「さて、意外なことに、僕は元気だ
甲斐バンドはちょうどファイナル・ツアーのさなか
今日の新聞のTV欄を見ると[夜のヒットスタジオ]に出演と載っている
電車に乗ると、車内には[甲斐バンド大作戦]と大書された中吊り広告が張られ
TV、コンサート、レコード、そしてこの本も含めた出版etcの
[解散プロジェクト]が告知されている
こんな風に、甲斐バンドのファンを取り巻く空気は
日いちにちと解散一色に染め上げられ
ファイナル・ツアーのラストである武道館へと心は翔んで行くのだが
不思議なことに僕の気持ちはセンチメンタルにならない
自分でも、アレッと訝しんでしまうほどだ
恐らくこの本を書き上げる過程で
彼らのアルバムを繰り返し聴いている内に、彼らの解散がとても必然的で
前向きな選択のように自然と納得できたからではないか
もちろんバンドを続けていれば
まだこれから幾つかのことが試みられたに違いない
しかし[虜][GOLD][ラブ・マイナス・ゼロ]という3枚を
とりわけ[ラブ・マイナス・ゼロ]を聴くと
彼らは現時点でバンドとしてやれる限りの可能性を極め尽くしたのだな
ということが本当に実感できて来るのだ
スゴイ、と素直に感動してしまう
だって[らいむらいと]から[ラブ・マイナス・ゼロ]だぜ
いくら、その間に12年間という時間があったとしても
この変身は超人技と言って良いだろう
そしてその時間がメンバーに強いた
心身双方への苛酷なプレッシャーは、充分に想像がつく
解散の直接的理由とされている大森信和の聴力障害も
このことと無縁ではないはずだ
解散に関して、僕の原則的立場を明らかにしておくと
解散の理由がたとえ金であろうが女であろうが
何であろうと一向に構いはしない
これがROCKだ。おっ、かっこいいねえ
解散にも何かそれらしい理由を欲し
お涙頂戴の美談でなきゃ納得できないというのが、歌謡曲の立場である
僕、そして読者である君は、バンドのマネージャーではないのだから
本当のホントーの理由なんてわかりっこない
つまり、自分が納得できるかどうかが問題になる
歌謡曲的あるいはひと昔前のフォーク的心情の持ち主は
自分が胸の中で勝手に育んだ美しいイメージと
実際の対象となる相手の間にギャップが生じると
途端に[裏切られた!]と言ってヒステリックに喚くか
あるいはメソメソと泣き出す
これでは始末におえない
僕は何度も彼らのレコードを聴いて
自分の耳でもって彼らの解散を納得した
そして…いま改めて、甲斐よしひろという個人ではなく
甲斐バンドが眼の前に浮上して来た
甲斐バンドは誰が見ても一目瞭然、甲斐よしひろのワンマン・バンドだ
と、すぐに[そんなことはない、4人の力が集まって…]
云々という建前論が登場するのだが
リーダーが作詞、作曲、編曲、プロデュース
そして、リードヴォーカルを兼ねているようなバンドを
世間ではワンマン・バンドと呼ぶのだ
しかし解散以後、ソロになった時の甲斐よしひろの姿を思い浮かべると
甲斐よしひろというミュージシャンと甲斐バンドは
全く別個の存在だということにはっきり気がついた
4人の織り成す人間関係の、その磁場の内と外とでは
やはり甲斐よしひろという才能は全く異なる開花を見せるに違いない
だからもし、大森信和の代わりに
誰か他のミュージシャンを加入させていたとしたら
その時点で甲斐バンドは全く別の色合いを持つバンドになっていただろう
そう…ローリング・ストーンズは
ブライアン・ジョーンズがいなくなった時点で
全く別のグループになったと考えるべきなのだ
ミック・テイラーという過渡期を経て
現在のロン・ウッドに至る時期のストーンズと
かつてのブライアン在籍時のストーンズは別のグループである
ということは…甲斐バンドの場合、長岡和弘の脱退以前と以降では
全くバンドのカラーが違うと考えると
多くの事柄が鮮明に見えて来るはずだ
これは別に長岡和弘というミュージシャンが
フォーク的体質をより多く持っていたかどうかというような問題では無論ない
しかし、彼が脱けたことで
バンドの体質は以前とは全く異なったものになったはずだし
体質が変化したという正にその時期を逃がさずに
甲斐バンドが音楽的な大転換を図ったということは容易に想像がつく
解散に関してはドライ一方の僕も
ソロになった甲斐よしひろのバックに
長年お互いの呼吸を知り尽くした、阿吽の間柄である
