ここ数年来、二月の湯島天神・梅祭り、五月の根津神社・つつじ祭り、そして白山神社のあじさい祭りは見に行くようにしている。今年も、二月には梅祭りに行き不忍通りを歩いて千駄木を経て白山迄歩いたのだが、つつじ祭りには行かなかった。(このところ東京は八週続けて週末は愚図ついた天気だったのだ。)
九週間ぶりの晴れた週末(といっても午後から雲が出て来たが)、六月七日の土曜日に白山神社のあじさい祭りに行って来た。
白山駅改札口
改装されたようで少しきれいになった。
駅傍の公園
公園も整備され地下鉄のエレベーターもできた。
ほかほか弁当がインドカレーの店になっていた。
白山神社鳥居結構人出がある。朝日新聞の東京版で紹介されたからかな・・。
花より団子派も大勢いる。
単体だときれいだが、全体的にはまだ見頃には早いように思った。一週遅らせた方が良かったかもしれないが、来週は大学野球選手権の決勝である・・・。
猫にとっては迷惑でしかない・・・。
閑静な住宅街では頭一つ飛び出る東洋大学。
左側の女性警備員さんは“東洋大学”の腕章をしていた。登下校の際、駅から大学までの間に立っている。最近は近隣の方々からの苦情もあるようだ。時には頭を低くしなければ・・・。(白山キャンパス南門(4号館)利用方法の変更について)
甫水会館と元文明軒
今回は白山上から向ヶ丘を通って駒込方面へ向かってしまったので、この写真は別の日にとったものだが、甫水会館の食堂も文明軒も数年前に廃めてしまった。文明軒はよくわからないがお洒落なイタリア料理店になったようだ。
ケニヤン&木村コーヒー
喫茶店といえば外資系チェーン店全盛の時代。(そもそも喫茶店とは言わないのかもしれないが。)この風景はいつまでも変わらないでほしい。
白山上交差点
後ろの大きなマンションは白山サウナのビルを取り壊して建てられたもの。交差点角の“丸美屋”は洋品店だったと思うが、この春で閉店したとの張り紙があった。この場所は大正半ば頃南天堂の支店があり、“三角二階”と呼ばれ大杉栄等も出入りしていたようだ。その頃白山サウナはまき町湯という風呂屋だったそうだ。
肴町通り-とんかつもんきー
南天堂書店
今では普通の“まちの本屋さん”だが、大正期にはここの二階に喫茶室があり東洋大の詩人岡本潤・小野十三郎(ただし二人とも中退してしまうが)や萩原恭次郎らが大暴れした。「南天堂時代」である。林芙美子はその喫茶室で女給として働き、ここで『放浪記』の出版記念パーティーをおこなった。なにしろ寺島珠雄さんという人がこのお店の事だけで466ページもある本を書いてしまう位なのだ。(南天堂―松岡虎王麿の大正・昭和)
魚 邦昔は二階建ての鮨屋だった。ここのランチタイムの五百円の鉄火丼は年に数回の大御馳走だった。今や立派なビルである。隣にあったかに谷は撤退してしまったようだ。
真淨寺
これも別の時に撮った写真だが、このお寺には戦前に東洋大学の学長を務めた高島米峰・境野黄洋の墓がある。植木等さんは東洋大に入学するまでこのお寺で小僧をしていた。
場所は魚邦の少し先で本郷通りから左に入ったところにある。
*京北商業はその後京北白山高校に校名変更した。
まき町通り
白山上交差点から本郷通りと交わるところまでの短い通りをまき町通りと言っていたらしい。
今回はここから本郷通り沿いに駒込方面へ歩いてみることにした。
目赤不動
地名に残る目白と目黒しか知られなくなってしまったが、もともと“江戸の五色不動”だったそうだ。ここ南谷寺が目赤不動、江戸川区小松川・最勝寺と台東区三ノ輪・永久寺の目黄不動、世田谷区太子堂の教学院が目青不動との事だ。
吉祥寺
二宮尊徳や榎本武揚の墓がある曹洞宗のこのお寺には、かつて栴檀林という学寮が置かれていた。神宮球場ではお馴染みの歌♫せんだんり~ん、せんだんりん~♫の栴檀林である。ここは駒沢大学のご先祖様なのだ。
