猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

番外編:アクセス数ベスト&ワースト

2009-01-24 11:15:00 | インポート
本ブログは実質的な開設をしたのが昨年一月十四日(最初に投稿したのは、一昨年九月に神宮から球場の音声をを試験的に携帯でしたものですが)なので、ほぼ一年を迎えたことになります。
気が付きにくいかとは思いますが、各ページにはヘッダーの右下に小さな数字でアクセス数が表示されております。
そこで、今日(一月二十四日の朝十時ころ)までの記事別アクセス数ベスト&ワースト各20をまとめてみました。
アクセス数ベスト20

順位アクセス数
1 1103 都市対抗野球:東洋大学出身出場者一覧Ⅱ(平成編)
2 922 生中継された初優勝=東洋大野球部の歴史
3 649 ’08大学野球選手権準決勝:東洋大対近畿大動画
4 517 個人別通算本塁打数
5 505 都市対抗野球:東洋大学出身出場者一覧Ⅰ(昭和篇)
6 484 動画:東洋大野球部四連覇達成
7 464 番外編:東都大学出身校別プロ野球選手年俸一覧
8 451 動画:東洋大学野球部優勝祝賀パレード&春日界隈ミニ散歩
9 448 “JAPAN”:国際大会代表選手一覧
10 431 一級下のライバルは・・・:北島広行投手
11 404 番外編:白山神社あじさい祭り。(白山界隈~巣鴨駅火事騒ぎ!)
12 384 同級のライバルは・・・:日野伸一(泰宏)投手
13 383 動画:第三十九回明治神宮野球大会決勝:東洋大優勝Ⅰ
14 356 動画:第三十九回明治神宮野球大会決勝:東洋大優勝Ⅱ...
15 352 東洋大学野球部の歴史-戦前③文化学科
16 340 東洋大学&付属校:プロ入団と拒否
17 325 投手個人別通算勝敗
18 324 年度別ベストナイン選出者
19 309 東洋大学の明治神宮野球大会戦績
20 294 “打ち勝つ野球”の顔・東洋の四番:年度別四番打者一覧



アクセス数ワースト20
順位アクセス数
1 25 東洋大学野球部の歴史-戦後編②昭和31年
2 28 東洋大学野球部の歴史-戦後編⑧昭和37年Ⅱ
3 37 神宮大会のさきがけ、“明治百年記念明治神宮野球大会...
4 38 東洋大学野球部の歴史-戦前⑤大正14年秋
5 40 番外編=哲学館”とチベット追記:能海寛の見た“成都
6 41 東洋大学野球部の歴史-戦前⑧大正15年Ⅲ
6 41 東洋大学野球部の歴史-戦前⑥大正15年Ⅰ
8 46 東都大学選抜1勝3敗:対六大学選抜
9 47 東洋大学野球部の歴史-戦前⑨大正15年Ⅳ
9 47 東洋vs国学院 2006.9.2=動画
11 48 神宮大会“三度制覇”:鈴木啓友選手
11 48 東洋大学野球部の歴史-戦前⑪昭和七年
13 49 動画:’08東都大学野球秋季リーグ戦表彰式
13 49 東洋大学野球部の歴史-戦後編⑥昭和35年
15 52 東都大学野球、同一ポジションでの連続ベストナイン
16 54 番外編:井上円了生誕の地
17 56 東洋大学野球部の歴史-戦前⑫昭和八年
18 59 番外編:“成分解析”試作品
19 60 東洋大学野球部の歴史-戦後編①昭和21年~昭和30年
20 64 東洋大学野球部の歴史-戦前④大正14年春



ベストの方に資料編の記事が多いのは人名で検索して訪れる方が多いからだと思われます。ヒットしたので来てみたら当てが外れたという方も多いかと思いますが、何卒ご容赦のほどを・・・。

ワーストの方には最近アップされたものも含まれておりますが、以前にアップしたものでも大正15年の“大学専門学校野球リーグ戦”の結果などは国民新聞のマイクロフィルム版で拾ったもので、大きな図書館でないとなかなか見ることができないかと思いますので、過去ログの方も宜しければお暇な時に覗いて見て下さいませ。

今後とも“猫面冠者”を宜しくお願い申し上げます。


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「記録」:個人記録についての話題
「戦前」:新聞記事で拾った戦前の記録
歴史-戦後編」 :新聞記事から拾った戦後の記録
「動画」:神宮で生観戦した際の動画
「エピソード」
「人物」
「東洋大学」:主に野球以外のあれこれ。 






