猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

柔よく“米”を制す:山村力人投手=東洋大野球部の歴史-人物⑩

2009-02-25 11:45:00 | インポート
以前作成した記事 “JAPAN”:国際大会代表選手一覧 をご覧頂くと分かるように、東洋大には時折高校時代に“JAPAN”のユニフォームを着た経験を持つ選手が入学してくる。現在在学している選手では乾真大投手と林崎遼選手の東洋大姫路コンビがそうだ。乾投手は大学でも一年生ながら世界大学野球選手権の代表にも選ばれており、今年は日本で開催される日米大学野球での活躍も期待される。

東洋大学から日米大学野球の代表に初めて選ばれたのは昭和52年の第六回大会の松沼雅之投手と山村力人投手だが、乾投手と同じ小柄な左腕、山村投手は広島商時代にも高校JAPANに選ばれている。

山村投手は昭和50年夏の甲子園に出場。さほど前評判は高くなかった広島商をベスト4に導いた立役者。準決勝では優勝した習志野高に0-4で敗れたが、カリフォルニアとハワイで行われた日米親善高校野球の代表に選ばれた。

昭和50年全日本高校選抜メンバー
監督石井 好博習志野
投手小川 淳司習志野3年
村上 博昭新居浜商3年
山村 力人広島商3年
今岡 均中京商2年
青山 久人国 府3年
捕手続木 敏之新居浜商2年
中村 昭上 尾3年
内野手塚原 修上 尾2年
福田 弘俊習志野3年
大麻 祐一新居浜商2年
原   辰徳東海大相模2年
豊平 晋一中京商3年
下山田 清習志野2年
河田 啓吾九州学院3年
外野手津末 英明東海大相模2年
猪口 明宏天 理3年
玉川 寿土 佐2年



カリフォルニアでの試合は日系人チームによるトーナメント大会で、対戦する相手の平均年齢は二十三歳。当時の朝日新聞記事によれば、「実力は日本の社会人野球のBクラス程度」だったそうだ。また、同記事では代表チームの石井監督(習志野高)の「下手投げの青山(国府)とブレーキの鋭いカーブを投げる左腕山村(広島商)軸にする」と云うコメントも紹介されている。

8月27日:全日本選抜チーム壮行試合:於・大阪球場
全日本選抜000 201 600  9
全大阪選抜200 001 000  3
(日)青山6・山村2・今岡1
*原辰徳や甲子園のサイクル男玉川らが出場したこの壮行試合には一万八千人の観衆を集めたそうだ。

昭和50年:第三回中央カリフォルニア日系人招待野球(於・米国加州フレスノ市)

8月30日:一回戦
全日本高校選抜010 012 001  7
レネゲイズ000 001 000  1
(日)青山

8月31日:準決勝
全日本高校選抜001 232 003  11
ジャイアンツ000 003 000  3
(日)小川(習志野)

9月1日:決勝
全日本高校選抜001 100 010 2  5
ヤマサ・レイカーズ000 020 001 0  3
(日)山村8 1/3・青山1 2/3
好投手と言われた山村は、かなりいい球を投げていた。だが得意のドロップは高めと判定され、苦しいピッチングの連続。口の中が乾くのか、盛んにつばをのみ込み、表情も緊張感で青白い。「代えどきが難しい」とつぶやいていた石井監督は、五回同点にされて苦悩の表情。ついに九回一死二、三塁の一打逆転機に陥ったところでふんぎりをつけ、準備していた青山をつぎ込んだ。(『朝日新聞』昭和五十年九月三日付)


