Naoの誰でもわかる!英語の話

英語を勉強している人へ、面白い、ためになる話し、知識・情報などを、誰もがわかるように書いていきます。

英語力が「伸びる?伸びない?」わけを考える(6)

2014-09-18 | 英語の学習
①「英語を日常の言語にする」(Part 6)

「脳がその内容を処理するための時間や環境」と言いましたが、時間については、意識してできることは限られています。言語情報に関わらず、多くの情報、特に一見関わりあいがないと思われる情報の断片も、脳によって比較、統合、総合され、他の情報と結合して適切な意味の集合体となって海馬(hippocampus)に蓄積されます。そして、その定着(固定化)の度合いは、その情報の重要性、使用頻度等によって大きく異なります。当然、「生存に必要」と脳が判断するような情報はすぐに定着することになりますね。しかしながら、残念ながら私たちはその過程に大きな影響を与えることはできません。脳が自発的に行うものですからね。もちろん、知識を入れる際にできるだけそれらを整理等することによってインプットの段階でその過程に好影響を与えることはできます。しかし、情報の体系化という意味ではその影響は限定的です。では、その点で私たちが出来ることはないのか?あります!それは脳が効率的に情報を体系化するための環境を与えるということです。それは…基本、しっかり寝ることです!「え?寝る…ん~どういうこと…?」

脳は、入ってきた情報はすぐに処理しようとします。ですから、脳は私たちが何かを見たり、聞いたりしている間は、そこから入ってくる情報を一所懸命処理しているわけです(なんという働き者…「ん?怠け者じゃあ?」…自然な働きなので…)。ね、そんなことしていたら、大事な情報の体系化なんて、おちおちしていられませんよね~。つまり、私たちが起きている間には、ある特定の情報の本格的整理や固定化はなされないというわけです。それらが起こるのは、脳が新しい情報をインプットしない時、私たちが意識的に脳を働かせていない時…つまり、寝ている時というわけです。記憶の固定化の詳細については専門家にお任せするとして、大事なことは、脳は私たちが寝ている間に様々な情報を意味のあるものにまとめようとするということです。何度も練習してもうまくいかなかったことが、ある時急にできるようになるってこと、ありますよね。ん~例えば~自転車?小さい時、寝る前に「なんでうまくできないのかな~どうしたら上手く乗れるようになるのかな~」なんていろいろ考え、「そうだ、こうしたらいいんだ!」と思って次の日にやってみるけど、やっぱりうまくいかない。でもある日、なぜか急に乗れるようになって、それからは乗れるのが当たり前になってしまう、なんてことですね。ちょっと考えれば、こんな例、いくらでもありますよね。

言語の習得も同様です。学習した様々な断片(bits and pieces)は、脳の中で徐々に体系化されていき、それなりの構造を持つ英語脳を作っていくことになります。そしてそれが起こるのが、寝ている間ということです。ですから、他の分野も同様ですが、英語の勉強も、一番効率がいいと言われるのは-あくまで理論的にですが-寝る前と言われます。寝る前に一所懸命勉強して、英語をしっかり覚える、理解する努力をする。そして、しっかり寝る!それを繰り返していれば、必ず英語脳は発達し、その機能を高めていくことになります。あ、そして、その効果をいっそう高める方法としては、目覚めてすぐ、寝る前に勉強したことを復習することです。それによって記憶の定着率は高まります。

「なるほどね。それはなんとなく理解できるかな。で、「環境」って?」(End of Part 6)

英語力が「伸びる?伸びない?」わけを考える(5)

2014-09-13 | 英語の学習
①「英語を日常の言語にする」(Part 5)

「自分を英語の環境に置く」というのは、「英語を日常の言語にする」ということです。「やっと標題が出てきた~(おそっ!)」(んまあ~たしかに…(冷汗))つまり、日常で英語を見る機会、聞く機会、理想的には話す機会があればいいわけですね。日本語が氾濫している日常では、好むと好まざるとに関わらず、私たちの「脳」というコンピュータは、常に日本語の情報をインプット(入力)しています。そしてインプットされた言語情報は日本語脳(日本語を処理する脳)で処理されます。ただし、すでに完成された日本語脳ですから、ややこしいインプットを理解しようとする時は前頭葉が活性化され、認知能力も高まり、言語能力はさらに発達しますが、何気ない情報ばかりを処理するのであれば、その言語機能に変化は起こりません。

「英語を日常の言語にする」ということは、その同じ脳に毎日英語を処理させようということです。しかし、何気ない情報ではなく、「ややこしいもの」(分からない英語)を処理させようというわけですから、脳も大変です。どんなにややこしくても、日本語ならばなんとか分かるかも知れませんが、日本語とは大きく異なる構造を持った英語を理解しようとするとき、脳には大きな負担がかかります。つまり、脳が「やる気」を出さなければ、前頭葉は活性化しませんから、英語脳を作ることはできません。そう、英語脳を作りたかったら、英語力を伸ばしたかったら、「わかろうとする我慢と努力をしろ!」と、脳に言い聞かせながら、日々英語を理解する努力をしなければならないということです。

