諏訪大社で、失われてしまったという
【湛え神事】についての投稿です。
『諏訪大社上社 前宮』
湛え神事の起源は、諏訪大社が祭られる以前からあるという「ミシャグジ信仰」に関わりがある。
諏訪には元々、日本神話の出雲の国譲りで建御名方命と八坂刀売が諏訪にやってくる以前から、先住民である狩猟民族の洩矢氏(守矢氏)がいて狩猟民族の信仰
【ミシャグジ神事】を司っていた。
ミシャグジ神事は、狩猟民族のアイヌの神事『イオマンテ』にも通じるものがあり、そして地域信仰の在り方は沖縄の御嶽とも同じ様だ。
諏訪に太古から存在する不思議な信仰で、石棒などミシャグジ独特のご神体の形は5000年前の縄文時代中期まで遡ることができる。
縄文民族→狩猟民族→農耕民族まで、ミシャグジは幾多な民族と宗教が融合しながらも、時代を越えて残り続けてきたジェラシック・リチュアルかと思われる。
かつて諏訪大社で行なわれていたという『湛え神事』も、建御名方命ら弥生式の農耕民族がやってきた後に、ミシャグジと融合した神事なのかもしれない。
前置き長くなりました、神事の話に😌🙏
【湛え神事への流れ】
冬の始りから終わりに掛けて、準備が行なわれます☃️
祭祀場は、諏訪大社上社の前宮⛩️
①まず晩秋、冬の初まりに「御室」という竪穴式住居の様な地下土室を作り、中には蛇のレプリカなどを入れておく。
諏訪大社上社・前宮にある御室跡地の祠
鶏冠宮(かえで宮)という。
諏訪大社 前宮の本殿は、山裾から上がっていくが、
一度、道路に出て坂道を上がっていく。
坂の脇の巨木の後ろに祠があるだけで、竪穴式の再現住居もなく目立たずにひっそりとしている。
下に欅(けやき)と書いてある。リアル😅欅坂△
△前宮とは、元宮・奥宮ではなく、前のからの祭祀場があった宮のこと。
諏訪大社上社『前宮』はかつては神原と呼ばれ、このエリアに祭祀場と大祝の御所があった。
湛え神事とは違うが、諏訪大社前宮では75頭の鹿の頭をお供えしたりしてるので、農耕民族ではない前の先住民である狩猟民族「洩矢氏」の祭祀場だと思われるが、今は諏訪大社の前宮として融合し残存している。
こちらに75頭の鹿の頭を奉納していた。そのうちの一頭は、特別な矢で屠られて目印に耳を裂くという。
現代になり、75頭の鹿の頭でなく剥製が使われる様になったらしいが、、😳えぐい
鹿75頭という数は、年75回の神事に対応していると思われる。
その年75回の神事の中で湛えは最大の神事だった。
、、話しを湛え神事に戻して😑🙏
②正月になると、諏訪大社の大祝と洩矢族の神長が二人で「御室」に籠もって神事を行い、各地域にある「湛え」という祭祀場へ神の使いとしていかせる子供(7〜8歳の男の子)を出す村を選ぶ。(詳しくは別の投稿で書きます)
③3月の酉の日に、村々から選ばれてきた子供を、各地の湛え神事に出発させる儀式を行う。遠方にいく子供は初午の日に先発する。
【湛え神事ととなりのトトロ】
湛え神事出発の儀式①
(上部が平らな磐座)
神使い(おこうさま)といって正月の神事により村々から選ばれてきた子供らにミシャグジを降ろす神事で、
少年を祭壇=木の前の磐座の上に座らせ、
洩矢族の神長が、「サナギ」と云われる鉄鐸がついた鉾を垂直に持ち、上下させる動作を繰り返す。
サナギの形状
ミシャグジとはこの動作の繰り返しによって上空から降ろすスピリットのことで、スピリットを木に降ろし前の磐座の子供に依憑かせる。
終わると、神具が授けられ神の使いになった子供に介助役がつく。
実物のサナギ
七年毎に和弊を一本づつ付けるので千年二千年と経つうちにドレッドヘアーの様になっている。現存する最古のサナギだと思われる。
湛え神事出発の儀式②