優勝した日本チームはハワイに移動し、親善試合を行った。

9月4日
全日本高校選抜000 001 300 0  4
マウイ・オールスターズ220 000 000 1  5
(日)今岡1・山村4・青山4 2/3

9月7日
全日本高校選抜000 123 0142  22
ヒロ選抜000 310 0 00   4
(日)山村3 2/3・青山4 1/3・今岡1

9月9日
全日本高校選抜000 001 000  1
ホノルル高校選抜000 000 000  0
(日)青山

9月10日
全日本高校選抜200 000 011  4
オアフ島高校選抜101 001 000  0
(日)小川

9月12日
全日本高校選抜600 201 401  14
全カワイ高校選抜000 000 000  0
(日)今岡3・山村3・青山3

この遠征での山村投手の成績は登板4試合、19回2/3 被安打9 自責点3 防御率1.38であった。


東洋大に進学した山村投手は一年春からベンチ入りした。
中継ぎと救援で活躍しそうなのは、東洋大の山村力投手(広島商出)。オープン戦では九回三分の二を投げ、被安打6、自責点ゼロの好成績である。昨年夏の選手権で、広島商がベスト4に進んだ時の主戦投手で、一七三センチ、五八キロと体はきゃしゃだが、左腕から切れのいいカーブを投げる。(『朝日新聞』昭和五十一年四月二日付朝刊:東都大学野球‐今シーズンの話題(上)

開幕カードの対駒大戦で早速二点リードされた七回から登板し2イニングを無安打に抑えると、翌日の二回戦でも救援で登板した。

昭和51年4月7日:対駒沢大二回戦
東洋大005 000 000  5
駒沢大002 000 000  2
(東)松沼・山村-達川
(駒)藤原・中後・尾藤・長島・高根沢-大宮
山村、会心の一勝
東洋大の山村は、昨年夏の満員の甲子園に比べ、約千の神宮だったが、「あがってしまった」という。
ヒジの痛みでマウンドを降りた松沼に代わって、四回から登板したものの二死から連続三つの四球を出した。「あのときが、一番苦しかった」とか。
しかし、昨夏、広島商のエースとしてベスト4へ進んだだけのことはある。曽我部を2-2から、外角いっぱいに決まる得意のカーブで、から振りの三振に仕留め、ピンチを脱した。・・・中略・・・大喜びの佐藤監督は「期待はしていたが、これほどまでやってくれるとはね。まったくよく投げた」。(『朝日新聞』昭和五十一年四月八日付朝刊)

この年の秋には初優勝を決めた対専大戦に先発し、途中で松沼投手にマウンドを譲ったものの中盤まで好投し大きく貢献した。(参考:“生中継された初優勝”)
そして、翌年二年生ながら日米大学野球の代表に選ばれたのである。代表チームの監督は駒大・太田誠監督であった。

第六回日米大学野球選手権日本代表メンバー

ポジション氏   名 所 属 学 年出身高校
総監督石井 連蔵朝日新聞社
監  督太田 誠駒沢大
コーチ五明 公男法政大
投 手尾藤 福繁    駒沢大4年 土 居
   林   良孝    東海大4年 江の川
   江川 卓    法政大4年 作新学院
   鹿取 義隆     明治大 3年高知商
   松沼 雅之東洋大3年取手ニ
山村 力人東洋大2年広島商
捕 手松川 正樹愛知工大4年大 府
中尾 孝義専修大3年滝 川
堀場 秀孝慶応大3年丸子実
内野手渡部 一治駒沢大4年今治西
山本 文博駒沢大4年八幡浜
石毛 宏典駒沢大3年市銚子
原   辰徳東海大1年東海大相模
金光 興二法政大4年広島商
中屋 恵久男早稲田大3年早稲田実
古屋 英男亜細亜大4年木更津中央
外野手山口 弘和駒沢大4年崇 徳
石井 昭男東海大4年東海大相模
植松 精一法政大4年静 岡
豊田 誠佑明治大3年日大三



投手陣は江川と、クセのある球を投げる林良、鹿取は比較的スムーズに決まったが、残る二人をめぐって難航。右投げでは堀田(専大)や石井(大東大)、左は道方(早大)上田(近大工学部)らが対象になった。しかし、アメリカ打線に有効な投手をとの太田監督の希望もあり、低めの速球を得意とする右の松沼と、タテに変化するカーブが武器の左腕山村に落ち着いた。(『朝日新聞』昭和五十二年六月十三日付朝刊)


昭和52年:第六回日米大学野球選手権(於・米国)

7月2日:第一戦
日本001 200 000  3
米国000 012 01X  4
(日)江川-中尾
(米)タツノ・ホリアー-バンゴーダー

7月3日:第二戦
米国010 000 020 000 02  5
日本000 000 102 000 00  4
(米)ボードレー・ボックスバーガー・サーモン・ベルク-ウッドサイド
(日)松沼7・鹿取0・江川0・山村2・林5-中尾