前にも言いましたよね~脳はそもそも怠け(なまけ)者だと…いやいや、その潜在的能力は無限大ですよ。だけど、大人の状態になった私たちの脳は、私たちが何もしなければその能力を発揮することはないのです。では、本来怠け者の脳に何をさせればその潜在的に無限大の能力を使わせ、新しい言語脳(英語脳)を構築することができるのか?要は、脳に多種多様の言語情報を意識的、かつ意図的に与え、「生存に必要なんだ~!」と言い聞かせ、理解する努力をし、前頭葉を活性化させ、記憶を蓄積する海馬にせっせと長期記憶となる情報を蓄積すればいいのです。そうしたら、後は脳が勝手に海馬から情報を入手し、前頭葉を駆使して英語脳を機能させ、必要な運動器官(発話に必要な諸器官)に命令を与えて機能させ、英語での発話もできるようになるというわけです。「まあまあ~わかりますよ、なんとなく。理論的にはね。だけどね、それを具体的にどうするかっていう話を聞きたいわけですよね、私たちは!」

ですよね…。ただ、ここで皆さんに分かってもらいたいのは、言語(英語)の習得には、文法を勉強したり、英文を理解しようと読んだりするような意識的な学習とともに、その過程で得た情報を脳に処理させるという意図を持った活動、行為が必要ということです。もう少し分かりやすく言うと、勉強するだけ勉強したら、そこで得た情報を脳が処理するための時間と環境を意識的に作るということです。基本は簡単だということを理解してもらいたいのです。「なるほど…勉強はしろ。でも、それと同時に脳がその内容を処理するための時間や環境を自分で作れ、ということか~…で、その環境って…?(困惑)」(End of Part 5)


英語力が「伸びる?伸びない?」わけを考える(4)

2014-09-05 | Weblog
①「英語を日常の言語にする」(Part 4)

「習得」(acquisition)を意識して英語を「勉強」(learning)すること、つまり、英語を意識的に学びながらも、その学んだものが自分の自然な言語能力として身につくよう努力することが大切ということです。つまり、私たちの日本語能力と同じような言語能力を同じ脳の中に作り上げるということです。どんなにたくさん英語を勉強しても、それは英語のある部分を意識的に、かつ、分析的に理解するだけに過ぎませんから、それだけでは分析的理解、覚えている(記憶している)という点においては意味がありますが、実際に英語を聞いたり、使ったりする場面で、それらがすぐに機能して、自然に英語が分かる、自由に使えるということにはなりません。いや、実際には逆に、勉強が自分の持っている英語力の自然な使用を妨げる場合も多々あります。ヒアリングの場合は聞いた内容をすぐに日本語に訳そうとしたり(間に合わないのに…)、スピーキングの場合は間違いをおかすことを怖がって話すことを躊躇したりと、日本人特有の国民性が英語習得にマイナスになる場面も多々あります。皆さんもこんなこと、経験ありますよね~。「ですね~たしかに…(賛同の声)」そこで私たちが考えなければならないのは、いかに学んだものを自然に機能するものに変えていくかということです。それが、「勉強したことを習得する」ということです。「ふむ、ふむ。なんか、分かったような…でも、まだ、なんかわからないような…?」

つまり、学んだことが自動的に機能するようにする、いわゆる「自動化する」よう努力することが大事だということです。「は?でも、そんなこと、どうしたら…?(汗)」学んだことが自動的に機能し始める、英語で言うと、英語を読んだり、聞いたりしたら、それが自然にわかる、あるいは何かを話そうとしたら自然に言葉が出てくる、というのは、自分が意識的に努力してできることではないですよね。なぜなら、それは全て脳の自動的反応だからです。前に話した、自転車に乗るとか、ビアノを弾くとか、歩くことなんかと同じようなものです。ただ、それらと違うのは、前者が運動機能の発達、統合•総合に関わるものである一方、後者は言語能力に関わる諸機能の発達と知識の統合•総合、そして、その運用能力に関わるものだということです。つまり、全てが知的機能に関わるもので、脳の認知機能における言語的発達に関わるということです。「いやいや、その~理論的なことはもういいので~要は、どうしたらいいんですか?」

あ、はい…簡単に言いますと…要は、しっかり勉強したら、あとは脳がそれらを統合•総合して一つの言語体系を作れるように自分自身をできるだけ英語の環境に置くと言うことです。もちろん、最初から日本語のように優れた言語体系を作れるわけはなく、その過程は紆余曲折があります。また、人によってその性格、特徴もバラバラです。しかし、様々な勉強を通してインプットされた情報は、意識して理解しようする英語の環境に置かれた脳が、勝手に処理して英語体系を作り、徐々にではありますが、できるところから自動化処理をしてくれます。そして、そのレベルの差こそあるものの、私たちがそれなりの英語を自然に理解できるように、あるいは、話せるようにしてくれるのです。