東洋大学野球部の歴史-戦後編⑧昭和37年Ⅱ

2009-01-20 15:59:00 | インポート
昭和37年春のリーグ戦
(前稿「東洋大学野球部の歴史-戦後編⑧昭和37年Ⅰ=一部リーグ初登場:対中央大戦 」の続き)

対日本大 0勝2敗

一回戦 4月19日 於・神宮球場
日本大111 000 000 3
東洋大010 000 000 1
勝:竹中克
負:竹ノ下
二塁打:宮寺(東)
日大東洋
(三)岡本 5 21(右)井上 1 0 0
(右)矢野 4 20重松 4 0 0
(左)矢口 4 00(一) 2 0 0
(一)千原 4 10本多 2 1 0
(中)出雲 4 10(中)岡野 4 1 0
(遊)式見 4 21(遊)右羽賀井 3 1 0
(二)田代 4 10(三) 1 0 0
(捕)大島 3 00松井 2 1 0
(投)生田目100(二)真部 4 0 0
大川 1 00(捕)宮寺 3 2 1
竹中克2 10(投)竹ノ下1 1 0
広沢 10 0
佐々木1 0 0
(左) 島中 2 0 0
宮本 1 0 0
末松 1 0 0
36102 3371
日大 東洋
50107 42219

生田目341竹ノ下252
竹中克630 広沢750
盗塁:日2東1 失策:日1東1



二回戦4月20日於・神宮球場
東洋大000 000 000 0
日本大000 100 10X 2
勝:千原
負:広沢
二塁打:宮寺2(東)田代・大川(日)
東洋日大
(中)岡野 3 10(三)岡本 420
(左)島中 4 10(右)矢野 410
(一)4 10(左)矢口 300
(右)羽賀井400渡辺 000
(三)松井 4 00(投)千原 301
(二)真部 4 10(一)大川 310
(捕)宮寺 3 30(中)出雲 300
(遊)重松 2 00(遊)式見 311
本多 1 00(二)田代 310
伊塚 0 00(捕)大島 300
(投)広沢 2 00
3170 296 2
東洋 日大
5 1116 20023

広沢862千原970
失策:日1


対駒澤大 0勝2敗

5月1日一回戦 於・神宮球場
駒澤大010 300 200  6
東洋大000 000 000  0
勝:泉
負:竹ノ下
本塁打:小桐(竹ノ下) 二塁打:岡野(東)松村・宮下(駒)
駒大東洋
(左)木沢(中)岡部
(右)唐木(二)真部
生田(右)投羽賀井
石鍋(一)本多
(一)三沢
(二)松村(捕)宮寺
(中)太田(左)宮本
(捕)小島(三)松井
(三)小桐(遊)重松
(投)(投)竹ノ下
(遊)宮下島中
佐々木
井上
3131
駒沢 東洋
1

竹ノ下3 1/3
羽賀井5 2/3
盗塁:駒1 失策:駒2東3


5月2日二回戦 於・神宮球場
東洋大000 001 110  3
駒澤大100 101 001x  4
勝:泉
負:広沢
本塁打:三沢(広沢) 二塁打:宮寺・岡野(東)
東洋駒澤
(中)岡野(左)木沢
(二)真部(右)唐木
(一)生田
(右)羽賀井石鍋
(捕)宮寺(一)三沢
(左)宮本(二)松村
(三)松井(中)太田
(遊)重松(捕)小島
(投)広沢(三)小桐
(投)岡部
新谷
吉光

(遊)宮下
33123511
東洋 駒沢

広沢8 1/311岡部
吉光

盗塁:駒2 失策:駒1


対芝工大 1勝2敗

5月9日一回戦 於・神宮球場
芝工大000 000 020  2
東洋大000 000 000  0
勝:薦田
負:広沢
三塁打:尾関・和田(芝)
芝工東洋
(中)足達(中)岡部
深沢(二)真部
走中棟居(一)
(左)由島(右)羽賀井
和田(捕)宮寺
(遊)茅野(左)宮本
(右)尾関(三)松井
(三)花田(遊)重松
(一)斎藤修(投)広沢
(捕)末田
(二)中野
(投)斉田
薦田
3128
芝工 東洋
1