7月5日:第三戦
日本002 100 010  4
米国210 000 000  3
(日)江川7・林1・山村1-中尾
(米)ヘイズ・ベルク-バンゴーダー

7月6日:第四戦
米国000 000 000  0
日本102 000 01X  4
(米)ボックスバーガー・サーモン・ホリアー-ウッドサイド
(日)松沼-中尾

7月7日:第五戦
日本000 100 000  1
米国010 010 000  2
(日)鹿取1・山村3 2/3・林2 1/3・江川1-中尾
(米)タツノーバンゴーダー

7月9日:第六戦
米国040 011 000  6
日本001 020 000  3
(米)ボードレー・サーモン-バンゴーダー
(日)松沼4 1/3・林2/3・山村3・尾藤1-中尾・松川

7月10日:第七戦
日本001 004 000  5
米国012 003 10X  7
(日)江川3 2/3・林1 1/3・山村1・松沼2-中尾
(米)ホリアー・ボックスバーガー・ベルク-ウッドサイド

米国が5勝2敗で優勝

日本チームの投手成績

投球回防御率
江川1119 1/32019741.80
松沼1122 1/31813652.05
0210 1/398243.60
山村0110 2/353410.90
鹿取00120319.00
尾藤00110000.00



江川・松沼の速球派エースを擁した日本チームにあって、“軟投派”山村投手も第五戦の五回一死一、三塁で四球目がショートバウンドとなり一点を献上、負け投手となってしまったが、7試合中五試合に登板して防御率0点台とよく健闘した。
日本選手で予想以上に働いたのは林、山村、松沼、古屋、原らだけど、そのうち山村、松沼、古屋らは選考会で太田監督が強く推薦した選手。リーグ戦の成績は必ずしも良くなかったが、日米シリーズに通算四度出場している同監督には、米向きの選手というのがわかったのだろう。例えば、山村の縦に割れるカーブは米打者に打てないと・・・・。(『朝日新聞』昭和五十二年七月十三日付朝刊:日米大学野球を顧みて-記者対談)


一学年上に松沼、同学年に同じ左腕の鶴岡投手がいた山村投手は通算では10勝13敗に終わってしまったが、三年時には二回目の優勝を遂げた対専大戦で先発、初優勝の時と同じく途中で松沼投手の救援を仰いだものの、この試合では勝利投手となっている。
卒業後は三菱重工広島へ進み都市対抗のマウンドも踏んだ。

力投する山村投手-昭和51年、初優勝時の対専大戦=YouTube動画より
</object>
http://www.youtube.com/watch?v=NBPj-E47m3Y


拍手を送る
(この記事を気にいった方はクリックして頂ければ幸いです)


下の方に「ブログ気持玉」というのも出来たので宜しければこちらの方もワンクリックお願いします。
      ↓   ↓   ↓



テーマ別インデックス「資料編」 :通算本塁打・投手勝敗・開幕カードスタメンなど
「記録」:個人記録についての話題
「戦前」:新聞記事で拾った戦前の記録
歴史-戦後編」 :新聞記事から拾った戦後の記録
「動画」:神宮で生観戦した際の動画
「エピソード」
「人物」
「東洋大学」:主に野球以外のあれこれ。 





番外編:麟祥院~湯島天神~白山神社

2009-02-17 15:32:00 | インポート
湯島天神では例年この時期に梅まつりが開催されている。筆者はここ何年か毎回散策を兼ねて訪れており、今年も先の日曜日、2月15日に行って来た。前日の土曜日ほど(東京の最高気温は23.9℃!)ではなかったものの、二月にしては暖かく感じる日だった。

地下鉄本郷三丁目駅から春日通りを湯島へ向かったが、途中麟祥院に立ち寄る。
春日の局ゆかりのこの寺は、明治二十年九月十六日に哲学館が開設された場所、東洋大学発祥の地でもある。


