「家族という病」読了。
読んでいるときに、ちょうど ラジオから 下重暁子さんの声が聞こえました。
この本の話をしています。
79歳ときき驚きました。
毅然とした話ぶり。
声にも姿勢のよさが現れています。
「夫」の事を、「つれあい」と呼ぶのが一番しっくりとくると言われます。
本の中に、「つれあい」と言う言葉が出るたび
「夫」と置き換えて読みました。
男女平等という精神で生きてきた方だから、
ここだけは譲れないという事なのでしょうか?
下重暁子さんは子どもを生まない選択をされたから、「子ども」というしがらみについては、
書けない。
家族という、したたかな病は、まさに 子どもとの距離の持ち方にあると思います。
夫婦の場合は、
所詮他人なのだという出発点が
程よい距離を持つことで、
我慢もできるし、
そこそこの関係が築けると思うのです。
子どもというのは、
愛しくて
哀しくて
心配なものなのです。
自分が死んだあと
生きていけるだろうかと
危ぶむのです。
ただ、とっくにわかっているのです。
母親の手の届かない
別の人格であることも。
親とかきょうだいの関係は
この本で語られている通りです。
どういう人なのか、
何を思い、何に癒された人生だったのか
わかりません。
今、義母が、病院で私の来るのを心待ちにしていること、行くと、すがるような目で「もう帰るの?もう少しおって」という。
病院にいる時間がどんどん長くなる。
実父母より付き合いの長い人です。
子どものように甘えてくる。
どういう生き方をしてきたひとかとか
自立しているかどうかは
もう関係なくって
私に出きることをするしかないと思うのです。
とにかく
家族が
一番の病であることは確かです。