斉田広沢
薦田
盗塁:芝1 


5月10日二回戦 於・神宮球場
東洋大000 012 001  4
芝工大001 000 000  1
勝:竹ノ下
負:斎藤征
本塁打:宮寺(小椋) 
東洋芝工
(中)岡野(中)棟居
(二)真部(右)足達
(一)(左)和田
(右)羽賀井(遊)茅野
(左)宮本(三)花田
(捕)宮寺(一)斎藤修
(三)松井(捕)末田
(二)中野
(遊)伊塚秋井
重松宮脇
(投)大沢(投)小椋
竹ノ下斎藤征
永井
柳川
3031
東洋 芝工

大沢小椋
竹ノ下斎藤征
柳川
盗塁:芝2 失策:東1
東洋大は五回宮寺が左中間に本塁打した。2-1からのカーブをねらったもので、百二十メートルは飛んだ大きな当たり。この一撃で東洋大は活気づいた。
(『朝日新聞』昭和三十七年五月十一日付朝刊)
*宮寺のこのホームランが一部リーグで東洋大選手が放った第一号ホームランである。

5月11日三回戦 於・神宮球場
芝工大200 010 100  4
東洋大000 000 200  2
勝:斉田
負:広沢
二塁打:宮本(東)尾関(芝)
芝工東洋
(中)左足達1(中)岡部
(左)和田(二)真部
棟居(一)
(遊)茅野西川
(右)尾関(左)宮本0 
(三)花田(右)羽賀井
(一)斎藤修島中
(捕)末田(三)
(二)中野松井
(投)斉田(捕)宮寺
薦田(遊)重松
(投)広沢
竹ノ下
381329
芝工 東洋
11

斉田広沢
薦田竹ノ下
盗塁:芝1 失策:芝1東3

対東農大 2勝0敗

5月7日一回戦 於・神宮球場
東農大000 110 000  2
東洋大000 040 000  4
勝:広沢
負:浅野
三塁打:友部(農) 二塁打:峯田(農)
農大東洋
(左)米倉(中)岡部
(三)西村(二)真部
(一)友部(一)
(右)石渡(左)宮本
(捕)峯田(右)羽賀井
(二)石原本多
(中)松本島中
(遊)石井(捕)宮寺
(投)浅野(遊)重松
後藤(投)広沢
百々竹ノ下
伊藤
3131
農大 東洋

浅野広沢5 1/3
後藤竹ノ下3 2/3
伊藤
失策:農1


5月18日二回戦 於・神宮球場
東洋大000 210 400  7
東農大000 000 000  0
勝:広沢
負:小河
三塁打:宮寺(東) 二塁打:友部(農) 宮寺(東)
東洋農大
(中)岡野(左)米倉
(二)真部(二)石原
(一)(一)友部
(左)宮本 (右)石渡
(捕)宮寺(捕)峯田
(右)羽賀井(三)西村
(遊)重松(中)松本
(三)松井打中川村
佐々木小河
後藤
(投)広沢水口
村北
伊藤
百々
浅野
351031
東洋 農大

広沢小河
後藤
伊藤
浅野
盗塁:東1 失策:東2農2


勝点
駒澤大9勝4敗
芝工大8勝4敗
中央大8勝4敗
日本大6勝7敗
東洋大4勝8敗
東農大2勝10敗


ベストナイン(満票13票)
捕  手:宮寺勝利= 7票・初
外野手:岡野聖三=10票・初

打撃十傑入り打者
 2位:宮寺13試合44打数18安打10打点1本塁打、打率・409
 6位:岡野13試合50打数15安打 3打点0本塁打、打率・300
 7位:楠  13試合47打数14安打 3打点0本塁打、打率・298


宮寺勝利 みやでら・かつとし
1940.2.13~  出身:東京都目黒区/荏原高(現・日体荏原高)→東洋大
球団:’64-’66巨人、’67-’72西鉄、’73-’74太平洋 ポジション:捕手
経歴:東洋大3年秋*1に打率.409で東都大学リーグの打率2位に入る。’64年巨人に入団。’67年西鉄に移籍。オールスター出場2回。引退後、大宮ゴルフに入社。のち福岡で稲尾和久の経営する「稲尾スポーツ」に勤務する傍ら、テレビ西日本の解説者も務める。
打撃成績:実働11年、737試合、1639打数353安打、42本塁打、145打点、27盗塁、414三振、打率.215
(『プロ野球人名辞典1999』日外アソシエーツ)
*1原文通りに引用したが、宮寺は昭和37年度卒業で4年春の誤りである。