境内にある教育委員会の案内板―春日の局の墓とともに“哲学館跡”の説明もある。
画像














井上圓了の哲學館=開館
湯島切通し上の麟祥院内に設置せし哲學館は、一昨十六日假開館式を執行したり。午後二時頃來賓及び生徒一同は式場に着席するや、館主井上圓了氏は該館設立の趣旨を詳かに演じ終て、此設立を賛成して多少の寄附金を贈與ありたる諸氏に對し、懇ろなる謝辞を述べたり。・・・中略・・・式畢りて堂の書院に於て招待の人々へ茶菓を供せり。當日の來賓は多く大學の學士と各宗の學僧等にてありき。(『東京日日新聞』明治二十年九月十八日付)

画像







のちに四代目の東洋大学長となった境野黄洋は麟祥院時代の哲学館の様子を次のように語っている。
あの頃のことを思うと、なんとも云えない感激がわいてくる。私が哲学館で学んだ頃は、言語に絶した、不完全きわまるもので、学校とは名のみ、徳川時代の寺子屋式であって、かの湯島の寺の一室を借りて校堂に当てられ、日々通学する学生は、今日のような制服制帽をもって一定されているのではなくて、あるいは洋服あり、あるいは破れ袴あり、すこしふるったものになると、金襴の袈裟に数珠といういでたちの者もあるというありさまであって、年齢も老いたるは四、五十、若いのは二十歳くらいなのもいて、じつにもって、今にして思えば仮装行列とも見られるべき姿で平気で通学していた。
しかし、この不完全なところが、ある意味では興味があったように思う。(『伝円了』平野威馬雄)

境野黄洋は宮城県の生まれ。仙台の曹洞宗専門支校で仏教の講義を聞き、上京後哲学館に学んだ。曹洞宗専門支校は昨年の明治神宮野球大会決勝で東洋大学と顔を合わせた東北福祉大学の前身である。
(ちなみに“曹洞宗専門本校”は今の駒沢大学)

“東洋大學発祥之地”碑
画像
















もうひとつ野球絡みの話で云えば現巨人のOB岩舘学選手や現在も在学中の伊藤哲士選手の母校である成田高校の前身、旧制成田中学を創立した石川照勤もこの地で学んでいる。石川照勤は明治二十三年に哲学館を卒業したあと明治二十七年には弱冠二十六歳であの成田山新勝寺の第十五世貫首となった人。中学設立のほかにも成田図書館の建設などの事業に着手した。

創立者井上円了は大正六年十一月の創立三十周年記念式に於いて
「同校はなんら入学者の資格を定めず、極端な開放主義を取ったので志望者雲集の有様で、学生の多くは天保、弘化、嘉永、安政時代生まれの老人から十七、八歳の青年までたちまち数百名に及び、教師の平均年齢よりも学生の年齢の方が遙かに多いと云う奇観を呈したので、『生徒』と云うのが少々気の毒な処から、館内員と云う名称を用うる事にした」(『東京朝日新聞』大正六年十一月十二日付)

との感想談を語っている。
前述の石川照勤もこの式典に列席し、出身者総代として祝辞を述べた。


春日の局墓所
画像



















この写真では正面のものしか見えないが、穴が東西南北に四つ開いている。これは、「死して後も黄泉より此の世を見て、政道をを正すべし」との遺言によるのだそうだ。

麟祥院は臨済宗の禅寺。拝観は三時までなので行かれる方はご注意を・・・。



麟祥院からは歩いて五分ほどの湯島天神へ。



湯島天神―暖かいせいもあってかなかなかの賑わいだ。
画像














境内の梅―七分咲きといったところか・・・。
画像
















画像















梅酒の試飲コーナー―遠慮なく頂きました・・・。
画像














イベントステージ―この時は白梅太鼓というのを演っていた。
画像














同じく白梅太鼓―動画
<script type="text/javascript" src="http://www.flipclip.net/js/97d95ad83a6daf1b941757896983efcb" ></script>


