猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

通算15完封&56回3分の2連続無失点:松沼雅之投手=東洋大学野球部の歴史-記録③

2008-02-23 11:19:00 | インポート
松沼雅之投手には連続無失点56回2/3という記録があるが、もう一つ通算15完封という記録もある。こちらのほうは余り紹介されることが無いので無失点記録と併せて見て行くことにしたい。(得点の赤字は無失点記録中のイニング)



昭和50年:春
4月16日対亜大二回戦
亜  大000 000 000  0  初登板初完封
東洋大000 210 00X  3
亜大:小林・高橋・古屋
東洋:松沼


5月10日対国士大二回戦
東洋大000 000 001  1
国士大000 000 000  0
東洋:松沼
国士:吉川

昭和50年:秋
10月10日対亜大二回戦
亜  大000 000 000  0
東洋大100 000 000  1
亜大:黒紙
東洋:松沼

昭和51年:春
月13日対日本大一回戦
日本大000 000 000  0  
東洋大000 001 000  1
日本大:佐藤
東洋大:松沼

昭和51年:秋
9月7日対日本大一回戦
東洋大000 001 000  1  連続無失点3回
日本大010 100 00X  2
東洋:松沼7・山村1
日大:佐藤

9月8日対日本大二回戦
日本大100 000 000    連続無失点10回 1/3
東洋大000 210 00X  3
日大:佐々木・三上
東洋:小林1 2/3・松沼7 1/3

9月10日対日本大三回戦
東洋大000 601 001  8  連続無失点19回1/3
日本大000 000 000  
東洋:松沼
日大:佐藤・三上・佐々木・田中

9月23日対中央大一回戦
中央大000 000 000    連続無失点28回1/3
東洋大010 030 000  0
中大:林・島田
東洋:松沼

9月24日対中央大二回戦
東洋大000 210 021  6
中央大000 010 100  2  連続無失点30回2/3
東洋:石崎2・山村4 2/3・松沼2 1/3
中大:鎌田・島田・山本・松田・葉山

9月29日対亜大一回戦
東洋大010 000 002  3  連続無失点39回2/3
亜  大000 000 000  
東洋:松沼
亜大:矢野・黒紙

10月1日対亜大三回戦
東洋大010 000 001  1  連続無失点48回2/3
亜  大000 000 000    日大・河内の43回1/3を23年ぶりに更新
東洋:松沼
亜大:矢野・高橋

10月12日対駒沢大一回戦
駒沢大000 000 001  1  連続無失点56回2/3でストップ
東洋大011 010 00X  3

9月20日対駒沢大一回戦
駒沢大000 000 000 000  0  12回に肩痛める
東洋大000 000 000 001  1
駒大:尾藤・中後・渡辺・長嶋
東洋:松沼

昭和52年:秋
10月5日対中央大一回戦
東洋大000 000 001  1  1安打完封
中央大000 000 000  0
東洋:松沼
中大:島田

10月18日対亜大一回戦
亜  大000 000 000 000 0  0
東洋大000 000 000 000 1  1
亜大:矢野
東洋:松沼

昭和53年:春
4月4日対駒沢大一回戦
駒沢大000 000 000  0
東洋大001 000 10X  2
駒大:中後・長島
東洋:松沼

4月28日対亜大三回戦
亜  大000 000 000  0  専大・芝池の13完封に並ぶ
東洋大000 400 00X  4
亜大:小松・宮本
東洋:松沼

昭和53年:秋
10月3日対駒沢大一回戦
東洋大001 100 000  2
駒沢大000 000 000  0
東洋:松沼
駒大:長島・坂本恭・山本

10月11日対国士大一回戦
東洋大000 000 000 000 01  1  9回まで16奪三振(当時最多記録)
国士大000 000 000 000 00  0  一試合22奪三振
東洋:松沼
国士:片岡



