晴れときどき風

ノンキな主婦が時に風に吹かれながら送る平凡な毎日。

今更ながら「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」

2006年10月07日 13時41分42秒 | 趣味
あまりに評判のいい本だから読まずに来ました。
前評判の高い映画を見ると、往々にして、「そうでもないじゃん。」と思ってしまう。
期待が強すぎるから。
この本を読んでそんなことを思いたくなかったし、何も感じなかったとしたら私の感性はもう繊細さを失ってしまっているのかもと思ったりするのが嫌だったし。
でも我慢しきれず読んでしまいました。ドラマなど見る前に原作を読みたい!

杞憂でした。
本を読んで号泣したのは何年ぶりでしょう。
とても軽妙で洒脱な文章で、そしてとても切ない。
折々に入るリリーさんの現実を直視した人生の有り様が苦しい。
それは リリー フランキーさんが少年の頃、青年の頃の切なさをキチンと覚えているから。ぐるぐるぐるぐる飲み込まれていく人生の淀んだ流れが私の近くにもあると思えるから。

私も子供の頃の、その時にしか分からない、大人には伝わらない切なさを思い出しました。
読んでいて何度も、ノドの奥に鉄臭い味がひろがり、鼻の奥がツンとしました。
今は読み終えた直後で、まだ涙が零れそうになります。

私は両親への感情の濃度は薄い。それはリリーさんとお母さんの関係の濃さに理由があるように、私の希薄な親子関係にもそれなりの理由があります。
そんな私でも、だんだん小さくなり、いろんな事を我慢して笑ってきたオカンが痛みにのた打ち回り、弱音を吐く場面では、辛くて切なくて涙が止めどなく零れてきました。
そのお母さんの苦しさに涙も流れるけど、それを見守り何もできない自分をどうしようもなく責めているマー君が切なくて泣けるのです。

オカンが大好きで大事に思い、いろんな場所に連れて行き、私から見ればとても親孝行なマー君なのに(若い時の放蕩は別ですが。)、それでも尚、伝えなかった言葉、したりない孝行。どこまでやってもきっと後悔は波のように押し寄せてくるんでしょうね。
最後のオカンへ語りかけているリリーさんの言葉に静かに涙が流れ、「でも、なんで大切な人のこと想うていかんのやろうか。・・・」のくだりは声を出して泣いてしまいました。

なんだか、これをドラマや映画にして欲しくないような気がしてきました。
そっと大事にしまって、時々こそっと取り出しては読み直しオカンの優しさに触れたい。もう忘れてしまった「切ない」気持ちに出会いたい。