3月8日までの梅まつり期間中は様々なイベントが予定されているようだ。
湯島天神公式ホームページ


湯島から根津を経由して白山方面へ。


寺の屋根から生えるマンション―いかにも素人カメラマン好みの構図・・・。
画像



弁慶の井戸―偶然通りかかって見つけた・・・。
画像




















画像















義経と奥州へ向かう途中弁慶が見つけたそうです。池の端一丁目。




突然顔を出してきた犬―本郷通り・向ヶ丘にて。
画像

















白山上のとんかつ屋・キッチンもんきー―閉店の張り紙。再開発でビルになるそうだ。
画像

















画像














並びの履物屋さんやお寿司屋さんも同じく閉店・・・。



画像


この通りの先、白山上に出る角の三角のところは大正の一時期、今は普通の本屋さんとなった南天堂の出版部門があったところ。三角二階と呼ばれていた。



画像

















白山神社社殿―本数は少ないがこちらは紅梅がきれいに咲いていた。
画像





















発見・白山神社に住む猿!・・・ではなくて一応猫のようだ。
画像















画像














人間如きに構ってはいられない・・・。





画像
















東洋大学―かつての“寺子屋式”の学校の現在の姿。
画像















ここからさらに徒歩にて巣鴨駅へと向かい帰宅した。この日は陽が落ちてからもさほど気温も下がらず、心地よい半日の“超ミニ旅行”でした。



拍手を送る
(この記事を気に入った方はクリックして頂ければ幸いです)



下の方に「ブログ気持玉」というのも出来たので宜しければこちらの方もワンクリックお願いします。
      ↓   ↓   ↓



テーマ別インデックス「資料編」 :通算本塁打・投手勝敗・開幕カードスタメンなど
「記録」:個人記録についての話題
「戦前」:新聞記事で拾った戦前の記録
歴史-戦後編」 :新聞記事から拾った戦後の記録
「動画」:神宮で生観戦した際の動画
「エピソード」
「人物」
「東洋大学」:主に野球以外のあれこれ。 





東洋大OBプロ選手の“思い出”?

2009-02-08 14:02:00 | インポート
今年も週間ベースボールの『選手名鑑号』が2月6日の発売され、晴れてプロ選手の仲間入りを果たした大野奨太選手と上野大樹選手も掲載されている。
毎年発行されるこの“週ベ”の名鑑には“主なタイトルと受賞年度”の欄があり、ノンタイトルの場合は“思い出のシーン”が掲載されている。
そこで、今年在籍している東洋大OBの選手・スタッフの“思い出”を手元にあるバックナンバーを基にまとめてみた。

東洋大OBプロ:思い出のシーン(または主なタイトル)(『週刊ベースボール選手名鑑号』より)
..................................太字は新人の年、青字は大学時代にまつわるもの)
桧山進次郎92年大学4年の時のリーグ優勝(~00)
         01年大学3年秋のリーグ戦で最下位を免れたサヨナラホームラン(~02)
         03年11月3日、雨の中で行われた優勝パレード(~09)
清水隆行 96年5季連続の2位で迎えた大学4年春の東都リーグ戦で優勝。
         97年96年10月6日のリーグ優勝決定。(~00)
         01年96年4月23日の広島戦で加藤伸一から打ったプロ1号が勝ち越し2ラン。
         03年最多安打(02)、ベストナイン(02)(~09)
今岡誠 97年96アトランタ五輪で23打数10安打、打率.435.レギュラーとして銀メダ ルを獲得したこと。(~02)
         03年ベストナイン(02)                
         04年首位打者03、ベストナイン02、03、ゴールデングラブ03
         06年首位打者03、打点王05、ベストナイン02、03、05、ゴールデングラブ03、(~09)
福原忍 99年昨秋大会で東洋大を3季ぶりに1部に昇格させた。 (~00)
         01年00年4月18日の巨人戦で初完投初完封勝利。(~09)
前田忠節 00年記載なし
         01年95年夏の甲子園でマウンドに立ったこと。(~06)
         07年近鉄球団がなくなったこと(~09)
小川将俊 04年03年都市対抗の七十七銀行戦で本塁打を打ち、盗塁を2つ刺したこと。(~07)
         08年04年8月15日のヤクルト戦でプロ初安打。(~09)
三浦貴 01年大学4年の秋季リーグ戦で優勝したこと。
         03年記載なし(~04)
         05年03年9月15日の中日戦(ナゴヤドーム)で平井からプロ初本塁打。(~09)
岩舘学 04年高2の夏の県大会決勝の八千代松蔭高戦。
         05年04年10月6日の広島戦(広島)で大竹からプロ初安打。(~09)
上野貴久 07年06年の都市対抗、東京第1代表に貢献。(~09)
大広翔治 05年世界大学野球選手権の決勝で米国に負けたこと。
         06年記載なし(~09)
永井怜 07年大学2年秋のリーグ戦の日大戦。延長11回を一人で投げぬいて勝ち、自信につながった。(~09)
田中大輔 07年大学の世界選手権で4位。メダルを逃したことが悔しかった。
         08年07年8月1日の広島戦でプロデビュー。故郷の広島でスタメンマスク。(~09)
大場翔太 08年大学4年春のリーグ戦で優勝。
         09年プロ初登板でパ・リーグ初の無四球完封での初勝利。
大野奨太 09年4年秋のリーグ戦の4季連続制覇。
上野大樹 09年マウンドで迎えた08年大学選手権優勝。

