國學院大學
専修大學
日本大學
東洋大學
東京商科大学
宗教大學

春季戰は成立初めてのこととて各二回戰づつ行ふはずであったが以上の試合の外は全部棄権(『運動年鑑』



秋期
一回戦
國學院大學10x-4東洋大学
守備國學院........守備東洋大
5小池30打数316永田
6・1西村8安打43中田
7・6猪原4三振31・8伊保内
8鈴木國10四死52笹川
1・7桑江2犠打08・1・5 高田
3有利10盗塁25・1山下
2丹羽3失策54有吉
4鈴木義0本打07佐々木
9千家1三打09
1二打1



日本大學4-2東洋大學
守備日本大....... 守備東洋大
8井上31打数358永田
5富田5安打83中田
3中村8三振77飯塚
2吉田4四死11伊保内
7吉富2犠打06松本
9赤塚3盗塁05山下
62失策84有吉
4野村9
1大谷2笹川

東洋大學11-6宗教大學
守備 東洋大 ....... 守備 宗教大
3中田32打数266山口
6松本10安打75樋口
7飯塚1三振41吉谷
1伊保内6四死38大谷
5山下2犠打32野間
4有吉4盗塁13静永
8佐々木2失策47山上
90本打09益田
2笹川0三打04伊藤
2二打0



東洋大學6x‐1専修大學
守備 東洋大 .......守備専修大
6永田40打数325中西
7飯塚14安打89小泉
1伊保内10三振117坪田
2笹川3四死02・1金土
3松本0犠打08・2大里
5山下2盗塁13三上
4有吉0失策36百幡
91・8小澤
9佐々木4田中
8高田



他校一回戦
國學院大學22-0宗教大學
國學院大學9-3専修大學
専修大學11-3宗教大學
日本大學6-0専修大學
國學院大學6x-3日本大學

二回戦
東洋大學8-6宗教大學
國學院大學(棄権)東洋大學
日本大學(棄権)東洋大學
専修大學(棄権)東洋大學
専修大學(棄権)東洋大學 (同成績戰)
他校二回戦
日本大學9x-3専修大學
國學院大學6x-3日本大學
國學院大學(棄権)宗教大學
國學院大學(棄権)専修大學
日本大學(棄権)宗教大學
専修大學(棄権)宗教大學


秋期成績
國學院大學
日本大學
専修大學
東洋大學
宗教大學


大正15年
春期
既成六大学野球リーグに対抗して起てる國學院、日本大學、専修大學、高師、東洋大學、大正大學の六チームより成れる新大學リーグ戰は左記の日程によって行はる。(『朝日新聞大正15年4月20日』)

(試合結果は不明)
成績
國學院大學
日本大學
専修大學
東京高等師範
東洋大學
大正大學10

東都新大學聯盟戦春期戰
十五年四月三十日から六月末までの間に随時擧行、国学院大學の中途脱退で對日大戰は中止となり秋期に改めて新聯盟の組織を見る筈。(『朝日年鑑』)


秋期
縱来の新大學野球リーグは今春リーグ戰終了と同時に解散を宣して都下十五大學専門學校を中心として別項の如く大學専門學校野球聯盟を組織し八日午後三時から本社会議室に於いて各大學二名の委員出席協議の結果大學専門學校野球リーグ戰を本社後援によって今秋より開始するに決した。今秋は参加十校を五校宛紅白リーグに分けて勝敗率をもって兩リーグの覇者で優勝戦を行ふ米國大リーグ形式をとることになった。(『国民新聞大正15年10月9日』)


紅  組:日本大・國學院・上智大・帝大農大(現東大農学部)・高等工芸(現千葉大工学部)
白  組:東農大・青山学院・高千穂高商(現高千穂大)・東洋大・早大高師(現早大教育学部)
不参加:明治学院・専修大・駒澤大・大正大・高等工業(現東工大)


10月13日
東洋大學000 000 000  0
農業大學210 303 02X  11 

東洋......農大
(三)投板倉(三) 林
(遊)杉本(中)星野
(左)内田(遊)佐藤
(投)三伊保内(一)澤藤
(右)山下(左)糸久
(捕)笹川(二)城所
(二)有吉(投)鈴本
(中)松井(捕)花園
(一)仲田(右)伊藤
合計321112合計381060

盗塁:東1農3  犠打:東0農0  失策:東9農1  
本社後援、大專リーグの東洋大學對農業大學戰は十三日午後二時廿分から田園球場に於いて、樋知、鈴木兩氏審判の下に東洋大學の先攻にて開始された。
▲練習に油の乘り切っている農業大學は第一回早くも林の二壘打星野の好打で二點を擧げ第二回更に花園の單打で一點を加え第四回又々三點を増して伊保内をノックアウト、板倉投手に代わるを餘儀なくせしめ第六回には鈴本の二壘打や敵失に一擧三點を加え第八回にも伊藤の安打と敵失に二點を占め合計十一點を擧げた。▲農業大學と比して練習不足の東洋大學は全くチャンスなく第一回板倉の安打があったのみで結局十一A對零封で農業大學が大勝四時十五分閉戰した。(國民新聞大正十五年十月十四日付朝刊)