文京グリーンコート九理化学研究所跡地に建てられた。オフィス棟と住宅棟、スーパーやレストランもある。不忍通りを渡れば六義園も直ぐの抜群の環境だが、賃貸の家賃は1Kで134,300円~である・・・。
ここから千石の白山通りへ戻って巣鴨駅からJRで帰る積りだったのだが、サイレンを鳴らした消防車がひっきりなしに通って行った・・・。
巣鴨駅前
駅に着いてみると福ヶまんじゅうの前に消防車が。
火事にしては呑気に歩いている人もいる・・・。
梯子車も出動して結構な騒ぎだったが、やがて隊長格と思しき人の放送。「火災発生の形跡は見当たらず、いたずら通報と思われます・・・」。まったく世の中には悪いやつがいるものである
巣鴨駅外観
構内も工事中だった。新しい駅舎になってしまうらしい。
構内
駅前
以前は駅前の小路を入ると雑多な世界が広がっていた。今も変わらないように見えたが、奥の方には立派なマンションが出来ていた。ここもいつかは再開発がおこなわれるのだろうか。
おまけ動画(30秒)
<script language="JavaScript" type="text/JavaScript" src="http://f.flvmaker.com/mcj2.php?id=kKxcOpC7XhMULHK_GXIJNlqx2ByJyosi7NOmVVY2ikgqBVUSj.lFQs&logoFlg=Y"></script>
地 図 (スクロールできます) <iframe width="'625'" height="'500'" frameborder="'0'" scrolling="'no'" marginwidth="'0'" src="'http://map.yahoo.co.jp/embedmap?lat=35.71969093&lon=139.75668689&sc=3&mode=map&pointer=on'"></iframe>
詳しい地図で見る
九週間ぶりの晴れた週末(といっても午後から雲が出て来たが)、六月七日の土曜日に白山神社のあじさい祭りに行って来た。
白山駅改札口
改装されたようで少しきれいになった。
駅傍の公園
公園も整備され地下鉄のエレベーターもできた。
ほかほか弁当がインドカレーの店になっていた。
白山神社鳥居結構人出がある。朝日新聞の東京版で紹介されたからかな・・。
花より団子派も大勢いる。
単体だときれいだが、全体的にはまだ見頃には早いように思った。一週遅らせた方が良かったかもしれないが、来週は大学野球選手権の決勝である・・・。
猫にとっては迷惑でしかない・・・。
閑静な住宅街では頭一つ飛び出る東洋大学。
左側の女性警備員さんは“東洋大学”の腕章をしていた。登下校の際、駅から大学までの間に立っている。最近は近隣の方々からの苦情もあるようだ。時には頭を低くしなければ・・・。(白山キャンパス南門(4号館)利用方法の変更について)
甫水会館と元文明軒
今回は白山上から向ヶ丘を通って駒込方面へ向かってしまったので、この写真は別の日にとったものだが、甫水会館の食堂も文明軒も数年前に廃めてしまった。文明軒はよくわからないがお洒落なイタリア料理店になったようだ。
ケニヤン&木村コーヒー
喫茶店といえば外資系チェーン店全盛の時代。(そもそも喫茶店とは言わないのかもしれないが。)この風景はいつまでも変わらないでほしい。
白山上交差点
後ろの大きなマンションは白山サウナのビルを取り壊して建てられたもの。交差点角の“丸美屋”は洋品店だったと思うが、この春で閉店したとの張り紙があった。この場所は大正半ば頃南天堂の支店があり、“三角二階”と呼ばれ大杉栄等も出入りしていたようだ。その頃白山サウナはまき町湯という風呂屋だったそうだ。
肴町通り-とんかつもんきー
南天堂書店
今では普通の“まちの本屋さん”だが、大正期にはここの二階に喫茶室があり東洋大の詩人岡本潤・小野十三郎(ただし二人とも中退してしまうが)や萩原恭次郎らが大暴れした。「南天堂時代」である。林芙美子はその喫茶室で女給として働き、ここで『放浪記』の出版記念パーティーをおこなった。なにしろ寺島珠雄さんという人がこのお店の事だけで466ページもある本を書いてしまう位なのだ。(南天堂―松岡虎王麿の大正・昭和)
