日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

脇差 堀川國廣

2022-07-06 | 脇差
脇差 國廣

慶長年間の小脇差。
小脇差とは、江戸時代の大小の脇差とは異なり、戦国末期の頑丈な実用を意識した造り込み。
江戸初期寛永頃まで、このような武骨な脇差が作られた。
特に身幅が広く重ねが厚い構造は、この時代に特有のもので、数奇者垂涎の的。
地鉄は国廣特有のザングリと肌立つもので、焼出し映りも立ち、凄みのある焼刃。





脇差 兼法 Kanenori Wakizashi

2020-06-30 | 脇差
脇差 兼法


脇差 兼法

 兼法は美濃より越前に移住した刀工。江戸初期の越前刀工は、康継に代表されるように、相州伝の湾れ刃などを焼いている。これもゆったりとした湾れ出来で、湾れの所々にごく小さな小互の目や喰い違いが焼かれて変化のある刃文となっている。特徴は地鉄にある。これまで見てきたような大坂の刀工が求めた小板目鍛えとは異なり、時代も戦国期に近いのだが、肌目を意図的に起たせている。これを「ざんぐり」とした肌というのだが、強い筋を断ち斬るにはこのような強く起つ肌があった方がいい。鋒の刃文も湾れの調子を受けて湾れ込み、先小丸に掃き掛けて返る美濃風の帽子となる。ここに本国美濃の特徴が窺えるのである。

一平安在 脇差 Yasuari Wakizashi

2020-06-22 | 脇差
一平安在 脇差


一平安在 脇差

 薩摩刀工一平安代の一門。作風は安代を見るように沸が強く明るく、湾れ刃の中に沸筋が層を成して強く入る、薩摩相州伝の力強い出来である。この強弱変化しつつ長く掛かる沸筋を薩摩の特産であるサツマイモに擬えて薩摩の芋蔓と呼んでいる。強く意図して沸筋を出したわけでもなかろうが、相州伝を取り入れて焼刃を施す上で、多少は意識したのであろう。もちろん沸筋のない作品も存在する。大粒の沸、時に荒沸と呼ばれる強い沸があり、これも大きな見どころ。



伊勢大掾綱廣 脇差 Tsunahiro Wakizashi

2020-06-20 | 脇差
伊勢大掾綱廣 脇差


伊勢大掾綱廣 脇差

 綱廣は相州の名工正宗の末流という。室町後期辺りから綱廣の作が遺されている。この脇差の作者は江戸時代前期万治頃に活躍した工。室町時代の相州鍛冶は多くが皆焼調の刃文を焼いているが、本作は古作への回帰であろうか湾れに互の目を交えて不定形な乱刃としている。地鉄は小板目の所々に板目を交え、地沸が付いて一部湯走り風に沸が強まる。刃文は沸本位で深く明るく、互の目の一部は鎬筋にかかるほどに深く、砂流しと細い沸筋が川の流れのように刃中を彩る。江戸時代も下ると、刃文に独特の形態を求める工が多い中で、本作は古作の再現を求めたようだ。



丹波守吉道 初代 脇差 Yoshimichi Wakizashi

2020-06-12 | 脇差
丹波守吉道 初代 脇差


丹波守吉道 初代 脇差

三品一門は美濃の出身だが、相州伝において際立つ存在感を示した刀工集団である。沸強く沸深い刃文は、刃文構成に定まったところがなく、不定形に乱れ、沸が鍛え肌に沿って流れるように付き、これが景色を成している。地鉄鍛えに板目があり、その一部が流れて柾目肌や板目流れの肌となっており、これが働きの原因となっているのだ。砂流しもそうだ、ほつれもそうだ。
先に紹介した写真を見てほしい。初代丹波守吉道の変幻なる沸の働きを。刃文構成は大湾れ、不定形の湾れであることが基本で、刃文は物打辺りで大きく地に広がり、この中に層状の沸筋が幾重にも重なって流れ掛かる。普通に川の流れが思い浮かぶだろう。穏やかな湾れの中に層状の流れが見える。ただし、後の層の重なる刃文とはちょっと異なる。刃境の乱は水中の藻の揺れや、砂の流れを思い浮かべる。ヒケがあって見にくいところは容赦願いたい。造り込みも、江戸時代最初期に特徴的な寸法が短く身幅が広く先幅も広くがっしりとした姿格好。