「でも、私たちはみんな日本にいるわけで…英語の環境なんてないですよね~みなさん」おっしゃる通り…と言いたいところですが、今の日本、いや現代社会はいろいろなメディアにあふれているわけで、その気になれば自分を「英語の環境」に置くことは容易にできます。「英語の環境」というのは、「英語圏」(英語の社会)という意味ではありません。自分が毎日見る、聞く、脳が理解しよとする言語が英語であれば、その言語環境は「英語の環境」と言えます。僕はアメリカに10年近くいましたが、社会では英語が話されているわけですが、自分の家族と過ごす時間が多かったり、あるいは、家で日本語のドラマを見たり、日本語の小説や文献を読んでいたことも多かったので、果たして自分をどれくらい「英語の環境」に置いていたかは疑問です。大学院での勉強は英語ですし、教科書も英語ですが、その程度の英語のインプットは、現代ならどこにいても持つことができます。もちろん、この日本でも。

英語を特別な言語ではなく、あるいは、勉強の対象としてのみ考えるのではなく、あくまで「日常の言語」にすること、自分自身を日常的に「英語の環境」に置くこと、これが英語を「習得」するためには絶対に必要なことです。それがないと、英語を勉強すれば、脳はそれなりに英語を学ぶ作業をせっせとしますが、それを「習得」することはない…ん~なくはないですが、そのスピード、また、度合いは限定的と言えます。そして、その「習得」のレベルが高いか、低いかが、「英語が伸びる、伸びない」に大きく関わっているのです。

「で、自分を「英語の環境に置く」とは、具体的にはどうしたら…?」(End of Part 4)

英語力が「伸びる?伸びない?」わけを考える(3)

2014-09-02 | 英語の学習
①「英語を日常の言語にする」(Part 3)

 日本語で「習得する」「勉強する」というと、なんか同じようなニュアンスを感じて、実際には同じことのように思えますよね。しかしそれを英語で言うと、その違いが少しはわかりやすくなるかもしれません。「習得する」はacquire(アクワイァ)、「勉強する」はlearnとなります。acquire(アクワイァ)という単語の意味は、「(何かを)身につける」というもので、基本、習慣やそれなりの努力の結果、何かを自分のものにするという意味合いを持ちます。learn は誰でも知っている通り、何かを学ぶという行為そのものを指しますよね。応用言語学(特に第二言語習得理論)の分野では、この二つの言葉をその持っている意味の違いから、人が言語を習得する過程における異なった事象を意味するものとして使われます。「またまた、なんかややこしい、めんどくさい感じ…」は?た、た、たしかに…。でも、もうちょっとだけ我慢して聞いて(あ、読んで)くださいね。
 わかりやすく言うと、人は何かを意識的に「学び」(learn)、そしてそれをいつの間にか、自然に「身につける(習得する)」(acquire)ということです。ここで重要な概念は、「意識的な学び」と「自然な習得」です。言語能力は、しばしば自転車に乗ることができるスキルや、ピアノを弾くスキルと同等に論じられることがあります。どちらもそのやり方を学ぶべくそれなりの努力を意識的にするわけですが、それを続けていると、自転車の場合は、いつの間にか身体全体が自転車をコントロールするためのバランスを取れるようになり、またピアノの場合は、楽譜を見るだけで指が勝手に動くようになります。もちろん、上手い、下手はあるでしょうが、それなりにできるようにはなりますよね。自転車はともかく、ピアノについては、できない人たちからみると「何でそんなことができるの?」ということになります。その質問をピアニストにしてみると、答えはきっと、「練習したから」としかかえって来ないでしょう。「何をどうしているから何かができるのではなく、それはもう「自然にできるもの」になっている」わけです。つまり、練習している時は意識的な学び(learning)をしているのですが、その過程で、学ぼうとしているスキルは、徐々にではありますが、自然に身につけていっている、つまり、アクワイァリング(acquiring)していると言えるわけです。どうでしょう、分かっていただけたでしょうか、「学び」(learning)と「習得」(acquiring/acquisition)の違いを。

皆さんに質問です。皆さんは身体に問題がない限りは、歩けますよね。「あたりまえじゃん…」ですよね。では、どのようにして歩くのかを説明してください。「どのように…?ん~…まず右足、まあ、どっちでもいいか…出して、その時右肩は右後方に引いて…って、そんなこと、分かるわけないでしょ!」はい、僕も分かりません、ていうか、説明はできません。しかし、幼児の頃から歩く練習はしてきたわけですよね、よちよち歩きから始めてね。つまり、私たちは、それなりに練習(learning)はしてきたけれど、その結果として身につける(acquire)ことになった歩行という行為についての理論的説明はできないということです。回りくどくてすみません(冷汗)。そう、言語習得もそれと同じということです。「やっと英語の勉強の話になった~」はい、お待たせしました。

「英語を勉強(learn/study)することは大事だが、その学んだことを「いかに習得(acquisition)するか」を常に意識して英語を学ぶこと。」(Naoki)「なるほど~それが「習得」と「勉強」の違いってわけね。でも、それを意識して英語を学ぶって、どういうこと?」(End of Part 3)