奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

幸せな寄付

2016年07月06日 09時33分23秒 | ACIM奇跡のコースという生き方
ハートからの衝動がなければ
何か新たに行動を起こす。
ということは、ほぼほぼなくなってきました。


実際のところ、何をしてもしなくても、
心の奥は幸せで平和だからです。


昨夜、人生初の政治資金の寄付というものをしました。
それは、幸せな寄付という衝動でした。

愛の延長です。
ただただ、愛の延長なんですね。


寄付をしたから幸せなのではなく
幸せなまま、ただ寄付をする。


幸せなのだから
何をするにも本当に幸せからの行動・言動なんですね。



昨日は、テキスト編のこのあたりが何度も思い出される日でした。

幸せな夢は実現するが、その理由は、それらが夢だからではなく、ただ幸せなものだからである。
奇跡講座テキスト編 P504
(T-18.5.4:1/中央アート出版社)


奇跡講座においての「幸せな夢」とは、イエスのように十字架刑にあっても、腕にくぎを打たれても
苦しまない心が見る夢のことです。

その夢は本当に実在しておらず、分離も罪も実在していなかったのだと
受け入れた心だから苦しまないわけですね。

一切の知覚が不要だ。
ということを確信している心です。



「私」が何かをするのではない。


「御心のままに。」
「御心が行われんことを。」


そうやって退いている心は、だんだんと、幸せしか実在していないことに
気が付いてゆくわけですね。



先日、「のりこさんは、最近幸せなんですか?」
というニュアンスの質問をいただいて

「はい。幸せなんです。」とお答えしました。


その時、その方は
今のような活動・役目というような仕事をしているから幸せなんですね。
という理解をなさったようなのですが、

「いいえ。この形のレベルで何かをしているから幸せなのではなく、心のレベルで自分が引き下がって、聖霊に道を譲っているから幸せなんです。」

と、加えてお伝えしました。


この幻想には、幸せの源はありません。
神という実相が幸せの源で、そのすべてを供給していただいている神の子が「私」である。

その真のアイデンティティー、そのものが幸せであり

幸せとは、私のことであったのだ。
神と私は一つだったのだ。
なんとありがたいことなのだろう。と



そうなってくると、何かをしているから
それによって満たされる。
という思考の仕方が遠のいてゆきます。


ただ、幸せなんですね。
ただただ、幸せなものなんですね。


「御心のままに。」
「御心が行われんことを。」


とは、神の愛の延長がただただ延長されますように。
ということなのですから

それは、ただ幸せなもの。幸せなことなんですね。


寄付をする。ということそのものが正解ではないです。
ただ、そこに行きついた。というだけのことです。


そしてまた、日常というレッスンは繰り返し続けられてゆきます。



神の愛という永遠不滅の幸せだけが、実在しています。

御心のままに。。




寄付したとこ
http://miyake-yohei.com

多くの兄弟たちの、形のレベルの苦しみが形のレベルで消えてもいいんです。
どうしたって消えないシナリオなら、私たちがどんなに動いても消えないでしょうが
消えるシナリオもあったなら、それらはどんどん消滅してゆきます。

それは、私の「うつ病」が消滅した時の意志のはたらきと似ていると思います。
「病気を治そう」というところではなく
外側のどこかに責任転嫁することもやめたところから
「もう苦しみはいらない!!」と、ハッキリと宣言したからこそ
自分を苦しめるパターンのシナリオが、ガラガラと消滅しはじめました。

パターンが消えることそのものが重要なのではないですが
多くの兄弟たちが、優しい夢の中で「正気の心を選ぶ」練習をコツコツとしてゆくのは
むしろあった方が良いはずです。

それぞれの心には、解放に至る段階段階がありますから
出来る限り安心して愛を受け入れることができる
国という形・イメージが、あってもよいんです。

この世界に「完璧」はありません
けれども、今私たちの最大限の愛の反映を
ここに見ることは可能ですし、その導きは絶えず行われています。


「御心のままに。」
「御心が行われんことを。」




一番重要なことは、常に自分の内側に焦点を向け続ける意欲だろうな。







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