信濃国二ノ宮【小野神社】長野市塩尻市
ご祭神 建御名方命
創建不明(千五百年前以上)
神代の鉾=古代に失われた『サナギ』という神宝が、保管されている神社⛩️
ご祭神である建御名方命が越の国から諏訪へ向かう途中、諏訪の先住部族『洩矢氏』に行手を阻まれ、暫くこちらの小野に駐屯していた。
この場所は、建御名方命の、元宮・仮宮といったところだろうか?
諏訪では『御柱祭』と言って六年に一度、社殿の周囲に立てている四本の木を新しいもの換える祭りがある。
一の宮の諏訪大社から始め、諏訪※の神社という神社の柱を全て新しいものに替えて、翌年、二の宮である小野神社の御柱を最後に替えて終わる。
※諏訪=諏訪盆地全域の岡谷市、下諏訪町、諏訪市、茅野市、富士見町、原村の6市町村のこと。
諏訪で祭りと言えば御柱の事で、なので神輿を担ぐ祭りが無いのは全国でも諏訪だけの様だ。
長野県の諏訪大社では神宝『サナギの鈴』と言いわれ、
矛の先に付ける鳴り物用の鉄鐸がある。
鉄鐸の形状はドアチャイムと同様で、それぞれ長さが違い異なった音色を出す。
鉾の先にその鉄鐸を付けたものを
通称、サナギ(=矛鐸)という。
神代鉾ともいわれる。
バリエーションは幾つかあるが、
基本的な形は、この様になる↓↓↓
鳴り物の他には麻弊が結ばれ、小野神社では七年事の祭祀で一本づつ付けてきた伝承があり、その数を数えた方によると1500年以上前に遡るという。
青銅器文化が残る二千年以上前、元々は鳴り物は小銅鐸だったが、製鉄技術の進歩と共に鉄鐸、鈴へ変化していった様だ。
『天鈿女命の神具サナギ』
古くは【日本神話】天照大神の天岩戸隠れの時に、天鈿女命がサナギを振ったという由緒ある神具だ。
弥生時代の終わりから古墳時代にかけてはまだ神代鉾『サナギ』は残っていたと思われる。
この祭祀は古墳時代から飛鳥時代にかけて(3〜6世紀)、忌部氏から中臣氏へと大和朝廷の祭祀が移っていくと失われてしまった。
かつての小銅鐸だけでなく、青銅器文化の象徴である銅鐸や銅剣も完全に姿を消して、忌部氏の一族の忌部広成を最後に古代祭祀も淘汰されていったが、
諏訪大社には鉄鐸が宝鈴として残っていた様で、比較的新しいところでは武田信玄の書状から、信玄が礼銭を払い誓約や祈願をしていた記録が確認されている。
『小野神社』ではこの社宝を拝観させて貰える。
(社宝館は随時開館している訳でら無いので予め確認が必要☝️)
おそらく日本で唯一、この鉄鐸のついた状態で使用されていた神代鉾が拝観できる。
1500年前以上から実際に使用されてきたサナギ。
明治天皇がサナギを鳴らした時に
「もゆらに取りて、動かせば
今も神代の声ぞ 聞こえる」
と、歌を詠んだそうだが、
本当に天鈿女命(天のうずめ)が神具として
使ったサナギなのかもしれない…(-.-)
通称は「サナギ」で、
神代鉾・『鉄鐸』・御正体とも云う。
諏訪にだけ唯一残されてきた神具だが、鉄鐸の出土遺物だけなら茨城県筑波の男体山からも出土していてる。
周辺には諏訪の地名相似や千鹿頭神との関わりも微かに残るが、諏訪の様に武田信玄の誓約(ウケイ)の書状など、神社の神具としての具体的な証拠が残されている訳では無いのでこちらは神具のサナギでなく、山で修行をしていた修験者が法力を得る為に慣らしていた修験道の呪具として考えられている様だ。
【サナギの使い方】
・鉄鐸を鳴らす祭祀の動作と、
・終わりに左薙ぎの動作がある。
①神降ろし
サナギを垂直に立て、上下に振り
を繰り返す。(4回でワンセット?)