ミシャグジ降ろしが終わった子供らは、介助役にコマ(駒)に乗せられ勢ぞろいする。
雄叫びと共にコマに乗った子供たちが一斉に出発し、村々へ巡りそれぞれ村にある御裂地(開拓地)の木の下の祭祀場へ、湛え神事を行ないにいく。
ジブリ映画は、繰り返し観ているが、不思議と「となりのトトロ」だけは一度も観たことがなかった。🤔
諏訪に通うようになり湛え神事や諏訪の事を調べだしてから、宮崎駿監督が諏訪の考古学者の藤森栄一さんの影響を受けていたと知り、改めて監督の作品を観る様になり、
初めて「となりのトトロ」を観て、
衝撃を受けた😳💫🫨🫠
湛え神事で最初に神長が、サナギを垂直に持ち上下させ、スピリットを降ろす動作は、
傘とサナギの違いこそあれ、
トトロが畑の前でこうもり傘を垂直に持って上下に上げ下げながら、全身全霊を込めて畑に命のエネルギーを降ろしていくシーンと同じだ。
こうもり傘を上下させ命のエネルギーを吹き込んだ次のシーンでは
コマに乗って子供たちを村から村へ風の様に巡り、巨木に向かっていく。
駒をコマにかけているが、
雄叫びと共にコマに乗って出発する一連の流れは、湛え神事そのものだ😳
作りこみが凄すぎる😳
ちなみに「木に降ろして岩の上に依り憑く」というのは、
「依代は木か岩か」という石神論争に対するどちらもアリ説だが、私見では
一度、地中に降りてから岩へ上がるイメージだったので、
映画では上下させる度に、むくむくと植物が伸び上がっていった描写どおりで、これにもまた驚かかされた😳
諏訪に詳しいという監督の作品は、
本当に勉強になる。🙏✨
(😌あくまで個人の感想です)
感想と言うより妄想では?🙄
【湛え神事の場へ】
神使となった子供は、諏訪・上伊那の村々の開裂地にある「湛え」と呼ばれる神木のある祭祀場や、ミシャグジと呼ばれる祠を巡る。
各地の「湛え」っぽい所
各村々の古木、祠、石棒などの前で、
出発時の神長の様に神具を振る神事を行なって巡幸し、5日後に戻る。
「湛え」っぽい祠や古木
各地を神使いの子供らが巡行する神事。
これを湛え神事という。称えとも。
湛え神事は、元々は狩猟民族にあった冬のはじめから終わりの儀式のようで、冬籠もりの間に魂を増やし次の狩りの大猟を祈り、北海道では冬眠中の熊、諏訪では冬眠中の蛙を奉納する。
しかし、秋の終わりと春の始まりとも言えるので、
農耕民族の種まきの前と収穫の後の神事としても融合している様だ。
【七木の称え木】
神使さまの巡行地と思われる各地域にある七つの称え木。
桜タタエ
檀タタエ
峯タタエ
檜タタエ
松タタエ
栃タタエ
柳タタエ
タタエには諸説あり、
『水を湛えんとする農耕の祈願』
『民の祈願を叶えんとする祟え』
↑この場合、タタエを祟りとした民族学者の折口信夫さんの説では
祟り=災いをなすという意味ではなく、
祟えとは=出現する、権現する、示現する等、現れるという意味。
各地に点在するミシャグジを統べるのは、沖縄の御嶽と同様で、
沖縄独特の信仰である御嶽も、岩と木の祭祀であり、御嶽は司(ツカサ)と呼ばれる者が祭る。
ミシャグジと御嶽、呼び方が違うだけで同じ様なものに思えるが、
神社にお宮が築かれる様になる前の、古神道の社殿の無い磐上祭祀の様だ。
神職も宮司ではなく、宮は無いので司と呼ばれていたのかもしれない。
諏訪大社では、毎年3月の酉の日に行なわるる大御立座神事が、
この失われた湛え神事の名残りと云われている。
そして、諏訪大社下社の方がどうやら後代の農耕民族の祭祀であるらしい。⛏️
古くからの歴史が続く、
聖なる国 日本✨
また別の投稿で、諏訪七千年の歴史を深堀りしてみる😌
ミシャグジもコアな部分に。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます