日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

刀 相州行光

2010-05-29 | 
刀 相州行光

 刀 磨上無銘相州行光





 相州伝の祖とも言うべき、沸出来乱刃の相州行光(ゆきみつ)の刀。正宗、貞宗などによって沸出来の作風の魅力が増大されていったが、行光の地刃には鎌倉時代中期以前にまで遡るような古風な面と、その後の南北朝時代の沸の中に現れる強みある働きとが同居する作風を呈しており、これが行光の最大の魅力と言えるであろう。
 地鉄は板目肌に小板目肌が交じり合ってよく詰んでおり、大肌に沿って地景が顕著に現われていることから肌目が強く浮かび上がって見える。肌目と地沸が働き合い、所々地斑 (じふ) 状に不思議な肌が観察される。肌目は刃中にも至り、刃中に杢目や板目が沸筋を伴って現われる。刃文は焼きの幅がほぼ一定の古風な小乱。刃縁に小沸が良く付いて不定形に乱れ、刃縁は沸でほつれて金線稲妻を伴い、刃中にはほつれから連続する砂流しが、これも金線を伴って流れる。この刀では物打から横手筋辺りまでの働きが圧巻。帽子も金線砂流しの掃き掛けを伴って火炎風に激しく乱れる。



短刀 平安城弘幸

2010-05-28 | 短刀
短刀 平安城弘幸

  短刀 銘 平安城堀川住弘幸 慶長拾三年九月日

 

 

 直刃の魅力をもう一点紹介する。身幅に比較して極端に幅の狭い直刃を糸直刃などと表現することがある。決して研ぎべりの結果で細くなったわけではなく、元来が細直刃であり、実用を意図しても製作である。
 弘幸(ひろゆき)は堀川國廣の門人ではあるが、國廣のよいな相州伝と言うより独創的な細直刃を焼いて有名である。地鉄は國廣伝のゼングリとした縮緬状に小模様となる杢目交じりの板目肌で、本作は殊に地鉄が美しく、一部柾目状に流れて微細な地沸が付いて潤い感がある。この肌目と小沸の細直刃が働き、狭い刃縁に繊細なほつれが掛かる。派手ではない。しかし視覚を通して迫るものがある。戦国時代から江戸時代最初期を生きた、実用の武具を製作した刀工の、迫力であろうか。

刀 堀川國廣 Kunihiro

2010-05-27 | 
刀 堀川國廣
Katana Horikawa Kunihiro

刀 銘 國廣

 

 戦国時代最末期から江戸時代最初期にかけて活躍した堀川國廣(くにひろ)の刀。即ち、古刀期から新刀期への急速とも言い得る技術的な進歩の真っ只中で活躍した刀工である。そのため國廣の作風は殊のほか広い。
 この刀は慶長の中頃の作。地鉄は綺麗になりつつある状態だが、基本的な板目肌が縮緬状に強く起つという、いわゆるザングリとした肌合いを呈している。板目に強弱変化のある杢目が交じり、これに地景が伴って肌が鮮明になる。さらに地沸が付き、地景と地沸の働き合う様子は、写真では分かり難いが、これが鍛錬と焼き入れの結果なのかと、何度みても驚きの念を拭えない。
 刃文は直刃に湾れの複合。刃縁は小沸でほつれ、刃中にはほつれから変化した細い砂流しが焼刃に沿って流れる。派手ではない。手掻の直刃とは趣を異にするが、國廣の作風には、手掻に通じる古刀期の風合いが漂っている。これこそ、古刀の魅力と新刀の魅力のせめぎ合い。江戸時代最初期の作品が高く評価される所以である。

 