10月21日
早大高師011 003 000  5
東洋大學303 000 12X  9


早師........東洋
(中)三富(捕)笹川
(三)竹内(遊)杉本
(一)金森(投)三板倉
(左)大賀(二)伊保内
(二)高田(右)内田
(右)投星野(三)投山下
(捕)木崎(中)宮崎
(投)右大塚(左)松井
((遊))飯野(一)有吉
合計34合計3711

盗塁:早6洋3  犠打:早3洋1  失策:早5洋2
本社後援大學專門學校野球リーグ早大高師對東洋大學の試合は二十一日午後二時四十分から田園調布球場で審判谷(球)古本(壘)二氏、早大高師先行で開始された。

▲洋大はへき頭から早大高師大塚投手のコントロール定まらざるに乘じて三點を入れ續いて三回三本の單打一本の三壘打でまた三點を入れ殆ど大勢定まった時さらに七回に一點八回に二點を入れ斷然早高師軍を抑えた。▲早高師軍は相當の攻撃ぶりを示したが適時の安打少なく二三回各一點七回に三點を入れたのみで終わり東洋大學は九A對五で勝った。閉戰は五時。(『國民新聞』大正十五年十月二十二日付朝刊)



11月5日
東洋大学000 010 3  4
青山學院004 012 0  7

東洋.....青山
(遊)三永田(中)富島
(捕)笹川(三)辻本
(投)遊板倉(二)大槻
(左)内田(遊)二階堂
一 投伊保内(捕)堀 
(二)有吉(左)笹沼
(右)松井(一)福井
(一)仲田(右)斎藤
(中)宮崎(投)吉本
(三)右山下
合計28875合計311262

盗塁:東5青4  犠打:東0青1  失策:東2青3

經過
第一回東洋三者凡退。青山劈頭富島右翼に二壘打を放ち辻本の四球と大槻の内野安打で無死満壘の好機を作ったが得點せず。第二回東洋劈頭内田左翼二壘打を放ったが離壘して刺され好機を逸す。青山凡退。第三回東洋二死後に笹山の二壘打あったのみ。青山辻本三壘暴投に一壘に生き大槻の右翼テキサスに二進し二階堂の三遊間安打に辻本生還、菅沼の右翼安打に大槻還り斎藤の一壘越し安打は二階堂・菅沼を還し四點を先取した。第四回東洋伊保内、有吉四球を得仲田の三振後宮崎の左翼安打に伊保内還り一點を回復。青山振わず。第五回東洋無為。青山二階堂の二壘打の後堀の内野安打に一點を増した。第六回東洋三者凡退。青山斎藤四球辻本遊敵失に出て大槻の中堅二壘打に二者生還。第七回東洋一二壘間安打板倉左翼安打内田三敵失の後伊保内の右中間二壘打に三點を還す。青山無為。この頃から夕暗の為試合を續行することが出來ず遂に七對四のコールドゲームで青山勝ち五時閉戰した。(『国民新聞』大正十五年十一月六日付朝刊)

東洋大學(棄権)高千穂高商

他校結果

白組
青山學院9-2 農業大學
農業大學17x-1高千穂高商
青山學院27x-0高千穂高商
青山學院11-9早大高師
早大高師(棄権)高千穂高商
農業大學5x-3 早大高師
紅組
日本大學 18x-1東京工芸
國學院大學10x-0日本大學
國學院大學12x-2帝大農大
帝大農大7-3 東京工芸
日本大學12x-1帝大農大
國學院大學24-0上智大學
上智大學8x-7 東京工芸
上智大學10-9帝大農大
國學院大學6x-0東京工芸
日本大學21-0上智大學


白組
青山學院・・4勝0敗
農業大學・・3勝1敗
東洋大學・・2勝2敗
早大高師・・1勝3敗
高千穂高・・0勝4敗

紅組
國學院大・・4勝0敗
日本大學・・3勝1敗
上智大學・・2勝2敗
帝大農大・・1勝3敗
高等工芸・・0勝4敗

優勝決定戦
國學院大學(紅)10-0青山學院(白)
國學院大學10-3青山學院


昭和2~3年=不明

昭和4年
東洋大・駒沢大・大正大三大學リーグ戦(日時・場所は不明)
春季
東洋大4-16駒沢大
東洋大2-18駒沢大◯(7回コールド)

●駒沢大 6-12大正大○
●駒沢大10-12大正大○
(東洋大対大正大戦は不明)

