古都、西都。
宮崎県西都市にある【西都原古墳】は古墳群としては日本最大級で311基もの古墳がある。巨大な前方後円墳の多さも全国クラスで、400年もの古墳時代の歴史があり、邪馬台国九州説の比定地ともされる。
天孫として降臨したニニギの命と、
ニニギの命と出合い結ばれたコノハナサクヤ姫、
そしてその父である大山祇神の古墳がある。
向かう途中、雲に覆われ薄暗くなってしまったが、近づくにつれ、西都原の辺りだけが雲に抜かれ、スポットライトの光のように照らされ浮かび上がってきた。
神々しい導きに感謝。
紀元3世紀、600年続いた弥生時代が終わり、3-4世紀頃~古墳時代が始まった。弥生時代の支石墓や木棺・石棺・甕棺に変わって巨大墳墓が登場し始める。
大山祇塚
木花開邪姫の父・大山祇神の古墳 =全長96mの前方後円墳(4世紀)
古墳時代は300年ほど続き、その後飛鳥・奈良時代へと入ってゆく。
古墳時代の後半、5~6世紀にはそれまでの堅穴式石室の古墳に変わって新たに
朝鮮半島から入ってきた【横穴式石室】が盛んになる。
鬼の窟古墳
6世紀頃、造営。西都原で唯一の横穴式古墳
陽も沈み閉館の時間だったがなんとか古墳の中へ入れた。ガードマンさんが遅れてしまってたらしく猛ダッシュで走ってきた。
「閉めますけど一晩いるんでしたらこのまま閉めますのでどうぞ~」などと
訳の分らない?冗談を言いながら私が写真を撮るのを待っていた。
古墳内部
鬼の窟の名称は、木花開邪姫(このはなさくや姫)に恋をした鬼が結婚を望んだが、父である、オオヤマツミ神から一晩で岩屋をつくる様に言われ、鬼が一夜でつくったとの伝説に由来する。父オオヤマツミ神は完成させないため石を一枚抜き取ったとの伝承がある。
古墳公園は広く(あいにく陽が暮れてしまったが)空が開けてとても心地よい場所だ。
しずかな風景に心が洗われる。
古墳公園の中心には5世紀初めに造営された木花咲耶姫とニニギの命の墳墓がかぶさる様に並んでいる。
【ニニギの命】男狭穂塚(おさほづか、175メートル)は日本最大の帆立貝形古墳。
【木花開耶姫】女狭穂塚(めさほづか、180メートル)は九州最大の前方後円墳。
男狭穂塚
木花咲耶姫(コノハナサクヤ姫)は富士山に祀られる神様で、山の神様である父の大山祇神とともに全国の浅間神社や山神社に祭られている。
浅間神社の浅間は【アサマ】とも読み、【アソ】からの転訛らしいので、
やはり九州の阿蘇【アソ】が由縁なのだろうか。
男狭穂塚の横の女狭穂塚
共に宮内庁陵墓参考地であり謎の遺跡だ・・・。
(皇室と関係があるとして宮内庁が発掘を許可しない古墳のこと)
≪歴史学 VS 考古学≫
歴史書(?)日本書記では、初代神武天皇は紀元前660年~なので、その曾祖父にあたるニニギの命は歴史上それよりもっと古い時代に降臨したことになる。
しかし宮内庁がニニギの命の御陵かもしれないとする男狭穂塚は5世紀頃のものなので、もっともっと新しい時代だ。
1000年以上の開きがあるが、昨今では【日本書記】の記述は装飾性が強いとされ、上代の頃に八代盛っていて、一代につき120年(二運)づつ盛っているとされているので、
それを差し引いて考えれば5世紀頃でも、矛盾はないのかもしれない(-_-;)
◇◆◇◆
天孫ニニギの命は、笠沙の岬(鹿児島県野間岬)で美しい木花之開耶姫と出逢い
一目惚れをして父の大山祇神に結婚を申込む。
大山祇神は結婚を喜び姉の磐長姫も共に嫁がせた。
しかし磐長姫は容姿が醜かったのでニニギの命は送り返してしまう。
大山祇神は
「磐長姫は石の神、岩の様に堅実で変わらないですが、木花之開耶姫は花の神、
花の様に栄えてもすぐに散ります。
二人を娶っておられれば花の様な繁栄がいつまでも続いたのに、
姉をおくり返してきたので御子は短命になるでしょう。」と告げた。
◆◇◆◇
神武出征の港・日向市美々津 (西都原古墳から約40キロほど)
紀元前667年、天孫ニニギの命の曾孫カムヤマトイワレヒコはここ日向の国・美々津港から東征に出航し、660年2月11日にヤマト橿原宮で即位し、初代神武天皇となった。(なので日本の建国記念日は2月11日)
ここのところ、日本神話の舞台、天照大神岩戸隠れの由緒の神社や史跡を周ってきたが…肝心の亡くなられた天服織姫(稚日女尊)が祭られている神社があまりなかったように思えた。(私が知らないだけかもしれないが小さな祠さえもなく…)
そして、逆に大祓詞の中に登場し沢山全国で祭られているのに「日本書紀」「古事記」に全く登場しない瀬織津姫のことがまた気になりだす。
日本神話の聖地巡礼の旅…とゆう訳ではないが、今度はまた気をつけて周ってみようと思う。
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ことだま
【アワの歌】
アカハナマ イキヒニミウク
フヌムエケ ヘネメオコホノ
モトロソヨ ヲテレセヱツル
スユンチリ シキタラサヤワ
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言霊であるアワの歌は3年前まで歌うことが許されなかったらしい。ホツマツタエに出てくるヲシテ文字。(ア=天、ワ=地の意)
淡の国(近江)の国づくりでイザナギとイザナミが歌い民に教えたことにより、言葉のみだれが整ったとのこと。
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