刀 手掻

2010-05-26 | 
刀 手掻

刀 磨上無銘手掻





 写真のような刀をご覧になって刃文がない、とおっしゃるかたがいる。刃文は必ずしも乱刃であるというわけでなく、このような直刃を特徴とした流派もある。特に鎌倉時代の大和(奈良県)の刀工は、直刃や直刃に小乱を交えるような刃文を焼き施すを特徴としている。
 直刃の魅力は、第一に刀身全体を眺めてみればよくわかるように、極めてシンプルな、刀身の姿が刃文に惑わされずに良くわかる点にある。研ぎ減りや形の崩れが良くわかってしまうのである。先幅が広い南北朝時代の太刀、元幅が広く先が極端に狭くなる鎌倉時代初期の太刀と、元から先へ至る身幅の変化は時代や国あるいは流派によって異なり、所持者の好みの問題であろう。
 直刃にも刃中の働きはある。殊に刃縁の繊細な働きは、これも大きな乱れによって惑わされることのない魅力。鍛え肌に沿い、ほつれ、金線、砂流し、沸筋、小足などの働きが複雑に絡み合い、あるいは簡潔に現われるのである。
 大和手掻(てがい)と極められたこの刀は、顕著な地景を伴う板目肌が流れて柾目がかる部分があり、全体に地沸が付いて肌目が綺麗に起ち現われ、肌目は刃境を越えて刃中に至る。匂主調の細直刃の焼刃は、直線ではなくごくごくわずかに湾れ、刃縁小沸が付いて焼刃の帯もごくごくわずかに変化する。刃縁に沿って淡くほつれかかり、その一部が金線となって黒く光る。帽子も極めて細い沸の筋が刷毛目のように流れて焼詰めとなる。手掻派のことに綺麗な作である。



脇差 法城寺

2010-05-25 | 脇差
脇差 法城寺

脇差 磨上無銘法城寺



 一文字に似た互の目丁子に特徴をみせるのが但州法城寺(ほうじょうじ)である。法城寺國光は専ら薙刀や長巻を製作したことから、華やかな互の目丁子の薙刀は法城寺に極められることがある。では一文字と法城寺の違いはどこにあるのだろうか。写真例の法城寺は一文字と極められても決して不思議ではない。法城寺も一文字を手本としているのだから似ているのは当然であろう。先に紹介した一文字の脇差と比較鑑賞し、刃文は似ていても地鉄が異なることを観察してほしい。この脇差も元来は薙刀であったものを脇差に仕立て直した作。地鉄は地景を伴う板目肌が良く詰んでおり、地沸が付いて沸映りが現われている。一文字のような丁子映りとは風合いが異なる点に留意したい。この脇差では、刃文は匂出来小互の目調で互の目の頭が大きく張らず、長短足が乱れ入って葉や飛足も盛ん。刃縁はほつれ、これが刃中では金線を伴う砂流しとなるところは一文字と似ている。一般に、法城寺の刃文と特徴の一つに、互の目が茶の花のように複式の互の目丁子となる点があるも、この作例では見られない。
 一文字との違いも良いが、この刃縁の複雑な変化をご覧いただきたい。焼きの高さはほぼ一定だが、小互の目の頭の形は様々、丸みを帯びたり尖ったり、これにほつれが絡んで刃中に垂れ込むような、単なる足ではなく自然味ある刃形となっている。匂主調ながら刃縁に沸が付き、一部に強い沸筋が流れているところに相州伝の影響がみられる。刃中の躍るような働きが最大の魅力と言えようか。