秋季
東洋大9-19駒沢大
東洋大4-10駒沢大

●駒沢大 3-5大正大○
○駒沢大 6-0大正大●
○駒沢大17-0大正大●(7回コールド)
(東洋大対大正大戦は不明)

関西遠征
10月12日
龍谷大學6-2東洋大學
参考記事
東洋大学野球部の歴史-戦前・追加分:昭和四年の関西遠征

昭和5年=不明
昭和6年
秋期
-三大學野球聯盟-
東京文理大・東洋大・拓殖大の三大學は今般新たに三大學野球聯盟を設立し、永田東京市長始球式の下に左記のとおりリーグ戰を擧行することとなった。
十月十二日  文理-拓大(十時)  東洋-文理(二時)
   十五日  東洋-拓大(二時)
   十七日  文理-拓大(十時)
   十九日  文理-東洋(二時)
   二十一日東洋-拓大(二時)
以上、王子電車沿線北町球場。
(「朝日新聞昭和六年十月十日朝刊」)

10月12日
文理大12-2拓殖大

東洋大000 100 002  3
文理大000 100 32X  6

10月15日
東洋大401 111 132  14
拓殖大000 002 200  4

10月17日
文理大16-9拓殖大

10月20日
文理大11x-5東洋大

10月21日
拓殖大16-5東洋大
(コールドゲーム。何回かは不明)

10月22日
東洋大27-10拓殖大

東京三大
昭和六年秋創立された拓大、東洋大、文理大野球試合は十月十二日から北町球場で擧行、東洋對拓殖の決勝を残し文理大優勝す。(『運動年鑑』)

 
     文理大東洋大拓殖大
文理大 ―  ○○○○4勝0敗
東洋大●● ― ○●○2勝3敗
拓殖大●●●○● ―1勝4敗


昭和7年
春期

5月14日
文理大11x- 5拓殖大

5月15日
文理大23x-10拓殖大

5月20日
東洋大18x-17拓殖大

5月21日
拓殖大12x-11東洋大

5月22日
東洋大22x- 9拓殖大

5月29日
文理大14-10東洋大

5月30日
文理大11- 4東洋大


文理大優勝
三大學野球リーグ最終試合文理大對東洋大二回戰は三十日午後二時半から北町球場で擧行、十一對四で文理勝つ。この結果文理大は四戰四勝で優勝し、東洋大二位、拓大三位となった。(『朝日新聞』昭和七年五月三十一日付朝刊)


     文理大東洋大拓殖大
文理大○○○○4勝0敗
東洋大●●○●○2勝3敗
拓殖大●●●○●1勝4敗



秋期


四大學野球組み合わせ
三大學野球リーグ戰は新たに工業大學を加えて四大學リーグとなり、今秋のスケヂュールを次の如く決定した。尚球場はいずれも北町文理大球場を使用し、試合はいずれもダブルヘッダーで最初の試合は午前十一時半、次の試合は午後二時半から開始される。『朝日新聞』昭和七年九月二十二日付朝刊)



9月24日
工業大23-2文理大

東洋大010 000 720  10
拓殖大203 000 031  9

9月25日
拓殖大100 000 111  4
東洋大300 003 41X  11

工業大9-5文理大

10月1日
工業大6-4拓殖大

文理大002 311 02  9
東洋大001 001 00  2

10月2日
東洋大000 000 000  0
文理大000 020 20X  4

拓殖大18-17工業大

10月8日
拓殖大11-10文理大1

工業大100 001 001  3
東洋大101 011 00X  4

10月9日
工業大012 050 2101  21
東洋大010 120 0 00   4

拓殖大3-3文理大


10月10日
工業大003 220 003  10
東洋大000 201 001  4

10月18日
拓殖大4-3文理大

工業大優勝す 四大學野球終了す
四大學野球リーグ戰は最後の試合、文理大對拓大戰は18日午後二時十五分北町球場で擧行四對三で拓大快勝。本シーズンは左の成績となって終了した。
①8戰6勝工業大學②8戰3勝一引分拓殖大學③7戰3勝東洋大學④7戰2勝一引分文理科大學(『朝日新聞』昭和七年十月十九日付朝刊)

