先日の大分合同新聞の夕刊に興味深い事が載っていた。
臼杵市歴史資料館史料専門員の松原勝也と言う方が書かれた記事。
江戸時代5代将軍徳川綱吉が定めた『生類憐みの令』。
それが実際江戸から遠く離れた我が町でも適応されていたという記録が
残っているらしい。
「稲葉家譜」には「1692年(元禄5)年1月、望月村(臼杵市望月)
の2人の村人が畑を荒らした猪を殺害し、その罪で二人は大阪奉行所へ送られ
隠岐の島へ流罪となった」と記載されているとのこと。
またその4年後には犬を殺した人が江戸町奉行所へ送られ流罪になったと記載
されているらしい。
新幹線も飛行機もなかった江戸時代、猪などを殺しただけで大阪や江戸までも
送られしまいには島流し・・・
これほど重い刑だったのかと改めて現実のものとして感じた。
農作物など鳥獣被害が問題となっている昨今、シカやイノシシを退治して
こんな処罰を受けたら、たまったものではない。
昨日頂いたお菓子『5万石』。
こういうお菓子が臼杵にあることを初めて知った。
臼杵は戦国時代は大友宗麟が丹生島城を築き栄えていたようだが
江戸時代は美濃の国郡上八幡から稲葉氏が来て
明治維新まで統治。石高5万石の小さな藩。
新聞記事とお菓子のパッケージでちょっとだけ江戸時代に思いを馳せた。
※墓石の法名(戒名)入れが出来上がり今朝持ってきてくれた。
5人も記名せず、ずるずる来ていたのだが、これで一つ肩の荷が下りた。