去年の話ですが広島県の福山市の神社めぐりを。
で、やってきたのは三蔵稲荷神社。
三蔵稲荷神社は、福山の開祖、水野勝成公が福山城を築城する時に
守護神として祀った神社です。
勝成公は二十一歳の時、三河国刈屋の城より放浪と武者修行の
旅に出ました。その際に、祖父、忠政公が京都伏見稲荷大社より
受けられたご神体を授かりました。
勝成公は、四国・九州での戦においてもご神体を肌身離さず持ち続け
お稲荷さんのご加護を受けることができました。
元和五年(1619年)、この福山の地に城を築き、城内の北側(鬼門)に
備後の国の守護神としてお祀りしたのが、三蔵稲荷神社の起源だそうです。
江戸時代、後期のお話。
福山藩主、阿部家のお納戸役(金銭管理の役職)の武士が
藩のご用金をたくさん持って、福山から江戸に向かいました。
この道中は、どろぼう”や強盗が頻繁に現れて
危険であると言われていました。
ときに人殺しもあったそうです。例外なく、お納戸役の武士も何度か
襲われてしまいました。しかし、不思議なことに、いつもどこからともなく
一人のいかめしい武士に助けられるのでした。それが何度も続きました。
その武士に名前を聞いてもどうしても教えてくれません。
ある時、逃げようとする武士にお納戸役が武士の袖を
つかみお願いします。「せめてお名前だけでも。」
「わたしは、福山の城北にやっかいになる、三蔵と申す者で
ございます。」と言い残し、武士は姿を消してしまいました。
福山の城北といえば、お宮やお寺の多いところで
人が住むようなところではない。お納戸役は、ようやく気付きます。
あのお方は、城北の稲荷神社のお使いギツネ様であると―。
お使いギツネ様は、福山藩主を始め、多くの福山藩武士たちを
守っていたそうです。
この出来事を機に、阿部家の江戸屋敷と福山城内に
三蔵稲荷の社をつくって祀りました。
それから何十年か経った安政二年(1855年)
江戸に大地震が起きました。そのときに、江戸屋敷にいた
阿部正弘公は、家来たちと屋敷の外に慌て逃げるときに
屋根の上に、三蔵ギツネがいることに気付きます。
そして、大慌てで逃げ惑う家来たちに、三蔵ギツネの存在を告げました。
お陰で、家来たちは落ち着きを取り戻し、火元を消したり家具を
運び出したり、冷静に行動することができ、難なく災害を
乗り越えることができたそうです。
以来、三蔵ギツネを祀った三蔵稲荷は
今も福山城跡地に祀られています。
なんて話だそうです。
なんと!毎年11月に地元企業の協賛によるミスコンテストが
開催されているらしいです。正月には撮影会もあるとか。
近くなら絶対行くのにね~。
祭神は宇賀魂大神 うがのみたまのおおかみ。
猿田彦大神 さるたひこのおおかみ。
大宮女大神 おおみやめのかみ。
116枚目。
広島県福山市丸之内 1丁目8-7
ご訪問ありがとうございました。