..................................スタッフ
和田孝志93年大学2年の秋、亜大の小池(現近鉄)と投げ合った試合でノーヒットノーランを達成(~00)
         01年96年9月7日のオリックス戦でプロ初登板。(~09)
森浩之88年57年選抜で榎田(元阪急)とバッテリーを組んで優勝(~90)
         91年90年6月20日の対近鉄戦であの阿波野から打ったプロ入り初ホーマー。阿波野とは東都リーグで同期。(~09)
 *森浩之さんは87年入団だが手元に88年までのバックナンバーしかなかったので入団二年目のもの。いずれにせよ“大学日本一”より“選抜優勝”の方が思い出深いようだ。

一番の思い出が大学時代の事なのは同窓としては嬉しいけれど、いつまでもそのままなのはプロとしては・・・・・(かと言って前田選手のような身につまされる“リストラ話”も考えものだが)。
冒頭にも記したようにこの欄は、あくまで“主なタイトルと受賞年度”がメイン。新人王を獲れば、二年目からは“新人王”が記載されるのだ。大野・上野の両君も・・・う~ん、二人ともパ・リーグか~!?。



*下の写真は楽天・大広翔治選手の新人の年のもの(05年5月、ヤクルト戸田球場)

新人の役目なのか、この日は“バット引き”をしていた。
画像













画像














駒田コーチの話を聞く・・・。
画像



首脳陣の前でさりげなくバットを持って立ち上がるが・・・。
画像













結局出番はなし。この日の仕事は“バット引き”だけだった。
画像















河川敷のこの球場はロッカールームもない。
画像














あれから4年、ここにいる限り“タイトル”も“思い出”も手に入らない・・・。
昨年は開幕一軍入りを果たした大広選手。
先ずは一軍定着だ!。


関連エントリー:東洋大OBプロ選手の“成長度”?




拍手を送る
(この記事を気に入った方はクリックして頂ければ幸いです)



下の方に「ブログ気持玉」というのも出来たので宜しければこちらの方もワンクリックお願いします。
      ↓   ↓   ↓



テーマ別インデックス「資料編」 :通算本塁打・投手勝敗・開幕カードスタメンなど
「記録」:個人記録についての話題
「戦前」:新聞記事で拾った戦前の記録
歴史-戦後編」 :新聞記事から拾った戦後の記録
「動画」:神宮で生観戦した際の動画
「エピソード」
「人物」
「東洋大学」:主に野球以外のあれこれ。 






東洋大OBプロ選手の“成長度”?

2009-02-07 10:11:00 | インポート
プロ野球選手と言うのは“大きい”!。テレビで見ているとスマートな印象の選手でも、近くで見るとやはり“大きい”!。
神宮で東都の試合を観戦すると、時にはドラフト候補に挙げられている選手とトイレで隣り合っていたりすることもあるが、身長は遜色なくとも体の厚みや腰回りのスケールがやはり違うように感じる。

そこで、東洋大出身現役プロ選手の大学時代と現在の身長と体重を比べてみた。

大学1年時と4年時の身長・体重
(数字はいずれも『神宮球場ガイドブック』による。1年時は春、4年時は秋の号)