大森信和も松藤英男も、そして田中一郎もいないことを考えると
ちょっぴりセンチメンタルな気分に襲われる
要するにセッションなんて、いくら息が合ったところで、所詮は他人
その点、バンドは血を分けた身内ですからねえ」
…と、亀和田さんの著書「愛を叫んだ獣」のあとがきをご紹介してますが
これは全部、当時の奥さんの心境そのものです(笑)
第一報にこそ驚いていたものの
甲斐さんご自身の言葉で、その事実を伝えられた時には
「サバサバ」と言って良いくらい平静でした
何度も申し上げております通り
奥さんにとっての「甲斐バンド」は、オリジナル・メンバー
…福岡から一緒に上京された4人のことですし
長岡さんの脱退を発表なさった際
甲斐さんが「一生3人でやって行く」とおっしゃった時に
ある意味「甲斐バンド」ではなくなっていたみたいだし
実際、甲斐さんも「決して上手くはなかったけど
長岡がいた頃には独特なうねりがあった」と話されてました
何より、奥さんにとっては
甲斐さんがソロで活動を続けて行かれることが
一番重要なことだったんじゃないかと…
ただ、1996年に再結成された甲斐バンドを観た時には
亀和田さんの書かれたように
ソロの「甲斐よしひろ」と甲斐バンドの「甲斐よしひろ」は
違うミュージシャンだということを改めて実感したらしいですが…(笑)
ともあれ、亀和田さんのあとがきの続きには
甲斐さんと大森さんのニューヨーク行きの壮行会で
松藤さんがベースのバンドで【裏切りの季節】を歌われたことや
東芝レコードの石坂敬一さん(先日お亡くなりになりました…m(__)m)が
「完全にデキ上がって」「内田祐也さんのあの口調で」
「俺だって、ロックンロールだぜ!文句あっか、え?
俺はよぉ、ストーンズとビートルズを聴いて生きて来た
で、日本じゃ甲斐バンドがロックンロールして来た
な、要するにそういうことだ、わかるか?」
…と「いわゆる主催者側挨拶とは180度異なる」言葉を発せられ(笑)
更に「かつて、甲斐バンドほど語られ、論じられたバンドは
日本にはありません」とおっしゃったらしく
亀和田さんいわく…思わずニヤリとしてしまうぜ
そう、このバンドには聴く者をして
何かを語りたいという衝動に走らせる
そんな魅力が潜んでいるようなのだ
僕もそんな衝動に駆られて、とうとう単行本1冊分の原稿を書いてしまった
この本の特徴を一言で言えば「過剰」ということに尽きる
つまり、音楽ジャーナリズム的平衡感覚を著しく欠いているということだ
もちろん、音楽評論家にも音楽雑誌編集者にも
甲斐バンドの良き理解者はいる
しかし、この人たちは[A
もスゴイ、Bも好き、Cも注目株だ
そして甲斐バンドも良い]というような
相対的な立場に基づく理解者なのだ
ところが、ファンというのは絶対的な立場に基づく理解者
最終的には甲斐バンドしか認めないというのがファンの立場である
要するに、えこひいきこそがファンの思想なのだ
だってさ、それに費やした金と時間とエネルギーが違うもん
他のミュージシャンは最小限に抑えておいて
残りはぜ〜〜〜んぶ甲斐バンドに注ごうって立場なのである
今後、僕の前には甲斐バンドのような存在は
どう転んだところで現れないだろう
このバンドに注ぎ込んだ計算できないほどの時間とエネルギー
それを考えると、僕は嬉しくなって来る
こんな過剰なのめり込みを強いて来るミュージシャンと出会えた幸運に
思わず小躍りしてしまいたいくらいだ
その挙げ句に、決して少なくはない時間とエネルギーを費やして
とうとう1冊丸ごとのファンレターを書いてしまった
つまり、僕にとってこの本は、ファンの勲章みたいなものだ
だから、今の僕は、胸にブリキの勲章をぶら下げて嬉々として歩く
子供のような表情を浮かべているかも知れない
…確かに、少なくはない時間とエネルギーでもって
語らずにはいられない「えこひいき」思想の者が我が家にも…(笑)
ただ、これほど亀和田さんとよく似た思想を持つ奥さんが
唯一、ツッコミたいのは、花園ラグビー場でのライブについて
「もちろん、僕もビニールシートを投げた
それも2枚か3枚ね。あんまり遠くまで飛ばなかったけど」との記述があり
甲斐さんが「お土産に持って帰ってくれるかなと思ったら…
ナンで、自分が好きで観に来てるミュージシャンに向かって投げるんだ⁉」
…と、おっしゃったことをどう考えておられるのか?