前稿「東洋大学野球部の歴史-戦後編⑧昭和37年Ⅰ=一部リーグ初登場:対中央大戦 」でも触れたように、このシーズンは悪天候で日程が大幅に狂った。その為シーズン終了後の講評記事では次のような指摘がされている。

― 球場難にたたられ練習にも余計な苦労 ―
ことしのリーグ戦は神宮球場を六大学の使わぬ火、水曜の両日を予定していたが、六大学が接戦の末、ほとんどのチームが三回戦までもちこまれた上に、雨にたたられたことなどが重なり、また東都大学も六大学同様の接戦を繰り返していたから、六大学が優先する神宮球場を思うように使えず、リーグ戦初の一日三試合制を実施したこともあった。そして、晴れの優勝を決定する最終試合も、神宮球場が六大学の新人戦にとられて、神宮第二球場で行うありさまだった。だから、各校ともいつ試合が行われるか、選手のコンディション調整には相当苦労していたようだ。
なにしろ、六大学の行われる土日曜のいずれかが雨で中止、その上この週の試合が三回戦まで持ち越されると、東都大学の予定日である火曜日にくい込み、かりに木曜と金曜日にやっても決勝戦は次週の神宮球場のあいているときに行うことになる。
 
ある学校では練習中、ラジオで六大学の実況を聞きながら、翌日予定どおり自分の学校が試合できるかどうかみきわめた上で、予定されている先発投手の練習法を変更するありさまだった。

こんな状態だから、結局頼れるエースのいるチームは、翌日ゲームが行われないとわかっていれば、一回戦に完投していても、また二回戦に投げさせ、そして次週行われる決勝戦にも投げさせることができるので、どうしても頼れる投手のいるチームが有利になっていたようだ。この点優勝した駒大には泉投手が終始故障もなく投げぬいたのに反し、昨秋優勝校芝工大は開幕当初駒大に勝ち越しながらも中盤戦の大事なときにエース薦田が右肩を手術、中大に連敗したことがたたって優勝を逸し、また一部昇格したばかりで活躍を期待されていた東洋大も、エース広沢が軸足をねんざして思うように投げられず、五位に泣いたなどがよい例となっていた。
(『毎日新聞』昭和三十七年六月九日付朝刊)

毎シーズンのことだが、神宮第一球場の使用日が限られ、六大学リーグの日程に左右されて変則な日程編成で苦しんでいたが、なんとか専属球場は持てないものか。東都リーグ加盟校二十七校が心を一つにして、この問題を解決しなければいつまでも六大学野球を追い抜くことは出来まい。
(『朝日新聞』昭和三十七年六月九日付朝刊)


参考:駒大初優勝を伝える新聞紙面
画像



















六大学新人戦にも大きく紙面を割いている。
(当時、六大学新人戦はトーナメントでは無く、六校総当たりで行われていた)


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“660人の敗者”に栄光あれ!!=東洋大学・箱根駅伝の軌跡

2009-01-08 17:57:00 | インポート
以前のエントリー「昭和35年追記:グラウンドについて 」の稿でも紹介したのだが、東洋大学の『校友会報』111号(昭和53年発行)に「われらの時代の“箱根駅伝”を語る」というタイトルで陸上部OBの方による座談会が載せられている。今回の箱根駅伝初優勝に際し、あらためて同記事から箱根駅伝参加の経緯を引用・紹介させていただく。