松沼投手は日米大学野球でも通算3試合の完封を記録しているが、更に二年越しで25インニング無失点の記録も残している。

昭和52年第六回日米大学野球:於・米国
7月11日:第7戦
日本001 004 000  5
米国012 003 1X  7
日:江川3 2/3・林11/3・山村1・松沼2

昭和53年第七回日米大学野球:於・日本
6月25日:第2戦
日本000 000 000  0
米国000 000 30X  3
日:松沼4・加藤0・藤田2 1/3・鹿取1/3・堀田1 1/3

6月29日:第4戦
日本000 300 002  5
米国000 000 000  
日:松沼

7月3日:第6戦
日本000 011 001  3  タツノ(米)の21回を更新
米国000 000 000  

7月4日:第7戦
日本020 020 000  4
米国000 020 100  3
日:藤田4・堀田3・松沼2

松沼投手は茨城県の取手二高出身。同じ世代には当時高校四天王と呼ばれた中の一人、土浦日大の工藤投手がいた。この二人の三年時の茨木大会。

昭和49年全国高校野球茨城大会
7月28日:準決勝

土浦日大002 120 11  7
太 田 一000 000 00  0
土:工藤
太:菊池・福田・斎川


磯  原000 000 000 000 000 00  0
取手二000 000 000 000 000 01  1
磯:島根
取:松沼


7月29日:決勝

取 手 二000 000 001  1
土浦日大011 000 01X  3
取:松沼
土:工藤

決勝で松沼投手は12安打を浴びながら踏ん張ったが、味方打線が2安打に抑えられ涙をのんでいる。
前日にコールド勝ちした工藤投手と一人で17回を完封した松沼投手。たら・れば話ではあるが、もし準決勝が延長にならなければ松沼投手が全国の舞台で脚光を浴びてたかもしれない。そうなっていたらその後の進路は・・・。


関連エントリー:亜大キラー松沼家


テーマ別インデックス 「資料編」
 「記録」
 「エピソード」
 「歴史-人物」
 「歴史-戦前」






一試合12打点:内藤雅人選手=東洋大学野球部の歴史-記録②

2008-02-19 23:03:00 | インポート
東都大学野球連盟の記録の中で、達成した時に“世界記録か”、と話題になったのが内藤雅人選手の一試合12打点の記録である。当時の読売新聞には
「米大リーグ記録は、カージナルスのJ・ボトムリーが1924年に作った12打点だからちょっとしたギネスブックもの」(『読売新聞』昭和59年9月8日朝刊)
とある。当日の試合のスコアは下記の通り。


昭和59年4月7日国士大一回戦


東洋大040 135 012  16
国士大001 020 211  7


東洋大 打 安 点
(右)内藤  6 12
(中)中川 4 0 0
 打田中和 1 0 0
 中 成宮 1 0 0
(遊)山口 6 2 0
 遊 蛭田 0 0 0
(二)西口 3 1 1
(左)一仁村健 5 3 1
(一)若林 3  1 1
 打忍成 1 0 0
 左 竹内 0 0 0
(三)田中泰 1 0 0
 三福島 2 0 0
(捕)森  3 2 0
(投)野崎 2 0 0
 投丸山 0 0 0
 投日野 1 1 1
 打 阿波連 1 0 0
 投弘田 0 0 0
振  球 儀 併 残 41 16  16
7  12 3  1 13 

国士大 打 安 点
(中)蔵下 6 3 0
(左)中村 6 3 1
(二)葛城 3 0 0
(右)鴇田 5 3 2
(三)大島 4 2 1
(遊)江本 5 2 1
(捕)気仙 2 0 0
小林健 2 0 0
 打向野 1 1 0
(投)亀岡 1 0 0
 投下瀬 0 0 0
 打大山 1 0 0
 投須藤 0 0 0
 投倉橋 1 0 0
 打寺坂 0 0 0
 投北岡 0 0 0 
 打市川 1 0 0
振  球 儀 併 残  43 17
2  5 0  0 14