とくとお訊きしてみたいんだとか…(笑)
でも、花園ライブに関する記事には
「私は甲斐バンドを現在の日本のロックシーンにおける
最強のバンドだと信じて疑わず
熱烈なラブコールを送り続けて来た男だが
極言してしまえば、どれだけ多くの少年少女を惹き付けようが
新曲がチャート1位になろうが
そんなことは、私にとってどうでもよいことなのだ
もしこのバンドが、100人の観客しか動員できなくても
私は断固聴き続けるだろう
何故か…[愛]や[孤独]や[涙]といった感情のディテールを歌うことが
そのまま[全世界]を歌うことにストレートに結びつくという
[魂の錬金術]とも呼ぶべき能力を持つ
実に数少ないミュージシャンだからである
そして、そんな風にこのバンドを偏愛している
エゴイスティックな男と同様に
一回り以上も年齢の違う、2万人のナイーブな少年少女たちが
狂喜している光景を目撃して、私は感激したのだ」
…と、嬉しさのあまりでいらしたことが記されてます(笑)
甲斐バンドはちょうどファイナル・ツアーのさなか
今日の新聞のTV欄を見ると[夜のヒットスタジオ]に出演と載っている
電車に乗ると、車内には[甲斐バンド大作戦]と大書された中吊り広告が張られ
TV、コンサート、レコード、そしてこの本も含めた出版etcの
[解散プロジェクト]が告知されている
こんな風に、甲斐バンドのファンを取り巻く空気は
日いちにちと解散一色に染め上げられ
ファイナル・ツアーのラストである武道館へと心は翔んで行くのだが
不思議なことに僕の気持ちはセンチメンタルにならない
自分でも、アレッと訝しんでしまうほどだ
恐らくこの本を書き上げる過程で
彼らのアルバムを繰り返し聴いている内に、彼らの解散がとても必然的で
前向きな選択のように自然と納得できたからではないか
もちろんバンドを続けていれば
まだこれから幾つかのことが試みられたに違いない
しかし[虜][GOLD][ラブ・マイナス・ゼロ]という3枚を
とりわけ[ラブ・マイナス・ゼロ]を聴くと
彼らは現時点でバンドとしてやれる限りの可能性を極め尽くしたのだな
ということが本当に実感できて来るのだ
スゴイ、と素直に感動してしまう
だって[らいむらいと]から[ラブ・マイナス・ゼロ]だぜ
いくら、その間に12年間という時間があったとしても
この変身は超人技と言って良いだろう
そしてその時間がメンバーに強いた
心身双方への苛酷なプレッシャーは、充分に想像がつく
解散の直接的理由とされている大森信和の聴力障害も
このことと無縁ではないはずだ
解散に関して、僕の原則的立場を明らかにしておくと
解散の理由がたとえ金であろうが女であろうが
何であろうと一向に構いはしない
これがROCKだ。おっ、かっこいいねえ
解散にも何かそれらしい理由を欲し
お涙頂戴の美談でなきゃ納得できないというのが、歌謡曲の立場である
僕、そして読者である君は、バンドのマネージャーではないのだから
本当のホントーの理由なんてわかりっこない
つまり、自分が納得できるかどうかが問題になる
歌謡曲的あるいはひと昔前のフォーク的心情の持ち主は
自分が胸の中で勝手に育んだ美しいイメージと
実際の対象となる相手の間にギャップが生じると
途端に[裏切られた!]と言ってヒステリックに喚くか
あるいはメソメソと泣き出す
これでは始末におえない
僕は何度も彼らのレコードを聴いて
自分の耳でもって彼らの解散を納得した
そして…いま改めて、甲斐よしひろという個人ではなく
甲斐バンドが眼の前に浮上して来た