兼頼:陸上競技部ができましたのは昭和二年ですが、その頃は相当な人がいたようです。けども、グランドがあるわけじゃない。たまには他の学校のグランドを借りにいったりしたわけです。そんな関係でおのずと長距離ということになりまして、じゃ、ひとつ箱根駅伝に参加しようじゃないかということになったわけです。駅伝に参加するには最低十人の選手が必要でして、中学時代に長距離をやっていた人を選ぼうということになって、昭和七年の四月から選手を養成するわけです。肴町の風呂屋(現白山・南天堂書店のとなり)から駒込、飛鳥山、西巣鴨を通って池袋までのコースを走るわけですが、風呂屋を出発点にするのは、お風呂屋へ行って裸になって、帰りにはお風呂で汗を流すというわけですよ。(笑)
そして、学連に対して東洋大学は駅伝に参加したいという申し入れをしました。そしたら「駅伝に参加するといっても本当に走れるのか?」というんですね。この時一緒に申し込んだのが拓殖大学です。で、それからは各大学の人達にお願いしたり、金づくりをしたりするわけです。
司会:その時の監督は、どなただったんですか。
兼頼:監督はいなかったんですね。いろいろなことを中心にやってくれていたのが、今ブラジルで農場を経営している植木隆治君でしてね、とにかく彼が練習のこともいろんな渉外的なこともやってくれたんです。それで、十一月三日に予選に参加させてもらって、幸いなことに拓大に勝ちまして、じゃー、入れてやろうということになりました。しかし、「拓大もかわいそうだから入れるように」(笑)と、私の方でお願いしたりして、結局拓大も入れてもらったんです。これで昭和八年一月七、八日の第14回大会に初参加したわけです。・・・・中略・・・・しかし、ここまでいくにしても学内的にはいろいろやりましてね、他の部の選手も引きぬこうとしたりね。ここにいる山口君なんかもそうなんですよ。
山口:私は馬術部のキャプテンをやっていたんです。で、陸上部から応援してくれというわけで、何名か応援、参加させようじゃないかということになったんですが、結局誰も出る奴がいない。仕方ないから自分で出ましてね。で、走って、西巣鴨のあたりの折り返しだったと思うんですが、折り返し点近くで帰ってくるのが二人くらいしかいない。それもフラフラになって。あれなら俺一番でいけるぞ!というわけで大学へ戻ったら一番だった。・・・

司会:その当時の部員数は何人くらいだったんですか。
兼頼:全部で二十七、八人じゃなかったですか。
山口:しかし、本当に学校でまじめに練習していたのは、四、五人しかいなかったんじゃないですか。後に日本記録を出した池中なんかもサボリの池中で・・・・。(笑)自分で自覚したころにはもう一流の選手になっていたけど。
司会:当時のことでコーチもいなかったわけですね。
兼頼:今と違っていましてね。中学校の時、少し早かったとか、できそうだというものが集まっている程度ですからね。

文中の発言者のうち“兼頼”とあるのは初出場した第14回大会で一区の走者を務めた兼頼米太郎さん。東洋大最初の箱根駅伝走者である。この時の記録は15時間3分48秒で参加十一校中十位。優勝した早稲田大とのタイム差は実に2時間15分55秒だった・・・。
爾来、箱根路に挑み続けること六十七回目にして成し遂げた、念願の初優勝である。