丹波守吉道 二代 脇差

 川の流れを想わせる刃文の完成形である。先の作品と比較しながら鑑賞されたい。京人であれば桂川や鴨川は絵画の対象としてみることが多かったであろう。

丹波守吉道 初代 脇差 Yoshimichi Wakizashi

2020-06-11 | 脇差
丹波守吉道 初代 脇差

 
丹波守吉道 初代 脇差

何度も説明していることだが、簾刃(すだれば)なる刃文がある。丹波守吉道が創始した、層状に焼かれた刃文構成のことである。なぜこれを簾刃と呼んだのだろうか。吉道はこのようには呼ばなかった。本人から聞いたわけではないので、遺されている作品からの判断だが、層状に連なる刃文を簾に見立てたのは、後の刀剣研究家ではないか。吉道本人は迷惑していると思う。簾ではないだろう、川の流れだろう、と。そもそも不定形の乱刃の中に現れた砂流し、沸筋が層状に働いているところからヒントを得、強調して刃文構成とした。さらに後代は匂出来の層状の刃文を焼いた。良く言われるのはこの頃の作品であり、二代目以降、大坂に移住した大坂丹波と呼ばれる刀工も得意であった。
 とある雑誌で「簾刃」の説明をしたいと協力を求められた。それは簾刃ではないよ、川の流れを刃文にしたと説明しなければおかしいよ、とアドバイスした。いや、昔からこのように呼ばれているから、との返事であったが、当方はもちろん譲るわけにはゆかない、どこまで説明されるであろうかと、仕上がってきた雑誌を見たところ。何ともおかしな説明になっている。さらに、そのうしろの資料に吉野川を焼いた刃文を示して、川の流れに桜を焼いたと説明している。全く同じ層状の刃文構成であるにもかかわらず、一方では川の流れであり、一方では簾。即ち簾ではないんだ。川の流れを刃文で表現したものなんだ。
 この刃文が創始されて何年か後に大坂の助廣が濤瀾乱刃を創始した。連続する大互の目を次第に大きくして波の寄せ来る様子に見立てたものが濤瀾乱刃だ。助広が突然にこの刃文を思いついたとは考えにくい。初代が焼いていた丁子出来刃文から大互の目へ、そしてさらに濤瀾乱へと向かう意識の変化だ。すでに吉道の独創的な川の流れを想わせる刃文があり、これを目にした助廣は自らも個性的刃文を焼きたいと考えて研究を重ねたに違いない。
 助廣の濤瀾乱刃を良く言う人が、吉道を悪しく言い捨てることがある。何を根拠に良し悪しの判断をしているのだろうか。助廣の意識改革に多大な影響を与えたのは間違いなく吉道である。地域の特質のみが評価の対象とされた古刀期の作から、刃文に芸術性を求め新時代の創造的刃文構成を生み出したのは間違いなく吉道である。しかも切れ味も抜群である。吉道は助廣と同様に高く評価されてよい刀工である。
 

脇差 國包 Kunikane Wakizashi

2019-11-08 | 脇差
脇差 國包


脇差 國包

 保昌の末と伝える國包の、保昌写しながら、古作とは雰囲気が異なって緻密さが際立つ地鉄が大きな魅力の脇差。國包は江戸最初期の刀工。切れ味最上大業物に列せられているように、奇麗さだけではない武器としての実力を秘めている。地沸の付いた柾目鍛えが美しい。肌がわずかに揺れ、刃境でほつれや金線となり、刃中に流れ込んで砂流しに変じる。明るい匂と小沸の調和。新刀期における柾目鍛え出来の最高位にある刀工に間違いがない。


脇差 繁慶 Hankei Wakizashi

2019-10-25 | 脇差
脇差 繁慶


脇差 繁慶

 則重を手本とした刀工には、もう一人、江戸初期の繁慶がいる。繁慶自身はどうやら手本としたとは考えておらず、自身の作品の方がはるかに出来が良いと言い放った。大した自信家だとは笑えない。本作を見れば分かるのだが、それほどに出来が良い。凄いと言うしかないほど。質の異なる地鉄を合わせ鍛えれば鍛着部が疎になり、鍛え疵が生じやすい。則重の作も繁慶の作も鍛え疵があって良いと判断されており、鍛え疵が特徴であるという先生もいる。ところがこの脇差には鍛え疵がない。頗る緻密に鍛えられている。にも関わらず鍛え肌が鮮明。こんな作品を生み出していたら、則重の上を行く相州正宗より自身の方がさらに上であると豪語するのも無理はない。
 繁慶は切れ味も優れている。地刃は強靭であったと思われる。鉄砲鍛冶であった繁慶の独特の思考による地鉄鍛えであろう。造り込みも、江戸時代最初期らしい実用性に富んだ小振りな姿格好。本作は大名品である。□