球団 1年時 身長 体重→→ 4年時 身長 体重= 身長増減 体重増減
桧山進次郎 阪神 88年 177㎝ 70kg 91年 178㎝ 76kg +1 +6
清水隆行 西武 92年 184㎝ 76kg 95年 184㎝ 76kg ±0 ±0
今岡誠 阪神 93年 183㎝ 72kg 96年 184㎝ 80kg +1 +8
福原忍 阪神 95年 180㎝ 76kg 98年 180㎝ 76kg ±0 ±0
前田忠節 阪神 96年 172㎝ 72kg 99年 172㎝ 74kg ±0 +2
小川将俊 中日 97年 185㎝ 83kg 00年 185㎝ 83kg ±0 ±0
三浦貴 西武 97年 180㎝ 75kg 00年 180㎝ 75kg ±0 ±0
岩舘学 巨人 00年 176㎝ 76kg 03年 176㎝ 74kg ±0 -2
上野貴久 巨人 01年 177㎝ 75kg 04年 177㎝ 75kg ±0 ±0
大広翔治 楽天 01年 184㎝ 86kg 04年 184㎝ 84kg ±0 -2
永井怜 楽天 03年 177㎝ 68kg 06年 177㎝ 69kg ±0 +1
田中大輔 中日 03年 174㎝ 70kg 06年 174㎝ 75kg ±0 +5
大場翔太 ソフトバンク 04年 180㎝ 73kg 07年 182㎝ 77kg +2 +4
大野奨太 日本ハム 05年 175㎝ 77kg 08年 177㎝ 77kg +2 ±0
上野大樹 千葉ロッテ 05年 182㎝ 79kg 08年 181㎝ 78kg -1 -1




大学4年時と09年の身長・体重
(09年は『週刊ベースボール2・21号:2009年プロ野球選手名鑑』による)

球団 4年時 身長 体重→→ 09年 身長 体重 身長増減 体重増減
桧山進次郎 阪神 91年 178㎝ 76㎏ 18年目 177㎝ 78㎏ -1 +2
清水隆行 西武 95年 184㎝ 76㎏ 14年目 183㎝ 83㎏ -1 +7
今岡誠 阪神 96年 184㎝ 80㎏ 13年目 185㎝ 83㎏ +1 +3
福原忍 阪神 98年 180㎝ 76㎏ 11年目 180㎝ 89㎏ ±0 +13
前田忠節 阪神 99年 172㎝ 74㎏ 10年目 174㎝ 80㎏ +2 +6
小川将俊 中日 00年 185㎝ 83㎏ 6年目 187㎝ 85㎏ +2 +2
三浦貴 西武 00年 180㎝ 75㎏ 9年目 181㎝ 80㎏ +1 +5
岩舘学 巨人 03年 176㎝ 74㎏ 6年目 177㎝ 76㎏ +1 +2
上野貴久 巨人 04年 177㎝ 75㎏ 3年目 177㎝ 82㎏ ±0 +7
大広翔治 楽天 04年 184㎝ 84㎏ 5年目 183㎝ 90㎏ -1 +6
永井怜 楽天 06年 177㎝ 69㎏ 3年目 178㎝ 72㎏ +1 +3
田中大輔 中日 06年 174㎝ 75㎏ 3年目 174㎝ 75㎏ ±0 ±0
大場翔太 ソフトバンク 07年 182㎝ 77㎏ 2年目 182㎝ 82㎏ ±0 +5
大野奨太 日本ハム 08年 177㎝ 77㎏ 1年目 177㎝ 77㎏ ±0 ±0
上野大樹 千葉ロッテ 08年 181㎝ 78㎏ 1年目 182㎝ 80㎏ +1 +2



大学1年時から09年までの身長・体重の増減

球団 身長増減 体重増減 体重増加率
桧山進次郎 阪神 ±0 +8 1.11
清水隆行 西武 -1 +7 1.09
今岡誠 阪神 +2 +11 1.15
福原忍 阪神 ±0 +13 1.17
前田忠節 阪神 +2 +8 1.11
小川将俊 中日 +2 +2 1.02
三浦貴 西武 +1 +5 1.07
岩舘学 巨人 +1 ±0 1.00
上野貴久 巨人 ±0 +7 1.09
大広翔治 楽天 -1 +4 1.05
永井怜 楽天 +1 +4 1.06
田中大輔 中日 ±0 +5 1.07
大場翔太 ソフトバンク +2 +9 1.12
大野奨太 日本ハム +2 ±0 1.00
上野大樹 千葉ロッテ ±0 +1 1.01


