日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

脇差 越後守國儔 Kunitomo Wakizashi

2016-08-31 | 脇差
脇差 越後守國儔


脇差 越後守國儔

 國儔は堀川國廣の門人。良く知られているのは、國廣の晩年、その代わりに、後に大坂に移住した國貞や國助などの弟子を教育していること。また、國儔が強く影響を受けていたのが美濃の兼定であったこと、そして本作のように小板目状に良く詰んだ地鉄などに、兼定の影響が窺えるのである。時代は慶長頃だから、寸を短くして身幅を広く鋒を伸ばし、重ねを厚くした、この時代の特徴的な造り込み。短いのは実戦的で、抜き易さが考慮されている。がっしりしているのは、鉄鎧を専ら使用している相手と戦うことを考えると、刀も脇差も強靭さが求められるであろう。良く詰んだ小板目鍛えの地鉄は、肌目均質に粒起って見えるほど。これにゆったりとした板目が浮かび上がり、柾調の鎬地にまで流れている。全面に地沸が付いて、これを分けるように穏やかな地景が浮かぶ。この辺りが兼定のようであり、また、後の國貞が受け継いでいる。刃文は小沸主調のゆったりとした湾れに互の目交じり。沸深く刃先近傍まで広がり、この中に金線や砂流しが掛かっている。帽子は掃き掛けて返っている。相州伝の一。



脇差 大慶直胤 Naotane Wakizashi

2016-08-30 | 脇差
脇差 大慶直胤


脇差 大慶直胤

 おそらく造と呼ばれる、横手筋が刀身中ほどにある特殊な造り込み。本歌のおそらくは短刀だが、江戸時代後期には脇差なども同様の造り込みとされており、この迫力ある姿から大いに人気を得た。直胤の他、清麿にもあることで良く知られている。ところで、江戸時代後期の信濃国には清麿の兄真雄がおり、地元では真雄の刀の威力を宣伝する目的で、同時代の先輩で江戸では超の付くほど人気であった直胤を引き合いに出して性能の比較調査をしたという。その結果、直胤は折れやすく、真雄は頗る折れにくく頑丈であったと結論し、真雄を大いに褒めたたえている。現代の広告ではこのような比較は禁止されているし、その比較そのものが正当なものか根拠を示さねば、消費者は納得しないだろう。いくら地元の刀工を高く評価したいとはいえ、根拠のない比較では、あまりにも見苦しい。近代において真雄を研究しているという自称研究家も、そのような昔の説明をそのまま利用して真雄の評価を高めようとしているようだが、果たして、現代の多くの数奇者が、この点を冷静に判断するとなると、どうしたものか・・・。昔から刀剣の評価において、「AはBより劣る」、あるいは「Aに比較してBは品位がない」などという評価のされ方がある。決して作品の出来について述べているわけではないのだが、それを踏襲して作品の評価のように使っている方が現在でもいる。本質的な違いを述べるべきであろうと思う。さて、直胤の生きていた時代、直胤はやはり格別の存在であった。刃味が良く頑強な刀を遺している。時には古備前に紛れるような古風な地鉄と焼刃を生み出している。相州伝においては、独特の激しく沸付いた渦巻き肌があり、大和伝柾目鍛えにも迫力がある。一地方で何と言われようとも、各伝に通じた一格上の刀工といわざるを得ない。
工といわざるを得ない。

刀 武州下原廣重 Hiroshige Katana

2016-08-29 | 
刀 武州下原廣重


刀 武州下原廣重

 廣重は照重の分家。この刀は江戸時代に入った寛永頃の作。刃長二尺三寸七分、反り六分半。時代に応じてちょっと長目。総体は尋常な印象。地鉄は詰んだ小板目肌と板目の交じり合ったもので、ザングリとした風がある。こうしたところにまだまだ戦国の気風が残っている。即ち、現代の我々は寛永頃には世も比較的安定していて「江戸時代」という認識だが、この同時代にはまだ世の中がどのように変化するか、また動乱の時代に戻るやもしれぬとの見方があった。だから武士は武器にも備えを怠っていなかった。この刀は正に使うことを考えたもの。刃文は互の目だが形状が不定形で、特に物打辺りは乱れが強くなっている。沸主調の刃中にはほつれ掛かり、砂流し流れ、所々に金線が走っている。相州伝の一。「なんだ下原鍛冶か」などと、軽く評価する方もいるようだが、ここに紹介したような、優れた作を遺している鍛冶集団である。



