刀 川部儀八郎藤原正秀


刀 川部儀八郎藤原正秀天明四年八月日
水心子正秀三十五歳作の相州伝。古作の再現を目指して鍛え肌が強く立つように微妙に質の異なる鋼を合わせ鍛えたものであろう、高い技術が故に疵気なく鍛着は緻密、しかも全面に付いた地沸を分けるように地景状の綺麗な肌目が浮かび上がっている。晩年は鎌倉時代の備前刀に還るべきだと考えた正秀だが、若い頃はこのような相州伝大互の目の出来を専らとしていた。刀はまず地鉄である。もちろん姿形と刃文も重要だが、地鉄は刀の命である。その地鉄に工夫を加え、無地風に詰み澄んだ地鉄からの脱却を狙ったのであろう、刷毛目のように綺麗に立つ肌目が、刃中にまで及んでいる。沸の粒子が揃って、しかも明るく冴えた焼刃は、刃文の形状が判然としない乱刃。助廣を手本とした濤瀾乱や大互の目とは異なり、刃境が茫々として大きくほつれ、沸粒がそれに絡んで流れるような景色を生み出している。もちろん狙いはそこにあったのだろう、帽子まで刃境に細い沸筋が連なり、先掃き掛けを伴ってわずかに返る、古作写し。二尺三寸一分。






刀 川部儀八郎藤原正秀天明四年八月日
水心子正秀三十五歳作の相州伝。古作の再現を目指して鍛え肌が強く立つように微妙に質の異なる鋼を合わせ鍛えたものであろう、高い技術が故に疵気なく鍛着は緻密、しかも全面に付いた地沸を分けるように地景状の綺麗な肌目が浮かび上がっている。晩年は鎌倉時代の備前刀に還るべきだと考えた正秀だが、若い頃はこのような相州伝大互の目の出来を専らとしていた。刀はまず地鉄である。もちろん姿形と刃文も重要だが、地鉄は刀の命である。その地鉄に工夫を加え、無地風に詰み澄んだ地鉄からの脱却を狙ったのであろう、刷毛目のように綺麗に立つ肌目が、刃中にまで及んでいる。沸の粒子が揃って、しかも明るく冴えた焼刃は、刃文の形状が判然としない乱刃。助廣を手本とした濤瀾乱や大互の目とは異なり、刃境が茫々として大きくほつれ、沸粒がそれに絡んで流れるような景色を生み出している。もちろん狙いはそこにあったのだろう、帽子まで刃境に細い沸筋が連なり、先掃き掛けを伴ってわずかに返る、古作写し。二尺三寸一分。



