滋賀旅行で印象に残ったことをちょこちょこっと。
近江には 縁起のよさそうなものが多いなぁ、と思いました。
「味覚の宿 双葉荘」さんの朝食で。
羊羹のような赤い食べ物は 近江八幡名物 赤こんにゃく。
一説には 派手好みの武将・織田信長が、こんにゃくまで赤く染めさせた、といわれています。 味は普通のこんにゃくでした!
彦根城は別名 「金亀(こんき)城」
金亀のお菓子をいただきました。
彦根の
菓心おおすが の近江長寿もち。
古くより招福と長寿の象徴である千成瓢箪に似たやさしい形。
近江米のお餅に 中には北海道産のあんこ。
バラ売りもあったので見かけたらぜひ♪ パクパク食べられます。
「長寿」にかけた近江のちょうじ麩。
すきやきやおでんに入れたり、からしあえにしたり。。
もちもちしてて 美味! お料理も双葉荘さんで。
クラブハリエのバウムクーヘンに誕生日のデザインを発見。
(箱のデザインが違うだけで、中身は同じバウムクーヘンだそう)
旅行後の 11月24日の読売新聞夕刊 旅のページで彦根が特集されていました。
「井伊直弼 実像しのぶ生地」
大老・井伊直弼というと 安政の大獄の反発で 一般的にはあまりイメージが芳しくなかったが、第11代藩主の14男に生まれた不遇の青年時代や 茶道・狂言など文化に通じた一面を 彦根でとらいなおすことができた、というもの。
もう一つこちらは旅行中に目に留まった11月18日 近江同盟新聞の記事。
「
大獄150年で和解へ墓参 井伊家当主ら水戸市訪問」
「安政の大獄(1858)を主導した幕末の大老井伊直弼で知られる彦根市の訪問団が21日、尊王攘夷論が盛んで最多の処罰者を出した旧水戸藩家老安島帯刃ら旧藩関係者四人の墓参りを行うことが決まった。
大獄をめぐる彦根市からの墓参訪問団派遣は 山口県萩市、福井県福井市に続く三件目で 井伊家18代党首の井伊直岳彦根城博物館館長らが藩士の墓参りをして和解を目指すもの…(記事抜粋)」
横浜、函館、長崎で開国150年祭があった今年は、安政の大獄150年の年でもあったんですね。
私が横浜開国博Y150を満喫していた頃、
彦根の使節団は自ら申し出て、8月以降、山口の吉田松蔭、10月に福井・橋本佐内、11月水戸の安島帯刃…と粛々と墓参をして廻っていたのでした。
開国150年という年を、単なるお祭り騒ぎに終始せず 過去の行為を詫びて和解へつなげる年としたのは 井伊家党首というのは偉い方だなぁ~~、と 心底 感心いたしました。
この町を歩いて感じた 井伊藩主への思慕や尊敬の思いは なるほどこういうところからもくるのか、と 歴史の別な一面を感じた次第です。
これを受けて山口県萩市も 11月に初めて彦根を公式訪問しています。
「安政の大獄」で幕末の大老・彦根藩13代藩主の井伊直弼に弾圧された吉田松陰ゆかりの山口県萩市の市民訪問団41人が、滋賀県彦根市を訪れ、彦根城内などを探訪した。
8月に彦根市から井伊家18代当主の井伊直岳・彦根城博物館長や獅山向洋市長ら市民使節団が萩市を訪れ、松陰の墓参をしたことへの答礼。一行は萩の姉妹都市・神奈川県鎌倉市訪問の帰途、彦根市を初めて公式訪問した。
同市内のホテルで歓迎セレモニーがあり、獅山市長が「両市の絆が深まった」などとあいさつ。訪問団のメンバーは、ホスト役のひこにゃんと記念写真を撮るなどしていた。
吉田松陰への墓参野村興児・萩市長は「(彦根への)わだかまりはないと言えばうそになる。
ただ、
井伊家当主の松陰墓参に市民が感激した。新しい交流が誕生している」と話していた。
(2009年11月20日09時30分 読売新聞)
ひこにゃん、えらい!
さてさて、江戸で亡くなった吉田松陰のお墓は 実は山口県ではなく、
世田谷松蔭神社にあるのをご存知ですか。
不思議と、井伊直弼が眠る豪徳寺のほど近く。
こちらはまだ記事にしたことがなかったので 近々行きたい、と思っております。
こうして、世田谷から好奇心が出たこの旅行は また世田谷に戻っていくのでした。
びわこビジターズビューローさま
たびけんさま
味覚の宿 双葉荘さま
このたびは思いがけない機会を本当にありがとうございました。