日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

短刀 兼虎 Kanetora Tanto

2019-10-31 | 短刀
短刀 兼虎


短刀 兼虎 明治二年

 明治に入ってからの、近代の作品を紹介している。兼虎は、清麿の兄真雄の子。父及び清麿に作刀を学んでいる。この短刀の作風は、真雄や清麿のような肌目を際立たせたものではなく、むしろ微塵に詰んだ小板目肌に、沸の広がりを強く意識した、同時代では左行秀のような沸深い作風である。姿格好は、鎬を立てて棟を削いだ、菖蒲造に似た構造で、寸法は隠し持ち易さを追求したのであろう七寸と小振り。この時代感を良く示している。



短刀 細川正守 Masamori Tanto

2019-10-30 | 短刀
短刀 細川正守


短刀 細川正守 明治三年

 正守は水心子正秀の高弟、細川正義の子。備前伝の刀工である。この短刀は寸法が八寸強。刀身中程から棟が削がれて鋒に抜ける冠落造は、武器としては頗る考えられた構造である。腰元の重ねを厚くして頑強さを落とすことなく、樋を掻いて重量を軽減して所持しやすさを突き詰めている。棟を削ぐのも重量の軽減があるのだが、同時に刺突の抵抗を減らす効果があり、斬った際の抵抗も少なくなる。小振りに仕立てられていることから、懐にも隠し持ちやすく、廃刀令以降にも流行しているのではないだろうか、間々見かける。小板目鍛えの地鉄は良く詰んでおり、刃文は匂に小沸を交えた小互の目丁子。



太刀 羽山円真 Enshin Tachi

2019-10-29 | 太刀
太刀 羽山円真


太刀 羽山円真 明治四十四年

 先に紹介した作に比較して反りが強い。茎を雉子股に仕立てた、衛府太刀拵に収められたであろう太刀。衛府太刀は、近代では御大典などの儀式の際に備えた。古様式の太刀姿であり、戦場で使う刀といった印象はない。古作山城物を想わせる小板目鍛えの地鉄に直刃を焼いているところも上品。やはり鎌倉時代後期の来國俊や来國光など山城上位刀工伝、円真の得意とする仕立てである。□





太刀 羽山円真 Enshin Tachi

2019-10-28 | 太刀
太刀 羽山円真


太刀 羽山円真 明治三十四年

 比較的反りは浅いが、雉子股茎の仕立てになる、古様式の太刀を手本としたもの。目釘穴の位置も比較的下にあり、太刀の様式を備えている。身幅は広くもなくバランス良く、反りが浅いのはサーベルなど近代の拵に収められた故と考えられる。地鉄は小板目鍛えで微塵の地沸が付き、刃文は浅い湾れ刃で、刃境がほつれ掛かり繊細な金線が走る。円真の得意とする、古作粟田口や来など山城物を手本とした作である。
 近世、近代の刀工を馬鹿にしている先生方がいた。その影響を受けて、現在でも新刀以降の作を刀と見ない方もいる。嘆かわしいことだが、事実である。とにかく、古作を偏重するこのような状況を生み出した昔の先生方がいけない。武士の時代を終えた以降も活躍した刀工の作品を紹介している。何が好きかは、個人それぞれあっていい。でも時代の異なる作について、比較して優劣をつけることの愚かさに気付いてほしい。よい作品を遺すべく努力した刀工があり、現代でも、技術を未来に伝えようとしている方々がいるのだ。





直刀 宮本包則 Kanenori

2019-10-26 | その他
直刀 宮本包則


直刀 宮本包則 明治四十四年

 包則は伊勢神宮の式年遷宮に際して宝剣を鍛えている。もちろんその奉納された剣が市井に流れ出てくることはないが、遷宮に応じて注文を受けた作がある。切刃造に直刃。小板目鍛えが詰んでおり、古作のような大肌がない。式年遷宮と葉、古作のままに製作するのではなく、形態は古作を写しながらも、現代の技術を持って応ずるという意識があるようだ。





