山笠は7月1日から15日まで続く長い祭りなので
後半の1週間は日毎に疲れが蓄積していき
15日早朝のクライマックスを迎える頃には
疲労がピークに達しているそうだ(苦笑)
9日の【お汐(しお)井取り】は
全【流】が箱崎浜まで駆けて行き浜から真砂を取って
筥崎宮と櫛田神社に参拝する
取った真砂は枡などに入れて家や玄関に供えておき
行事に出かける前に体に振りかけるという
10日は【流がき】
午後4時~6時に各流が単独で
それぞれの町内にかき山笠を披露してまわる
11日の【朝山】は
別名【祝儀山】と言って午前5時からかき出すらしい(汗)
山笠に功績のあった年配者に酒や肴が振る舞われ
子供も山笠に上がることが許されるという
夕方にも同じように他流がきが行われるそうだ
ちなみに、小・中学生でも祭りに参加する者は
午前中だけ授業に出ればいい(爆)とされているようで
甲斐さんも小学生の頃は…
教室を出るや、家まで信じられない速さで
走って帰っていたらしい(笑)
ワーッという勢いで
靴のまま家に上がったりするくらい
イレ込んで帰って来たという(爆)
12日は【追い山馴らし】
15日の追い山のリハーサルとして
午後3時59分
一番山笠が櫛田神社の境内に入る【櫛田入り】から始まり
七流のかき山が15日とほぼ同じコースを走る
13日の【集団山見せ】は
博多区呉服町から明治通りをかいて
期間中、唯一、かき山が那珂川を越え
【福岡】側に入って行くお祝いイベントで
中央区天神にある市役所まで
地元の名士が台上がりするそうだ
14日も10日と同じ【流がき】で
東流と千代流以外の五流が
それぞれの地元をかきまわるという
甲斐さんによれば…
この時期、高校生になった男たちは学校に来ると
かき山で異様に腫れ上がった肩を見せびらかしながら
『いやぁ大変、毎日キツくて』と
ほざくのが日常となるらしい(爆)
そして15日の【追い山】
毎年、テレビのニュースや生中継で全国に紹介されているので
ご覧になったことがある方も多いと思います♪
七つの流の山笠が櫛田神社近くから
5分おきにスタートして【櫛田入り】
再び【博多】の町に出て行き承天寺、東長寺を経て
須崎商店街入り口の【廻り止め】まで
全長約5㎞を走り通し、所要時間を競う
1台の山笠の前後には
全部合わせて1,000人近い男たちが走る
減少した【博多】の現・住人だけではなく
その大半は他所からやって来るそうだ
ちなみに、山笠の前を走るのは【先走り】
後を追いかけるのは【後走り】と呼ばれ
1トンもの重さのある山笠を
20余人ずつが交替しながらかく
平均時速7~10㎞で走りながら
数十秒ごとにかき手が交替するので
そのための合図が決まっていて
合図があれば誰もが交替しなければならない
流がきや追い山馴らしなどで
充分に統率が取れていなければ
大ケガをする危険も多分にあるという(汗)
流の構成は【若手】と呼ばれる一般参加者から
リーダー的存在の【赤手のごい(手拭い)】が何人か選ばれ
様々な役職を経験して【取締】に上がり
更にその上が【町総代】となる
町総代は町内会長が務めることが多く
この町総代の中から【総務】が選ばれ
その年の山笠の最高責任者として
1,000人の男たちを束ねるという
甲斐さんいわく…
赤手のごいを手渡され
いつの日か一人前の男として
認められる日が来ることを願いながら
博多の男たちは成長していく
見事なまでの縦社会だけど(笑)
子供の頃から山笠に触れながら育つと
今も厳格に守られている規律やしきたりを自然に覚えて
継承するようになるんでしょうね
後半の1週間は日毎に疲れが蓄積していき
15日早朝のクライマックスを迎える頃には
疲労がピークに達しているそうだ(苦笑)
9日の【お汐(しお)井取り】は
全【流】が箱崎浜まで駆けて行き浜から真砂を取って
筥崎宮と櫛田神社に参拝する
取った真砂は枡などに入れて家や玄関に供えておき
行事に出かける前に体に振りかけるという
10日は【流がき】
午後4時~6時に各流が単独で
それぞれの町内にかき山笠を披露してまわる
11日の【朝山】は
別名【祝儀山】と言って午前5時からかき出すらしい(汗)
山笠に功績のあった年配者に酒や肴が振る舞われ
子供も山笠に上がることが許されるという
夕方にも同じように他流がきが行われるそうだ
ちなみに、小・中学生でも祭りに参加する者は
午前中だけ授業に出ればいい(爆)とされているようで
甲斐さんも小学生の頃は…
教室を出るや、家まで信じられない速さで
走って帰っていたらしい(笑)
ワーッという勢いで
靴のまま家に上がったりするくらい
イレ込んで帰って来たという(爆)
12日は【追い山馴らし】
15日の追い山のリハーサルとして
午後3時59分
一番山笠が櫛田神社の境内に入る【櫛田入り】から始まり
七流のかき山が15日とほぼ同じコースを走る
13日の【集団山見せ】は
博多区呉服町から明治通りをかいて
期間中、唯一、かき山が那珂川を越え
【福岡】側に入って行くお祝いイベントで
中央区天神にある市役所まで
地元の名士が台上がりするそうだ
14日も10日と同じ【流がき】で
東流と千代流以外の五流が
それぞれの地元をかきまわるという
甲斐さんによれば…
この時期、高校生になった男たちは学校に来ると
かき山で異様に腫れ上がった肩を見せびらかしながら
『いやぁ大変、毎日キツくて』と
ほざくのが日常となるらしい(爆)
そして15日の【追い山】
毎年、テレビのニュースや生中継で全国に紹介されているので
ご覧になったことがある方も多いと思います♪
七つの流の山笠が櫛田神社近くから
5分おきにスタートして【櫛田入り】
再び【博多】の町に出て行き承天寺、東長寺を経て
須崎商店街入り口の【廻り止め】まで
全長約5㎞を走り通し、所要時間を競う
1台の山笠の前後には
全部合わせて1,000人近い男たちが走る
減少した【博多】の現・住人だけではなく
その大半は他所からやって来るそうだ
ちなみに、山笠の前を走るのは【先走り】
後を追いかけるのは【後走り】と呼ばれ
1トンもの重さのある山笠を
20余人ずつが交替しながらかく
平均時速7~10㎞で走りながら
数十秒ごとにかき手が交替するので
そのための合図が決まっていて
合図があれば誰もが交替しなければならない
流がきや追い山馴らしなどで
充分に統率が取れていなければ
大ケガをする危険も多分にあるという(汗)
流の構成は【若手】と呼ばれる一般参加者から
リーダー的存在の【赤手のごい(手拭い)】が何人か選ばれ
様々な役職を経験して【取締】に上がり
更にその上が【町総代】となる
町総代は町内会長が務めることが多く
この町総代の中から【総務】が選ばれ
その年の山笠の最高責任者として
1,000人の男たちを束ねるという
甲斐さんいわく…
赤手のごいを手渡され
いつの日か一人前の男として
認められる日が来ることを願いながら
博多の男たちは成長していく
見事なまでの縦社会だけど(笑)
子供の頃から山笠に触れながら育つと
今も厳格に守られている規律やしきたりを自然に覚えて
継承するようになるんでしょうね