日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

越前守助廣 濤瀾乱刃の創始

2024-09-11 | 
伊賀守金道や丹波守吉道など三品系の鍛冶、また出羽大掾國路といった相州伝を基礎に置いた江戸初期の刀工の活躍があり、その技術的進化があって後に越前守助廣や井上真改が登場する。そういった背景で濤瀾乱刃を助廣が創案する。


1 刀 越前守助廣 雙
濤瀾乱刃は助廣の創案と言われるも、突然濤瀾乱刃ができたわけではない。先代が丁子乱刃を得意としており、その技術を受け継いで、初期には優れた丁子乱出来の刀を製作している。二代目を継いで後、茎に「雙」の文字を添えていた時期がある。その中に大互の目出来の優品がある。濤瀾乱刃ではないが、すでに創造的な互の目乱の刃文が生み出されていた。大小の互の目が寄り添うように焼かれた刃文から、次第に波の押し寄せるような互の目の構成が編み出されるのである。
 地鉄は小板目肌が均質に詰んだ大坂地鉄。刃文は小沸の粒子が揃った互の目乱で、山と山の間を湾れで繋いだような、間を置いた互の目乱。刃中には沸が流れるも金線のような働きとはならず、沸の砂流しが川の流れのように感じられるという表現が良いだろうか。足は刃中に小沸が広がっている感じだが、濃淡叢がある。この点を自然味があると評価すべきか、未完成と評価すべきかは断じ得ない。筆者は多少の乱れが含まれている方が好きだが。






2 脇差 越前守助廣 
 これも同じような構成。間遠い互の目の構成。綺麗な互の目の刃中に沸筋が流れ掛かっている。互の目はより洗練味が進んで沸叢が生じていない。




3 刀 越前守助廣
 互の目が三つほど並び、それが間をおいて幾つか連続する、しかも互の目の大きさに変化があり、波の寄せ来る様を描いていることは明白。刃文を構成している沸の粒子も揃っており、しかも沸深く明るい。
 絵に描いたような刃文。それが濤瀾乱刃である。焼刃土の素材の選択と調合の完成、焼刃土の処方の研究が叢のない刃文へと繋がってゆく。助廣は、ただ単に濤瀾乱刃の絵を描く研究をしたのではない。詰み澄んだ地鉄鍛えはもちろん、作刀総てにおいて研究を突き詰めたのである。








出羽大掾國路

2024-07-10 | 
出羽大掾國路も、相州物古作の再現ではよく知られている刀工である。堀川國廣の弟子で、しかも三品派にも学んでいると思われ、両流派の作風を活かした作としている。堀川一門のざんぐりとした肌合いと三品派の柾目流れ肌を組み合わせたような覇気のある地鉄で、刃文は沸の強い志津を想わせるような、変化のある互の目の構成が特徴である。
 國路の作品は比較的多く遺されているも、刀の割合は少ない。



1 刀 出羽大掾藤原國路
平肉厚くしっかりとした造り込み。小板目鍛えと板目鍛えの調合になる地鉄は流れ肌を交え、杢肌が交じって肌立つ風をみせ、全面に地沸が付いた中に地景が入って鍛え目を際立たせている。刃文は不定形に乱れる互の目と湾れの複合。全体に穏やかな湾れの所々に鎬筋を越えるほどに深い乱刃が焼かれている。互の目は丸みを帯びたり、尖り調子であったりと、一様ならざる構成。帽子も不定形に乱れ込み、先尖り調子に浅く返る。沸の強い焼刃は一際冴え、その所々に湯走りが掛かって刃中に沸が流れ込む。志津写しと言われるも、志津に比較して平肉が厚く、江戸初期の造り込みが古作のそれと異なっており、見分けどころともなっている。