魚 邦昔は二階建ての鮨屋だった。ここのランチタイムの五百円の鉄火丼は年に数回の大御馳走だった。今や立派なビルである。隣にあったかに谷は撤退してしまったようだ。
真淨寺
これも別の時に撮った写真だが、このお寺には戦前に東洋大学の学長を務めた高島米峰・境野黄洋の墓がある。植木等さんは東洋大に入学するまでこのお寺で小僧をしていた。
「私は、この真淨寺から、近くの白山にある京北実業学校(現、京北商業高等学校)の夜間部に五年間、通った。」
「十九年、私は真淨寺にほど近い白山にある東洋大学の入学試験に合格し、家族と住むことになった。住職に「おかげさまで合格いたしました」と挨拶するとと、住職はこう言ってくれた。「君は先輩に叱られ殴られ、実にいろいろと苦労をした。しかし、さすが、あのお父さんの息子だ。お父さんがあれほどの逆境にあってもくじけなかったように、君もよく耐えた」(以上引用はいずれも『夢を食いつづけた男-おやじ徹誠一代記』植木等著より)
場所は魚邦の少し先で本郷通りから左に入ったところにある。
*京北商業はその後京北白山高校に校名変更した。
まき町通り
白山上交差点から本郷通りと交わるところまでの短い通りをまき町通りと言っていたらしい。
今回はここから本郷通り沿いに駒込方面へ歩いてみることにした。
目赤不動
地名に残る目白と目黒しか知られなくなってしまったが、もともと“江戸の五色不動”だったそうだ。ここ南谷寺が目赤不動、江戸川区小松川・最勝寺と台東区三ノ輪・永久寺の目黄不動、世田谷区太子堂の教学院が目青不動との事だ。
吉祥寺
二宮尊徳や榎本武揚の墓がある曹洞宗のこのお寺には、かつて栴檀林という学寮が置かれていた。神宮球場ではお馴染みの歌♫せんだんり~ん、せんだんりん~♫の栴檀林である。ここは駒沢大学のご先祖様なのだ。
文京グリーンコート九理化学研究所跡地に建てられた。オフィス棟と住宅棟、スーパーやレストランもある。不忍通りを渡れば六義園も直ぐの抜群の環境だが、賃貸の家賃は1Kで134,300円~である・・・。
ここから千石の白山通りへ戻って巣鴨駅からJRで帰る積りだったのだが、サイレンを鳴らした消防車がひっきりなしに通って行った・・・。
巣鴨駅前
駅に着いてみると福ヶまんじゅうの前に消防車が。
火事にしては呑気に歩いている人もいる・・・。
梯子車も出動して結構な騒ぎだったが、やがて隊長格と思しき人の放送。「火災発生の形跡は見当たらず、いたずら通報と思われます・・・」。まったく世の中には悪いやつがいるものである
巣鴨駅外観
構内も工事中だった。新しい駅舎になってしまうらしい。
構内
駅前
以前は駅前の小路を入ると雑多な世界が広がっていた。今も変わらないように見えたが、奥の方には立派なマンションが出来ていた。ここもいつかは再開発がおこなわれるのだろうか。
おまけ動画(30秒)
<script language="JavaScript" type="text/JavaScript" src="http://f.flvmaker.com/mcj2.php?id=kKxcOpC7XhMULHK_GXIJNlqx2ByJyosi7NOmVVY2ikgqBVUSj.lFQs&logoFlg=Y"></script>
地 図 (スクロールできます) <iframe width="'625'" height="'500'" frameborder="'0'" scrolling="'no'" marginwidth="'0'" src="'http://map.yahoo.co.jp/embedmap?lat=35.71969093&lon=139.75668689&sc=3&mode=map&pointer=on'"></iframe>
詳しい地図で見る