脇差 信舎 Nobuie Wakizashi

2018-10-04 | 脇差
脇差 信舎


脇差 信舎

江戸時代最初期の脇差を紹介している。この時代の脇差は比較的寸法が短く、その割に身幅が広いがっちりとした造り込みが特徴だ。ところが未だに、「ちょっとみじかいなあ」などと、この寸法を短くて貧弱であると捉えている方が多い。一尺五、六寸の脇差は江戸時代の登城用に決められた脇差の寸法であり、実用の戦国時代には、抜き易い小振りの脇差や寸延び短刀が盛んに用いられていた。しかも鎬のない平造が、刃の通り抜けが良い。南北朝時代の騒乱期から、このような「ちょっと短い平造が」実用武器として重宝されていたのである。刃長一尺三寸、反り四分強、元幅一寸一分強。ふくら辺りの身幅も広く重ね二分強のがっしりとした造り込み。時代は戦国末期から慶長頃。信舎についてはあまり聞かないが、美濃の出で、甲斐、信濃、陸奥でも製作している。相州伝を加味した出来で、沸が強く刃中には沸筋が層を成している。帽子も沸の流れが強い火炎風掃き掛け。現在だから慶長は江戸時代であり、安定に向かっていた世の中と理解できるが、当時はまだ戦国時代の続き。鉄砲伝来以降は鉄金具で堅く身を護る防具とした。そのうえで、再び騒乱の世になるかもしれないと、誰もが考えていた。だがら、がっちりとした武器を求めた。この姿格好が戦国武士好みなのである。




脇差 越中守藤原高平 Takahira Wakizashi

2018-09-20 | 脇差
脇差 越中守藤原高平


脇差 越中守藤原高平

 初代兼若の晩年作。寛永初期。一尺三寸強、反り二分、元幅一寸二分強、重ね二分八厘。樋を掻いてあるが重い。兼若の刃文は、角張る互の目に厚い沸が付く出来。この脇差も、晩期だけあって良く詰んだ小板目肌を主調として板目が交じり、地沸が厚く付いて地相だけでもかなりの迫力。これに沸の厚く深い焼刃が施され、刃中には沸のほつれが掛かり沸筋が流れる。相州伝全盛期の中でも殊に凄い。







脇差 越前国住兼法 Kanenori Wakizashi

2018-09-19 | 脇差
脇差 越前国住兼法


脇差 越前国住兼法 寛永五年正月

 貴重な年紀入の脇差。刃長一尺三寸、反り三分九厘、元幅一寸六厘、重ね二分六厘。元先の身幅が広く、反り深く先反りも加わって大鋒に結んだ、この時代の特徴的な造り込み。戦国時代の実用武器は、平和な時代に向かいつつある寛永年間にもまだ製作されている。戦国時代を生きた武将がまだ存命中で、時折各地でも武闘があったため、いつまた戦国期に戻るかもしれぬという気風も存在したのであろう。さらに武骨が大流行していた時代である。注文主は波多掃部。地鉄は越前らしい板目肌が起ってざんぐりとし、刃文は沸の強い湾れに砂流沸筋金線の混じる激しい出来。刃中の鍛え肌と感応して生じた複雑な働きが見どころ。注文作だけあって、かなり出来が優れている。最初に貴重な年紀作と記したが、この時代にはまだ年紀を入れた作は少ない。特別な場合に限られた。80□





脇差 越中守正俊 Masatoshi Wakizashi

2018-09-18 | 脇差
脇差 越中守正俊


脇差 越中守正俊

 一尺三寸強、反り三分弱、元幅一寸、重ね一分六厘。南北朝時代の相州物を手本とした作。このような古作写しが好まれたのが江戸初期。片切刃造の構造も古作相州物に間々みられる。地鉄は小板目肌に板目が交じって肌が強く見えるのだが、一方で良く詰んでおり、地沸が付いて清浄感に溢れている。古作に紛れると評価の高かった正俊の高い技術が窺える。彫り物も迫力がある。江戸初期らしい作となっている。正俊は三品四兄弟の一人。