2 刀 出羽大掾藤原國路
 二寸ほどの磨り上げだから、元来は二尺六寸を超える長寸刀。茎の下端に銘が遺されている状態だが、さて、このまま銘が磨り落とされてしまったら、何に極められるのだろう。地鉄は流れ調子の板目肌とざんぐり肌の調合で、地沸が付いて沸映りが起つ。刃文は湾れに不定形な互の目乱が交じり、帽子は乱れ込んで先が地蔵風に返る。焼刃は沸が強く、湯走りも地中に広がり、刃中には沸筋や砂流しが掛かり、刃中の沸に濃淡変化が窺える。





3 脇差 出羽大掾藤原國路
 刃長一尺二寸ほどの鎬造脇差。この寸法の鎬造は江戸最初期の特徴的な造り込み。またこの寸法の平造も多い。戦国時代の平造に比較して肉厚くがっしりとしている点が見どころ。地鉄は板目肌に杢が交じってざんぐりと肌立ち、処々に流れ肌が交じり、地沸が付く。刃文は焼頭が単調に揃うことのない互の目乱。沸深く明るく、刃中に沸の広がり、沸の流れが窺える。帽子は浅く湾れ込んで先尖り調子に返る、三品帽子。








伊賀守金道 初代

2024-06-17 | 
父兼道に伴い、美濃国より京都に移住したのが伊賀守金道。弟に丹波守吉道、和泉守金道、越中守正俊があり、これらを三品一門と呼んでいる。
 時代は戦国末期から江戸時代最初期。刀は南北朝時代の大太刀を磨り上げたようながっちりとした造り込みに、相州伝の沸主調の激しい焼刃が流行していた。相州正宗、貞宗、郷、志津などが好まれた背景があり、江戸初期の刀工は、それらの再現を目指した。三品鍛冶も、初期には美濃伝の刃文を専らとしていたが、世の嗜好に沿ったものであろうか、次第に沸の強い相州古作に倣った刃文に変わっていった。
 三品一門は美濃の出身であり、美濃伝を基礎においている。同様に、美濃伝が江戸時代の地鉄鍛えの基礎になった。つまり、美濃伝の地鉄鍛えは平地が小板目鍛え、鎬地が柾目鍛えである。江戸時代の一般的な鍛え方となったもので、これに相州伝の刃文を焼いたのだ。だから、江戸時代の相州伝を、相州特伝と呼び分ける人もいる。



1 刀 伊賀守金道
三品の筆頭鍛冶が伊賀守金道。板目肌が明瞭に起ち現れた地鉄に地沸が付き、肌目が一層際立つところが魅力。適度な寸法で身幅が広く、物打辺りは実戦を経たものであろう多少の研ぎ減りがあるも、総体の姿は崩れることなく覇気に富んでいる。刃文は沸の強い乱刃。刃形に整ったところがなく、総体に湾れと互の目の複合になり、焼頭は深く大きく乱れながらも鎬筋を越えることはない。沸が強い焼刃は帯状の沸筋が無数に走り、これに伴って砂流しや金線、肌目に沿った稲妻状の金筋が刃中を走る。この中に頭に丸みのある互の目が組み込まれている。湯走りや飛焼も見られる。帽子は掃き掛け風に沸付いて先端が棟側に流れて焼詰めとなる。この整うことのない刃文構成が江戸初期の相州伝に他ならない。





2 脇差 伊賀守金道 

 一尺三寸強の平造脇差。身幅が極端に広く重ねが厚くがっしりとしている。地鉄は小板目状に均質に詰んでいるが、流れるような板目を交えて地沸が厚く付く。刃文は不定形に乱れる互の目に湾れを組み合わせた、古風な相州物に特徴的な構成。互の目が尖り調子となる部分もあり、これも相州伝。特に焼頭がさまざまに乱れ、高弟変化に富み、一部に湯走りと飛焼が入る。焼刃は沸を主体として明るく、沸筋、金線、砂流しが顕著で、帽子は強く乱れて先が尖り調子に返る三品帽子。彫物も大きく施されて相州伝の特徴を良く再現している。
 このような沸の美感をより一生強調したかのような作風が江戸時代初期の相州伝だ。その代表が三品一門である。







