ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

三都物語その3

2014-12-26 08:15:02 | 日記
ウエストコーストは自由すぎてつまらない
だるくてダメだねと甲斐さん

ニューヨークの騒音やあわただしさが合わない人間は
1日でノイローゼになってしまうくらい
歩くことひとつを取ってもテンポが速いという

甲斐さんいわく…
結局ね、リズムだと思うわけ
リズムって一番人間的じゃない?

リズムやビートっていうのは
歌えなくても、演奏できなくても
人間の身体の中にあるものでしょ
僕にとっても、まず最初にあるのがビートであり、リズムなんだ

そのビートってやつは、猥雑な乱暴さの中からしか生まれて来ない
だからこそ僕は都市に、都市の猥雑さにこだわるわけ
ニューヨークに限らずね

かつて、村上龍さんとの対談で…
あっ!これがウワサの記事らしく(笑)

当時のお二人がよく似ておられたので
掲載された写真とお名前がテレコになったまま
発売されてしまったんだとか…(爆)

もっとも、流出したのは関東圏だけだったそうで
奥さんが持っている記事は
ちゃんと甲斐さんの写真に『甲斐よしひろ』と記されてます(笑)

それはさておき…

当時はニューミュージック系のミュージシャン達が
富士の裾野に家を建てることが
ステイタスみたいに取り上げられていて(笑)
甲斐さんも『家を建てるのか?』と訊かれたそうだ(爆)

詩を書かないヤツは裾野に家を建てるけど
詩を書くヤツはみんな東京をいるよ(笑)と話され
村上さんも『東京って絶対に面白い』とおっしゃってましたが

初めてニューヨークでレコーディングをなさってからは…

街の中にいて街のことを歌う
田舎にいて田舎を思うといった
『8ビートの詩』は絶対に違うと思う

街はずれから街を思えるし、街にいても荒野を思える
【破れた…】を書いた時は『16ビートの詩』を書きたかったし
【ブライトン…】は、それをハッキリした型にしたものだと甲斐さん

新宿の雑踏にいて新宿を歌うって時代は
もうハッキリ朽ち果ててるよ
16ビートの詩にこそ、リアリティがあると思うと話されてます

また一方で、警察の取り締まり強化のおかげで
かつての活気を失くした新宿は
12時閉店のディスコやポルノ系の店ばかりになってしまい

何か面白いことはないかと集まっていた若者に代わって
疲れた人が酔っ払って歩く街へと年老いていたという

甲斐さんも歌舞伎町を歩かれていた時に…

やっぱりさびれてるっていうよりね
荒れてるのね、歩道が…
『荒涼』としてるわけよ、歩いてるヤツも含めてさ

ニューヨークも犯罪率が高いとか、荒れてるなんて言うけど
歩いてるヤツはみんな、えらく生き生きしてるんだよね

『この街にいる』っていうこと自体を楽しんでるっていうか
通りの上でダンシングしてる感じがあるんだよね

日本人はどこかで生きることを諦めてるんだろうかと甲斐さん
でも一番大事なのは『生きることを諦めないこと』

『コレをやりたい』と決めて
それが出来なかったとしても
その失敗が先に繋がってくような
やり方をしていけばいいんだから諦めないことだね

【破れた…】の『生きることを素晴らしいと思いたい』という歌詞はもちろん

【ブライトン…】の文体が大衆のものになるためには
長い年月があると思うけど

若干のチャレンジとして出しておきたかった
という甲斐さんの言葉を聞くと

当時の甲斐バンドの曲は
甲斐さんが肌で感じ取られた時代のビートから
わき上がって来たものでもあったんじゃないかと…

東京(日本)では、思い描く通りにならなかった音が
ニューヨークで形になった訳ですが
ボブがいるからとニューヨークに行かれたこととは別に

ニューヨークに行って初めて
『自分が今、どんなテンポを求めているかが判ったんだよね』と話されてました

一時はホントに『ニューヨークに住もうと思ってた』と甲斐さん
でも、海外のミュージシャンがみんな

『トーキョー、トーキョー』と面白がってやって来てるから
『やっぱ今離れたらイカン』と思いとどまられたようで(笑)

ビジネスとしては東京で録音、ニューヨークでミックスをやって
『それから俺の中には博多がある』と…(笑)

甲斐さんがお好きなミックの言葉の中に…

ロッド・スチュワートは街の雑踏に入ったら
きっと馴染まないだろうけどさ

俺は今でもロンドンの雑踏に入ると馴染むことが出来るぜ

『自分の出て来たところを忘れ』ずに
『てめえの過去をしっかり身に刻んで生きる』姿勢に
共感を覚えられたんでしょうね

余談ですが…

新宿から足が遠のいておられた亀和田武さんが
厚生年金会館の近くに見つけられたという

『スピード感があって、60年代のジャズ喫茶に通じるような雰囲気』の文壇バー

『九州少年(文庫版)』のあとがきで
甲斐さんもこのバーに行かれたと書かれてますが

某文芸評論家の男性が隣の女性編集者の方に
『昭和の夏はね、もっと熱かったんだよ』と話されていたそうだ(笑)
コメント
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