何度か繰り返し終えたら
②サナギを一度右に倒し水平にし静止
③静止後、直ぐにサナギを立て今度は左り側に倒し水平を維持
④その姿勢で矛先を左に向けたまま、左から右へ水平に薙ぎ払う様に(左薙=サナギ)体を旋回させていき、体ごと周って右に一回転させる。
⑤元の位置へ戻ったらサナギを垂直に立て静止、膝をつきサナギを地面に突き立て終わる。
大体、お分かり頂けるかと思うが、
サナギ神事の動作は
左から薙ぐ、つまり『左薙ぎする』ことで終了する。
「サナギ」と呼んでいるのはこの動作が語源かもしれない。
剣道で言えば「水平切り」、一連の所作は水平の切り返しの様な動作だが、
剣道以外では水平切りとは言わず、
何故か水平の動きに対しては、薙ぎ『はらう』という神道用語の様な表現になるのが面白い。
(※最初のサナギを上下させる動作は映画『となりのトトロ』で、トトロが傘を立てに持って上下させ、全身全霊を込めて畑に命のエネルギーを吹き込んでいくシーンと一緒😌宮崎監督の映画は、本当に勉強になります。)
境内には、神事を行なったという禁足地の池の前に、サナギを立てた神鉾石が残る。
神鉾社の祠
🙄
大きく重たい矛鐸(サナギ)を使って舞ったのは天鈿女命の時代だけだが、
鳴り物の形が軽い巫女舞の鈴に変わっても左から右ヘ旋回する型は残る。
【矢作神社】
ご祭神 大己貴命 事代主神
小野神社境内に並び左側に鎮座するが、右の小野神社は塩尻市であるのに、左の矢作神社が辰野町になる。
矢作神社のある辰野町はかつては木曽であり尾張の国や美濃の国に領有が変遷してきた。信濃の国『諏訪盆地』との間の緩衝地帯に祭られる要衝の歴史ある神社だ。
【小野神社の注連縄】
昨日、新たに換えたばかりとのこと。
ちょうど御来光タイムになってきて光輝きだした。
使用してるGoogleピクセルのスマホカメラは、
何のエフェクトもせず✨光の筋がくっきりと写るので面白い😂☝️
☝️但し、御来光のタイミングだけで普通に太陽を撮っても写らない。
季節による射角でも撮れる時が限られてます😌
摂社に、奴奈川姫を祭る『子安神社』発見🤩✨
こちらも御来光タイミングになり、子安神社も輝きだす。
てか、輝きすぎ😳
なんと🌈虹のスペクトルまで😮✨✨✨
こんなのは流石に初めてだ、、😭✨🙏
この場所で、
同じに光に包まれている自分はとても心地よい。😌
✨✨☝️✨☝️✨✨
子安神社の御来光の光の中に
自分も入ってみた⛩️🙏
頭頂部へ光を合わせ✨😂
光遊び🤩ちょっとテンション上がる
翡翠色の光があらわれた
秋分の日に越の国へ奴奈川姫リトリートツアーに行ってから
すっかり奴奈川姫のファンになった😍
当て字でなくちゃんと書こう、、
『渟名川姫』
ぬ(に)=美しい珠の意味。
子安神社には、建御名方命をお産みになられた母神さまとして祭られ安産祈願など御利益があるが、御利益とは関係なしに😅越し国の姫・渟名川姫そのものが好きになった。⛩️🙏✨
また別に越し国の投稿で、詳しく書いてみたい。
聖なる国 日本の渟名川姫さま✨⛩️🙏
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その他の展示品・・
珍しい室町時代の唐猫(狛犬)
やたら目が大きく、まるで猫バスみたいだ…
(またトトロか🙄)
まだ狛犬が石で作られる前の、木製のもの。
中国春秋時代 紀元前770~403年の編鐘
小銅鐸や鉄鐸の起源と云われている。
八坂刀売命とされるが、かつてこちらにあった八幡宮焼失後の遺物なので
神功皇后ではないかと言われている。
京都 松尾神社の市杵島姫像にも心なしか似てる気がする、、
見事な翡翠の大珠✨
紀元前の縄文時代から弥生時代、そして紀元後の私達が知る歴史の時代まで、小さな時間基地の様に、貴重な遺物がぎゅっと集められ展示されていた。
海の正倉院と呼ばれる沖ノ島の様に、
山を越えてきた部族達が、神宝をこちらに捧げてから諏訪へ入国していたのかもしれない🤔
山の小さな正倉院。
(拝観料300円でした。開館日は限定されてます。予約が必要な場合も)
展示されている宝物はゆうに億単位の価値のあるものだと思います。
(あくまでも個人の感想です)
長野県塩尻市と辰野町の境
小野神社は
上古からの歴史を感じるスポット✨✨✨✨😮
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