日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

短刀 長舩経家 Tsuneie Tanto

2017-05-31 | 短刀
短刀 長舩経家

 
短刀 長舩経家大永二年

 五寸七分、重ねは応じて二分ほど。具足の腰に備えていざという時に用いた得物だ。このような小振りの短刀の方が装備し易い。右手差しとされたのであろう。地鉄は杢目交じりの板目肌。湯走り状の飛焼があり、焼が深いので良く判らないが、映りも立っている。沸の強い焼刃は匂を伴って明るく、互の目、湾れに砂流、沸筋、金線が流れ掛かる。帽子は掃き掛けて長く返る。刃文を見る限り備前物とは感じられない凄みがある。
 話はそれるが、「右手差し」と呼ばれる小型の刃物について。特別な構造ではなく、短刀のことで、普通は左腰に武器を備えるのだが、右手側に備えたことによる呼称だ。武器などはどちらに備えても自由だとも思うが、特に右手差しと呼ばれるほどに特殊であるのは、どうやら我が国の武家の規範にありそうだ。刀は左腰に帯びるもの。そして、通行によって鞘が触れ合わないように左側通行をしていた。と言うのは江戸時代の記録にも残されている、我が国のかなり厳しい規則であった。ただし戦国時代以前は不明。この左腰に帯びて左側通行という点が、剣術家から疑問視されている。斬り合うために相手との間合いを計るには右側通行が適当らしい。たぶんそうだろう。だが、江戸時代に街中で盛んに斬り合いがあるはずもなく、右側有利は道場での対峙の定法であろう。江戸時代の街中では、ドラマや映画ほどに斬り合いはなかったのだ。左利きはどうしたのだろうかというと、もちろん右利きに矯正された。現在、大小揃いの拵で、栗形を設けながら刃を下にして備える、いうなれば腰帯に差して用いた太刀様式の拵がある。頗る面白い資料だ。これを左利きの武士が右腰に差した打刀拵だと考える人もいるだろうが、右腰に帯びては目貫が逆になるからおかしい。もちろん左側に統一された我が国の規範によれば右腰差しはありえない。

短刀 長舩永光 Nagamitsu Tanto

2017-05-30 | 短刀
短刀 長舩永光


短刀 長舩永光天文十三年

 六寸七厘、重ね二分八厘の鎧通し。かなり使い込んでいるが、重ねがしっかりと残り、鋒も焼深く健全だ。刀身中ほどが研ぎ減りで幅狭くなっているのが判ると思うが、ぼてっとした姿に比較して結構格好がいいと思う。刀身中ほどのやや上辺りの棟が削がれているのも使い勝手を研究した結果であろう。地鉄は良く詰んで小板目状に見える。刃文は湾れ刃。ほつれ、喰い違い、金線、沸筋、砂流しが働き、帽子も調子を同じくして掃き掛けて返る。

短刀 長舩清光 Kiyomitsu Tanto

2017-05-29 | 短刀
短刀 長舩清光


短刀 長舩清光天正五年

 七寸三分半、重ね二分強。尋常な造り込み。杢目交じりの板目肌に地沸が付き、地景で肌が起って見えるが、鍛着は密であり、疵気はない。特に地景が明瞭に現れており、地の色に濃淡変化があって綺麗だ。刃文は湾れに互の目が節のように交じったもの。このような刃文もある。小沸に匂を交え、細かな金線ほつれが掛かる。帽子の焼きが深いが、返りは比較的短い。

短刀 長舩清光 KiyomiTsu Tanto

2017-05-27 | 短刀
短刀 長舩清光


短刀 長舩清光天文十七年

 清光というと直刃を思い浮かべるが、このような腰開き互の目も焼いている。地鉄は杢目を交えた板目肌で、地沸が付き肌立つ感があるも、疵気はない。斬れそうな地鉄だ。刃長六寸強、小振りで具足の腰に収め易い造り込み。焼刃は腰開きの浅い互の目で、刃縁を沸筋金線が走り、刃中には沸筋が金線を伴って流れる。帽子も乱れ、先も複雑になり、返りも乱れて長く焼き下がる。

