Ninbuのスマホで撮った花だって美しい!

サイクリング・テニス・散歩等の道すがら、公園・野原・湖畔・川辺等で見つけた美しい花をスマホで撮っています。

神社仏閣を訪ねて その8 子之神大黒天・延寿院

2017-10-21 | 日記
大正時代の文人たちが住んだ我孫子市旧別荘地の中に、子之神大黒天・延寿院と子の神古墳群があります。
大黒天とは、大国主命(おおくにぬし)と神仏習合して出来た神道の神で、七福神の一柱としても知られます。
境内には「金のわらじ」と「二つの名器」(性器崇拝・子授け祈願)が鎮座しています。

<子之神大黒天・延寿院山門(鳥居)>
子之神大黒天・延寿院(ねのかみだいこくてん・えんじゅいん)は珍しい神仏習合のお寺です。
また、寺院なのに鳥居があり、珍しい屋根付です。狛犬も鎮座しています。


<狛犬(阿形)>
平安時代に社頭や社殿に左側に口の開いた獅子と、右側に口の閉じた一角獣の狛犬が併置されたといいます。
それが、いつしか二頭とも狛犬と呼ばれるようになりました。


<狛犬:獅子(吽形)>
口を開いたもの「阿形:あぎょう」、閉じたものを「吽形:うんぎょう」といいます。
寺院の仁王像と同じ、「阿吽:あうん」で宇宙のすべてを包含する意味を持っています。


<本堂>
子之神大黒天・延寿院には、ネズミを使徒とする大黒天を祀っています。
伝説によると源頼朝が脚気にかかると夢に白ネズミに乗った翁が現れ、柊で足を祓うと治ったといわれています。
昔から、こちらでは腰下の疾患に霊験ありとされ、遠近より参詣者で賑わっています。
また文化3年(1806年)には、小林一茶も参詣したとされます。


<社額>
伸びやかないい刻字です。
現代の書家では、ここまで表現してまとめる事が出来る人は数える程しかいないようです。


<金(かね)のわらじ(ブリキのわらじ)>
ご本尊・子之神さまは、常に諸病を除去し、一切の宿願を叶えてくれる威神力を持つ神とされます。
特に腰下の疾患にはご利益があるとされています。
この脚腰の象徴であるわらじは、健全な永い人生の歩みを表します。
たとえどんな茨な道でも、すり切れることもなく、まして小判の形を踏み残すという云われです。


<七福神>
七福神と呼ばれる神様たちは、現在の日本で最も人気のある神様かもしれません。
日本中のいたる所に、七福神巡りの霊場が見られます。
七福神は恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋尊、福禄寿、寿老人のことを言います。


<延寿院大師堂38番札所>
これは我孫子と取手にまたがる「相馬新四国八十八ヶ所」の内の一ケ所です。


<延寿院大師堂43番札所>
毎年、春になるとお遍路さんの団体が鈴を鳴らしながら巡拝するそうです。


<火渡り>
毎年10月の第4土曜日に「柴燈護摩(さいとうごま)火渡り」が行われます。
山伏姿の僧侶がお経を唱え、法螺貝を吹きながら入場し、稚児衣装を着けた子供も行列に参加します。
薪を組みあげて柴をたき、交通安全、病気平癒、厄災消除等を祈念します。
古い御札や護摩木を燃やして、まだ火が残っている所を山伏、信徒、参拝者の順に裸足で渡り歩きます。

<動画は2014年10月のもの> (4分19秒)
子之神大黒天「柴燈護摩火渡り祭」 千葉県我孫子市


隣接する「子之神古墳群」は1基の前方後円墳と、13基の円墳からなる群集墳です。


6世紀初頭から末にかけて造られたもので、いずれの古墳にも埴輪があり、市内でも代表的な古墳群です。


明治政府の「神仏分離令」までは、お寺の中に神社がありました。
この場合、多くは「神宮寺」と呼んでいます。
今でも、山岳寺院に行くと神仏習合の風習が残っています。
神主はいませんが、鳥居・狛犬・拝殿・本殿が存在し、同時に鐘楼・本堂・仁王門・庫裏などが存在しています。