脇差 一文字

2010-05-24 | 脇差
脇差 一文字

脇差 磨上無銘一文字



 薙刀を脇差に直したもので、物打辺りが削がれて鋒鋭い姿格好とされている。鎌倉時代の薙刀は、この例のように大小の小とする目的で直された例が頗る多い。それは逆に鎌倉時代の薙刀の健全な姿を遺す現存作が少なくなっていることにも繋がる。
 この地鉄は大きく流れるような板目鍛えに杢目が交じって備前の特質を良く示している。肌目に沿って地景が入り、大肌となって見えるが、地の本質は小板目鍛え状に良く詰んで地沸が付き、潤い感に満ちている。ここでも映りは見えないのだが、刃文を写したような鮮明な映りが観察され、光りを反射させると地鉄の明るさが良くわかる。下方の写真が分かり易いが、躍動感に溢れ、棟側と刃先の板目が流れており、刃中にもこの鍛えの連続している様子が、沸や匂の流れで判断できる。
 互の目に丁子を交えた匂主調の焼刃は、互の目の頭が丸みを帯びて高低変化し、この互の目の小丁子が複合されて形も様々に変化。刃境に鍛え肌の感応したほつれが現われて流れるような景色を生み出し、ここに金線が絡み、刃中では匂の砂流しになる。物打辺りに沸が付き、切先に近いふくら辺りでは稲妻状の金線を伴う沸凝りが顕著になり、先は棟側へと流れ込む。刃中の足はわずかに切先側へと傾く逆ごころ。
 備前一文字(いちもんじ)でもことに華やかな福岡一文字(ふくおかいちもんじ)極め。



刀 長舩長義

2010-05-22 | 
刀 長舩長義
Katana Nagayoshi

  刀 磨上無銘長義





 相州鍛冶の台頭、そしてその影響が多方面に及んだ鎌倉時代末期から南北朝時代には、備前刀工においても同様に相州伝の影響を受け、技術としても作風としても存分に活かされている。備前伝の地鉄鍛えに相州伝の焼刃が施された独特の作風を相伝備前(そうでんびぜん)と呼んでおり、ここに紹介する長舩長義(ながよし)の出来はその典型。板目鍛えの地鉄に杢が交じって緊密に詰むも、所々地景が入って肌が目立ち、焼の強さもこれに加わって肌立つ風がある。匂主調ながら沸が厚く交じり合うように付いた互の目乱の焼刃は出入り複雑に激しく乱れ、相州伝の特徴でもある砂流しや沸筋、金筋などがここに働く。互の目に小丁子が複合した焼刃は、時に沸付いて崩れるような態があり、足も複雑に変化、刃中に漂うのは葉というよりそれが大きくなった沸凝りによる島刃。もちろん刃中には匂が立ち込めて明るく冴え冴えとしている。刀の造り込みも幅広く先幅落ちず、大帽子とされ、帽子も激しく乱れて先は沸筋を伴う掃き掛け焼詰めとなる。

脇差 長舩康光

2010-05-21 | 脇差
脇差 長舩康光

  脇差 銘 備州長舩康光應永廿□年二月

 

 応永備前と呼ばれてその地鉄の美しさが垂涎の的とされている室町時代応永頃の康光(やすみつ)の、この時代の特徴的な体配の脇差。平造とされ、寸法は一尺三寸強の小振りに引き締まった感のある姿。良く詰んだ板目鍛えの地鉄に杢目が交じり、自然味のある地景がこれに伴って肌目がきれいに起って見える。微細な地沸が全面に付き、肌目や映りと感応し合って柔らか味のある肌合いとなる。これが応永杢(おうえいもく)と呼ばれる地鉄である。康光だけでなく、盛光、その他小反物と呼ばれる同時代の多くの刀工の作がこの応永杢を基調としており、同時代の備前全体の技量が高かったことを示している。
 刃文は匂が主体の腰の開いた互の目乱。腰とは互の目の刃寄り側を指す。頭が丸くなって高低変化をするも、刃側がわずかに開いて山の裾野を想わせる構成。焼の腰辺りを焼頭に対応させて焼の谷とも呼ぶが、ここに足が入り、互の目の中ほどには刃から離れた飛足や葉と呼ばれる働きが漂う。帽子は炎のように揺れ、先が尖って返るという特徴的な刃文。
 残念ながら映りは写真では鑑賞できない。微妙に棟側に白っぽく見える部分があるも、実際にはもっと鮮明な映りが出ている。映りは直接手にとって鑑賞するしかない。康光の作には、焼頭から尖りごころに地中に流れ込む働きがあり、これが映りに同調してゆくという特徴がある。