 
     工業大拓殖大東洋大文理大
工業大○●○●○○○○6勝2敗
拓殖大●○●●●○△○3勝4敗1分
東洋大○●●○○●●3勝4敗
文理大●●●△●○○2勝4敗1分
 


昭和8年
四大学野球

春期
5月13日
工業大9-2文理大

拓殖大878 061 004  34
東洋大100 000 000  1


5月14日
東洋大200 0 06 200  10
拓殖大101 2152 32X  26

文理大10-8工業大


5月20日
拓殖大8-7工業大

文理大440 223 103  18
東洋大002 200 000  4

5月21日
文理大18-2東洋大

拓殖大13-12工業大


5月27日
拓殖大12-10文理大


5月28日
東洋大000 000 101  2
工業大111 340 11X  12

文理大12-3拓殖大

5月29日
拓殖大7-3文理大

工業大103 001 100 1  7
東洋大006 000 000 2  8


6月1日
東洋大401 200 000  7
工業大311 139 26X  26




     拓殖大工業大文理大東洋大
拓殖大○○○●○○○6勝1敗
工業大●●○●○○●○4勝4敗
文理大●○●●○●○○4勝4敗
東洋大●●●○●●●1勝6敗
 


秋期

新大学野球連盟
新たに商大が加わり五大学によるリーグ戦となる。


9月23日
商科大25- 3拓殖大

東洋大33x- 6工業大


9月24日
工業大25- 3東洋大

商科大 9- 6拓殖大


9月30日
商科大20x- 3東洋大

拓殖大3x- 0文理大

10月1日
拓殖大9x- 5文理大

商科大22x- 6東洋大


10月14日
文理大11x- 6工業大

東洋大 中止 拓殖大


10月15日
拓殖大22x- 3東洋大

工業大6x- 3文理大

10月17日
文理大13x- 1東洋大


10月18日
文理大 6- 6東洋大


10月21日
拓殖大10x- 9工業大


10月22日
商科大12- 8文理大

拓殖大13- 1工業大

10月23日
商科大19-0文理大


10月24日
東洋大0 0 2 010 160  10
文理大011 2 302 00X  18


10月28日
拓殖大15- 7東洋大

商科大22x- 6工業大


10月29日
商科大22x- 1工業大


商大八戦八勝 新大學リーグ
新大學野球リーグ戰、商大對工大二回戰は二十九日北町球場で擧行二十二對一で商大勝ち、かくて新加盟の商大は八戰八勝で優勝し、第二位は拓大(六勝)第三位は工大(四勝)第四位は文理大(二勝)第五位は東洋大(全敗)となった。(『朝日新聞』昭和八年十月三十日付朝刊)



     商科大拓殖大工業大文理大東洋大
商科大○○○○○○○○
拓殖大●●○○○○○○
工業大●●●●●○●○
文理大●●●●○●○△○
東洋大●●●●○●●△●



昭和9年
新大学リーグ
春期

5月5日
商科大16- 0工業大

拓殖大8x- 7文理大

5月6日
拓殖大21-17文理大

商科大18- 7東洋大

5月12日
商科大17-12工業大

文理大28- 1東洋大

5月16日
文理大24- 2工業大

5月19日
工業大 4- 2文理大

拓殖大26- 2東洋大

5月20日
拓殖大32-14東洋大

工業大12-12文理大

5月23日
工業大18x-16文理大

5月26日
工業大14- 5拓殖大

商科大17- 8文理大

5月27日
商科大12x‐ 2文理大

工業大7x- 6拓殖大


新大學野球聯盟分裂
拓大應援團の暴行が因
去る五月廿七日北町球場で行われた工大對拓大野球戰は七對六で工大の勝ちとなったが、試合終了後極度にエキサイトした拓大應援團は審判の不公平を叫んでグラウンドに亂入し、工大選手を取り圍んで押し問答の末一壘手井田君外一名を棍棒で横打(ママ)して昏倒せしめ全治二週間の重傷を負わせた、同聯盟ではこの處置に関して六月三日一ツ橋如水會館に幹事會を開催、種々協議の結果東洋大學幹事は拓大に對して脱退を勧告した所、拓大側憤慨して同幹事を毆りつけ重なる暴行沙汰で新大學野球聯盟は遂に分裂する事となり、その後商、文、工の三大學によって新たに三大學野球聯盟が結成され、今秋リーグ戰を擧行する事となった。(『朝日新聞』昭和九年六月七日付朝刊)



昭和10年
5月12日
東洋大學12-6上智大学
(『運動年鑑』その他対抗試合の項より)
*昭和10年10月の『駒澤大学新聞』に
「今春創立した帝都四大学野球リーグはその産声とともに都合により東洋大学の欠場を生じ一抹の淋しさが認められたが…」

とあり、『運動年鑑』には同じ日付で大正大学17-16駒澤大学の結果も記載されている。
また、『運動年鑑』には昭和10年秋に帝都大学野球の記録として「駒澤4勝0敗0分・大正1勝2敗1分・上智0勝3敗1分」の結果が載っていることから、この東洋大対上智大の試合は帝都四大学野球の試合として「行われたものと思われる。その後何らかの理由で東洋大は欠場・脱退となったようだ。

昭和17年
野球部練習開始
八月以降學期試驗や學部入学等の爲一時活動を休止してゐた本學野球部は十月に入って活潑な練習を開始した。
(=昭和17年12月1日発行『東洋大學護國會會報』第八号より)

具体的な活動内容は不明。

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