短刀 長舩祐光 Sukemitsu Tanto

2017-05-26 | 短刀
短刀 長舩祐光


短刀 長舩祐光永禄八年

 七寸五分、元幅七分六厘、重ね二分七厘だから、厚手の鎧通しだ。地鉄は縮緬状に細やかに揺れる板目肌で、地景により肌目が立っているにもかかわらず総体に均質である。直状の映りが立ち、質は特に優れている。刃文は細直刃で、堅い鎧の隙間から用いることを想定したもの。面白いのは、祐光の銘。祐光は勝光や宗光の父として知られている。この祐光は茎に五郎左衛門尉清光の子と記されている。即ち祐光の古銘を復活させようと考えたもの。祐定と清光の二大流派が隆盛の時代、このような長舩鍛冶の多くの刀工は、祐定家や清光家にのみ込まれていたのであろうか。

短刀 長舩忠光 Tadamitsu Tanto

2017-05-25 | 短刀
短刀 長舩忠光


短刀 長舩忠光永正九年

 ちょっと磨り上げられていて光の字が失われている。永正頃だから、総体に比較して茎が長かったものだが、区送りによりさらに長くなったことから切り縮めたのであろう。身幅が狭いことから鎧通しとされたに違いない。地鉄は板目肌が地景によって綺麗に立って現れている小板目鍛え。刃文が互の目の連続に砂流が掛かり、帽子は小丸に返り、区まで棟焼が連なっている。棟焼の中にも小互の目が交じっており、かなり特殊な出来。もう一つ、忠光には直刃が多いことから直刃が得意であることは理解しているのだが、互の目乱も優れたものを遺していることがわかる。

短刀 長舩治光 Harumitsu Tanto

2017-05-24 | 短刀
短刀 長舩治光


短刀 長舩治光

 六寸八分強の鎧通し。刃長に比較して茎が長め。時代は大永頃、即ち戦国時代もちょっと時代が上がる。両刃造短刀でも説明したが、時代の上がる短刀は、刃長が短めで茎が長い。先に紹介した天正頃の祐定と比較すると良く判ると思う。時代的に五十年ほどの差がある。地鉄は緻密に詰んでおり、刃文は湾れ刃。写真では分かり難いが、小沸に匂が伴い、刃中には淡く沸筋が流れる。

短刀 長舩祐定 Sukesada Tanto

2017-05-23 | その他
短刀 長舩祐定


短刀 長舩祐定天正四年

 八寸強の鎧通し。身幅が狭く、鎧の隙間から使うことを想定したもの。重ねはさほど厚くはない。一般に鎧通しは重ねが三分くらいあるのが普通と考えられているようだが、実際に戦場で使うことを考えると、薄手の方が明らかに隙間を通しやすい。斬れ味もいい。この短刀が典型。


短刀 長舩祐定 Sukesada Tanto

2017-05-23 | 短刀
短刀 長舩祐定


短刀 長舩祐定元亀三年

 祐定の綺麗な地鉄の短刀。地鉄は戦国時代の備前物の特徴的な杢目交じりの板目肌が均質に詰み、地景で強く立って見えるのだが、鍛着は密。刃文が変わっている。直刃から始まりごく浅く湾れが交じり、所々の小足が入り、帽子は丸く返っているが先端は掃き掛け、丸みを帯びて返り、長く焼き下がる。

脇差 長舩清光元 Kiyomitsu Wakizashi

2017-05-20 | 脇差
脇差 長舩清光元


脇差 長舩清光元亀三年

 刃長一尺一寸の平造で、かなり反りが付いており、先反りも顕著な、戦場で活躍したであろう作。腰元に、剣巻龍と喰違樋が施されており、所持者守護の念も強く感じられる。地鉄は縮緬状に肌立つ観のある杢交じりの板目肌で、地沸が付いて細い地景も顕著であるが故の強い肌模様だ。刃文は清光が得意とした直刃で、帽子の辺りに小足が入り、わずかに乱れた態を成す。差裏の物打辺りに肌立つところがあり、これも清光にみられる特徴。特別の注文作であろう、総体に穏やかな刃文構成である。