 

脇差 泰龍斎宗寛

2010-05-20 | 脇差
脇差 泰龍斎宗寛

     
脇差 銘 泰龍斎宗寛造之安政六六月日

 

 透かし彫りが施された刀身総体も美しいのだが、地鉄の美しさを堪能してほしい。小板目鍛えの地鉄は密に詰むも、この工、この時代に間々みられる無地風の肌にならず、粒起った肌目に地沸が絡んでしっとりとした潤い感のある肌となる。所々、この工の特徴でもある自然味のある映りのような地斑の働きが肌目に生気を与えている。刃文は小豆を並べたようなきれいな小互の目に足が入り、刃縁には小沸と匂が爽やかに付いて明るく冴える。この刀も刃中に広がる匂が魅力的。肌目に沿って霧の流れるような静かな動きがあり、小互の目の刃境から繊細なほつれが刃中に漂い出る。
 小互の目乱刃は泰龍斎宗寛(たいりゅうさいそうかん)の特徴的な刃文で、がっしりとした造り込みながら清楚な感が漂い溢れるところにも特徴がある。宗寛は固山宗次の弟子で同じ備前伝の互の目丁子を専らとしたが、個性を尊重したものであろうか師とは作風を異にしている。単に写すのではなく新味を出すという個性も重要である。

脇差 左行秀

2010-05-19 | 脇差
脇差 左行秀
   脇差 銘 左行秀作之安政五年八月日於土州大嶋山麓以独鈷水刃之





 近頃、坂本龍馬の人気が急上昇している。NHKの大河ドラマの影響力と、役者の人気が背景にあることは間違いない。これが日本刀の魅力の理解へと広がってほしい。ドラマの人気にあやかりたいというのが日本刀に関わる者にとっての願いであろう。
 さて、その龍馬の育った家と刀工左行秀(さのゆきひで)の鍛刀場とは、徒歩五分ほどの比較的近距離であったそうだ。龍馬の兄は行秀に作刀を依頼しており、龍馬と行動を共にして薩長同盟にも尽力した近藤長次郎は子供のころから行秀とは顔見知りであったというほどに、近しい環境にあったはずだが、龍馬と行秀の直接の関係は記録に現われてこない。土佐にいたころの龍馬はあまり目立たず、江戸に出て以降その存在感が高まったということであろうか。
 その行秀の脇差を紹介する。行秀の作風は地鉄や刃文に派手さがなく、良く詰んだ地鉄に沸の深い互の目湾れの刃文を専らとしている。この沸が深いという意味は、刃文を構成している沸の帯の幅が広く、刃先近くまで雲のように霧や霞のようにふんわりと沸が広がり、刃先近くで刃中に溶け込むような景観を呈する出来を指す。このような沸の深さは、同時代において他に例はなく、江戸時代前期では井上真改や助廣の特徴、真改も行秀も鎌倉時代の郷義弘を目指した作風であると考えられている。本作がまさにその好例。ところが、この淡い沸の広がりは、匂に似て写真に写り難いという特徴がある。写真では刃境に和紙を引き裂いたような沸のほつれがみられるも、実はこの働きは深い沸の帯の中の働きであり、沸は写真で見られる以上に、刃先近くまで広がっている。差裏の下方の沸の様子が分かり易い。沸のほつれは肌目に沿って躍動感に満ち、所々流れるような動きがあり、帽子も沸深く、切先にまで広がっている。刃文の形ははっきりとしてはいない。華やかに乱れている刃文であることが名刀名作の条件というわけではないのである。□



脇差 源正雄

2010-05-18 | 脇差
脇差 源正雄

  脇差 銘 源正雄作安政四年八月日

  

  

