放蕩息子の物語を思い出す、極端なレッスンの記事にコメントを頂いていました。
ブログ記事として掲載すると良い感じがしましたので、こちらでもご紹介します。
自分の心の焦点が、今どっち側に向いているのかな?
「外側かな?」
「内側かな?」
自我を直視するレッスンを深めてゆくためには、
心の焦点を内側に、しっかりと戻して行く訓練をしてゆくと良いな〜。と
私自身は、私自身の中で強く感じています。
何をするにもしないにも、兄弟がどのようであるかではなく
自分の心の焦点がどこに向いているか?
それを思い出す練習を、少しずつしてゆきたいですね。
Sayuriさん、コメントありがとうございます。
〜Sayuriさん〜
それってEさんを作り出してませんか?
幻想をどんどんつくりだして、
赦して、自分が癒されたいだけではないかな?
作り出したらソレ永遠に続きますよね・・
〜のりこ〜
Sayuriさん
こんにちは。
コメントありがとうございます(*^^*)
ご自身は、この文章をご覧になってどのように感じ、どのように考えたでしょうか?
その考えは、どこから来ているのでしょうか?
その考えは、
即、いまここで自分を幸せにしてくれるものでしょうか?
☆そこにフォーカスをなさってみると良いだろうな〜。
私はそんな風に感じます。
大橋のりこという兄弟が、
何を言い、何を感じているのか?
どう行動しているのか?
が、問題ではありません。
そこにはそのような人はいません。
「夢見る一者が、無の世界をどのように見るのか?」=「あなたが、無の世界をどのように見るのか?」
そこのみが大切です。
ここでは誰もが、あらゆる映像を現しています。
しかし、映像には問題が無いんです。
十字架刑が問題では無いんです。
心に映し出されているあらゆるすべて(映像)を、
「私」が愛しているかどうか?
そして、その「私」も、あらわれるすべても「一つ」であり
現れは単なる象徴に過ぎず、
本当に起きていることは
「いまここで全面的に神に愛されている。」
そのことに気がついてゆき
その事実に感謝して
「夢見る私」が、神の愛を完全に受け入れてゆくこと。
それのみが、私たちに求められていることです。
Sayuriさん自身が、自分の思考を頼りにして生きることから
聖霊を頼りにして生きてゆく道のりを、いずれこれから歩まれるはずですし
それはすでに開かれていますね。
これからもどうぞ、ご自身の聖霊に尋ねていって下さいね☆
Sayuriさんの真の心の解放をお祈りしています。ありがとうございます。
画像は、映画:「キング・オブ・キングス」山上の垂訓場面より![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart2_arrow.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/e7/746c8c7ba76ea64e8c47977e3723eaed.jpg)
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ブログ記事として掲載すると良い感じがしましたので、こちらでもご紹介します。
自分の心の焦点が、今どっち側に向いているのかな?
「外側かな?」
「内側かな?」
自我を直視するレッスンを深めてゆくためには、
心の焦点を内側に、しっかりと戻して行く訓練をしてゆくと良いな〜。と
私自身は、私自身の中で強く感じています。
何をするにもしないにも、兄弟がどのようであるかではなく
自分の心の焦点がどこに向いているか?
それを思い出す練習を、少しずつしてゆきたいですね。
Sayuriさん、コメントありがとうございます。
〜Sayuriさん〜
それってEさんを作り出してませんか?
幻想をどんどんつくりだして、
赦して、自分が癒されたいだけではないかな?
作り出したらソレ永遠に続きますよね・・
〜のりこ〜
Sayuriさん
こんにちは。
コメントありがとうございます(*^^*)
ご自身は、この文章をご覧になってどのように感じ、どのように考えたでしょうか?
その考えは、どこから来ているのでしょうか?
その考えは、
即、いまここで自分を幸せにしてくれるものでしょうか?
☆そこにフォーカスをなさってみると良いだろうな〜。
私はそんな風に感じます。
大橋のりこという兄弟が、
何を言い、何を感じているのか?
どう行動しているのか?
が、問題ではありません。
そこにはそのような人はいません。
「夢見る一者が、無の世界をどのように見るのか?」=「あなたが、無の世界をどのように見るのか?」
そこのみが大切です。
ここでは誰もが、あらゆる映像を現しています。
しかし、映像には問題が無いんです。
十字架刑が問題では無いんです。
心に映し出されているあらゆるすべて(映像)を、
「私」が愛しているかどうか?
そして、その「私」も、あらわれるすべても「一つ」であり
現れは単なる象徴に過ぎず、
本当に起きていることは
「いまここで全面的に神に愛されている。」
そのことに気がついてゆき
その事実に感謝して
「夢見る私」が、神の愛を完全に受け入れてゆくこと。
それのみが、私たちに求められていることです。
Sayuriさん自身が、自分の思考を頼りにして生きることから
聖霊を頼りにして生きてゆく道のりを、いずれこれから歩まれるはずですし
それはすでに開かれていますね。
これからもどうぞ、ご自身の聖霊に尋ねていって下さいね☆
Sayuriさんの真の心の解放をお祈りしています。ありがとうございます。
画像は、映画:「キング・オブ・キングス」山上の垂訓場面より
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart2_arrow.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/e7/746c8c7ba76ea64e8c47977e3723eaed.jpg)
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