きょうは、
2016年10月17日に
亡くなった姉と
2017年10月30日に
亡くなった義兄の法事です。
身近な存在が
亡くなると
寂しさと共に
残り時間に
思いを馳せます。
あと、
どれだけ?
自分の人生については
思い残すことは無いのですが
樹木希林さんの
天晴れな終活には
とても及ばないまでも
困らないような
覚え書きを
残さねば・・・
と、思ったりします。
生きていると
実感する
「目的に向かう日々」から
遠ざかっていると
一日一日を
滞りなく
やり過ごす
力は
まだ、まだ
有る筈なのに
霧か霞のような
存在感
記憶が薄れていく
筋力が
弱っていく
山で
過ごして
生きていく荘厳さを
再認識したい
ただ、日ノ出、日没を
見るだけで
敬虔な心が
取り戻せる気がする。
私の中から
私が失われていく
認知症と言うわけではなく
生き続けて行くことが
緻密な
記憶を
消していく作用を
伴うような・・・
実感する
「目的に向かう日々」から
遠ざかっていると
一日一日を
滞りなく
やり過ごす
力は
まだ、まだ
有る筈なのに
霧か霞のような
存在感
記憶が薄れていく
筋力が
弱っていく
山で
過ごして
生きていく荘厳さを
再認識したい
ただ、日ノ出、日没を
見るだけで
敬虔な心が
取り戻せる気がする。
私の中から
私が失われていく
認知症と言うわけではなく
生き続けて行くことが
緻密な
記憶を
消していく作用を
伴うような・・・