総合順位 上段:往路 1~5区走者
(参加校数) 下段:復路 6~10区走者
S8 第14回 十位 十位 兼頼米太郎・平田忠彦・河野省三・吉川謙治・池中康雄
(11校) 十位 早川玉吉・*1宮芝義弘・田中隆恵・小倉一十郎・富屋直彦
S9 第15回 十三位 十一位 兼頼米太郎・中里報国・今井史郎・桜井正春・池中康雄
(13校) 十三位 河野省三・田中栄次・田中隆恵・山口勇・富屋直彦
S10 第16回 十一位 十一位 河野省三・富屋直彦・原茂清・*1宮茂義弘・池中康雄
(13校) 十位 山口勇・吉川謙治・今井史郎・清水武・武石一十郎
S11 第17回 十一位 十位 剣持正・小椋実・池中康雄・井坂信勝・原茂清
(14校) 十三位 山口勇・金光正夫・森藤加之・大蔵優一・金成元夫
S12 第18回 十一位 六位 原重清・森藤加之・安藤文英・竜崎芳郎・池中康雄
(14校) 十四位 関口憲三・宝田亀喜・小椋実・松浦重治・吉川謙治
S13 第19回 七位 八位 磯清一・小椋実・福島徳令・金成元夫・原重清
(12校) 十一位 大竹太郎・松浦重治・朴鉱采・青樹信正・原田博
S14 第20回 八位 六位 吉川謙治・小椋実・高岡幸男・原芳清・朴鉱采
(10校) 九位 石本三郎・那須武則・小川務・安城敬二郎・松浦重治
S15 第21回 五位 四位 高岡幸男・高瀬登・池中康雄・小椋実・朴鉱采
(10校) 七位 松尾喜雄・赤木義夫・小川務・安城敬二郎・武智徳令
S23 第24回 十位 八位 浜上克夫・尾崎光行・橋本陽太郎・尾形二郎・若狭智憲・
(12校) 十位 林勇・三輪新一・相沢末男・内藤貞男・石川伸吉
S24 第25回 十位 六位 浜上克夫・相沢末男・橋本陽太郎・林勇・若狭智憲
(12校) 十位 中島優・浜田栄太郎・米谷和夫・福田栄治・清水鶴松
S25 第26回 十二位 十三位 浜上克夫・内藤貞男・若狭智憲・矢作哲夫・山本悌二郎
(14校) 十一位 福田栄治・佐藤一雄・相沢末男・橋本陽太郎・林勇
S26 第27回 十一位 十一位 浜上克夫・根本和雄・橋本陽太郎・小山内勇吉・相沢末男
(11校) 十一位 小島隆二・高岡博・石川貞雄・福田栄治・香川保
S27 第28回 十二位 十二位 中野照雄・小山内勇吉・橋本陽太郎・鳥海勲・相沢末男
(14校) 十三位 原田一・熊沢総一郎・平沢英雄・伊藤節夫・三輪新一
S28 第29回 九位 九位 伊藤英雄・鳥海勲・石渕忠市・野村与七・中野照雄
(14校) 十位 村越美正・岩崎久・平沢英雄・小山内勇吉・原田一
S29 第30回 六位 六位 原田一・柴田静雄・石渕忠市・平沢英雄・中野照雄
(15校) 七位 村越美正・石原武雄・岩崎久・米山大恵・野村与七
S30 第31回 七位 五位 原田一・米山大恵・石渕忠市・峰岸常美・中野照雄
(15校) 七位 村越美正・山室清・平沢英雄・柴田静雄・岩崎久
S31 第32回 九位 九位 和田博次・米山大恵・石渕忠市・柴田静雄・内山末男
(15校) 八位 村越美正・関根一夫・峰岸常美・高橋清・山室清
S32 第33回 十位 十二位 吉田博・米山大恵・峰岸常美・関根一夫・内山末男
(15校) 九位 奥沢善二・小池文司・宮木啓友・宮谷久仁男・明田良雄
S33 第34回 八位 五位 奥沢善二・新井勝夫・吉田博・篠原幸男・内山末男
(15校) 八位 宮木啓友・久松敏哉・清水亘・宮谷久仁男・石井稔
S34 第35回 八位 五位 駒場道弘・新井勝雄・清水亘・久松敏哉・宍戸英顕
(15校) 八位 奥沢善二・吉田博・内山末男・小池文司・石井稔
S35 第36回 三位 五位 石井稔・小池文司・清水亘・宮谷久仁男・宍戸英顕
(15校) 二位 福田太加之・井出亮司・緒方満之・奥沢善二・吉田博
S36 第37回 六位 七位 石井稔・緒方満之・高田和男・井出亮司・宍戸英顕
(15校) 七位 福田太加之・松本孝夫・伊藤敦・篠原幸男・梅沢定男
S37 第38回 九位 八位 緒方満之・宍戸英顕・井出亮司・川村清・川鍋満
(15校) 六位 天野正二・梅沢定男・加瀬忠・福田太加之・伊藤敦
S38 第39回 十一位 十四位 松川興右・緒方満之・天野正二・松本孝夫・川鍋満
(15校) 十位 小池佑治・武田功・伊藤敦・渡辺和夫・川村清
