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遊戯(ゆげ)

世の中は、なるようになるわ。
あきらめないで、悠然と生きる事を楽しむ・・・・
それが遊戯(ゆげ)の心です。

大丈夫ですか?

2013-06-16 | Weblog
季節の変わり目は体調をくずしやすいと言います。
どうか無理をしない程度に、季節を楽しんでください
紫陽花は見ましたか?しょうぶは終わりましたか?
くちなしが香ってきます。雨の日には傘を指して長靴をはいて歩きましょう。
家の中は飽き飽きでしょ。
季節のうつろいを楽しみながら歩いてきましたね。
しばらくは、蒸し暑いから、楽な姿勢でエアコンを使いながら、
軟弱に生きていきましょう
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さださん あのね、   

2013-06-16 | Weblog
NHKの「さださん、あのね」を見て、感動しました。
3.11に 亡くなったご主人がさだまさしの「奇跡」が大好きだったというエピソード。

わたしもこの歌が大好きです。



奇跡 ~大きな愛のように~
作詩・作曲: さだまさし
どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない

僕は神様でないから 本当の愛は多分知らない
けれどあなたを想う心なら 神様に負けない
たった一度の人生に あなたとめぐりあえたこと
偶然を装いながら奇跡は いつも近くに居る

ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい

どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない


今日と未来の間に 流れる河を夢というなら
あなたと同じ夢を見ることが 出来たならそれでいい
僕は神様でないから 奇跡を創ることは出来ない
けれどあなたを想う奇跡なら 神様に負けない

ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい
ああ大きな夢になりたい あなたを包んであげたい
あなたの笑顔を守る為に多分僕は生まれて来た

どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない
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父の日

2013-06-16 | Weblog
父は私が23歳の時に亡くなったから、ろくろく話もしないままだった。
陰のサポーターみたいに、いつも見守られてる気はした
たとえば私が保育の短大に行くことになったら、数日後、中古のピアノが届いたんだ。
短大でワンダーフォーゲル部に入って、時計やカメラが欲しいと言ったら、
幾つか置いてあった。
シャイな父で、余り話をしなかったけど今なら親心が理解できるよ。
ありがとう。
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歴史の証人

2013-06-16 | Weblog
私達は、短い人生で どれだけの歴史と向き合い 立ち会っていくのだろうか。
過去を礼賛したり否定したり・・・・しても
事実は消えはしないのだ。
せめて、歴史を捻じ曲げたり、正当化するのはやめよう。

私達は、原発が、こんなに大変なものとは知らなかった。
稼働していなくとも永久に近い時間冷却し続けねばならないことを
知らされていなかった。
放射能の影響はずっと何らかの手を打たねばならないことも・・・

人間が、一つの種族である人間が 地球を滅ぼすような力に
頼るべきではないと 切実に思います。

さて・・・
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ヤー チャイカ!(私は かもめ)

2013-06-16 | Weblog
史上初の女性宇宙飛行士・テレシコワさんが50年前の今日、単独飛行した日です。
そうか、まだたったの50年なのか?
ヤーチャイカはずいぶんロマンチックに報道されたけど、コールサインだったのね。



【ウィキペディアより抜粋】


テレシコワはヤロスラヴリ州の小さな村、マスレンニコフに生まれた。
学校を卒業後、タイヤ工場に勤務し、工学を学んだ。地元の航空クラブでスカイダイビングを行っていた。
1962年、女性飛行士候補に選抜され、400人を超える候補の中から選抜された5人の1人となった。
テレシコワ以外の4人はタチアナ・クズネツォワ、イリーナ・ソロウィオワ、ジャーンナ・ヨールキナ、
ワレンチナ・ポノマレワである。

1963年6月16日、テレシコワはボストーク6号に単独搭乗して70時間50分で地球を48周する軌道飛行を行い
史上初の女性宇宙飛行士[1]、そして初の非軍人宇宙飛行士となった。

旧ソ連や現在のロシアでは、宇宙活動中の全ての飛行士が個人識別用のコールサインを付与され、
テレシコワは「チャイカ」(Ча́йка、カモメ)が与えられた。
打ち上げ後の"Я чайка"(ヤー・チャイカ、"こちら、チャイカ")という事務的な応答が
女性宇宙飛行士の宇宙で発した最初の言葉となり、日本ではチェーホフの戯曲『かもめ』で用いられる
同様の台詞「私はカモメ」と誤った結びつけで紹介され、ミッションの代名詞として広く知られた。

女性宇宙飛行士を搭乗させる計画はあったものの、2人目の女性宇宙飛行士であるスベトラーナ・サビツカヤが
飛行するのは19年後となる。テレシコワと同時に選抜されたほかの4人は、誰一人として宇宙に旅立つことはなかった。
テレシコワ自身が飛行中に相当なパニックを起こして問題となり、女性飛行士の採用が敬遠されたためとも言われるが、
宇宙酔いという現象が余りまだよく理解されていなかったことが理由のひとつとも言われている。
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