江戸時代の相州伝 丹波守吉道

2024-06-12 | 
江戸時代の創造的刃文

濤瀾乱刃とは

大互の目乱刃と湾刃を組み合わせ、大波が寄せ来るように、大小連なる互の目を焼き、処々に大波が崩れ落ちる様子を、玉刃を交えて表現した刃文が濤瀾乱刃で、江戸前期の大坂刀工津田越前守助廣の創造になると考えられている。おおいに好まれたのであろう、後に多くの刀工がこれを手本としている。大坂では越後守包貞、近江守助直、尾崎助隆、江戸では水心子正秀等々。この辺りは余りにも有名だから、改めて説明するまでもなさそうだ。そこで、大波を表現したのが濤瀾乱であれば、同様に大波を想わせる刃文、或いは大波を想定して焼いたと思われる刃文、即ち湾れ刃の変化形を眺めてみたい。
 そもそも、助廣が濤瀾乱を創案した背景には、助廣に先行する丹波守吉道に川の流れを想わせる刃文があり、これが盛んに焼かれていたことからヒントを得たのではなかろうかと筆者は想像している。吉道の刃文を手本としたというのではなく、創造的な刃文を生み出す意識が刺激されたのではないだろうかと考えている。ただし、この点は本人に聞いてみなければ本当のところは判らない。新たな刃文の創案であれば、行きつくところは濤瀾乱刃ではなく、さらにそれらの変化形とは言えまいか。助廣の真似に終わるのか、さらに面白い刃文を生み出せるのか…ということだ。
 その背景には江戸時代に隆盛した相州古作への回帰という意識がある。堀川國廣が、出羽大掾國路が、三品の金道、吉道、正俊が求めて焼いたのは古作相州刀である。そして助廣の濤瀾乱刃も、後の変化形湾刃も、相州伝の延長線の刃文に他ならない。
 初心者は刀の刃文と、研師が刃文を見えやすくする刃採りの様子を間違える可能性がある。そこで、これまでと同様に刃文押形のイラストと、写真があればそれを併せて提示する。時にはイラストを参照したほうが判りやすいと思う。



江戸時代の相州伝を俯瞰している。まずは三品派の作から眺めてみよう。
吉道は、三品四兄弟の中でも創造性に富んだ作風を生み出したことで三品派の知名度を上げた刀工。
 筋状の刃文を複式層状に焼き、処々に段差を設けた刃文構成とした。これを「簾刃」と呼びだしたのは誰なんだろう。吉道が簾を刃文で表現しようとしたと考えたのだろうか。そんなことはあるまい。吉道に聞いてみたい。後の我々が吉道のような刃文を視覚的に捉えて表現するとしたら、川の流れだろう、助廣の大波の刃文を「濤瀾乱刃」と呼ぶように。吉道の刃文が「簾刃」なら、助廣の刃文は「玉転がし刃」とでも言い直そうか。
 助廣に先んずること、吉道が創案した刃文は相州伝の流れによることは理解できよう。江戸時代の相州伝は、刃文による絵画的芸術性の始まりでもある。芸術的な刃文とは言え、切れ味が頗る良いことは特筆すべきで、形だけを追求したものでないことは理解しておきたい。吉道の「簾刃」を不当に低く評価する傾向は昔の先生方にあり、その教えに現代の研究家も影響を受けているようだ。

1 刀 丹波守吉道 
 元先の身幅が広く、茎は舟底形。板目肌が流れ調子で地沸が付き、肌立つ風がある。刃文は湾れ調子に浅い互の目が配されており、処々二重刃状に沸が流れ掛かる。地中にも湯走りと飛焼が流れ掛かって複雑。写真では判り難いので、押形イラストを参照されたい。帽子は乱れ込んで先が地蔵風に小丸に返っているところに美濃の名残が感じられる。