刀 武州住照重 Terushige Katana

2016-08-27 | 
刀 武州住照重


刀 武州住照重

 二寸半ほどの磨上で、現状は二尺三寸九分。元先の身幅が広くがっしりとした、天正頃に間々みられる造り込み。下原鍛冶の照重は、北条氏に仕えた刀工の一人で、北条氏照から照の一字をもらって工銘とした。地鉄は強い杢目を交えた板目鍛えで、地沸が付いてザングリと肌立ち、いかにも斬れ味が良さそうだ。がっしりとしている造り込みからも、堅物にも対応を考えたものであろう、凄みがある。因みに、このような下原鍛冶の杢目肌で、さらに均質な杢目とされたものを、如輪杢、あるいは樹林杢などと呼んでいる。刃文は、刃形が分からないほどに沸の深い互の目で、刃縁ほつれ掛かり、刃中には沸筋や砂流が流れ掛かる。

脇差 康重 Yasushige Wakizashi

2016-08-26 | 脇差
脇差 康重


脇差 康重

戦国時代の武州下原刀工も相州鍛冶との関わりが深い。関東に広く力を及ぼした小田原の北条氏康より、康の文字を授かって康重と銘した初代以降、江戸時代を通じて同銘刀工が活躍している。この天正頃の康重の脇差は、多く見られる平造の小脇差とは違って鎬造の一尺四寸。わずかに磨り上げられていることから元来は一尺五寸ほどであったろう。鎬が立ってがっしりとしていることから、平造の小脇差のように隙間を突いた截断を主目的とした武器というより、鉄鎧など堅物に対しての威力を求めたのではないだろうか。杢目を交えた板目鍛えの地鉄は地景を伴って肌が立ち、所々に浮かぶ湯走りと飛焼も荒ぶることなく緊張感を高めている。刃文は尖刃を交えた互の目で、所々に角のような刃が地に突き入っている。匂主調に小沸の付いた焼刃は刃縁がほつれ掛かり、刃中には沸筋と砂流しが掛かる。



薙刀 廣賀 Hiroyoshi Naginata

2016-08-25 | その他
薙刀 廣賀


薙刀 伯耆國廣賀天正六年

戦国期の伯耆国の倉吉において三田五郎左衛門家と共に栄えた、道祖尾家では最も高い技術を備えて信頼を得た勘助廣賀の、同門流中では遺例が少なく大変に珍しい、しかも健全な薙刀。廣賀一門も相州刀工の流れを汲んでいる。造り込みは、打ち合いを想定して元重ね厚く物打辺りの身幅を広めて刃先を鋭く仕立て、その一方で棟の肉を削いで刃の抜けを高め、反りを付けた鋒は鋭く斬る引き掻く突くの動作を容易ならしめる構造。地鉄は杢目交じりの板目鍛えでねっとりと詰み、流動感のある肌に微細な地沸が付き、鎬寄りに強い映りが立ち、さらに飛焼に絡んでおり変幻の趣。刃文は焼頭が不定形に乱れる小互の目に小丁子、逆丁子が交じって飛焼が顕著、帽子も激しく乱れて返り、激しい打ち合いを想定したものであろう焼の強い棟焼に連なる。匂勝ちに小沸を伴う明るい焼刃は、刃境に金線を伴う沸筋が杢状にあるいは稲妻状に入り、物打から帽子にかけては乱れと掃き掛けの中を金線が長く走る。刃中も乱れが強く、小足、飛足、葉が乱舞する。茎には永禄から文禄にかけて活躍した勘助廣賀の、特徴のある大振りの銘が刻されている。刃長一尺七寸弱、反り七分弱、元幅九分四厘、物打幅一寸八厘、鎬重ね二分五厘。覇気横溢の造り込み、そして地刃。□



