タカへの個人的な日記-goo版

個人的な日々の出来事をつづっています。暇つぶしに読んでもらえれば。

読めますか。パート2

2016-07-01 17:06:06 | その他

けっこう地名って難しいですよね。
大阪に住んでいても読めない地名が~。
今回は南海電鉄の駅です。昔、南海っていうパリーグの
球団があったなんていうのを知らない世代もけっこう
増えてきましたね。年はとりたくねぇ~。
皆さんは読めますか~ってことで。

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粉浜 七道 天下茶屋
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粉浜 こはま。元は木浜という字であり、住吉大社の
式年遷宮の時の木材を置く浜だったことに由来するそうです。

七道 しちどうです。ななどう、ひちどうじゃありません。
地名由来のひとつに高渚寺の七堂伽藍からとの説があります。

天下茶屋 てんがちゃや。由来はよくある秀吉話でこのあたりの
茶屋でお茶を飲んだらおいしかった~みたいなね。
関白殿下の「殿下茶屋」天下人の天下茶屋ってね。

伽羅橋 高師浜 北助松
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伽羅橋 きゃらばし。なぜ伽羅橋と名付けられたかというと
「伽羅という高価な香木で最初は造られていた」 と、いう説と
「朝鮮半島の南端にあった大伽羅国が百済と新羅に侵攻され
その大伽羅国の人々がこの地にのがれて来て定住し
この橋を造った」という二つの説あるそうです。
その橋から駅名はついたみたい。

高師浜 たかしのはま。高石(たかいし)市にあり、高石はもともと
高石(たかし=高志、高師、高脚)であり、高師というのは当地に
百済系渡来人である西文(かわちのふみ)氏の分派が住み着いて
高志と称したためだとか。

助松 きたすけまつ。よくありそうな話で孝助松海岸に一本の
高い松の木があり、或る日のこと、孝行息子の孝助は
漁に出て突然の嵐に遭遇!この松の木にしがみ付き風雨を避けて
助かったという。その後、この松が孝助松と呼ばれるようになった。

二色浜 井原里 岡田浦 

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二色浜 にしきはま
井原里 いはらさと のがつきます。
吉見ノ里はがついてますが。
岡田浦 おかだうら のがつきません。

箱作 淡輪 孝子
深日町 加太

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箱作 はこつくり。はこさくではありません。
地名の由来は諸説あり京都・賀茂神社改修の際に流した
御霊箱がこの地の海岸にたどり着いたという「箱着里」が
語源といわれています。このあたりは賀茂神社の荘園だったとか。

淡輪 たんのわ。『日本書紀』にも、雄略天皇9年5月条に
「田身輪邑(たむわのむら)」という記述が残るそうです。
鎌倉時代には淡輪荘という荘園がすでにあったとか。

読めない駅名でててくることがある孝子
たかこではありません。きょうしと読みます。
きょうしとはなかなか読めませんよね。
うちのお嬢さんはこうこって読みました。
地名は橘逸勢の娘が,配流途中に病死した父を当地に葬り
妙沖と名乗って菩提を弔ったので,その孝心にちなみ
名付けられたという説があるそうです。

深日町 ふけちょう、これもムズイ。もとの読みは
「ふけひ」で、「ふけい」→「ふけ」に転訛したんだとか。
「吹飯の浜」「吹井の浦」として数々の詩に詠まれ、
『万葉集』『新古今和歌集』『菊葉和歌集』などに登場するそうです。

加太 かだ。『続日本記』に「大宝二年(702年)春正月
初めて紀伊賀陀駅(きいかだえき)を置く」とあるそうです。
そのあたりが由来みたい。

以上、地名は難しい~ってことで。

御訪問ありがとうございました。 




コメント
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