投手  回  安 責
野崎 4 2/3  6 3
丸山 0   1 0
日野 3 1/3  8 3
弘田 1   2 1

亀岡 2 1/3  4 4 
下瀬 2 2/3  4 3
須藤  2/3  0 4
倉橋 1 1/3  3 1
北岡 2   5 3


本塁打:内藤2(下瀬・倉橋=満塁)
二塁打:仁村健・若林・蔵下・鴇田2・
森・横谷・向野
盗塁:洋2国1
失策:洋3国1

内藤選手のバッティング内容は

一打席目:遊ゴロ
二打席目:右前打2打点
三打席目:左前打
四打席目:左翼3ラン3打点
五打席目:左翼満塁本塁打4打点
六打席目:右翼線二塁打2打点
七打席目:左前打1打点

である。

当時内藤選手は二年生。
「信じられません、気持悪いくらいです」と、はじめてのヒーローインタビューに照れた内藤は、一年生の昨春、代打で一度出場しただけで見送りの三振。その後足の肉ばなれで一年間を棒に振っている。
静岡学園時代は一年生から四番打者で、三年間で25ホーマーを放ち、プロから誘いもあったほど。浜松市の実家がバッティングセンターを経営、抜群の環境で育った逸材がいよいよ頭角を現し始めた。(
『読売新聞』昭和59年4月8日朝刊)
 

その後、昭和61年の東洋大初の大学選手権制覇にも貢献した好選手であった。



テーマ別インデックス 「資料編」
 「記録」
 「エピソード」
 「歴史-人物」
 「歴史-戦前」



東洋大学野球部の歴史-戦前⑥大正15年Ⅰ

2008-02-17 08:57:00 | インポート
大正十五年四月の朝日新聞には次のような記事が見られる。

既成六大学野球リーグに対抗して起てる國學院、日本大學、専修大學、高師、東洋大學、大正大學の六チームより成れる新大學リーグ戰は左記の日程によって行はる。(『朝日新聞大正15年4月20日』)
この分に引き続き四月三十日から五月二十八日までの日程が掲げられており、二回戦制で行われ球場は駒沢、国分寺、目白となっている。

このリーグ戦の新聞から拾えた試合結果は、5月1日・國學院14-4高師、5月8日・日大13-4高師の二試合しか未だわからない。ただ、昭和十一年の“この日”と題する新聞記事には、
大正十五年の此日(七月九日)は日大、國大、高師、東洋大、大正大からなる新大學野球リーグ戰は國大八勝一敗一分けで優勝したが、國學院が脱退した為に一時リーグを解散することとなった(『朝日新聞昭和11年7月9日朝刊』)
とある。
記事中には専修大學の名前がないが、國學院の成績からみると六校で各二試合づつ十試合行ったと思われる。
いづれにせよ、このリーグもまた一シーズン限りで解散してしまい、この年の秋には国民新聞社後援による新リーグ戦が行われる。
縱来の新大學野球リーグは今春リーグ戰終了と同時に解散を宣して都下十五大學専門學校を中心として別項の如く大學専門學校野球聯盟を組織し八日午後三時から本社会議室に於いて各大學二名の委員出席協議の結果大學専門學校野球リーグ戰を本社後援によって今秋より開始するに決した。今秋は参加十校を五校宛紅白リーグに分けて勝敗率をもって兩リーグの覇者で優勝戦を行ふ米國大リーグ形式をとることになった。(『国民新聞大正15年10月9日』)
なぜ十五校のうち十校でのリーグ戦となったのかは不明だが、その内訳は以下の通りである。

紅  組:日本大・國學院・上智大・帝農大(現東大農学部)・高等工芸(現千葉大工学部)
白  組:東農大・青山学院・高千穂高商(現高千穂大)・東洋大・早大高師(現早大教育学部)
不参加:明治学院・専修大・駒澤大・大正大・高等工業(現東工大)