脇差 繁慶 Hankei Wakizashi

2019-10-25 | 脇差
脇差 繁慶


脇差 繁慶

 則重を手本とした刀工には、もう一人、江戸初期の繁慶がいる。繁慶自身はどうやら手本としたとは考えておらず、自身の作品の方がはるかに出来が良いと言い放った。大した自信家だとは笑えない。本作を見れば分かるのだが、それほどに出来が良い。凄いと言うしかないほど。質の異なる地鉄を合わせ鍛えれば鍛着部が疎になり、鍛え疵が生じやすい。則重の作も繁慶の作も鍛え疵があって良いと判断されており、鍛え疵が特徴であるという先生もいる。ところがこの脇差には鍛え疵がない。頗る緻密に鍛えられている。にも関わらず鍛え肌が鮮明。こんな作品を生み出していたら、則重の上を行く相州正宗より自身の方がさらに上であると豪語するのも無理はない。
 繁慶は切れ味も優れている。地刃は強靭であったと思われる。鉄砲鍛冶であった繁慶の独特の思考による地鉄鍛えであろう。造り込みも、江戸時代最初期らしい実用性に富んだ小振りな姿格好。本作は大名品である。□





短刀 則重 Norishige Tanto

2019-10-24 | その他
日本刀買取専門サイト 銀座長州屋

短刀 則重


短刀 則重

 包則はこのような地鉄を手本とした。地景によって強く激しく蠢くような板目の鍛え肌に地沸が絡む。研磨の加減で刃中の様子は分かりにくいが、鍛え肌は刃中に及んでいる。刃文は、巧みに刃採りをしているが、実際には形のない複雑な乱れである。帽子もそのまま連続して肌目が掃き掛けになる。則重の鎌倉時代後期、他に類例を見ない出来である。



 下の写真は則重の刀の部分。こちらは比較的地刃の様子が見やすい。このような地刃を、後の幾人かの刀工が再現に挑んで成功しているのである。包則などは皮相的な混で鉄に留まらない、古風で自然味のある作に迫っている数少ない刀工である。


短刀 宮本包則 Kanenori Tanto

2019-10-23 | 短刀
短刀 宮本包則


短刀 宮本包則 明治二十六年

 宮本包則も帝室技芸員を拝命した名工の一人。伯耆国の出で、備前祐包から技術を学び、備前古伝の他、美濃風の作、相州伝なども手掛けているように作域が広い。この短刀は相州伝の影響を受けた則重を手本としたもの。近代的な面から洗練味がある一方で、激しい柾目交じりの板目鍛えが、まさに古作を見るようだ。水心子正秀の提唱で知られる復古意識は備前伝にとどまらない。相州伝もまた好まれて多くの刀工が試みている。地鉄を強く意識した製作方法は、一方で鍛え疵の発生につながるが、そこは高い技術でカバーしている。鮮明な地景が縦横に走る様子はこの短刀の生命になっている。刃文もまた沸が強く、互の目の形状が判然としない、相州古伝のままである。□





短刀 逸見義隆 Yoshitaka Tanto

2019-10-18 | 短刀
短刀 逸見義隆


短刀 逸見義隆 明治四年

 月山貞一と並び彫刻の名手としても知られる逸見義隆は、備前刀工の掉尾を飾る一人。古作の再現というよりむしろ新趣を突き詰めたところがあり、美しい地鉄は祐永などと葉異なって肌目が奇麗に起つ小板目鍛え。六寸九分強のこの短刀も、流れ肌を交えた美しい小板目肌に微塵の地沸がついて明るく、刃文は互の目に浅い湾れを交えた構成で焼き深く沸深く、鮮やかに輝き、剣巻龍の彫刻は草の意匠ながら濃密でこれも美しい。意外に逸見義隆を知らない人が多い。超が二つ付くくらいに有名になった清麿などの陰に隠れるような存在だが、同時代には頗る高い人気があった名工である。□





短刀 月山俊吉 Gassan Tanto

2019-10-17 | 短刀
短刀 月山俊吉


短刀 月山俊吉

 近代の月山の作風を確認するため、室町時代の月山の作を改めて眺めてみる。
 室町時代後期大永二年紀のある、資料的価値の高い月山俊吉の作。北寒河江谷池の地名迄刻されている。古い月山の肌目を鑑賞されたい。次の月山銘の短刀も室町後期の作。いずれも古調な綾杉鍛に細い直刃の、いかにも切れそうな武具といった印象。そもそも、舞草や寶壽などを含めた奥羽の刀は、質の異なる地鉄を組み合わせて強靭な地鉄を求めたようだ。それが故に肌起つ。しかも波打つような刃だが刃先に現れて切れ味を高める。西で発達した刀造りとは根本的に異なる。刃文もあまり深くならないように直刃仕立てが多いのも、折損を防止する工夫であろう。