薙刀 飛騨守氏房

2016-08-24 | その他
薙刀 飛騨守氏房


薙刀 飛騨守氏房

 若狭守氏房の子で戦国時代末期から慶長頃を活躍期としたため、時代背景から武骨な造り込みを特色とする刀工の一人。美濃刀工で、後に尾張に移住している。今回は薙刀。刃長一尺八寸五分、反り七分九厘、元幅一寸二厘、物打幅一寸九厘、棟重ね二分三厘、鎬重ね二分四厘、腰元に薙刀樋を掻いて中間から上の棟を削ぎ、鋒辺りを再び厚く仕立てている。いかにも実戦の道具だ。手頃な寸法の柄にこの打ち物を装着し、激しく振り回されでもしたら、二尺七寸ほどの大太刀でも容易には斬り込めない。薙刀は、頗る実用的で破壊力のある武器だ。そもそも、中国の三国志などに登場する蛮刀、青龍刀がこの源流であると理解している。物打辺りに反りのある武器は、截断に適している。この形が古くから存在しており、日本刀に採り入れられ、截断するための反りのある日本刀が生まれたと筆者は考えている。反りを無理に蕨手刀と結びつける必要はない。さてこの薙刀は、適度な反りがついて扱いやすさも格別。板目鍛えの地鉄は戦闘の道具ながら傷もなく綺麗に詰み、地沸も前面に付いてしっとりとした質感さえ感じられる。刃文は湾れに互の目が交じり、小足が入り、帽子は湾れ込んで先小丸に返るも、先に沸が付いて浅く乱れる。小沸主調の焼刃は、もちろん匂が明るく、刃中に流れ込むほつれに沸が絡んで小足に絡み、刃先近辺には淡い葉が乱れ舞う。茎の錆色も叢がなく、鑢目も鮮明で大切に伝えられたことが分かる。武器ながら美しい出来である。□


短刀 正重 Masashige Tanto

2016-08-23 | 短刀
短刀 正重


短刀 正重

 村正の弟子として知られるが、村正より上手と評価する先生方多も多いのがこの正重である。この短刀は、寸法こそ一尺弱だが、造り込みは反りの深い小脇差。具足の腰に帯びて戦場を経巡ったもの。刃先鋭く革の防具など軽々と切って落としたことであろう。地鉄は板目肌が流れて揺れて地沸で覆われ、地沸が凝って湯走りとなり、総体に凄みが感じられる。刃文は不定形な互の目乱。互の目が二つ寄り合って耳形に乱れ、浅く尖っていたりと、相州伝の影響は明瞭。沸も強く明るく、刃縁はほつれが強く、これが刃中に広がって砂流しとなり、帽子も沸が肌目に沿って働くなど、穏やかながら変化に富んでいる。名作である。

刀 廣助 Hirosuke Katana

2016-08-22 | 
刀 廣助


刀 廣助

 刃長二尺二寸五分、反り七分。杢を交えた板目鍛えの地鉄は、刃寄り柾目に流れて細かな地景が交じり、淡い映りが立つ。直ぐ調の焼出しから始まり、小互の目、小丁子、尖刃、矢筈刃などを交えて変化に富んだ刃文構成。小沸主調の焼刃は荒ぶることなく明るく冴え、刃境には金線が流れ、刃中には小足入り葉が舞い、砂流しが掛かるなど、ここも変化に富んでいる。帽子は焼が深く長く返っており、健全度を物語っている。廣助の永禄二年甲州打ち。添銘が『平朝臣原美濃入道所持之』とある。

脇差 廣助 Hirosuke Wakizashi

2016-08-20 | 脇差
脇差 廣助


脇差 廣助

 島田三傑に数えられる中で最も上手と伝えられるのがこの廣助。この脇差は、先に紹介した助宗に似て、小振りながら反りが深く張りのある造り込み。身幅たっぷりとして物打辺り鯰尾の如く張り、先反り深く刃先を鋭く仕立て、さらに樋を掻き施したもので、抜き打ちと截断に適した姿格好。乱戦の中で重宝されたものであろうが、鋒の焼きも深く残されており、大切に伝えられてきたことが想像される。それを証するように、小杢を交えた板目鍛えの地鉄は縮緬状に細かく揺れて詰み、地沸が全面を覆った中を肌目に沿って繊細な地景が網目状に現れ、綺麗に肌立つ。刃文は長短の足が入る互の目で、物打辺りに飛焼が入り、帽子は乱れ込んで先が揺れて返る。激しい打ち合いを想定したものであろう、匂口の潤んだ焼刃は凄みがあり、匂のほつれが刃境に流れ掛かり、刃中へと広がっている。□