リーグ戦の開始は十日からとなっているが、開始に先立って「両リーグからピック・アップ・チーム」を作ってこの記事の当日(九日)の午後三時から番外紅白試合を行うとし、メンバーを載せている。


紅組 白組
大谷(日大)鈴木(農大)
遠藤(日大)大槻(青学)
有利(国学)谷 (高千穂)
古谷(上智)藤澤(農大)
江村(帝農)宮崎(東洋)
阿部(高芸)大木(高千穂)
大洞(帝農)志賀(早高師)
山 (上智)有吉(東洋)
猪狩(国学)飯野(早高師)
西山(高芸)



但し、この試合は雨天の為中止となっている。

二リーグ制を取り入れたり、紅白戦(発想としてはオールスター戦と言えようか)で前景気を煽るなど、当初はかなり力を入れていたように思われる。

試合結果については次稿にまとめて行くこととする。




テーマ別インデックス「資料編」 :通算本塁打・投手勝敗・開幕カードスタメンなど
「記録」:個人記録についての話題
「戦前」:新聞記事で拾った戦前の記録
「動画」:神宮で生観戦した際の動画
「エピソード」
「人物」
 





42試合連続登板:仁村徹投手=東洋大学野球部の歴史-記録①

2008-02-15 00:57:00 | インポート
東都大学野球連盟のホームページや神宮球場ガイドブックの「過去の記録」欄を見ると、昨年の大場翔太投手のシーズン最多奪三振をはじめ東洋大の選手の名が記されているものがあるが、ここに記載されていない記録もいくつかある。まずは、仁村徹投手の連続登板記録を取上げてみたい。
仁村徹投手は昭和五十六年秋の対国士大二回戦から四十二試合連続して登板している。少々長くなってしまうが、その結果書き出してみることにする。(大学選手権でも四連投しているので合わせて書き加えておくことにする)


昭和56年秋季リーグ戦   
9月17日国士大二回戦6 1/3回被安打9自責点3:4打数1安打0打点
国士大101000101 4 ●長富・吉田慎    
東洋大00100005X 6 仁村徹・○佐藤・兵頭・大沢・森

9月18日国士大三回戦5 2/3回被安打9自責点3:2打0安0点
東洋大000000040 4●仁村徹・森・佐藤・兵頭・大沢
国士大00001500X 6○吉田慎・長富  

9月24日亜大一回戦8回被安打9自責点2:3打数1安打0打点
亜  大020000001 3●宮本
東洋大000000022 4仁村徹・○佐藤

9月27日亜大二回戦9回被安打9自責点1:4打数0安打0打点
東洋大002000100 3仁村徹
亜  大001010000 2宮本・●赤木

10月6日駒沢大一回戦9 1/3回被安打10自責点 1:4打数0安打0打点
東洋大01000000000000 1仁村徹・●佐藤
駒沢大00000000100001 2石丸・岡田・河野・○近藤

10月7日駒沢大二回戦4 1/3回被安打8自責点3:2打数0安打0打点
駒沢大000210000 3●石丸・岡田・近藤・所
東洋大30100000X 4仁村徹・○佐藤

10月13日中央大一回戦7回被安打6自責点3:1打数1安打1打点
中央大000011100 3○米村
東洋大000000100 1仁村徹・佐藤

10月14日中央大二回戦9回被安打4自責点2:4打数0安打0打点
東洋大100002000 3仁村徹
中央大000200000 2加治・●谷津田・牛尾守

10月15日中央大三回戦8 1/3回被安打7自責点1:4打数0安打0打点
中央大010000010 2●米村
東洋大000002001 3仁村徹・○佐藤

10月20日専修大一回戦5回被安打7自責点1:2打数0安打0打点
専修大210010001 5○山沖
東洋大000000010 1仁村徹・大沢・佐藤・森・岩野

10月21日専修大二回戦8回被安打8自責点1:2打数0安打0打点
東洋大000000000 0●佐藤・仁村徹
専修大31000000X 4○山沖

10月23日駒沢大三回戦7回被安打5自責点責1:3打数2安打1打点
東洋大000000010 1仁村徹・佐藤
駒沢大11000001X 3○近藤

昭和57年春季リーグ戦
4月13日日本大一回戦4 1/3回被安打6自責点1:2打数0安打0打点
東洋大010110100 4仁村徹・佐藤
日本大000210100 4石川・三富・阿波