 沸(にえ)は刃文を構成している要素の一つで、視覚的には粒状に確認できるものであり、粒子が確認できない匂(におい)と呼ばれる要素とは風合いも異なっている。焼き入れ温度の違いなど物理的な違いによって現われ方は異なるが、多くの場合、沸と匂は交じり合っている。両者が明確に見分けられる焼刃は比較的少ないが、本作は、匂に満ちた刃中を沸による金筋が切り裂くように走り、刃縁には沸が飛沫のように叢付いているのが良く分かる例である。
 作者は江戸時代後期の名工源清麿の高弟源正雄(まさお)。
 この小脇差は、一見すると地鉄の調子が不明瞭なほどに板目鍛えの地鉄が良く詰んでいるが、刃先側が柾目調となって鋒まで続き、先で棟側に流れ込んでいるのが焼刃の状態でわかる。刃文は互の目に足が長く入って抑揚のある構成。沸に匂が複合して頗る明るく、しかも冴え、光を受けてくっきりと目に飛び込んでくる。刃縁は厚い匂で乱れている様子が鮮明に確認でき、しかも刃中に広がる匂の様子もわかる。刃境に沸の帯が流れ、刃中には沸の金筋が大小幾重にも走っており、これに伴って匂の調子が微妙に変化して流れているのが鑑賞できるのである。
 江戸時代後期の美しい刀の代表例と言えよう。

刀 坂倉言之進照包

2010-05-17 | 
刀 坂倉言之進照包

  刀 銘 坂倉言之進照包延宝九年二月日





 先に越後守包貞を紹介したが、包貞と照包(てるかね)は同人(延宝八年改銘)である。小さな互の目から大きな互の目へと緩急変化をつけた焼刃構成、まさに大波のように連続したこの華やかな刃文は大坂新刀の特色。前回江戸後期の綱俊の大互の目を紹介したが、この刀がまさに手本とされた作風を示している。刀身全体を比較すると、この構成が良く似ていることがわかる。綱俊に比較し、照包の互の目は一つ一つがくっきりとしており、小から大へとの次第に大きく変化しているのが明瞭に鑑賞でき、それ故に波の押し寄せる様子がより強くイメージできる。刃文は綺麗に揃った微細な小沸出来。明るく冴えた沸の帯は柔らか味あり、刃中に広がる沸に淡い砂流しが絡んで、これも波間に漂う泡のようにも感じられる。とにかく美しい作品である。何度も言うが、美しいだけではない、この照包は大業物作者に認定されているほどに良く切れる。武器としての能力を備えた上での美しさなのである。

刀 長運斎綱俊

2010-05-15 | 
刀 長運斎綱俊

 刀 銘 於東都加藤綱俊文政三年四月日





 江戸時代後期の長運斎綱俊(ちょうんさいつなとし)は、その兄の綱英と共に大互の目乱刃、濤瀾乱刃などを得意としている。この刀がその典型で、鎬筋に達するほどに焼の深い互の目が大小連続した華やかな出来。地鉄は小板目鍛えが均一に詰んで微細な地沸で覆われる。密に詰んでいるからと言って無地風ではなく、小板目肌のしっとりとした潤い感がある。刃文も、白く明るい小沸の粒子が綺麗に揃っており、沸深く霞がかかったように刃中に沸が広がり、柔らか味のある景観を生み出しており、これは、江戸時代前期の大坂刀工越前守助廣、あるいは井上真改などが得意とした沸深い焼刃を目指したものに他ならない。焼刃は小さな互の目から大きな互の目へと変化し、互の目の下を沸で繋いで地中に円形の玉刃を焼き施している。大互の目の連続を大波と見ればこれは波飛沫。江戸時代中期から後期にかけての、日本刀に求められた美観の典型例としてご覧いただきたい。このように美しく地刃を作り出したとしても、実はこの刀工は切れ味高いことでも知られている。美しいだけではないのが日本刀である。ただし、先に紹介した清光の美しさとこの美しさの違いは大きな差があるも、同じ背景で捉えることはできない。製作意識の違いであり、時代の要求の違いである。