刀 助宗 sukemune Katana

2016-08-19 | 
刀 助宗


刀 助宗

 磨り上げ無銘の助宗極め。二尺二寸強。反り六分弱。身幅広くがっしりとした感のある造り込みで、島田刀によくある姿格好。大きく伸びた鋒も迫力がある。地鉄は肌立つ感のある板目に杢目交じり。ザングリとした風合いで、ざっくりと切れそうだ。がっしりとして、しかも身幅が広く刃先が鋭いことから、激しい打ち合いの末に肉も骨も断ち切ることを目的としたものであろう。刃文は湾れに互の目交じり。互の目の頭が尖って角状あるいは矢筈状になり、沸強く、帽子も沸が強く乱れて火炎風に掃き掛けて返る。地中にこぼれた沸の様子を見てほしい。湯走り状、あるいは飛焼状に沸が凝り、鍛え肌がこれに絡んでいる。地刃を越えて働く沸の妙。

脇差 助宗 Sukemune Wakizashi

2016-08-18 | 脇差
脇差 助宗


脇差 助宗

 島田三傑の一人、助宗。一尺一寸強、先反りが付いて物打辺りの張りのある頗る、扱いやすい小振りの仕立て。重ね厚くがっしりとしているが、樋を掻いて軽くし、操作性を高めている。具足の腰に収められたものであろう。地鉄は板目肌が小模様になり、小さな杢目が交じって良く詰み、地沸が付いている中に地景が浮かび、刃文は互の目に小互の目と小丁子が交じって焼頭の出入りが複雑。互の目の頭に丸みが感じられないのが特徴。刃縁に小沸が激しく付いて刃中に広がり、物打辺りから沸が強まって先も強く乱れて返る。刃先の肌が柾目調に流れており、これに沸が絡んで流れるような景色が窺える。沸の妙。



刀 義助 Yoshisuke Katana

2016-08-17 | 
刀 義助


刀 義助

 大磨上無銘の、焼が深く激しい出来の、義助と極められた作。相州古作を手本としたのであろう、反り深く元先の身幅広く、樋を掻いて重量を調節しているようだ。地鉄は板目肌が詰んで地沸が付き、良く錬れた杢目の交じった様子が窺え、地景も顕著に強みに溢れている。刃文は湾れに互の目、丁子を交え、焼の高い部分は鎬筋にまで達し、迫力がある。帽子は掃き掛けて返る。焼刃の沸は粒子が細かく、匂を伴って明るく、互の目に尖刃を交えた刃中に匂の出入りが加わりやわらか味に包まれている。この様子から、古作に紛れさせようと銘が消されたのかもしれない。特に地鉄に変化があり、その景色が堪能できる作である。



脇差 義助 Yoshisuke Wakizashi

2016-08-16 | 脇差
脇差 義助


脇差 義助

 一尺五寸弱、反り二分の、ちょっと変わった造り込み。南北朝時代の大太刀を磨り上げたように反りが抑えられて身幅広く、鋒の伸びた姿だが、戦国時代最末期の刀のように重ねが厚く仕立てられている。特別の注文であろう、造り込みからは時代感が分からない。地鉄は良く詰んだ板目鍛えで、縮緬のように揺れた杢肌が交じって地沸で覆われ、ここにも特別の造り込みの感が窺える。刃文は形の明確でない互の目湾れで、相州伝の特質を備え、帽子は掃き掛けを伴い返りが長く、互の目の棟焼となる。この帽子の景色も面白い。魅力は繊細緻密に鍛えられた地鉄が生み出す美観であろう、高い技術が窺いとれる。

刀 義助 Yoshisuke Katana

2016-08-15 | 
刀 義助


刀 義助

 反りの深い菖蒲造の刀。見た目にも凄みがあり、恐ろしげだ。先端の鋭さが武器としての意味を強く示しており、使うことのない現代においてはいかにも刺激的であり、脳を活性化してくれそうだ。このような作に限らず、日本刀は脳内に刺激を与えてくれる。日本刀が武器を超越した存在であると言われている理由はここにある。現代の武士、社会的に地位に高い方や経営者など要職にある方が、日本刀を前に思索するということを聞くが、脳の活性化に強い効果を持っているのであろう。戦国時代の武将も、刀を前に戦闘意識を高めたのではなく、刀には、間違いのない判断を導くための力があることを知っていたのであろう。
 この刀の地鉄は板目鍛えを主体に刃寄り棟寄り柾がかり、地沸が付いて地景が顕著。刃文は直刃に見えるが小模様の互の目が交じって小足が入る。刃縁に小沸が付いて金線入り、刃中は沸と匂が満ちている。