甲斐バンドは誰が見ても一目瞭然、甲斐よしひろのワンマン・バンドだ
と、すぐに[そんなことはない、4人の力が集まって…]
云々という建前論が登場するのだが
リーダーが作詞、作曲、編曲、プロデュース
そして、リードヴォーカルを兼ねているようなバンドを
世間ではワンマン・バンドと呼ぶのだ
しかし解散以後、ソロになった時の甲斐よしひろの姿を思い浮かべると
甲斐よしひろというミュージシャンと甲斐バンドは
全く別個の存在だということにはっきり気がついた
4人の織り成す人間関係の、その磁場の内と外とでは
やはり甲斐よしひろという才能は全く異なる開花を見せるに違いない
だからもし、大森信和の代わりに
誰か他のミュージシャンを加入させていたとしたら
その時点で甲斐バンドは全く別の色合いを持つバンドになっていただろう
そう…ローリング・ストーンズは
ブライアン・ジョーンズがいなくなった時点で
全く別のグループになったと考えるべきなのだ
ミック・テイラーという過渡期を経て
現在のロン・ウッドに至る時期のストーンズと
かつてのブライアン在籍時のストーンズは別のグループである
ということは…甲斐バンドの場合、長岡和弘の脱退以前と以降では
全くバンドのカラーが違うと考えると
多くの事柄が鮮明に見えて来るはずだ
これは別に長岡和弘というミュージシャンが
フォーク的体質をより多く持っていたかどうかというような問題では無論ない
しかし、彼が脱けたことで
バンドの体質は以前とは全く異なったものになったはずだし
体質が変化したという正にその時期を逃がさずに
甲斐バンドが音楽的な大転換を図ったということは容易に想像がつく
解散に関してはドライ一方の僕も
ソロになった甲斐よしひろのバックに
長年お互いの呼吸を知り尽くした、阿吽の間柄である
大森信和も松藤英男も、そして田中一郎もいないことを考えると
ちょっぴりセンチメンタルな気分に襲われる
要するにセッションなんて、いくら息が合ったところで、所詮は他人
その点、バンドは血を分けた身内ですからねえ」
…と、亀和田さんの著書「愛を叫んだ獣」のあとがきをご紹介してますが
これは全部、当時の奥さんの心境そのものです(笑)
第一報にこそ驚いていたものの
甲斐さんご自身の言葉で、その事実を伝えられた時には
「サバサバ」と言って良いくらい平静でした
何度も申し上げております通り
奥さんにとっての「甲斐バンド」は、オリジナル・メンバー
…福岡から一緒に上京された4人のことですし
長岡さんの脱退を発表なさった際
甲斐さんが「一生3人でやって行く」とおっしゃった時に
ある意味「甲斐バンド」ではなくなっていたみたいだし
実際、甲斐さんも「決して上手くはなかったけど
長岡がいた頃には独特なうねりがあった」と話されてました
何より、奥さんにとっては
甲斐さんがソロで活動を続けて行かれることが
一番重要なことだったんじゃないかと…
ただ、1996年に再結成された甲斐バンドを観た時には
亀和田さんの書かれたように
ソロの「甲斐よしひろ」と甲斐バンドの「甲斐よしひろ」は
違うミュージシャンだということを改めて実感したらしいですが…(笑)
ともあれ、亀和田さんのあとがきの続きには
甲斐さんと大森さんのニューヨーク行きの壮行会で
松藤さんがベースのバンドで【裏切りの季節】を歌われたことや
東芝レコードの石坂敬一さん(先日お亡くなりになりました…m(__)m)が
「完全にデキ上がって」「内田祐也さんのあの口調で」
「俺だって、ロックンロールだぜ!文句あっか、え?
