脇差 丹波守吉道
脇差 丹波守吉道
京都3代目の吉道の、同家の得意とした刃文構成になる作。このような刃文を「簾刃」と呼び始めたのは誰だろうか。ずっと疑問に感じている。刀剣の鑑定や鑑賞に関わる用語が整理され始めたのは近代に至ってからと聞く。この刃文が創案された当時にすでに簾刃と呼ばれていたとは思えない。高貴な人物を隠す目的で用いる御簾を刃文の構成題材とするだろうか。そもそも簾が美観の一つとして捉えられるだろうか。絵画あるいは様々な器物に施される文様には、自然風景から採られた例が多い。助廣の濤瀾乱もその一つ。吉道の刃文構成も自然の風景、あるいはそれに近い川の流れを思い浮かべるのが普通だろう。とにかく綺麗な構成である。江戸時代前期に吉道一門が隆盛した理由が良く判る。この刃文構成は初代、二代が生み出したのであろうが、後代の吉道も焼いている。
脇差 丹波守吉道
京都3代目の吉道の、同家の得意とした刃文構成になる作。このような刃文を「簾刃」と呼び始めたのは誰だろうか。ずっと疑問に感じている。刀剣の鑑定や鑑賞に関わる用語が整理され始めたのは近代に至ってからと聞く。この刃文が創案された当時にすでに簾刃と呼ばれていたとは思えない。高貴な人物を隠す目的で用いる御簾を刃文の構成題材とするだろうか。そもそも簾が美観の一つとして捉えられるだろうか。絵画あるいは様々な器物に施される文様には、自然風景から採られた例が多い。助廣の濤瀾乱もその一つ。吉道の刃文構成も自然の風景、あるいはそれに近い川の流れを思い浮かべるのが普通だろう。とにかく綺麗な構成である。江戸時代前期に吉道一門が隆盛した理由が良く判る。この刃文構成は初代、二代が生み出したのであろうが、後代の吉道も焼いている。