11月22日に 世田谷区主催の映像文化シンポジウム 「Always 続・三丁目の夕日が伝えるもの」 に参加してきました。
講師: 映画監督 山崎貴
エグゼクティブ・プロデューサー 安部秀司
司会: 掛尾良夫 (キネマ旬報映画総合研究所所長)
会場: 下北沢 北沢タウンホール
定員200名で 往復はがきで事前に申し込み、だったのですが、「世田谷~」「ALWAYS~」 ということで 即効応募! 当選して行ってきましたよ~
会場はほぼ満席で 一番前の席をゲット! やっぱり参加してよかった、話を聞けてまた Always の印象も変わりました。
山崎監督(1964年)は 若々しくて 爽やかに見えて、大家が多かった日本映画界の新風という感じがしました。
阿部プロデューサーは 1949年生まれですが、監督とプロデューサーのお二人が珍しく仲がよくて、楽しそうな雰囲気。 続・三丁目の 「日本橋」「こだま」「羽田空港」は阿部プロデューサーの強いリクエストで登場したそうです。 実をいうと、ここのエピソードはちょっと本筋と外れているかなぁ、と鑑賞しているときには思ったのですが、お話を聞いて どうしても昭和の時代を画面に蘇らせたいという情熱と、大人の遊び心を感じました。
当時の飛行機 DC-6B が今もアラスカを飛んでいることを知り、「飛行機の音」だけ録りに行ったそうです。すごいなぁ。
今日聞けた裏話の一部。
淳之介役の 須賀健太君 が2年間で身長が18cmも伸びて 違和感が出て困ったこと。
一平くんが 撮影中に どうも本当に 美加ちゃんを好きになってしまったらしく、最後にとても良い表情が撮れたこと。
薬師丸ひろ子さんと堤真一さん が全く距離がなくて、指示しなくても 自然に腕を組んだり、肩にもたれかかったり、実在の夫婦みたいだったこと。
吉岡秀隆さんの役への環境作りは素晴らしく、1作目では 茶川さんと淳之介は距離があるので、撮影中も須賀健太くんと仲良くなりすぎないようにしていたけれど、2作目は 仲が良い設定なので 初めから一緒に遊んでいたこと。
などなど、楽しいお話を聞くことができました。
最後に質問コーナー。 たくさん 手を挙げた方がいたのですが 7人のうちの一人に スノーパンダも指名されました~ アタフタ焦る
原作者の西岸良平さんも 阿部さんも世田谷出身ということだったので、「世田谷や東京への思い」を伺ってみました。 阿部プロデューサーも山崎監督も 世田谷在住とのこと!!
「東京出身だと『ふるさと』がない、というけれどそれは違っていて、みんなそれぞれ 東京への思いがある。」(山崎監督)
「自分が育った あの古き良き時代の東京を 画面に復元させたかった」(阿部プロデューサー) とお返事いただきました。 本当は当時の小田急線のオルゴール音を登場させたかったけど 実現しなかったそうです。
そうなのです、汚くても、人や車が多くても、物価が高くても、東京は大好きなふるさと。 この映画は「東京の良い部分」を描いてくれて私もとっても嬉しかったのです。 しあわせで楽しいひと時でありました。
長くなってごめんなさい。。 読んでいただいた皆様、ありがとうございます。
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ALWAYS 続・三丁目の夕日
世田谷芸術百華2007
映像文化シンポジウム~映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』が伝えるもの~ - cinematopics online