4月14日日本大二回戦7 1/3回 被安打5自責点3:3打数1安打0打点
東洋大000000010 1仁村徹・佐藤・野崎
日本大00000003X 3○宗像

4月16日日本大三回戦6 1/3回被安打8自責点3:3打数2安打1打点三塁打1

日本大000102210 6●石川・宗像
東洋大00007000X 7仁村徹・佐藤

4月20日専修大一回戦1 2/3回被安打1自責点0:1打数1安打0打点
専修大0000010000 1米山・●山本
東洋大1000000001 2野崎・佐藤・○仁村徹

4月21日専修大二回戦7 2/3回被安打7自責点0:3打数2安打1打点
東洋大000000130 4佐藤・○仁村徹
専修大110000100 3●宮下・米山

4月23日日本大四回戦9回被安打6自責点1:4打数1安打0打点
東洋大000000031 4仁村徹
日本大000000100 1●宗像・石川・三富

5月4日中央大一回戦9回被安打10自責点2:4打数2安打2打点二塁打1
東洋大221400000 9仁村徹
中央大020000000 2●谷津田兄・牛尾守・佐伯・谷津田弟

5月5日中央大二回戦1 1/3回被安打1自責点0:1打数0安打0打点
中央大000000000 0●高橋・谷津田兄
東洋大00000010X 1○野崎・佐藤・仁村徹


5月11日亜大一回戦9回被安打4自責点0:3打数2安打0打点
亜  大100000000 1●赤羽
東洋大000000102 3仁村徹

5月12日亜大二回戦8 2/3回被安打10自責点2:4打数2安打1打点二塁打1
東洋大010000000 1仁村徹
亜  大010000001 2○堀部

5月13日亜大三回戦4回被安打5自責点2:1打数0安打1打点
亜  大000021010 4●赤羽・三原
東洋大00102140X 8野崎・○仁村徹

5月18日駒沢大一回戦9回被安打8自責点2:2打数0安打0打点
駒沢大000100001 2鍋島・●助川・岡田・近藤
東洋大00020110X 4仁村徹

5月19日駒沢大二回戦2 1/3回被安打1自責点0:1打数0安打0打点
東洋大010000000 1○野崎・仁村徹
駒沢大000000000 0●近藤・鍋島・岡田


(昭和57年大学選手権)
6月5日一回戦9回被安打6自責点1:3打数1安打0打点
九産大000000001 1●大畑
東洋大00020020X 4仁村徹

6月7日準々決勝1 1/3回被安打自責点0:1打数0安打0打点
八幡大000000000 0●合原
東洋大00010000X 1○佐藤・仁村徹

6月8日準決勝9回被安打7自責点1:3打数0安打0打点
中京大000100000 1●渡辺・小野・久保
東洋大30100000X 4仁村徹

6月9日決勝3回被安打3自責点2:1打数0安打0打点
法政大000001002 3○田中
東洋大000010001 2野崎・●仁村徹


昭和57年秋季リーグ戦
9月7日中央大一回戦9回被安打5自責点1:4打数0安打0打点
東洋大100120210 7仁村徹
中央大001000000 1●高橋・谷津田弟・牛尾守・佐伯