S39 第40回 四位 五位 松田信由・川鍋満・小林格治・神原惇・小川勝己
(17校) 六位 天野正二・武田功・横堀泰寛・小池佑治・松川興右
S40 第41回 九位 十一位 松田信由・川鍋満・小笹富夫・山崎健一・小川勝己
(15校) 九位 神原惇・山口吉信・横堀泰寛・堀野耕一・小池佑治
S41 第42回 六位 七位 小林格治・横堀泰寛・山崎健一・山口吉信・佐々木功
(15校) 五位 神原惇・松田信由・野村栄樹・小川勝己・小池佑治
S42 第43回 六位 七位 樋口良太・横堀泰寛・山崎健一・新井敏之・佐々木功
(15校) 四位 神原惇・松田信由・野村栄樹・小川勝己・小林格治
S43 第44回 四位 六位 伊沢徹男・田中末喜・新井敏之・野村栄樹・竹之内孝
(15校) 二位 長浜公良・樋口良太・山本哲・佐々木功・有賀昭之
S44 第45回 五位 九位 森修・田中末喜・伊沢徹男・野村栄樹・竹之内孝
(15校) 五位 長浜公良・樋口良太・山本哲・佐々木功・富永輝幸
S45 第46回 七位 十一位 伊沢徹男・富永輝幸・山本哲・新井敏之・金山順一
(15校) 四位 長浜公良・田中末喜・森修・樋口良太・神宮直二
S46 第47回 六位 七位 塚越久男・田中末喜・山根邦昭・松村純一郎・金山順一
(15校) 六位 川村要二・森修・富永輝幸・伊沢徹男・神宮直二
S47 第48回 八位 八位 松田孟・松田進・近野清作・松本元明・井上文男
(15校) 八位 川村要二・森修・根岸明夫・塚越久男・飯沢明
S48 第49回 十一位 十二位 松田進・井上文男・根岸明夫・松田孟・近野清作
(15校) 六位 川村要二・関根勝・松本元明・塚越久男・飯沢明
S49 第50回 八位 九位 高橋富志雄・井上文男・河田潔・松田進・関根勝
(20校) 六位 保田仁・根岸明夫・塚越久男・近野清作・川村要二
S50 第51回 八位 十位 深田文夫・井上文男・高橋富志雄・関根勝・関口操
(15校) 八位 保田仁・河田潔・小屋迫宏・近野清作・武半和久
S51 第52回 十位 十位 工藤悟・保田仁・関根勝・深田文夫・関口操
(15校) 九位 前田篤秀・河田潔・堤隆裕・小屋迫宏・武半和久
S52 第53回 九位 八位 相良和彦・関口操・河田潔・堤隆治・吉田二郎
(15校) 九位 松本正・山橋淳一・小屋迫宏・沢村佐多夫・工藤悟
S53 第54回 九位 十位 相良和彦・山橋淳一・木下茂・吉田二郎・深見寿
(15校) 八位 深田文夫・沢村佐多夫・宮本典和・松本正・藤田修
S54 第55回 六位 八位 相良和彦・山橋淳一・木下茂・深見寿・松本正
(15校) 六位 沢村佐多夫・坂本安夫・鳴海比呂志・宮本典和・藤田修
S55 第56回 七位 五位 鳴海比呂志・山橋淳一・木下茂・山中昇・仙内勇
(15校) 九位 松本正・佐藤和也・田中弘・坂本安夫・谷年明
S56 第57回 十位 十二位 田中弘・佐藤和也・佐藤章・柴崎万伸・仙内勇
(15校) 六位 坂本太志・林清司・大野利丈・山中昇・谷年明
S57 第58回 六位 六位 佐藤和也・田中弘・大野利丈・柴崎万伸・仙内勇
(15校) 八位 坂本太志・大宮祐治・金子尚志・林清司・坂本安夫
S58 第59回 七位 八位 佐藤和也・田中弘・林清司・大野利丈・仙内勇
(15校) 八位 増沢和彦・山本裕芳・中村展人・菊地清治・柴崎万伸
S59 第60回 八位 九位 柴崎万伸・林清司・花野実・増沢和彦・金子尚志
(15校) 七位 今井哲・大宮祐治・菊地清治・中村展人・伊藤政博
S60 第61回 九位 八位 増沢和彦・中村展人・今井哲・定方次男・金子尚志
(15校) 十位 明本樹昌・大浦清司・新井哲・菊地清治・及川篤
S61 第62回 十三位 十三位 及川篤・定方次男・志津野誠・今野英樹・今井哲
(15校) 十三位 中村幸彦・菊地和成・安沢和宣・中村展人・明本樹昌
S62 第63回 十位 十三位 菊地和成・及川篤・中村幸彦・中山裕康・丸山恵一
(15校) 五位 大浦清司・定方次男・柴崎茂・河原一哲・志津野誠
S63 第64回 十三位 十四位 丸山恵一・中西俊文・河原一哲・小林英生・佐々木竜也
(15校) 九位 新井哲・清水理・柴崎茂・志津野誠・中村幸彦
H1 第65回 十四位 十二位 斎藤勲・中村幸彦・桑名義典・清水理・河原一哲