脇差 越後守藤原國儔 Kunitomo Wakizashi

2018-09-15 | 脇差
脇差 越後守藤原國儔


脇差 越後守藤原國儔

 これも、江戸最初期の特徴が良く現れた、がっしりとしている鎬造の脇差。金道の作に似ている。もちろん時代はほぼ同じ戦国末期から江戸初期の京都。互いに交流はあったと思われるが、國儔は三品派の金道に対して堀川派の代表工でもあり、言わばライバル。因みに師の國廣が老齢になったころ、弟子となった國貞(真改の親)や國助を指導したのが國儔であったことは有名。この脇差は、常にもまして良く詰んだ小板目鍛え。ザングリとせず、微塵に、しかも肌目が強く立って澄み、細かな地沸が絡んで清浄感がある。刃文は相州伝の湾れに浅い互の目交じり。沸深く強く、刃中には沸筋が流れ、帽子も沸強く掃き掛けが交じる。古刀期から新刀への橋渡しを成した刀工群の一人であり、多くの工に先んじて綺麗な地鉄へと到達している。一尺三寸強、反り四分強、元幅一寸八厘、先幅八分半、重ね二分五厘。江戸初期、このような武骨な作が大流行したことは間違いないが、健全な状態で遺されているものは少ない。







脇差 和泉守藤原金道 Kinmichi-Izuminokami Wakizashi

2018-09-14 | 脇差
脇差 和泉守藤原金道


脇差 和泉守藤原金道

 刃長一尺四寸強、反り三分半、元幅一寸一分半、先幅一寸強、重ね二分三厘。重ねを厚く棟を削いで断面が菱型を成す造り込み。がっしりとしているのは脇差だけではない。刀も、南北朝時代の大太刀を磨り上げたような元先の身幅が広いもので、南北朝時代と違うのは肉が厚い点。この金道の脇差は先に紹介した忠廣の平造とは違って鎬造。元先の幅が広く鎬が立って重ね厚く、江戸時代前期から中期にかけて普通に見る脇差の姿とは全く異なる。板目鍛えの地鉄は強く肌立って戦国期のまま。刃文は湾れに互の目交じり。帽子は浅く乱れ込んで焼き詰め。この金道は三品派四人兄弟の一人。美濃の工で、父と共に京に出てきて活躍し、江戸時代における刀造りの基礎を成している。





脇差 武蔵大掾藤原忠廣 Tadahiro Wakizashi

2018-09-13 | 脇差
日本刀買取専門サイト 銀座長州屋

脇差 武蔵大掾藤原忠廣


脇差 武蔵大掾藤原忠廣

江戸時代初期の脇差には大きな特徴がある。大小揃いで腰に帯びる際の小さな方が脇差。江戸時代に、武士が登城する際に帯びる式正の大小に則ったものを、脇差であると認識している方も多いようだ。しかも脇差は町人の持ち物であるため、出来があまりよろしくないのではなかろうかと、間違った認識の方も多い。以上の説明は正しいところもあるが間違いもある。加えて、現代の法律では一尺から二尺に満たない刀を脇差と分類することからややこしくなっている。
ま、脇差の分類と意味についてはこれまでも説明したので改めて言わないが、二尺を超える脇差もあるし、二尺以下の刀もあることは理解しておくべきだ。江戸初期の造り込みは、当時はやった婆娑羅に通じる傾奇者の美意識を鮮明にする、がっしりとした造り込みが多い。即ち寸法は使い勝手の良さを追求してやや短め、身幅広く重ね厚くどっしりとして、反り深めに先反りが付いており、南北朝時代の脇差を厚手にしたもの、或いは薙刀を脇差に直したような造り込み、と考えれば分かり易い。
写真は初代忠吉の晩年、武蔵大掾忠廣と改銘した後の、頗る完成度の高い作。刃長一尺二寸四分四厘、反り四分二厘、元幅一寸一分五厘、重ね二分四厘。完成された肥前肌に特徴的な小沸出来の直刃。区も深く残されている。先反りが深く付いて、いかにも武用の、実際に激しく打ち合い、切り込むことを想定した覇気ある造り込みで、しかも美しい。170□