9月8日中央大二回戦4 1/3回被安打1自責点0:2打数1安打0打点
中央大000010000 1○谷津田兄
東洋大000000000 0●佐藤・仁村徹

9月9日中央大三回戦9回被安打2自責点1:3打数0安打0打点
東洋大000010100 2仁村徹
中央大000010000 1●谷津田兄

9月24日亜大一回戦8回8被安打8自責点2:4打数1安打0打点二塁打1
東洋大000027020 11仁村徹・野崎
亜  大000100010 2●堀部・土手本・峨家下・赤木

9月26日亜大二回戦9回被安打4自責点1:2打数0安打0打点
亜 大010000000 1●峨家下
東洋大00010200X 3仁村徹

9月29日日本大一回戦2 1/3被安打3自責点1:1打数0安打0打点
東洋大003200000 5野崎・佐藤・大沢・●仁村徹
日本大000002301 6石川・三富・○石井

9月30日日本大二回戦9回被安打4自責点0:3打数1安打0打点二塁打1
日本大000000000 0●宗像・石川・石井
東洋大30100000X 4仁村徹

10月1日日本大三回戦11 2/3回被安打12自責点1:5打数0安打0打点
東洋大000000000000 0仁村徹
日本大000000000001 1○石川

10月13日専修大一回戦7回被安打7自責点3:4打数0安打0打点
東洋大002002000 4仁村徹・●野崎
専修大001002002 5米山・○山本勲

10月14日専修大二回戦3 2/3回被安打5自責点3:2打数0安打0打点
専修大021110000 5山本一・浜崎・米山・○山本勲
東洋大100000030 4●野崎・仁村徹・北島・佐藤

10月27日駒沢大一回戦9回被安打2自責点0:3打数0安打0打点
東洋大000001010 2仁村徹
駒沢大000000010 1●鍋島・岡田・山本

10月28日駒沢大二回戦1 1/3回被安打1自責0:1打数0安打0打点
駒沢大000001000 1●山本・近藤
東洋大20000001X 3○佐藤・仁村徹
(最優秀投手・ベストナインに選出さる)

昭和58年春季リーグ戦
4月12日亜大一回戦8回被安打4自責点1:4打数2安打0打点
東洋大000001000 1仁村徹
亜  大10100000X 2○赤羽

4月13日亜大二回戦4回被安打4自責点3:2打数0安打0打点
亜  大020102010 6○土手本
東洋大000000000 0仁村徹・野崎・北島・日野

4月19日駒沢大一回戦9回被安打6自責点0:3打数2安打1打点本塁打1
東洋大000010031 5仁村徹
駒沢大000000000 0●鍋島・助川・白井宏・片瀬

4月20日駒沢大二回戦1 1/3回被安打1自責点0:0打数0安打0打点
駒沢大000000010 1●鍋島・河野・白井宏
東洋大10020001X 4○北島・仁村徹

5月4日日本大一回戦6回被安打9自責点5:4打数3安打1打点
東洋大000400020 6仁村徹・○野崎・北島・日野
日本大011003000 5石井・●宗像


5月5日の対日本大二回戦は2-1で惜敗するものの上尾高の後輩日野投手が完投し、連続登板は四十二試合でストップする。

その後、この年の秋のリーグ戦で十月十三日の対日本大戦に7-4で勝利を収めた日の記事にこんな記載がある。
東洋大は56年春の対青学大一回戦で仁村徹が完封勝ちして以来、前日までのチームの勝利35勝すべてに仁村徹が登板してきた。この日は実に五シーズンぶりの「仁村徹抜き」の勝利だった。『朝日新聞昭和五十八年十月十四日朝刊』

実は連続登板が始まる前、昭和五十六年四月二十二日の亜大戦を仁村徹抜きで勝った後、この日大戦まで仁村徹が登板しなかった試合はすべて負け試合だったのである。

*東都大学野球での連続登板記録は中央大・田村政雄投手が昭和48年5月20日対日大三回戦から昭和50年4月29日対国士舘大一回戦までの45試合連続登板がリーグ記録のようだ。(H20.7.29追記)