刀 長舩孫右衛門尉清光

2010-05-13 | 
刀 長舩孫右衛門尉清光

   刀 備前國住長舩孫右衛門尉清光作之永禄五年八月大吉日





 戦国時代の備前長舩を代表する、孫右衛門尉清光(きよみつ)の、恐らく注文打ちであろう頑強な造り込みの打刀。
 杢目交じりの板目肌は、微細な地沸が付いてしっとりと潤い感がある。一般的に江戸時代の刀は、平地は様々に鍛えられるも鎬地が柾目となる特徴がある。この刀は、近くまで杢目が際立ち、しかもよく詰んでおり、地沸を分けるように自然な地景が肌目に沿って現われている。殊にこの地景を伴う杢目肌の躍動感のある様子を鑑賞してほしい。もちろん切れ味に直接関わるのが鍛え肌であり、肌起つほうが良く切れるのだが、美しさと截断能力の、その究極の接点を見る思いがする。戦国時代の備前刀の地鉄の典型例である。
 刃文はこの頃の特徴的な幅の広い直刃で、刃縁に小沸が付いて鼠足と呼ばれるごく短い小足が入り、喰い違い、地景から連なる金線、和紙を引き裂いたような淡いほつれが刃縁を彩る。物打辺りの焼が強まり、地中に湯走りが流れ込んで印象の強い飛焼を呈し、浜辺の砂洲のように清らかに流れ、この乱れはそのまま焼深い帽子へと連なる。
 この清光の大きな特徴は、物打辺りが音楽で言うなら変調したかのような大きな乱れであろう。直刃出来の中に極端な沸の凝りがあり、視覚に強く訴える。もちろん截断で最も使用される物打辺りを強くするために意図して焼きを強めたものであろうが、実用への意図を超越して迫るものがある。この用のための作意が美しさに変じていることが感じとれるであろう。



刀 出羽大掾國路

2010-05-11 | 
刀 出羽大掾國路

  刀 出羽大掾國路      脇差 出羽大掾國路

 

 

 強みのある地鉄は江戸時代最初期のもので、新刀(江戸時代前期)というより古刀に近いものが感じられよう、これが出羽大掾國路(くにみち)の最大の魅力。板目鍛えの地鉄に杢目が交じって地沸が厚く付き、地鉄の表面に起つ沸の粒子が良く分かる。
 時に浅く、時には鎬筋に達するほどに深く乱れた刃文は南北朝時代の相州正宗やその門流志津を手本としたものながら、肉厚い地鉄の上を奔放に暴れるように、あるいは手綺麗さを突き放すように江戸時代最初期の特質を鮮明にしている。焼刃はまさに地沸の標本とも言いうる作域で、刃文を構成している沸は刃縁から湯走り状に流れ出、鍛え肌に絡んで黒く沈んだ粒が際立っている。刃中は沸だけでなく匂を伴って明るく冴え、この沸と匂が出入り激しい刃中に乱舞する。
 國路が学んだ堀川國廣や三品派は、いずれも南北朝時代の相州物を手本としている。この時代、また時代が降って幕末頃にも南北朝時代の相州ものが好まれており、いずれも時代の本歌とは異なってがっしりとした造り込みとされている。この肉取りやバランスは写真では判らない。どちらの刀剣店に行かれても、興味のある刀は、必ずケースから出してもらい、手にとって鑑賞させてもらうことが大切である。このバランスや手持ちも鑑賞の大きな要素であることを忘れてはならない。
 この刀も、実際に手にとってライトを反射させねば刃中の細やかな働きが鑑賞できない。判り難いのを紹介したが、妙味を伝えきれなくて少々悔やんでいる。
 脇差も全く同様の出来。写真としてはこの方が判り易い。刃縁に働く沸のほつれ、これが刃中を流れる砂流しとなり、金線を伴う沸筋となり、肌目に沿って沸が渦巻く。再度言う。この強い鍛え肌が地中と刃中に働きを生み出しているのである。

 脇差

 脇差