俺はよぉ、ストーンズとビートルズを聴いて生きて来た
で、日本じゃ甲斐バンドがロックンロールして来た
な、要するにそういうことだ、わかるか?」
…と「いわゆる主催者側挨拶とは180度異なる」言葉を発せられ(笑)
更に「かつて、甲斐バンドほど語られ、論じられたバンドは
日本にはありません」とおっしゃったらしく
亀和田さんいわく…思わずニヤリとしてしまうぜ
そう、このバンドには聴く者をして
何かを語りたいという衝動に走らせる
そんな魅力が潜んでいるようなのだ
僕もそんな衝動に駆られて、とうとう単行本1冊分の原稿を書いてしまった
この本の特徴を一言で言えば「過剰」ということに尽きる
つまり、音楽ジャーナリズム的平衡感覚を著しく欠いているということだ
もちろん、音楽評論家にも音楽雑誌編集者にも
甲斐バンドの良き理解者はいる
しかし、この人たちは[A
もスゴイ、Bも好き、Cも注目株だ
そして甲斐バンドも良い]というような
相対的な立場に基づく理解者なのだ
ところが、ファンというのは絶対的な立場に基づく理解者
最終的には甲斐バンドしか認めないというのがファンの立場である
要するに、えこひいきこそがファンの思想なのだ
だってさ、それに費やした金と時間とエネルギーが違うもん
他のミュージシャンは最小限に抑えておいて
残りはぜ〜〜〜んぶ甲斐バンドに注ごうって立場なのである
今後、僕の前には甲斐バンドのような存在は
どう転んだところで現れないだろう
このバンドに注ぎ込んだ計算できないほどの時間とエネルギー
それを考えると、僕は嬉しくなって来る
こんな過剰なのめり込みを強いて来るミュージシャンと出会えた幸運に
思わず小躍りしてしまいたいくらいだ
その挙げ句に、決して少なくはない時間とエネルギーを費やして
とうとう1冊丸ごとのファンレターを書いてしまった
つまり、僕にとってこの本は、ファンの勲章みたいなものだ
だから、今の僕は、胸にブリキの勲章をぶら下げて嬉々として歩く
子供のような表情を浮かべているかも知れない
…確かに、少なくはない時間とエネルギーでもって
語らずにはいられない「えこひいき」思想の者が我が家にも…(笑)
ただ、これほど亀和田さんとよく似た思想を持つ奥さんが
唯一、ツッコミたいのは、花園ラグビー場でのライブについて
「もちろん、僕もビニールシートを投げた
それも2枚か3枚ね。あんまり遠くまで飛ばなかったけど」との記述があり
甲斐さんが「お土産に持って帰ってくれるかなと思ったら…
ナンで、自分が好きで観に来てるミュージシャンに向かって投げるんだ⁉」
…と、おっしゃったことをどう考えておられるのか?
とくとお訊きしてみたいんだとか…(笑)
でも、花園ライブに関する記事には
「私は甲斐バンドを現在の日本のロックシーンにおける
最強のバンドだと信じて疑わず
熱烈なラブコールを送り続けて来た男だが
極言してしまえば、どれだけ多くの少年少女を惹き付けようが
新曲がチャート1位になろうが
そんなことは、私にとってどうでもよいことなのだ
もしこのバンドが、100人の観客しか動員できなくても
私は断固聴き続けるだろう
何故か…[愛]や[孤独]や[涙]といった感情のディテールを歌うことが
そのまま[全世界]を歌うことにストレートに結びつくという
[魂の錬金術]とも呼ぶべき能力を持つ
実に数少ないミュージシャンだからである
そして、そんな風にこのバンドを偏愛している
エゴイスティックな男と同様に
一回り以上も年齢の違う、2万人のナイーブな少年少女たちが
狂喜している光景を目撃して、私は感激したのだ」
…と、嬉しさのあまりでいらしたことが記されてます(笑)