2 脇差 丹波守吉道 
 一尺三分だから寸延び短刀とも言い得る寸法。江戸時代最初期にはこの位の小脇差が多い。地鉄は板目が流れて柾がかる傾向が強く、地沸が付いて湯走りや飛焼状に沸の凝るところがある。刃文は形状の定まらない互の目乱と湾れの複合。沸が強く、物打辺りは特に地中の肌目に沿って沸が強く現れ、渦巻き状の肌が窺える。帽子は沸が流れ掛かって先が尖り調子に返る、所謂三品帽子。




3 脇差 丹波守吉道
刃長が一尺六分強。②の脇差と同じような寸法の平造。地鉄は小板目状に詰み、時代が上がるような板目流れ肌の風合いが抑えめ。地沸が強く付いて激しい湯走りから飛焼状、或いは全面に焼が入っているのではないかと思えるほどの激しさ。強い沸の中に複数の沸筋が流れ掛かっており、まさに川の流れを想わせる刃文構成だ。この頃から、吉道の特質でもある創造的な刃文が顕著になるのだろう。帽子は浅く乱れて掃き掛けを伴い先が尖り調子に返る。この刃文をイラストで再現するのは大変であったろうと思う。複式に沸の流れがあり、細かなところは再現できていないのではなかろうか。




4 脇差 丹波守吉道
 筋状の刃文を複式に焼き、処々に段差を設けた刃文構成の始まりであろうか。地鉄は流れるような板目肌に小板目肌が交じり、地沸が付いており、強い湯走りや飛焼はない。刃文が複式に構成された帯状の流れ刃が焼かれており、あたかも川の小岩を超えて流れ下るような景色だ。この調子は区上から鋒、帽子の焼にまで連続している。焼刃について、これまでのような強い沸出来から匂主調になっている点は見逃せない。いずれにせよ、川の流れを表現した作品である。





長船祐永の丁子乱刃

2024-05-28 | 
 江戸時代の丁子乱刃を俯瞰している。
 江戸時代後期の備前刀工祐永。江戸時代における洗練味を帯びた丁子乱刃の中では、河内守國助の拳丁子を先に紹介した。祐永は備前長舩鍛冶の流れながら、古作の丁子出来とは全く異なり、また國助とも異なる、創造性に富んだ綺麗な刃文を焼いて頗る人気が高まった。



 刀 横山加賀介藤原祐永
 腰反り深く先端が延びた、姿は鎌倉時代の太刀。地鉄は小板目肌が密に詰んで極めて鮮やか。焼刃は匂を主調としてこれも鮮やか。刃文の構成は焼頭が高低変化に富んだ小丁子が寄り合って拳状になるも、國助の拳とは異なって左右に張り出すように躍動的である。盛んに入る足が左右に開き調子となる点は國助に似ている。帽子は小丸返り。写真を見ても判るように、焼頭が動的に地中に突き入るようにも感じられる点が個性であろうか。







 刀 横山加賀介藤原祐永
 これも①とほとんど同じ出来。腰反り深く伸びやかな造り込み。地鉄も同様に細やかに詰んで鮮やか。刃文は一際丸みを帯びた互の目と小丁子の組み合わせで、地中にふっくらと、しかも左右に突き出すような拳状となり、その合間に小丁子が入り組んで、左右に開き調子の足が盛んに射す。これらの押し合う様子に特徴がある。中でも、丁子が二つ寄り合って桜花のように見えるところがあるのも独特の構成と言えようか。





 脇差 横山加賀介藤原祐永
 脇差ながら腰反りが深く、太刀を短くしたような姿。地鉄はもちろん細やかな小板目肌。刃文は小互の目丁子。小さな互の目から次第に大きくなるように連続する、その繰り返しとなる。刀身全体に写真を見てほしい。腰元に富士山を焼いている。とすれば、小丁子の連続は浜辺の松原か。このような刃文も焼けるテクニックも興味深いところ。このような絵画的刃文であっても、切れ味が鋭いのである。





 研磨の違いによって、同じ刀工の作品でも見え方が違うのが良く判る。