テーマ別インデックス「資料編」 :通算本塁打・投手勝敗・開幕カードスタメンなど
「記録」:個人記録についての話題
「戦前」:新聞記事で拾った戦前の記録
「動画」:神宮で生観戦した際の動画
「エピソード」
「人物」
 





亜大キラー松沼家=東洋大学野球部の歴史ーエピソード②

2008-02-09 09:49:00 | インポート
昨年秋までに通算33勝を挙げて卒業した大場翔太投手も、松沼雅之投手の39勝には及ばなかった。東都のリーグ記録は芝池(専大)の41勝なので、松沼雅之投手の記録は東洋大学の通算最多勝記録ということになる。
その松沼投手が初勝利を挙げた時の朝日新聞には
東洋、完封で亜大下す―新人松沼が投打に活躍
の見出しとともにこんな記事が。

兄弟で亜大キラー 松沼投手
亜大はここ数シーズン、東洋大に相性が悪い。とくに下手投げの松沼博久投手(東京ガス)がニガ手だった。四十七年春から昨年秋まで、一勝五敗とさんざんだった。
松沼は今春卒業した。亜大にすれば「ヤレヤレ」の心境だったろう。ところが、試合前にメンバーを交換すると、東洋大の投手は「松沼」。「オヤッ」と矢野監督。この松沼投手は博久投手の実弟、雅之投手で、今春入学したばかり。それでも亜大の矢野監督にすれば「兄貴に苦しめられたが、弟は別」という気持ちがあったようだ。
一方、東洋大・佐藤監督のハラは「投手陣が四苦八苦なので、やむなく新人を使うのだが、兄貴が亜大に強かったので、もしや弟も・・・」と期待して、マウンドへ送った。
結果は松沼の独り舞台。投げては完封、打っては3打数3安打、打点1の大活躍となった。兄に比べて三センチ背が高く、投法も上手と違っていても「ぜひに」と手に入れた背番号は兄と同じ「28」。顔つきもよく似ている。これでは亜大の選手の目に、博久と雅之の二人が、二重写しになっていたかもしれない。
(朝日新聞昭和五十年四月十七日朝刊)

兄・博久投手は二年春の昭和四十七年春の中大二回戦が初登板でこの時は負け投手になっている。つづく亜大一回戦は先発で勝ち負けは付かず(試合は東洋の負け)、翌日の二回戦に連投で先発、完投で初勝利を飾っている。兄弟とも大学初勝利は亜大戦だった訳だ。
ともに亜大に相性の良かった二人なのだが、特に弟・雅之投手は四年間で亜大戦に16試合登板し13勝1敗の好成績を残している。通算成績は39勝26敗(兄・博久投手は22勝15敗)である。この間、亜大の成績が入替戦を二度経験するなどやや低迷期であったとはいえ、やはり“亜大キラー”と称してよいだろう。

そして、上記記事から二十七年後の平成十四年、毎日新聞に次のような記事が載った。

東洋大030002102 8
亜  大000003011 5
勝:松沼(1勝)
敗:永川(2勝1敗)

うれしい初勝利○・・初勝利を挙げた東洋大の松沼投手(2年・川越商)は「少しはっ通用するかなと。素直にうれしいです」と喜びをかみしめた。・・中略・・「父の初勝利も2年春と聞いています。これを弾みに、しっかり走って体を作りたい」と秋への抱負を語った。 
(毎日新聞平成十四年五月二十九日朝刊)
博久投手の長男・松沼達也投手の初勝利も亜大戦だった。故障もあって通算2勝しか挙げられなかった達也投手の勝ち星も実は二つとも亜大戦からのものだったのである。



テーマ別インデックス「資料編」 :通算本塁打・投手勝敗・開幕カードスタメンなど
「記録」:個人記録についての話題
「戦前」:新聞記事で拾った戦前の記録
「動画」:神宮で生観戦した際の動画
「エピソード」
「人物」