短刀 長舩清光 Kiyomitsu Tanto

2017-05-19 | 短刀
短刀 長舩清光


短刀 長舩清光永禄七年

 身幅広く重ね厚くがっしりとした造込みで、先反りが付いている。先反りのある造り込みは截断に適しているが、この短刀を実際に戦場で用いたものか不明。あまりにも出来が良いからだ。地鉄は特段嘉綺麗に詰んだ小板目肌で、細かな地景によって小杢が綺麗に現れている。残念ながら映りはない。腰元の彫物が活きている。刃文は直刃に始まり、小模様に浅い湾れが交じり、先はわずかに乱れて返り、返りが尖り調子の互の目に乱れている。特別注文であろう。

刀 高田 Takada Katana

2017-05-18 | 
刀 高田


刀 高田

 南北朝時代の豊後刀工。この時代は、他国と同様に大ぶりの太刀が用いられていたことから、後に磨り上げられて二尺二、三寸前後とされたものが多い。元先の身幅が広く、典型的な造り込み。地鉄は板目鍛えで所々に杢目が交じり、地沸が付いて地景も交じる。備前肌によく似ている。刃文は、浅い互の目に湾れ交じり。これも備前刀にある構成。焼刃は匂に小沸を交えており、刃境がわずかにほつれ掛かり、短い足が所々に入る。帽子の雰囲気が備前刀とはちょっと異なる。浅く乱れ込んで先は大丸風に掃き掛けを伴いほぼ焼き詰め。備前刀に似ているということは、どの時代に学んだのだろうか、あるいはまったく備前刀とは交流なしに似たような作風に行き着いたのだろうか。


刀 平高田 Takada かたな

2017-05-17 | 
刀 平高田


刀 平高田

 磨り上げ無銘の刀で、戦国時代の豊後国の高田鍛冶の作と鑑られる作。姿格好など一見して戦国時代後期の備前刀だ。刃文も小沸に匂の交じった、備前刀風の足の入る互の目に丁子交じり。地鉄は杢目を伴う小板目鍛えで、細かな地景を交え、白っぽく感じられるところがある。良く見なければここも備前刀に紛れる。帽子は乱れ込んで掃き掛ける。このような出来があることにより、豊後刀は備前刀に紛れると言われる。備前鍛冶に学んだものであろう。特に古刀期の刀が備前刀に似ている。新刀期も降ると、地鉄は細やかな小板目肌に変ってゆく。平高田とは、古刀期の豊後高田鍛冶のこと。対して新刀期には藤原姓を用いたことから藤原高田と呼び分けられている。
    

刀 統行 Muneyuki Katana

2017-05-16 | 
刀 藤原統行


刀 藤原統行

 これも江戸時代初期の豊後刀。元先の身幅が広く鋒延びて総体がどっしりとしており、南北朝時代の大太刀の磨り上げ物を肉厚く仕立てたような造り込み。出来は、やはり長舩清光風のところが窺える。地鉄は良く詰んだ小板目風に見えるも、その中に板目が表れて地沸が叢付き、刃境からの湯走りが地に溶け込むなど見どころは多い。匂主調の刃文は直刃を基調に小足、鼠足が入り、肌目に沿って流れるような沸筋砂流しも窺える。帽子は調子を同じくして浅く乱れ込み、先掃き掛けを伴い浅く返る。

刀 藤原統景 Munekage Katana

2017-05-15 | 
刀 藤原統景

 
刀 藤原統景

 備前刀に似ているのが、豊後刀工の作だ。この造り込みを見ても分かると思う、先に紹介した清光によく似ている。この統景は慶長頃。戦国時代から連続しており、江戸時代とは言え、まだまだ古刀だ。地鉄は板目交じりの小板目肌が良く詰み、鎬寄りに映りが立つ。刃文は直刃に湾れ交じり。匂口締まり調子で鼠足が盛んに入り、物打辺りから乱れが交じり、焼幅も広くなって帽子は浅く乱れ、やはり焼深く返る。先の清光に合わせて湾れ調子の刃文を選んだが、もちろん互の目丁子の刃文もある。