(15校) 十四位 牛込保雄・小玉正之・武内達朗・沼田康二・唐沢明良
H2 第66回 十三位 十五位 出水田洋・斎藤勲・竹内達朗・清水理・矢島渡
(15校) 十一位 牛込保雄・沼田康二・斎藤孝徳・窪田尚人・豊福健一
H3 第67回 十五位 十五位 永井聡・斎藤孝徳・武内達朗・本間喜一・奥泉伸
(15校) 十四位 牛込保雄・豊福健一・椙山弘明・窪田尚人・多胡秀昭
H5 第69回 十一位 十一位 小平剛志・永井聡・多胡秀昭・斎藤孝徳・後城英明
(15校) 七位 永井洋光・小山強志・松山克敏・奥泉伸・後藤正樹
H6 第70回 十五位 十二位 斎藤洋一・奥泉伸・松山克敏・後城英明・小山強志
(20校) 十七位 永井洋光・竹内秀和・小倉健・田尻竜也・後藤正樹
H7 第71回 十位 十四位 千原詩郎・小山強志・斎藤洋一・星野隆男・松山克敏
(15校) 八位 佐藤武・小沢希久雄・石川高伸・小平剛志・大坪優
H8 第72回 十一位 十二位 斎藤洋一・千原詩朗・酒井俊幸・小沢希久雄・小山強志
(15校) 十二位 佐藤武・竹内秀和・大坪優・星野隆男・萩野聡
H9 第73回 七位 六位 永井謙二・佐藤武・竹内秀和・沢柳厚志・千原詩朗
(15校) 十位 萩野聡・酒井俊幸・星野隆男・小沢希久雄・神田哲広
H10 第74回 十位 十二位 酒井俊幸・佐藤武・三嶋淳司・神田哲広・千原詩朗
(15校) 七位 萩野聡・谷秀行・秋葉正人・沢柳厚志・友部哲哉
H11 第75回 九位 十二位 沢柳厚志・石川末廣・秋葉正人・鈴木健太郎・高久亮
(15校) 七位 多田祐志・岡田徹・生田直人・岡村篤志・柏原誠司
H12 第76回 十五位 十五位 鈴木健太郎・秋葉正人・岡田徹・奥田孝志・仲野旭彦
(15校) 十五位 多田祐志・福士将史・生田直人・石川末廣・柏原誠司
H15 第79回 六位 九位 久保田満・三行幸一・田辺公大・北岡幸治・渡辺和孝
(20校) 四位 布江剛士・奥田孝志・菅原寿和・永富和真・岩田豪
H16 第80回 六位 六位 久保田満・三行幸一・信清高志・永富和真・菅原寿和
(20校) 七位 南川勝大・川畑憲三・浜田智也・渡辺史侑・鈴木北斗
H17 第81回 十三位 十二位 渡辺史侑・北岡幸治・尾田寛幸・川畑憲三・宮下祐介
(20校) 十二位 末上哲・信清高志・平澤岳・鈴木北斗・大橋怜
H18 第82回 十位 七位 市川健一・黒崎拓克・尾田寛幸・北島寿典・大西智也
(20校) 十三位 末上哲平・山本浩之・松尾孝・今堀将司・渡辺史侑
H19 第83回 五位 十位 大西智也・黒崎拓克・山本浩之・飛坂篤恭・釜石慶太
(20校) 三位 大西一輝・森雅也・北島寿典・川畑憲三・尾田寛幸
H20 第84回 十位 九位 大西智也・黒崎拓克・若松儀裕・今堀将司・釜石慶太
(20校) 十位 大西一輝・桜井豊・大津翔吾・中田貴勝・岸村好満
H21 第85回 優勝 優勝 若松儀裕・山本浩之・大西智也・宇野博之・柏原竜二
(23校) 優勝 富永光・飛坂篤恭・千葉優・大津翔吾・高見諒



今回のメンバーにあらためて祝福を送るとともに、
“660人の敗者”にも栄光あれ!!
 


*1『箱根駅伝―熱き思いを胸に襷がつないだ80年』(ベースボールマガジン社)『東洋大学百年史』とも表記は宮芝(S8)宮茂(S10)となっているが、いずれかが誤植の可能性もあるかもしれない。

*兼頼米太郎さんは、これまでの最高順位・三位になった昭和35年の第36回大会当時には陸上部の部長をされていた。また、その大会には御子息の兼頼邦久選手が東京学芸大の七区のランナーとして出場、親子二代での箱根走者となった。



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(東洋大学生体医工学科動画集より)
http://srcweb.eng.toyo.ac.jp/~BME/intro/move.html



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*陸上部については陸上部応援サイト“輝け鉄紺”さんに詳しく紹介されています。




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