奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

癒されたくない誘惑、支配されたまま、犠牲者のまま、隷属したままでいたい誘惑

2016年07月05日 14時24分48秒 | ACIM奇跡のコースという生き方
ほんとうに信じがたいことですが

私たちは、自分自身の癒しの必要性について否認・抑圧したまま隠し続けようとしています。

その、無意識レベルでの反映として、世界のあれこれということにして投影しています。


本当には、癒されたくないし、支配されたままでいたいし、犠牲者でいたいし、隷属されたままでいたいのです。

その原因はというと

心のレベルで「神からの分離を信じたから」ということになります。

それは、自分自身についての「罪と罪悪感の実在性を信じる信念」そのものです。


ゆえに

何でもいいから、罪ある世界・罪ある者・責任転嫁できそうなものを、欲しています。

欲しておいて、その力動は隠して、あらゆる不満を維持させようとしています。


共に4年目に突入しているコース学習者のお一人と、先日話しをしてお互いに愕然としたのですが

実のところ、全くもって真の癒しを受け入れずに起死回生を試みて、

「どうにかならんものか!」と

自我としての復活を願っている部分が、未だ心の中に隠されているんだね。と、、


「助けが必要だ。」

というところまでは受け入れて、助けを求めるまではするけれども

その結果としての奇跡=癒しを、本当には受け入れようとしない。


これを、自我の強がりという言葉で表現することもできますし

救いに対する恐れ(T-13.3 奇跡講座テキスト編/中央アート出版社)という言葉で表現することもできます。


「救われる必要なんかないもん。」

「癒される必要なんかないもん。」

「私には起死回生する能力が、きっとあるんだもん。」


この言葉の裏側には、想像を絶する神に対する恐れが隠されています。

神のもとへと帰還することが、強烈に恐ろしいのです。

救われることを頑に拒絶しているわけなんですね。


4年目にして、やっとこのあたりを深いレベルから認めることができる。という

非常に幸いな学びです。






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