投げて・打って・走って生活の糧を得ているプロ野球選手だから、量より質の問題で単純に体重が増えていればいい、と言うものでは無いのだろうが、実績を残している選手は体もサイズアップしている感があるし、大学1年時からほとんど同じサイズの岩舘選手などは、やはりパワーで負けているのか、などと思ってしまう。

キャンプも始まり球春も間近と感じさせるこの季節、OB選手たちもより“ビッグ”になって今年のプロ野球界を賑わせて欲しいものだ。




*入学時からすでに“大きかった”元ヤクルト・久保田智選手。大学時代は1年(’96)から4年(’99)まで182㎝82㎏で変わらず。プロ最終年の06年は183㎝85㎏。99年春の東都リーグ首位打者・久保田選手のこの“肉体”を以てしても一軍の壁は打ち破れなかった・・・。
(下の写真は05年5月ヤクルト戸田球場でのイースタンリーグ・対楽天戦。)


画像















画像














関連エントリー:東洋大OBプロ選手の“思い出”?


拍手を送る
(この記事が気に入った方はクリックして頂ければ幸いです)


下の方に「ブログ気持玉」というのも出来たので宜しければこちらの方もワンクリックお願いします。
      ↓   ↓   ↓



テーマ別インデックス「資料編」 :通算本塁打・投手勝敗・開幕カードスタメンなど
「記録」:個人記録についての話題
「戦前」:新聞記事で拾った戦前の記録
歴史-戦後編」 :新聞記事から拾った戦後の記録
「動画」:神宮で生観戦した際の動画
「エピソード」
「人物」
「東洋大学」:主に野球以外のあれこれ。 







動画:打ち勝つ野球の“スクイズ”=東洋大野球部の歴史ーエピソード編12

2009-02-03 16:43:00 | インポート
なかなか見られない
TOYO”のスクイズ(’02秋:対専修大戦、浜田政宣選手=現東京ガス)
</object>
http://www.youtube.com/watch?v=X_eY1L5dQ8I&feature=player_embedded



平成14年秋季リーグ戦
9月7日:対専修大一回戦
東洋大300 001 00  6
専修大020 000 000  2
(東)山脇・愛甲・長谷川-飯田
(専)加納・小西・米沢・深沢-柿沼
三塁打:小板・早川(東) 二塁打:浜田政・大広・田口健(東)・阿部・二瓶・柿沼・佐竹(専)
東洋11
専修
盗塁:中野・大広・浜田政(東)・坂上(専) 失策:東1

両チーム合わせて9本の長打が乱れ飛んだ開幕カードのこの試合、東洋は初回いきなり一死満塁のチャンスをつかむと小板の三塁打で早々と3点を先制。その後も毎回のように走者を出しながらなかなか追加点が奪えず(なにしろ1回から6回まで毎回先頭打者がヒットで出塁し、その内三回は二塁打だったのである)、結果的には6-2で開幕カードを飾ったものの12安打8四死球で11残塁。
トップの早川(前季首位打者・現honda)に岩舘(現巨人)・大広(現楽天)・小板(現honda)のクリーンアップとタレントは揃いながらいささか機能不全気味の打線に、高橋監督はスクイズを決めてもまだおかんむりの様子が映像からもうかがえる。


拍手を送る
(この記事を気に入った方はクリックして頂ければ幸いです)

下の方に「ブログ気持玉」というのも出来たので宜しければこちらの方もワンクリックお願いします。
      ↓   ↓   ↓



テーマ別インデックス「資料編」 :通算本塁打・投手勝敗・開幕カードスタメンなど
「記録」:個人記録についての話題
「戦前」:新聞記事で拾った戦前の記録
歴史-戦後編」 :新聞記事から拾った戦後の記録
「動画」:神宮で生観戦した際の動画
「エピソード」
「人物」
「東洋大学」:主に野球以外のあれこれ。