糸井さんのコラムはいつもふんふんと納得してしまうのですが
今夜の記事は 赤瀬川さんを知らない私にも 暖かい気持ちが
伝わってきます。
こんな風に 言ってもらえる人は 幸せだなあ。
以下、引用。
・「赤瀬川原平さんを偲ぶ会」という集まりがあった。
故人の人徳というべきか、まことに和気靄々とした、
おだやかでほがらかなパーティだった。
昨年の10月に亡くなってから、
時間をおいての会だったのも、よかったのかもしれない。
年をまたいで、しかも3月ほど経っていると、
ほどよく湿り気がぬけて、
からっとした笑いが響きやすい。
この集いの案内状を受取った赤瀬川さんが、
「これはさ、どうなんだろう、平服ってさ‥‥」
などと困り顔の笑顔で、相談してる姿が想像できた。
「赤瀬川さんが主役なくらいだから、
どんなのでもいいんじゃないでしょうかね、わはは」
と、おそらく誰かが答えるわけで、
「そうだね。ぼくを偲ぶわけだから、そうだろうね」
と、再び赤瀬川さんが納得する。
そのうえで、また、心配そうに
「帝国ホテルっていうのはさ、
ぼくである赤瀬川原平としては、無理してないかね」
と、またまた困り顔の笑顔で質問するのだけれど、
「もう亡くなってるから、大丈夫なんじゃないですか」
とね、南伸坊あたりに言われて、
「そうかそうか、ぼくはお亡くなりになってるのか」
と、内心の心配をそのままに苦笑している‥‥。
というような風景を、知りあいの人たちなら、
みんな想像できたのではないだろうか。
なにせ、あの赤瀬川原平さんの集いなのだから、
きっとなにもかも許されることだろうと、
参加者は思っていたにちがいなのだ。
いい会だ、いい故人だ。
哀しみは、それなりに済ませてきて、集まってくれた。
南伸坊の「セミフォーマル」な場面での挨拶というのは、
ほんとうに、心がこもっていて、おもしろくて、
ぼくのいちばん好きな「日本語の文」だ。
「南は、こういうのがうまいんだよね。
いや、うまいと言っちゃいけないんだろうけど‥‥」
と、赤瀬川さんが、きっと言ってたと思う。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
死んでから、まだまだ生き続けるのは、よく生きた人だな。
糸井さんありがとう。
今夜の記事は 赤瀬川さんを知らない私にも 暖かい気持ちが
伝わってきます。
こんな風に 言ってもらえる人は 幸せだなあ。
以下、引用。
・「赤瀬川原平さんを偲ぶ会」という集まりがあった。
故人の人徳というべきか、まことに和気靄々とした、
おだやかでほがらかなパーティだった。
昨年の10月に亡くなってから、
時間をおいての会だったのも、よかったのかもしれない。
年をまたいで、しかも3月ほど経っていると、
ほどよく湿り気がぬけて、
からっとした笑いが響きやすい。
この集いの案内状を受取った赤瀬川さんが、
「これはさ、どうなんだろう、平服ってさ‥‥」
などと困り顔の笑顔で、相談してる姿が想像できた。
「赤瀬川さんが主役なくらいだから、
どんなのでもいいんじゃないでしょうかね、わはは」
と、おそらく誰かが答えるわけで、
「そうだね。ぼくを偲ぶわけだから、そうだろうね」
と、再び赤瀬川さんが納得する。
そのうえで、また、心配そうに
「帝国ホテルっていうのはさ、
ぼくである赤瀬川原平としては、無理してないかね」
と、またまた困り顔の笑顔で質問するのだけれど、
「もう亡くなってるから、大丈夫なんじゃないですか」
とね、南伸坊あたりに言われて、
「そうかそうか、ぼくはお亡くなりになってるのか」
と、内心の心配をそのままに苦笑している‥‥。
というような風景を、知りあいの人たちなら、
みんな想像できたのではないだろうか。
なにせ、あの赤瀬川原平さんの集いなのだから、
きっとなにもかも許されることだろうと、
参加者は思っていたにちがいなのだ。
いい会だ、いい故人だ。
哀しみは、それなりに済ませてきて、集まってくれた。
南伸坊の「セミフォーマル」な場面での挨拶というのは、
ほんとうに、心がこもっていて、おもしろくて、
ぼくのいちばん好きな「日本語の文」だ。
「南は、こういうのがうまいんだよね。
いや、うまいと言っちゃいけないんだろうけど‥‥」
と、赤瀬川さんが、きっと言ってたと思う。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
死んでから、まだまだ生き続けるのは、よく生きた人だな。
糸井さんありがとう。