短刀 月山

太刀 月山貞一 大正四年 Sadatoshi Tachi

2019-10-15 | その他
太刀 月山貞一 大正四年


太刀 月山貞一 大正四年 

大隈重信に贈られた太刀。相槌は子の貞勝であろう、貞一が最も得意とした備前伝。幕末、明治初期頃は比較的大ぶりの刀を製作していたが、明治も下ると古作を映したような太姿ながら、儀式の際に用いられるよう二尺二寸前後の扱い易い寸法にされた作が多い。この太刀が時代を映す典型。小板目鍛えの地鉄は良く詰んで微細な地沸で覆われている。刃文は逆がかった小互の目丁子。小丁子にさらに小さな丁子が交じって焼き頭が高低変化し、匂口明るく鮮やか。





剣 月山貞一 明治七年 Sadakazu Ken

2019-10-11 | その他
剣 月山貞一 明治七年


剣 月山貞一 明治七年

 如何なる理由があるのだろうか、あるいは何を手本としたのだろうか、廃刀令の発せられたころ、月山貞一は異形の剣を製作している。片面の中央に鎬が立ち、一方は平の造り。刃長が四寸八分で、元幅一寸強、とにかく身幅が広い。異風に尽きるが、地鉄は綾杉鍛が奇麗だ。詰み澄んで抑揚を成し、その肌目が刃中で繊細な働きを生み出している。月山古作も肌目に伴ってほつれや金線が生じているのだが、ここでは地鉄が特に奇麗であるがためそれが強調され、刃肌とまでになっている。素剣の彫物も整っていて美しい。この身幅であれば、平の面に素剣が活きてくる。幅広ながら良く計算された作である。時代背景から戦場で使うという意識はないだろう。精神面での守りと考えて良さそうだ。

短刀 月山貞一 Sadakazu Tanto

2019-10-10 | 短刀
 しばらく刀装具ばかり紹介していましたが、また少しずつ御刀も紹介してゆきます。

 廃刀令以降、多くの刀匠は鎚をおいた。金属加工という他の技術に応用していった職人がある。もちろん刀物造りの技術を他の刃物へ、中には手術用のメスなどの製作へと進化させた工もある。廃刀令と、諸外国からの先進技術の流入は、多くの人に刀を古臭い時代遅れの武器として認識させたに違いない。だが、廃刀令とはいえ、刀造りをやめれば技術はそこで途絶えてしまう。いまでこそ、伝統技術を守ろうという意識が強くあるも、廃刀令の当時はどうだったのだろうか。
 伊勢神宮には二十年に一度式年遷宮があり、様々な道具を、その時代に活躍している最高の技術者が製作して納める慣わしがある。明治以降では、明治二、同二十二、四十二、昭和四、二十八、四十八、平成五、二十五年に行われている。伊勢神宮以外にも、京都の上賀茂神社では二十一年ごとに、春日大社では二十年に一度の式年造替が、伊勢神宮の場合と同様に行われている。


短刀 貞一 明治三年

 月山家は明治以降を生き抜き、貞吉‐貞一(雲龍子)‐貞勝‐貞一(太阿)‐貞利と、現代まで確たる存在感を示している名流である。雲龍子貞一は先代貞吉の実子ではなく、出羽月山鍛冶の末流で大阪に出た貞吉に技量が認められて養子に迎えられた工。月山古伝の綾杉鍛をより美しいものとして完成させ、さらに彫刻にも優れて月山家の知名度と人気を高めた。後に帝室技芸員に任命される。
 この短刀の柾流れの地鉄鍛えは綾杉鍛えによるものであることは明瞭。微妙に質の異なる鋼によって美しく綾状に流れる様子、刃中の働きも肌目に沿って生じていることが良く判る。月山貞一の魅力はここに極まると言って良いだろう。